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なんたる暑さ。昨夕、池袋駅で電車を降りたとたん、電車とホームのあいだから熱気が吹き上げてきて暑い暑い。ところがこの熱気が、電車を離れ階段を下りて改札を出る頃まで、ずーっと衰えない。たき火のそばにいる時のように、顔をあぶられるような熱気だ。もう空気全体が熱いのである。きょうもまた、ちょっと歩くだけで鼻先から汗がぼたぼた落ちる程の暑さ。このところ毎日、職場にTシャツの替えを持参して、出勤後汗が引いた頃に一旦汗を拭いて着替えるような状態だ。自転車通勤なので、走っているうちはまだよいが降りたと同時に汗が噴き出るのだ。職場にビオレさらさらパウダーシートひと箱常備。
昨晩遅く『ケルトとローマの息子』読了。ガレー船の苦役の中で得た友すらもなくし、自らも反抗の結果半死状態となり、ブリタニアの地を目前に海へ投げ捨てられる。「決して溺れない」と幼い頃から言われていたベリックは陸に流れ着く。そこで出会ったのは、ローマで見たあの百人隊長だった。ケルト人の仲間からはローマの血を疎まれ、ローマにあってはケルト人として蔑まれ、さらに奴隷として人間としての存在すら剥奪されてきたベリックは、百人隊長とその使用人たちや飼い犬たちとのぎこちない交流から次第に落ち着きを取り戻しはするが、もはや人間の側に身を置くこと自体に恐れと疑いを持たずにいられなくなっていた。しかし百年このかたない程の大嵐から堤防を守ろうとする百人隊長とその部下たちと共に身を挺する中で、自分自身の救済を見出すのである。ベリックは次々と過酷な運命に翻弄され、その都度アイデンティティを奪われるが、驚くのはそれにもかかわらず彼が精神の健康を保ち続けていたことだ。常に友情、正義に忠実であり続ける。そしてその育ち方においてケルトとローマの混血と言えるベリックを、肉体的に両者の混血である百人隊長が救い、かつ救われる。決して楽天的ではないが、結局人間というものに信頼を寄せる立場を取らずにいられないサトクリフの、甘さではなく強靱さを感じずにはいられない。
次はエレナー・エスティス『魔女ファミリー』。『ガラスの山の魔女たち』の新訳だそうだ。文章が非常に読みにくく意味が取りにくいので、投げたくなる。
ハンナの髪の毛が、見たことのないような、やわらかでかわいかったので、とかしてあげたいと心に決めてしまったのでした。
魔女ばあさんは、この頃いつもしている、マルハナバチやあの呪文の紙切れがどこにいってしまったか、捜そうと頭をひねって思い出そうとしていました。
などなど、ずっとこの調子。中味はナンセンスで結構面白いのだけれど、文にイライラする。はい我が振りを直しましょう。
掲示板に速報を書きましたが、幻想文学、ミステリ系の翻訳者、アンソロジストでおられる西崎憲さんが、第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞されました。心よりお祝い申し上げます。一刻も早く作品が読みたい。刊行は12月になるとのこと>西崎憲氏の編訳書一覧(amazon) ごめんなさい私自身この一部しかフォローしていません。最近気になっているジェラルド・カーシュ『壜の中の手記』も西崎さんだったんですね。
午後からのあまりにすさまじい雷雨に辟易する。でも安全な室内から見ている分には、じつにエキサイティング!隣のビルの避雷針を真っ白な稲光が直撃する所とか、ばんばん轟音が鳴り渡るのとか、まだ3時なのに夜のように暗くなって、滝のような雨の中を車がヘッドライトをつけて行き来し、ヘッドライトの明かりに雨が白く輝くのとか。ちょうどお茶の時間だったのと、おっかないからパソコンの電源を落としていたのとで、しばらく窓から見ながら、ドッカーンと落雷するたびにきゃぁぁ〜と悲鳴を上げて喜んでいたのだ。帰宅する頃に虹が見えていたそうだが、残念ながらその頃ちょうど歯医者に行っていたので見損なった。虫歯はなくて一安心だったのだけれど。
なんだか『魔女ファミリー』に腹が立ったので、ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(福武書店、絶版)に乗り換え。
昨晩は知らぬ間に次男と寝てしまい、しかも寝坊。だるいよ〜。夕方から荒川(板橋+戸田)の花火大会である。2002メートルのナイアガラの滝が呼び物、と広報にはあるが、やはり打ち上げの玉の大きさと数が魅力でしょう。最近はスターマインも奇をてらうばかりでなく非常に美しくなったのでこれも楽しみ。夕立よ降らないで。
昨日は本当に運良く雨の一滴も降らず、さりとて猛烈に熱くもなく、ちょうどよい花火大会日和だった。今日と一昨日の猛烈な雷雨の谷間でラッキー。去年も打ち上げ場所のほぼ真ん前だったけれど今年はさらに真ん前度があがった。すーばーらーしいー。2002メートルのナイアガラは、風がこちらに向かってながれてきたので、またも煙で全容が見えず。下流の戸田橋あたりでは、車のみならず埼京線がスピードダウン、というか殆ど止まって花火見物をしているよ。
しぼうちゅう。
