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公的・私的書き物ちゅう、W杯の余韻(イルたんとカーンさまに萌えています。きょう生中継で出ていた中田はいい顔していたなあ)その他でいそがし、すぎかえる。
書き物の直し。う〜〜〜〜〜〜〜ん。もしかして私の手には余るのでわ(;.;)
午後まったく突然に「プールカードにハンコ押したっけ!?」という疑問が浮上した。次男の小学校のプールの日なのである。体温を測った彼が「36度5分!」と叫んで、私がそうかそうかと言いながらプールカードをテーブルの上に置いたところまではありありと記憶にあるが、体温を記入してハンコを押したか、となると…全然記憶にないぞ。ハンコがないとどんなに暑くてもどんなに当人が元気でも、入りたいと泣いても、ぜーったい入れてもらえないのだ。今ごろ気をもんでももう間に合わない、水温が低くて中止になっていたことを祈るのみ。帰宅してこわごわ「プール、入れた?」と訊くと「入れなかった」うっ、ドキ、やっぱりハンコ押し忘れちゃったのかなあ…すると「温度が低くて入れなかった」あーよかった、プールカードを見るとしっかりハンコは押してあった。
暑い。暑いも暑いが、湿度が高い。まさに亜熱帯だ。湿気で髪の癖が出てしまってどうにもならず、鬱陶しいことこの上ない。久しぶりに銀行と本屋に行く。管理費だの公共料金だのに使っている口座の残金が、さんぜんえん強しかなかったのでメインバンク(!)から振り込む。多分そのうち「○○料金が引き落とせませんでした」のはがきが来ることだろう。ちょうど商店街のバッグ屋が半額セールをやっているので食指が動くが、文字通り超貧乏なのを思い出し、見なかったふりをして急ぎ通り過ぎる。
社会思想社が倒産してしまい、教養文庫はどうなるのだろう。これまでは確かにこの本屋の棚になかったはずの『沖の少女』『ポートベロー通り』が並んでいたので、とりあえず買っておく。
『考える人』は梨木香歩、星野道夫、望月通陽の連載と、大好きな人ばっかり。これは手に取らずにいられない。それから橋本治、赤瀬川原平、宮沢章夫、阿部謹也…、まあ良くも並べたり。"graphic special"と称して今森光彦・星野道夫・岩合光昭と揃い踏みとは。そう言えば星野道夫は『Sinra』(2000年7月休刊)の前身の『Mother Nature's』の頃からずっと、新潮社の雑誌にページを持っていたっけ。
あー、本読み再開。Edward Eager "Knight's Castle"、これは『魔法半分』(早川FT文庫)の人の作だがそのシリーズではない。初版は1956年とある。そのせいか、話が始まるまでがちょっともたついているかな〜という感じ。表紙はダールの絵を描いている人だが、中は古い絵(N. M. Bodecker)のままで、これがまたいいのだ。>Edward Eagerの本一覧(Amazon)
今日からイバラード展@プランタン銀座。土、日には行くよろし。井上直久さんが一日つめておられます。
あれこれせんせいがたとおはなししていたらお昼時間を取り損なってしまい、2時半過ぎやっとレトルトのおじや(結構おいしい)を食べたらこんどは健康診断の受付が終わってしまうから早く行けとのお達し。食直後じゃ血糖値が…とか気にしながら戻ってくると、今度は「連絡忘れてごめんねぇ…例の会議が急にあることになってたのよ…今から来て!」と、お声がかからないのをよいことに知らん振りを決め込んでいためんどくさい会議にお呼びがかかる。やだよう、かかわりたくないよう、しらないよう。しかも、今日は朝からエアコンが故障して一日死にそうに暑かったと言うのに、この会議の部屋は背広を着込んだ先生方のおかげで死にそうに寒い。環境と健康に配慮しましょうよ〜。
イバラード展@プランタン銀座に行く。会場の様子(イバコム内フクオカ氏による)。あすは井上直久氏の誕生日でもある。せっかくご挨拶したのに、お誕生日おめでとうを言うのを忘れた。「水満ちる丘」がほんとに素敵でしたよう。もし手許に残ればまだこれから変わる可能性大とのこと。
眼鏡を新調したのち、「MIBII」を見る。ウィル・スミス可愛すぎ。フランク・ザ・パグがふんふん歌うところもいい。トミー・リーはさすがに老けましたか。今回は「これでおしまい」にならなかった。蛇みたいなものが盛大に出てくるのにで、蛇嫌いな私は終始目を覆ってしまった。前のゴキブリのべとべとげちょげちょもいやだったけど今回の方がいやかも。それ以外のところは楽しかった!ついでに「スターウォーズEPII」の来週の指定券を家族分買う。チラシセットを5セットもくれた。欲しい方には進呈。そう言えば長男が生意気にペプシの大人買い(^_^;をしていて、ダブりのキャップがあると言っているのでよろしくご協力の程お願いいたします(>リスト)。
『鳥姫伝』の日!嵐の予感をはらむ夏らしい空である。今(夕方5時)は晴れているが夜は曇りとの予報だ。昨年も星は見えなかったのだった。…後刻(11時)。日没後からずーっとなんとなく薄雲っぽい空だが、辛うじて織り姫彦星、見える模様。鳥姫さまはちゃんと鳥たちの橋に乗って天の川に帰っていったのねえ(嬉し涙)。夕方の金星は、とても明るく輝いていた。そう言えば昨日の「MIBII」では、お姫さまがまるでかぐや姫のようにお迎えの船に乗って去ってゆくのでした。
