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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.201新春 2010.01.10 |
花 見 小 路
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横あいからふいと手がのびてきた。眼のまえにはデジタルカメラ……。
石段下から四条通りの南側を西に向かっているときだった。花見小路にさしかかるあたりで、とつぜんそぞろ歩きの足をとめられたのである。
見れば若いカップルが微笑んでいる。何か言っているようだったが、耳は音楽プレイヤーのイヤホーンでふさがっている。まるで聴きとれなかったが、おおよその察しはつく。シャッターを押してくれ、というのだろう。
「いいですよ。それじゃあ、背景はどうしますか?」
と、訊いてみたが、ふたりはポカンとして顔を見合わせている。
あるいは……とアタリをつけて、「どこからきたの?」と英語で訊いてみた。すると女性のほうが「中国……」と日本語でこたえた。 やはり、そういうことだったのか。私はふたりを「花見小路」の石標のそばにつれてゆき、一力亭の紅い塗り壁、犬矢来、そして石畳の街並みがチラと背景にみえるような画面をつくってシャッターを押した。
八坂神社のほうへゆくというふたりを見送って、ひさしぶりに花見小路をゆっくりとくだった。もしかしたら、あのふたりは新婚旅行で来たのだろうか、などと思案をめぐらせながら、横にのびる細い小路にも踏み入れてみた。界隈は景観保全地区になっており、街並みは昔と変わらない。だが、近年はいかにも観光客目当ての甘味処や雑貨店とおぼしき店がふえている。
かつて京都では繁華街にしても名所旧跡にしても、ごく自然に観光客を迎えるところとそうでないところとが区分けされていた。すくなくとも祇園甲部といわれるその界隈は、観光客相手の街ではなかった。
ところが時うつり、いまでは中国からやってきた若いカップルにシャッター・マンをたのまれる。
いつのまにか、どこにでもあるようなチャカチャカした街になっているじゃないか。ふと気がつくと、そんな思いに駆られている自分がいた。だが、それは、時とともに失われてゆく、かつてありしものをただ理想化しているだけにすぎない。京都を外からみる者の感傷というものである。
京都を離れた歳月にひとしく、いつしか京都が遠くなっている。あらためて思い知らされたようで苦笑した。
ふたたび花見小路にもどって、「観光」とは何なのか、「文化」とは何なのか、などとかんがえていると、またしても、横あいから「ぬッ」とカメラを差し出された。
日本人ではない。やはり東洋人系の若いカップルだったが、もう驚きはしなかった。どこから来たのかもあえて訊かなかった。
私は笑顔で応じ、たまたま目と鼻の先にあった杢兵衛の店先に案内した。「四条小橋」と彫りこまれた重厚な石の親柱、それが何なのか、なぜそこにあるのかも、ふたりは知るよしもなかったろうが、そのかたわらに立つようにうながしてシャッターを押した。
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