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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.187夏季 2006.07.10 |
宵 山
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「これが終わらんと、夏が来いひんさかいにねえ」
祇園祭は京都人にとって、そんな季節の句読点をなす風物詩である。鉾町では山鉾の巡行がおわると、「夏が終わってしもうた」と言う人がいるほどである。
京都に生まれ育ち、三六年あまりすごしたが、山鉾巡行を見物に出かけたのは、後にも先にもたった一回きりである。
鉾町とそれほど遠くない街なかにいた私たちにとって、祭そのものが日常の暮らしのなかにあった。山鉾の組み立てが始まるのは七月上旬だが、祭の舞台になる四条界隈は毎日のように行き来していた。買い物に出かけたり、友人と待ち合わせたり、通学コースになっていたころもあった。
鉾や山は「縄がらみ」という伝統の技術で一本の釘も使わず、縄だけで組みあげられてゆく。毎日少しづつ出来あがってゆくさまを、幼いころから見ていたから、わざわざ巡行当日に見物にゆくことはなかったのである。
格好つけて宵山に出かけたのも、わずか一回だけである。あれは結婚して最初に迎えた夏だった。わが伴侶とともに、仕立ておろしの浴衣を着て、下駄を鳴らしながら、新町通りをあがっていった。
狭い道幅いっぱいにどっかり腰をおろしている山や鉾、山なりに飾りつるされた提灯に火が点ると、夕闇にほんのりとその雄姿が浮かびあがり、そこから笛や鉦の音が脈打って聞こえてくる。遠くからながめているかぎりは、なかなかの風情であった。
だが、四条通りに近づくにつれて、そぞろ歩きを楽しむ余裕などなくなった。気がつくとすっかり人の波にのみこまれていて、進むことも退くこともできなくなっていたのである。それでも、四条通りや室町、新町の辻つじにある鉾や山をひととおり見てまわったが、わが伴侶は途中から何も言わなくなった。
熱気ただよう雑踏にもみくちゃにされ、すっかり疲れ果てた私たちは、祭の喧噪とは無縁の五条あたりまでもどって、小さな喫茶店にとびこんだ。
無言のまま、ひたすら、かき氷にスプーンをはこぶ彼女を不思議そうにみていると、ふいと顔をあげ、「暑いねえ、ほんとうに……」と溜息まじりに声をあげた。
「そら、祇園祭やもんな」
私が笑うと、彼女はきょとんとした顔をしていた。
祇園祭のころがいちばん暑い……というのは京都の常識というものである。
あれから歳月を経て、京都も祇園祭も遠くなったが、テレビや新聞のニュースで、宵山や山鉾巡行の報道をみるたび、私たちはいまでもあの日のことを想い出している。
「暑いはずやな」
私がいうと、わが伴侶は、「そら、祇園祭やからね」と笑い出す。
京都を離れたとはいえ、現在もやはり京都人なのである。
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