あまりの暑さにこの夏初めて家のエアコンを入れようとしたら、室外機がうんともすんとも言わない。先週は職場のエアコンがいかれて蒸し焼き地獄だったのに、今週は家が蒸し焼きで職場が冷蔵庫とは。行く先々に扇風機を移動してしのぐ。
津田ホールに「グローブ座の音楽家たち」を聴きに行く。一昨年の7月にも聴きに行ったが、その時も伸びやかで美しかったソプラノのジョアン・ランの声が、深みを増して表現も豊かになったと感じた。楽団の方も前回よりまとまりがあったように思う。撥弦楽器のみのアンサンブルと歌という組み合わせの曲も、耳をそばだてさせる爽やかさ・新しさがあって、好ましかった。道化の出し物も殆ど同じようだったが、前の方の席に子どもがいたらしく大変受けていて、そのせいもあってか、前回より観客の乗りは良かった。客の入りもそこそこ良かった模様。やっぱり「柳の歌」は素敵〜。最後に道化がマクベスのセリフを語るなかで、Life's but a walking shadow…の部分がまるでそこだけハイライトされたかのように耳に飛び込んできて、いつまでも記憶に残った。シェイクスピアを知っていれば、この演奏会も全体としてもっとずっと楽しめたのだろうと思う。いつも500円程度で売っているアレグロミュージック(呼び屋)制作のプログラムが、今回津田ホール主催だとタダでもらえたのはいいが、何だかいつもは損しているような気が。
今日も"Knight's Castle"はちっとも読む時間がなかった。この話は「アイヴァンホー」の世界に入り込んでしまう話で、そもそも私は「アイヴァンホー」を読んだことがないのだが、登場人物がやたらに古語を使うのでめんどくさいことこの上ない。で、いつもよりもっと想像力を働かせて読む羽目になるが、まあそこはそれ、推測するのは大得意(か?)。シェイクスピアの言い回しも古めかしいんでしょうが(原文読んだことなし)、読めたらさぞかし面白かろう。(>「アイヴァンホー」あらすじ)
7月4日の訂正。イーガー『魔法半分』(ハヤカワ文庫FT)のシリーズは、以下の4冊。
"Half Magic" (1954)『魔法半分』 ジェーン、マーク、キャサリン、マーサのきょうだい
"Knight's Castle"(1956) ジャックとエルザ(キャサリンの子)、ロジャーとアン(マーサの子)
"Magic by the Lake"(1957)『魔法の湖』 ジェーン、マーク、キャサリン、マーサのきょうだい
"The Time Garden"(1958) ジャックとエルザ(キャサリンの子)、ロジャーとアン(マーサの子)
シリーズ外として
"Magic or Not"(1959)、 "The Well Wishers"(1961)、
"Seven-Days Magic"(1963)
>Edward
Eagerの本一覧(Amazon)
"Knight's Castle"のロジャーとアンのお母さんはマーサ、彼らは夏休みにジャックとエルザの家に滞在することになるが、そのお母さんが「キャサリンおばさん」なのだった。そう言えば『魔法の湖』でも、主人公の4人とは別の子どもたちが出てきたのだったが、それは実はこのロジャーたち。それにしてもこの人の作品名はみんな似ているから、どれがどれかわからなくなっちゃうよ。
お願いだから私にお昼休みに読書させて下さいってば。
Joan Aiken "The Shock Shop: the Scream" が届いたのでちらっと見たら、"Knight's Castle"より読みやすそう。いきなりムンクの「叫び」の絵が出てくる。ビニール製の「叫び」人形持ってます。以前世田谷美術館のムンク展で買った。
ようやく次男の最後まで残っていた上の前歯が抜けた。自分の子の、前歯のない可愛い笑顔を見るのもこの子で最後かと、ちょっと感慨。
だるいよおなかが痛いよ。
冷房病らしい。職場では出来るだけ冷房を緩くしているのだが。帰宅するとだるいやら眠いやらで早々に討ち死に。
12時間寝てもまだだるい。午後ようやくエアコンの修理のお兄さんが来る。助かったァ〜。さすがに湿気が取れてすっきり気持ちよい。冷房は決して好きではないのだが、うちは南西向きなので、冬暖かく夏は猛暑という部屋なのである。冬寒いのも惨めったらしくていやだけど、やっぱりこれほど暑いのは耐えられない。
先日作った眼鏡が出来ているはずの日なのに、店のミスで数日延びてしまった。そうなると1日でも遅くなったのが腹が立つ。もともと作るのを延ばしのばしにしていたのに。
鍋つかみほかを買いに行くと称して、主目的は池袋リブロへ。西武からリブロへの通路をトコトコ歩いていると、あれっ、向こうから来たのはMAKIさんだァ。なぜこんな所で、というか、やっぱりこんな所で、というか。彼女はこれからバレエを観に、わたしはこのあと連れあいたちと落ち合ってSW-EP2を見に。また今度一緒に見に行こうね>EP2。サトクリフの新刊『ケルトとローマの息子』はほるぷ出版のサイトでは新刊になっているのに、リブロにもオンライン書店にも見つからない。『ケルトの白馬』がとてもよかったのでこれもまた読みたいのだが!
