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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「朱」」(伏見稲荷大社) 第29号 1985.06.10 |
お い な り さ ん と 私
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ぼくの生家のある京都市下京区界隈の氏神さまは稲荷大社である。
最も縁の深い神社であり、ぼくたちは、稲荷大社というよりもおいなりさん″ というほうがピンとくる。
こどものころを振りかえると、おいなりさんに関する想い出はつきない。
まずは稲荷祭り。いまでも毎年五月三日が祭礼の日だが、町内の腕白どもと、御旅所によく遊びにいった。露店を見て歩くのが楽しみで、時間さえ忘れるほどだった。その日のために溜めておいたおこづかいで、花火を買い、祭礼の当日に鳴らして遊んだ。
関東に移り住んだいまも、五月三日になると、「ああ、今日はおいなりさんのお祭りの日だな」と、京都にいたころを想い出す。そこでスーパーマーケットにゆき、できるだけ大きな鯖をさがして買ってくる。無性に鯖ずしが食いたくなるからである。それで家人は毎年、ぼくに鯖ずしをつくらされるはめになる。
お千度まいり″も秋のリクレーシヨンの一つだった。
秋の一日をえらんで、その日は町内こぞって、稲荷大社に出かけてゆく。
境内に着くと、割竹を十本ずつもって本殿の周囲をまわる。正面にやってくるたびに、それを一本ずつ受け箱に投げ入れ祈願するのだった。一回が百回に相当するから、十回まわれば千回になるわけだ。おまいりがすむと神社のお山で遊ぶ。むしろを敷いて町内単位で寄り集まり、昼食となる。男たちは神酒に酔い、女こどもは折り詰めをひらく。
お千度まいり″は、おいなりさんだけにかぎったものではなく、どこの神社でも行われる。いわば京都市民にとって伝統的な祭事の一つである。年寄りも若者も、女こどもも、氏神さまのふところに集い、語らいの一時を過ごす。そこには民衆の原始的な姿があるように思う。
いまから六年まえのことである。そのころまだ京都にいたぼくは、順番がまわってきて町内の役員になった。
秋のリクレーションを何にするかで、さんざん悩んだことを憶えている。
「お千度をやろう」 という意見がでた。「そんな古くさいことをやって、みんな出てくるやろか?」 と、危惧する向きもあった。ぼく自身も積極的に支持する気持になれなかった。だが、これといってよい企画もなく、「お千度まいり」 と一決した。
人が集まらないのでは……と、ずいぶんと気をもんだが、そんなぼくたちを嘲笑うように、当日は信じられないほどの参加者があった。
「おいなりさんの力はたいしたもんや」
ぼくたちは、うれしい悲鳴をあげたのだった。
おいなりさん″ については、こども心にちょっぴり恨めしい想い出もある。
ぼくの生家は生菓子商を営んでいた。生菓子だけでなく餅や赤飯などもつくる。おいなりさんのお祭りの日には、赤飯の注文が殺到する。いわば、かきいれ時″だった。
注文は午前中に届けなければならない。両親は深夜から仕事を始める。ぼくたちこどもも、小学生のころから、その手伝いをさせられた。
ぼくの役どころは配達だった。自転車で得意先一軒一軒に届けてまわるのだ。こどもたちは朝早くから、花火を鳴らして遊んでいる。そんなさまを見ると、自分だけが のけ者″ にされたようで情けなかった。小豆の匂いが鼻について反吐が出そうだった。その時ほど、おいなりさんが恨めしく思われたことはなかった。
しかし、考えてみれば、ぼくの生家は、おいなりさんに過分の恩恵をこうむっていたのだから、それは逆恨みというものだろう。
ともかくも、いろんな意味で、ぼくたちの生活の四季は、おいなりさんを軸にまわっていたといえるだろう。日常ときわめて密接であるだけに、暮らしの匂いのある神さまだと思える。そしてぼくたちの住んでいた下京界隈も、氏神さまさながらに、爪先立った新興の街とはちがい、地にしかと足をつけた生活の営みがあった。
ぼくは信仰とは無縁の人間だが、疲れてくると、なぜか神社や寺院の境内を歩きたくなる。ぶらぶらしていると、いつのまにか活力がよみがえってくるのである。
いまの新興の地には、これという神社はなく、それだけに、根をつめる仕事がつづいて、いらいらしてくると、きまって おいなりさん″ のたたずまいを想い出す。それは、ひとえに妙に取りすましたところのない庶民性と、ぼくのような信仰心のない者までも、すっぽりとつつみこんでくれる底ぬけの心の広さによるものだろう。
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