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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.193新春 2008.01.10 |
あ も
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京都では「餅」のことを「あも」あるいは「あもさん」と呼んできた。
餅屋は「あも屋さん」、餅つきは「あもつき」となる。主に女性やこどもたちによって使われてきたことばなのだが、もともとは宮中ことばだったといわれている。
京都の雑煮はなんといっても「あも」が主役である。白味噌仕立ての出汁 、まるい小餅と頭芋 だけを入れるのが本式である。
現在は大根や人参なども入れる向きもあるが、その昔はまるい白餅だけをお椀のまんなかにどかんと入れるだけだった。けれども餅が高価で庶民には手がとどかない時代もあって、餅のかわりに頭芋が使われるようになった。頭芋はもともと餅の代用品だったのである。
白味噌は米からつくられるので、独特の甘みのあるまったりした味になる。餅があまりやらこうなりすぎると白味噌に溶けてどろどろになり、だからといってあまり固すぎても雑煮の仕上がりをそこねてしまう。毎年一回のことだが、そのほどらい(適度)がむずかしく、台所をあずかる京女の腕のふるいどころになる。
だから、京都の主婦たちは「あも」にはちょっとうるさかった。生家が「あも屋」だったから、そこのところは身にしみている。
雑煮の餅は、同じまる餅でも、仏前に供 える「おけそく」(供物を盛るいみの華束に由来する京ことば)よりも、二回りぐらい大きい。主役として椀にほどよくおさまる大きさとでもいおうか。
最もきびしく注文がつけられたのは「搗きかた」である。
かつて私は店の手伝いで配達に回っていたことがあるが、あるとき、旧家のお家はんにやんわりと小言を投げられたことがある。
「雑煮のあもは箸ではさんで、ぷつんと切れるぐらいにしてもらわんとな……」
まさにその一言につきるわけで、今でも強く記憶に残っている。
要するに雑煮用の餅はいくらでも伸びるように搗いてはいけないのである。むしろ搗きを浅くして、ほんの少し米粒の姿が残っているぐらいのほうがのぞましい。
なぜなのか。粗搗 きでさっくりしているほうが、白味噌との絡みもよくて、煮くずれすることもない。お家はんの捨て台詞は理にかなっているのである
もし、白味噌の出汁に餅が溶けてしまえばどうなるか。椀の中は白一色のどろどろ状態、どこまでが出汁で、どこまでが餅なのかもわからない。さらにモチモチした頭芋が絡んでくれば……。薄味の京都らしからぬ重くこってりしたものになる。そうなると、もともと白味噌の雑煮があまり好きでない私なんかは想像するだけでも尻込みしてしまう。
雑煮の出来の良し悪しはまさに「あも」しだいというわけなのだが、時代は移り、京都でも最近は正月だからといって、あまり餅を食べなくなったらしい。
「あも」も、遠からず日常の京ことばから消えてゆく運命にあるのだろう。
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