SW-EP2の2回目。マイカルの一番大きいスクリーンで(と言っても小さいなあ)。この前の試写会ではスクリーンが馬鹿でかかったのはよいが、席が前のほうでしかも端に寄っていたので画面が見にくかったのだ。今回は席が良かったこともあり細部を見直せた。この前はむちゃくちゃ飛び回っているだけみたいだったヨーダも、結構動きが見えたし、EP-5との呼応もわかったし、うーん、ということはアナキン@既にかなりダークサイドのお父ちゃんは…そうなのかぁ?ジジイは相変わらず素敵なのだが、ドゥークーというかクリストファー・リーの目もとはやっぱり何となく剽軽でいまいち重々しさに欠けるのよねぇ。サルマンの扮装の方がよりかっこええ〜。さて次回は一体何年後の設定になるのか?幼いルークとかレイア、若くてチンピラみたいなソロとか出てくるのか。おのれの非力さをはかなんで隠遁生活を始めるユアン・マクレガーとか?似合わーん。それにしても突然元老議員をキミ呼ばわりするアナキンって何?戸田なっちに訊きたい。
昨晩スターウォーズ帝国の逆襲の騒音を尻目に討ち死にしているところへ娘が帰ってきて、「ほら〜、こんなのもらっちゃった、見て見て〜」と騒々しく、しかし何やら途方に暮れたような声。やっと薄目を開けると赤い薔薇の花束らしい。ようやっと「よかったね…」と返事すると「よかったねじゃないよ、薔薇の花百本だよ、あり得ね〜!」とか何とか言っているが、こちらはもう眠りの国へ…。今朝起きて見たら、赤いミニ薔薇の花束(丈は長い、多分百本)が、水には挿してあるがあらかたがっくりとうなだれて見るも気の毒な姿に。「水切りは?」「してない…」急いで取り出して水切りし、根元に縦にはさみを入れ、濡れた新聞紙ですっぽりくるんでどっぷりとバケツの水に沈めた。誰からもらったか知らないが、花に罪はない。生き返ってね〜、と出勤。帰宅して見ると、幸いなんとか全部息を吹き返してくれた模様、ああよかった。
「もらって困るような人にもらったわけじゃないんでしょ?」「友達だよ。別に困る人ってわけじゃないけど…」「薔薇の花百本あげるからぼくとつき合ってくださいってか?」と訊くと困った顔で「…まあそんなもん」ふーん、今つき合っているカレシはこのごろ影が薄くないか?
