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福本 武久
ESSAY
Part 2 |
福本武久によるエッセイ、随筆、雑文などをWEB版に再編集して載録しました。発表した時期や媒体にとらわれることなく、テーマ別のブロックにまとめてあります。
新聞、雑誌などの媒体に発表したエッセイ作品は、ほかにも、たくさんありますが、散逸しているものも多く、とりあえず掲載紙が手もとにあるもの、さらにはパソコンのファイルにのこっているものから、順次にアップロードしてゆきます。 |
西陣そして京都……わがルーツをさぐる |
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初出:雑誌「ぎをん」(祇園甲部組合) No.209新春 2012.01.10 |
を け ら 詣 り
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正月のむかえかたも時代とともにかわってゆく。たとえば松飾り、注連縄なども簡素化されたものになり、羽根つきなどはすっかり廃れてしまったようである。京都も例外ではないだろうが、京都には京都ならではの風習がいまも脈々とうけつがれている。
さしずめ「をけら詣り」などはその代表的な例だろう。をけらは白朮と書いてキク科の多年草木のことをいう。
「元旦の火はをけら火で……」というのが京都の古くからの風習であった。この「をけら火」を授かるために祇園さん(八坂神社)にお詣りするのが「をけら詣り」である。
八坂神社では二八日ごろに白朮祭の鑽火式がおこなわれる。皇室におさめる柳箸の両端を削った屑に、白朮をまぜ、古式にのっとって火鑽臼とひきり火鑽杵で火を鑽りだす。そして、そのときの煙のたなびく方向をみて豊凶を占うという神事である。
鑽りだされた御神火「をけら火」は本殿内の白朮燈籠に移され、一年間にわたって燈しつづけられるという。
大晦日の夜になると、この「をけら火」は、境内数カ所に吊された「をけら燈籠」にうつされる。燈籠のなかには参詣者の願いがしるされた「をけら木(護摩木)」や砕いた白朮が入れられており、それらが元旦の朝まで炎を燃やしつづけるのである。
参詣者の私たちは、その火をいただいて帰る。それを火種にして、神棚の燈明をともし、雑煮を炊いて年の初めの吉祥を祝うというのが、「をけら詣り」の風習である。
「火縄どうですか。吉兆の……」
境内にはいるとあちこちにある吉兆縄を売る出店から声がかかる。
京都人にすらなんとも懐かしい大晦日の情景である。
私たちが祇園さんにゆくのは、いつも知恩院さんの除夜の鐘が聞こえてくるころだった。生家が生菓子屋で正月餅の賃搗きもやっていたので、大晦日の納品をすべてこなして、店の清掃も終えてからとなると、早くても午後一〇時をすぎてしまうのである。
燈籠から火縄にもらった「をけら火」、消えてしまっては一大事である。火縄は竹や檜の皮を編んでつくられており、いちど火がつくと容易に消えることはないのだが、風をおこすために、たえずクルクルまわしながら歩きつづけた。まるで、愛おしむかのように持ち帰ったのである。
静まりかえった深夜の街なみに、火の色がちらちらと舞っている。そんな幻想的な光景のなかで、いつも新しい年がゆっくりと明けていった。今にして想うと、私にとってあの火縄は過ぐる年と来る年を炎でしっかり繋いでいたようである。
時うつり、いまや「おくどさん」(かまど)はなくなり、神棚のある家もめっきり少なくなっている。
それでも「をけら詣り」の風習は廃れていない。それは新しいものに飛びついていく反面、ながねんの伝統を尊び、むしろ古いモノのなかにこそ安らぎをもとめようとする京都人気質によるものだろう。
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