『きみがアリスで、ぼくがピーターパンだったころ』をだあっと読む。表紙は、『八月の博物館』の人かな?今読んでいるイーガー(Eager)が割に大きく取り上げられていた。
パスポート申請に行く。東京都の旅券課窓口は6月から、月・火・水は7時まで開いているようになったとのこと。区役所も住民票などの窓口が火、木は7時まで開いているようになった。勤め人には大変助かるが、同じ働くものとして窓口の担当の人にはちょっと同情もする。所で先日あるミーティング中に「海外に行ったことがない」と言ったら10人のメンバー全員から「うっそー!」という驚きの声を浴びたが、別段4月1日じゃありませんてば(;.;)
朝から名古屋へ出かける連れ合いは昨晩から台風情報を気にしていたが、ちょうど7時過ぎの新幹線はダイヤ通り運行、ところがそのしばらくあとからは昼過ぎまで運休だったそうで、運良く台風の狭間をすり抜けて行けた模様。次男も私も、それぞれ学校、職場に到着した頃に雨となった(娘と長男は試験休み)。お昼からの会議に線路向こうの別施設から来るせんせいは、最強にひどいタイミングだったらしい。会議途中の1時頃ふと窓の外を見ると天気は急速に回復しようとしていた。帰宅時には、月と金星が。台風を追って南から高温の風が吹き込んだので、5時過ぎに最高気温を記録したそうである。あぢい。
一昨日買った『幻想文学 64号 幻獣ファンタスティック』は平積み最後の一冊だったが、やはり今号の売れ行きはいいのだろうか。そういえば石堂さんお気に入りの稲生平太郎『アクアリウムの夜』を、今週からNHKFM「青春アドベンチャー」でやっている。これはまだ購入したのみで読んでいないのだが、耳に入ってくる感じからすると面白そうだ。
次男がコロコロコミックを見て「JASげんていモデルのベイブレードだって…ねえねえ、JASにのりたい」と繰り返し言う。とうさんがJASに乗る機会はあるだろうけど、半券を貼って応募しても全員がもらえる/買えるわけじゃなくて抽選だから、どうかなあ。いくらか払って間違いなく手に入るという方が、子どもはがっかりしなくていいのだけれど。
月曜に、連れ合いも娘も長男も早く出かけてしまったあと二度寝してしまい、いつもより40分寝坊してそれはそれは大変だった。私はよいとして次男が…。今日は20分寝坊。娘も長男ものんびり寝ている。がくせいさんは試験休みでいいなあ…!と思いつつ用意。家を出る頃になり、連れ合いが「ママ出かけるからみんな起きろ」と声をかけた。あれっと思うくらいすぐ起きてきた娘、「どうして起こしてくれないのよぅ〜」とおっしゃってトイレへ。殆ど遅刻しそうな私が玄関のドアを半分閉めながら「どうしたって?」と訊くと「一限から試験だったんだってさ」と連れ合い。後刻職場に連れ合いからメイルが入り「お嬢は2単位落としたそうです」と。規則で追試の対象にはならないとのこと。後で聞いたら娘は「単位数のことより、せっかく好きな授業だったからいつも一限に頑張って行ってたのに」と肩を落とす。朝は私よりずっと強くていつも自分で起きる娘なのに、なんで試験の日に寝坊するかな。試験中なら前日に小遣い稼ぎのバイトなんかするな。バイトに行くくらいだから試験は全部終わったと思っていたよ。
今日も言いたい、お願いだから私にお昼休みに読書させて下さいってば〜!
職場のイベントのため、いちにち調布へ。曇り雨の天気予報だったのに、まあ晴れて暑いことと言ったら!私だったらこの暑いのにわざわざ出かけてきてしちめんどくさい話を聞こうなんて気にはなりそうもないな(と、ひとごとのように)。
5時過ぎには終わったので、早くもセッティングしてあった二次会へ。ちなみに昼間のイベントが一次会だとか。12階の会場の窓からの、耳すまにでてくるみたいな、多摩川を俯瞰する景色が懐かしい。中学、高校の校舎の窓からも丁度こんな風景を毎日のように見ていた。高いところから遠くまでずっと見はるかすというのは、実に胸を開かせるものだ。別に屈託を抱えているわけではないが、すうっと気持ちの風通しが良くなるのを感じる。さあそれからが大変、三次会、四次会、一升瓶があっという間に2本空くは、すっかり出来上がった管理職せんせいがタクシー乗り場ですっころんでバンパーに頭をぶつけるは、おぢさんがた相当ストレス抱えてるんじゃないの。9時半過ぎにお開きになって(早い!)同方向へ向かった3人で、何故か新宿のロッテリアでシェイクをすすりながら職場の改革談義、これが一番盛り上がって結局帰宅したら12時近かった。最寄り駅で娘に電話したら丁度同じ電車にバイト帰りで乗っていたので、一緒にタクシーで帰る。たまに飲むのもいいけど、あいつやこいつのおもりをしなくてもいい飲み会に行きたい。
細切れに読んでいたイーガー"Knight's Castle"をやっと終える。あとの方になるに連れどんどん面白くなり、魔法の数3と力の言葉によってスリルが増して来た。魔法が起きるのは3日目ごと、しかも3回でおしまい。子どもたちが窮地に陥った時つい言ってしまうアリスもどきの「たかが鉛の兵隊じゃないの!」によって子どもたちはいつも危ないところでこっちの世界へ戻ってきてしまう(そして戻ってきてしまえば「あ〜あ丁度いいところだったのに!」なのだ)が、それは同時にむこうの人々の窮地を救う「力の言葉」でもある。再び魔法の世界へ帰ってみると子どもたちは「偉大なるロジャー」とか「魔法使いイライザさま」とか言われていたりするのだ。『魔法半分』『魔法の湖』のように予備知識が必要でないものに比べたら、元ネタを知らないといまいち面白くないと言えるし、知っていたからと言ってそんなに面白いかというと、終わり1/3あたりまではそれ程でもないように思える。アイヴァンホーらと登場する獅子心王リチャードやロビン・フッドは、大好きだァ。出てくるだけで嬉しくなるキャラクターだ。
『きみがアリスで、ぼくがピーターパンだったころ』の中のファンタジーの系譜に、このイーガーがエヴリデイマジックの作家として割合大きく取り上げられていた。辛うじてハヤカワFT文庫で邦訳されている『魔法半分』も『魔法の湖』も(いずれも品切れ)、『きみがアリスで〜』が対象にしている人々には殆ど知られていないだろう。著者の風間賢二はハヤカワFT文庫を立ち上げた人だ。ここで取り上げてみて復刊に繋がれば、という気持ちがあるのかも知れない。
きょうは思いがけず耳すまをやっているではないか\(^O^)/ うちが地球屋みたいだったらなあ!地球屋で雫たちがカントリーロードを歌うところで、ひげのおじさん(笛を吹く人)の声をやっているのが井上直久さんです。いつ見ても、「上昇気流」や「借景庭園」の所(バロンと雫が気流を捕まえて飛ぶところ)は素敵だ! 『樹上のゆりかご』と同じで、雫なりきりの私、自分のことみたいに力が入っちゃう。
『アクアリウムの夜』に取りかかるところ。
冷房病。だるいよおなか痛いよ。昨日から部屋に小さいアリンコが大挙して入り込み、長男らが掃除機で吸い取っている。蟻退治の薬(散布するのは接触がいやだし臭いので、コンバットのように置くタイプのもの)を買ってきてベランダ数カ所に置く。その途中で山椒の小さな鉢植えに枝のまねをしてくっついている尺取り虫を発見、棒で引っぺがして捨てる(ゴメン)。そもそも上階のベランダへ、どこからアリンコやダンゴムシやら尺取り虫やらは来るんだろう!しかも今年退治したつもりでもまた来年ちゃんと発生する。そう言えば次男は学校からミニトマトの鉢を持ち帰ってきた。青い実がいっぱいなっているが、可哀想にカラッカラ。たくさん水をやって何とか回復した。
『アクアリウムの夜』一気に読了。これは大変に面白かった。「青春ホラー・ノベル」ということになってしまうのか(by 角川スニーカー文庫)。21の章に分かれている、その最初の「放課後」、「野外劇場」のあたりで既に、近くにいる娘たちに向かって「面白いっ…次まわすね」「あー、ほんとに面白いぞこれ!」などと何回も繰り返す。硬質で香気があり暗くきらめいている。FMドラマの方は初日、2日目に半分くらい耳に入っていたが以降は殆ど聞いていない。寝ようとしていた次男の耳に入って「なんか怖いから消して」と言っていた。こっくりさんのあたりだったと思う。
高二の4月、男子二人(広田、高橋)は野外劇場の見せ物のテントに入り、カメラ・オブスキュラ(巨大なピンホールカメラ)によって近くの水族館の映像を見るが、そこには実際にはあるはずのない地下室への入り口が映し出されていた。妙に気にかかって、同級生の良子がたまたまやって見せたこっくりさんに、自分たちはその謎を解くことが出来るかと訊ねると、こっくりさんは人が死ぬと答える。それ以来表面的には何もないかのように、広田らはロックバンドの練習を続けるが…。
学校の司書の女性、行きつけの喫茶店の女性らがしっとりと絡んでくる。イメージの重ねあわせや言葉遊びがこの作者の特徴らしく、単純なアナグラムから、ロックバンドの名前にも出てくるデッド・エンドのイメージが終始つきまとうなど、重層的なイメージが効果的に感じられる。黒い、しかし色がさめたカメラ・オブスキュラのテントは、昔、記念写真を撮るカメラをのぞかせてもらった時にかぶった黒い布そのもの。その時の息苦しさと埃っぽさをも、終始感じさせられた。そしてね、電波が…。この辺は、作者が男の子だなあと感じる。読み始めてしばらくの間感じたのは、長野まゆみの初期の感じに似ているなと言うことだったが、同じSF的イメージを持ち込むにしても全く違ったつながりでのやり方であった。カメラ・オブスキュラのしかけとそれを操作する奇妙な男のところでは、ミルハウザーを想起した。解説の篠田真由美が言うように、スニーカー文庫に入れたことで、若い、その時期に読んだらどんなに良かろうかという年代の読者の手に届きやすくなったのはよいが、この文庫に手を出さない年代層にも是非勧めたい。来週はドラマも真面目に聞いてみようかな。
個人的には水族館は大変苦手である。はめ込まれたガラスの所から、じとじと水がにじみ出してくるようだし、床はじくじく濡れているし、魚はのっぺりして冷たいし、魚はまだしもぬめぬめニョロニョロわけわかんないものがいっぱいいるし…昔の水族館はどこもそんな感じ。新しいきれいな水族館へ行っても(なるべく行きたくないが)どうしてもこのイメージがつきまとって、どうにもいやなのだ。すぐ家の目の前の公園に、それこそ数十メートルの距離の所に小水族館があるのだけれど、子どもたちが小さかった頃に行ったきりで何年も中に入っていない。ああ怖いよう、今日通ってみたら突然地下への階段が出現していたりして。
一昨日、これとは別の近くの公園で殺人事件があり、そのため学童保育の行事が中止になったり、小学校の下校も集団下校になったりしている。昨晩も娘はバイト帰りが夜中になったので、心配で何度も電話した。怖いと言いながらよく夜中に一人で歩いてくるよまったく。私なんかとても歩けなくてタクシーに乗っちゃうな。その公園は駅からの通り道にあるわけではないが、犯人がそこにとどまっているわけもないから心配。全体から見ると小さな事件なのだろう、その後犯人が捕まったと言うニュースは目に入らない。
何に進もうか迷ったが、次は『マーティン・ドレスラーの夢』へ。
暑いよ死にそうだよ(でも死なない)。長男の学校の三者面談。先日希望日時の調査が来た時、平日は無理だし午後だと暑いからと、「日曜の午前」と希望を出した。その後配布された予定表には「21日日曜朝8時半から」しかも10分前には来てくださいと(;.;) これは午前じゃなくてむしろ早朝の範疇だ。面談が終わってもまだ9時、本屋もデパートも10時にならないと開いてないよ〜。ということでごはんを食べずに出かけ、面談が終わってからジュンク堂の開店まで近くのスタバで朝食を取りながら読書して時間をつぶす。長男は単語帳を買い、私はあれこれと仕入れる。さすがにこの時点11時はまだまだ空いていてゆっくり出来た。これから日曜だけでも夏時間励行しようかなあ。そのあと新調した眼鏡をイヤイヤ取りに行く(何故か八重洲地下街)。池袋〜八重洲は殆ど地下道と地下鉄丸ノ内線なので、空いた電車で本が読めたり涼しかったりでまだ良かったが、八重洲からは一旦丸の内に出て日比谷まで外を歩き、地下鉄三田線に乗り換えて帰るので文字通りビル街の炎天下を歩く羽目になる。日比谷駅に降りる階段にたどり着いた時、地下から有り難い冷風が吹き上がってきて、救われたような気持ちになった。それと同時に、東京中の地下鉄の駅という駅がこれ程冷やされているということにも思いが至って、これから地球の温暖化はどうなっちゃうのとそれこそ冷水を浴びたような気がした。これ程暑い日、自宅はもとよりどんなビルの中も冷房されているのだろうが、「地下」が冷えているということが特に怖く感じたのは昨日の余韻に違いない。
ジュンク堂では上記のほか仕事本を何冊か買ったほか、ローカルに話題の『遊歩人』5月号(創刊号)と6月号をもらった。いっぱい中身が詰まりすぎていていつ読んだらいいんだろう。
スーザン・プライス『エルフギフト 上・下』は、昨年から書棚に(えいご本が)並んでいるのだが、なかなか手が出ないまま今に至っているもの。原題"Elfgift"(1995)が『エルフギフト 上』として、その続編"Elfking"(1996)が『エルフギフト 下』として、それぞれ邦訳されている。道理で原作"Elfgift"のペーパーバック1冊に比べてものすごく厚いと思ったよ。それにしても字が大きすぎ、1ページほんの14行なので、余り美しい紙面には見えない。もう少しコンパクトな造本にしてくれた方がいいのに、最近のやたらに分厚い、流行のファンタジー本に見劣りしないようにと言う(余計な)配慮か?もう一冊近く邦訳予定と後書きにもある"The Sterkarm Handshake"は1冊で丁度"Elfgift"と"Elfking"をあわせたくらいの分量だから、また今回と同じくらいの分量の本として出るのだろう。嬉しいけれど場所ふさぎやなあ(;.;) ただ今1/3程の『マーティン・ドレスラーの夢』を早く終わって『エルフギフト』に行くのだ。訳者はえらく誉めているぞ。
昨夕、次男がテレビ欄を見ようとして「夕刊がない〜」と言う。でも誰も新聞受けから取っていない。日経も読売も来ていないのは変だなあ、と思いつつ読売の販売店に電話するが、全然誰も出ない。長男が帰ってきたので「日曜でもないのに夕刊が来ないのよねー」と言ったら「今日は海の日だからじゃない?」そう言われて初めて、祝日だったことに気付いた。販売店に電話が繋がらなくて良かった。
『マーティン・ドレスラーの夢』を手提げに入れて出勤したつもりだったが昼休みに出してみたら『エルフギフト 上』だった。どちらもカバーを掛けていたので、出勤前のどさくさで取り違えた。今日から次男は学童保育なのでお弁当持ち。ただでも暑くてバテバテなのに、オベント作りはめんどくさいよー。一人分も二人分も同じなので、ついでに自分の分も作成した。と言うわけで朝のドタバタは先週までに輪をかけたようだ。出がけにケータイは忘れそうになるは、どうも軽いと思ったらハンドバッグを忘れるはで、一旦閉めた玄関ドアをまた開けること2回。本も取り違えるよまったく。
『エルフギフト 上』読了。もろに続編へ続く所で終わる。邦訳を『エルフギフト』で統一したのは正解だろう。うーん、なんか違う〜ともどかしく思いつつ。それはそれは面白く残酷で血なまぐさく骨太なんだけれど、なんかちがうー。これでもかーこれでもかーという大仰な感じが鼻につくと言ったら近いだろうか。それでいて人物が薄っぺらいような感じ。それで『エルフギフト 下』に行かずその原作である"Elfking "を開いた。日本語だと数時間で1冊読めてしまったのに、哀しいかな、こちらは全然進みそうにない。でも、確かに、これだよ、これ!という、"Ghost Song "を読んだ時のあの独特の感覚に近いものが感じられる。邦訳することで「言葉の魔法」が失せてしまっているのか?もう少し、このまま読んでみよう。半エルフであるエルフギフト(と言う名前)は、1000年程前のイングランドの王の息子だが王妃の息子ではなく、森の女つまりエルフに王が生ませた息子である。王妃は新来の宗教であるキリスト教を狂信的に取り入れているがいまだ異教の神々ーオーディンを主神とする北欧の古い神々ーが国を支配している。物語は、この王が死ぬ間際に次の王として指名したのが、王弟でもなく、宮廷の3人の王子でもなく、その存在すら殆ど無視され農民として暮らしていたエルフギフトだったと言うところから始まる。ところで彼を慕う奴隷の娘はエバと言う名なので、キリスト教と多神教という対立が常に描かれているためその辺からエバ(=イヴ?)なのかと思ったら、そのスペルはEveではなくてEbbaだった。ははぁ、邦訳のこの副題「復讐のちかい」とは、彼女の誓いだったのね。でもって下巻の副題「裏切りの剣」とは、オーディンの剣のことか。
そうだ実家へ行ったら『アイヴァンホー』(上・下、岩波文庫・絶版)が確かにあったので持ち帰った。近々読んでみよう。岩波と言えば、復刊された『金枝編』のセット注文はAmazonとかbk1では出来ないのかしら?
『アクアリウムの夜』のラジオドラマを頭の片側で聞いた(もう片側は次男と寝ていた)。先週ちらっと聞いた時にも確かに思った、良子の声はあまりに「アニメ声」ではあーりませんか。あの声と「こっくりさん」を小耳に挟んだら確かに、なんだかあんまり関わりたくない、と思ってしまうかも。原作を読んでしまった身には、拒否反応というわけではないけれども、別にいいや聞かなくて。という感じだった。
『エルフギフト 下』続き。いちにち疲。
えいごのあと娘と飲みに。あっ、いーけないんだ。
すんませんすんませんと同僚約一名に言いつつ無理むり休暇を取り恒例の戸隠キャンプへ。先週来、口を開けば「つかれた…」で、ちょっと限界という感じだったので、本当は休みを取るならひたすら寝ていたかったのだが、次男や連れ合いから「キャンプはいついくの」とか「25日から空けてあるけどどうするの」とか圧力がかかって止むなくキャンプに行くことに。ごめんね同僚。キャンプはそりゃいったら行ったで緑の中で気分転換が出来て嬉しいのだけれど、「つかれた」が先に出てしまう悲しい夏ばての身である。3日間ネットとも仕事とも離れて過ごす。仕事とは別の調べ物の本と、『エルフギフト 下』と、ラジオの英語のヒアリングテキスト&そのCDをMP3に落としたものを持参し、連中(^^;;が釣りに行ったりしている間、戸隠山を時折見上げながら緑陰のデスクワークとはまるでケストナー。周りではカッコウとホトトギスとウグイスがいっぱい鳴いている。吹きすぎる風。実際はこれ以上望めないような上天気で日向は死にそうに暑かったのだけれど、さすがに木陰はすうっと汗が引き、戸隠山に日が落ちる頃にはすっかり涼風なのであった。一説によるとキャンプ場の周りを夜、熊が徘徊していたらしい。車の道を隔てたむこうのキャンプ場は打ってかわった都会並みの混雑で、テントが軒を接している程。どうしてみんなわざわざここまで来てあんな喧噪を好むのかと首を傾げる。穴場のこっちのキャンプ場が好きな人は、だから余り宣伝せず、自身がリピーターになるのだ(*^_^*)
やっぱり奥社前食堂のお蕎麦が一番!最近そばがきを出す店が増えたようだが、上品すぎてそばがきの力強さがなかなか味わえない。神告げ温泉で食べさせるそばがきが、一番。
『エルフギフト 下』読了。主人公エルフギフトが血染めのワシにされた後が、この作品の真骨頂。すーばーらーしいー。そこまでの物語はここに至るための壮大な前書きとすら言える。巨大なユグドラシルのもと、エルフギフトはオーディンの大釜で煮られた自分の肉を食らって甦る。双子の片割れのようなウルフウィアードも!一番最後のウルフウィアードが眠りから覚めるところは本当に美しく痛ましく、永遠をこだまするように感じた。しかしそもそも何で父王はエルフギフトを次の王に指名したのか?は禁句。
『マーティン・ドレスラーの夢』読了。これまで読んできたミルハウザーの短編、中編の精髄がここにも繰り返される。つねにフラクタルな現象を見るかのようなミルハウザーだが、この作品でも細部へのこだわりと同時に巨大なもの、壮大なものへのこだわりが執拗に言及され、その繰り返し自体が、作品の細部を埋め、同時に作品全体を形作っている。木の葉と森、建築の細部と一個のビル、さらに巨大なビルと都市へ。そして上へと同時により深く下へ。マーティンの作り上げた壮大な都市としてのビルディングが閉ざされた世界として空間を占めるようになるのと並行して、その世界は少しずつ別の世界へと滑り込んでゆく。ミルハウザー自身のそれまでの作品自体を反復するかのように、バーナム博物館よりもさらに壮大な博物館都市が描写されてゆくあたりでは、すっかりこの生きた博物館に取り込まれてしまうかのような心持ちさえした。マーティン自身の生き方も幼い頃からフラクタルと言えるだろう。常に少年から青年へ、再び少年から青年へ。主人公にとっての女性たちの描き方もまた、これまで見たと同じように、克明で精緻でありながら妙に実体を伴わない。螺旋とフラクタル、彼の作品を読む時これらが常に脳裏にある。
ローズマリー・サトクリフ『ケルトとローマの息子』読み始め。版型は小さいめだが、厚い。このところ、まっとうと言う範疇からはやや外れている本が続いていたので、これは大変まっとうという感じが強い。ローマの版図がブリタニアにまで広がっていた頃のこと。ケルトの男が、難破船の生き残りのローマ人の赤ん坊を拾って養子にした。ドルイド僧はこれに反対しこの赤ん坊が将来部族に災いをもたらすと言う。養父はこれを聞き流し、男の子ベリックは仲間と変わったところもなく育つ。15歳の成人の儀式を迎えるとき、彼のローマ人の血が問題となるが、年長者の口添えもあり部族の一員として認められる。しかしそののち部族に不幸、不運が重なった時、ドルイド僧の予言が蒸し返された結果、彼は部族から追放されてしまう。軍団に入れてもらおうとローマの駐屯地を目指した矢先、ベリックはだまされて攫われ、ローマ本国へ奴隷として売られてしまう。
『ケルトとローマの息子』続き。ベリックはブリタニアに行くという百人隊長に惹かれるものを感じる。しかしベリックを憎む若い主人に反抗したため監禁されるが、反対に逃亡を図る。自由の身になったと思ったのも束の間、盗賊と間違われて捕まり、ガレー船に漕ぎ手として繋がれることになる。人間性も失いかけた2年後、船がブリタニアに向かうことを知るが…。
『図説 金枝篇』は以前から迷っていたが先日つい出来心でぽちっとなしてしまったもの。でも、字ばっかりの本編よりこちらの方が確かに見て楽しくわくわくする。でもやっぱり本編が欲しくなった。今日のえいごで、将来の仕事が見えてこず「ホントのことを言うと仕事したくない、ずっと学生でいたい」という大学生に対し、先生が「2年くらいならそう思うかも知れないが、3年、4年たつと勉強はもうたくさんになってくる。仕事も、実に面白いよ!」と言っていた。仕事も面白いよと言う点については(面白い仕事に就きさえすれば<自家撞着)賛同するが、ある種の勉強…好きなことを調べ、知り、組み立ててゆく、という意味で勉強というのなら、私は何年やってもいいけどな、と思って聞いていたのであった。たとえばこの金枝篇を読んで、関連するあれも読んでこれも調べて、…というようなことを際限なく興味の赴くまま続けて行けたらさぞかし楽しかろうと思うぞ。で食って行けたら言うことない。そうだサマージャンボ買おう!当たったらずっとそんな生活が出来る(ん、やっぱり働きたくないクチか)。
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