突然お米の在庫がないのに気付く。あと1合しかない。夕食が終わってから、連れ合いを引っ張ってスーパーに買いに行く。ついでにビールとかお弁当の材料とか買い込んで重い。たまにスーパーに来ると物珍しくていけない。昔なら夕涼みがてら、と言うところなのに、9時を回っても暑い。だいたいスーパー自体10時までやっているなんて。お店の人も大変だ。
いつ寝たか自分でも分からない。
このところ別件の調べもので、更新が滞っています。しばらく続くと思います。
この殺人的暑さに、自然に暮らそうとすると暑さにやられ、エアコンでしのごうとすると気をつけていても冷房病になるという有様で、どちらにしてもだるくてたまらない。従って読書も捗らない。ああ涼風のそよぐ緑の木陰…。読んでいるのはいつのまにかパングボーン『デイヴィー』である。『エンジン・サマー』様々の私としては、気に入らぬはずがない。しかし、やっぱり暑いので以下略。
アンサンブル会誌『VWB5号』が届く。さっそくページを開くと(あ、表紙はいさぎよい真っ白だ)、げ、私の原稿が真っ先ではないか。しかも、長い。長すぎる。精進しますので許してください>関係の皆さま。5号はコミケの京大SF研ブースに置いて頂くことになったそうなのでお知らせまで(場所>3日目8/11(日) 東フ−56A)。ちなみにバックナンバーのオンライン版も公開しています。2号オンライン版、3号オンライン版(PDF)
職場の試験のための勉強会とか言って8時まで拘束される。でも試験の日って次男の運動会の日なので、受けられそうもない。むなしー。
フィリパ・ピアスの"Minnow on the Say "を引っ張り出してみたら、思いがけず楽に読めるので、進歩しているとは言えなくとも慣れという点では得るところがあったのだなーと思う。読み返すと本当にうまいと感じる。ピアスの近影。うう、お年に…。
暑いさなかを図書館に行って、L.M.ボストンのグリーンノウシリーズ を借りる。自分でも不思議なことに、これは一冊も持っていないのだ。書棚で目についたエスティス『ガラスの山の魔女たち』(渡辺茂夫訳)を手に取ってみた。『魔女ファミリー』がこれの新訳だが、新訳は先日どうにも訳文のまずさに投げてしまったのだ。ざざっと目を通してみたが、これならいける。日を改めてこっちを借りて読んでみようと思う。
義母から、桃が二箱届く。今年のは甘く柔らかく、香りもよい。皮を剥いた人の特権で、種の周りの色の濃いところをしゃぶる。手はすっかり桃の匂い。からだ全体で味わう。冷蔵庫に入れないで食べるのが最高なのだが(冷やすと甘みが落ちてしまう)、この暑さでは傷むのが早すぎる。土日なのを幸いに、朝昼晩と食べてお腹いっぱい。次男がいつも入り浸っているお友だちのうちにもお届け。
ぜんぜん出かける気がなかったのに、娘が「ママ〜、一緒に行って水着買ってよう〜」また始まったよ買って買って病。暑いし他にしたいこともあるしくたびれたしで、いやいや引き延ばし引き延ばししていた。連れ合いが「スニーカーが壊れたからちょっと一緒に出ようかな」と言いだし、ほかのものならともかく水着を買いに連れ合いが娘と行くというのも何なので、車で行くことを確認して出かける。ヒートアイランド化に荷担していること甚だしい。
『アルテミス・ファウル』は、訳者が『ライラの冒険』三部作を訳した大久保寛なので、きっちり訳してあると思われるが、もしかしたら平板かも知れない(ライラがそうだったので)という懼れあり。それにしても、どうして最近出る海外ファンタジーの装丁はどれもこれもこんなふうなのか?芸がないのう。早く読みたいのだが、最近どうも押せ押せになってしまって、1冊も終わらないと言う情けない有様。それもあって出かけたくなかったのだけれど!
しばらく前に、娘がカレシの「おかん」(「お母様」ぐらい言えばいいのに)から分けてもらったヨーグルト、ちょっと食感が普通のものと違って、とろとろ度が強く、酸味は少なく、色は真っ白で、これが大変おいしい。テレビで見たという長男によると「カスピ海ヨーグルト」なる立派な名前があるそうだが、検索してみたらずいぶんたくさんのサイトがある。詳しい作り方などもあるようだが私はいとも無造作に食べ終わる時に残りを新しい牛乳に加えて植え継いでいた。TVで何度も取り上げられているらしいから、既に有名なのか?念のためgoogleで上位のものをブックマーク。
Stein 〜自家製ヨーグルトを食べよう〜
カスピ海のヨーグルト
カスピ海のペットヨーグルト
ださこん6決定とのこと。あなおそろしや、とりあえず参加予定としておこう。
久しぶりに涼しかったので、延ばしのばしにしていた郵便局の用を足しに行ったが、考えることは皆同じらしく窓口は混んでおり、お金を払い込む方の用はあきらめ。
近所の本屋でも社会思想社の教養文庫の棚に「在庫限り!」云々の張り紙が大々的にしてあった。社会思想社としても何とかこの文庫の引き受け先を捜したいということだが、実際そう願いたいものである。
職場の某ミーティング。せんせい方がぐるぐる、しょうもない所で足踏みをしていたので、しまいに業を煮やして「するどいごしてき」をする。あとで、そりゃ正論だけどそれだけでは人を動かすと言う点では考えが足りなかったなあと反省する。「業を煮やして」のところがやっぱりまずくて、こういう時には一歩退いた地点から、皆が自然に動くように持って行かなくてはいけなかったのに、と、自分でも思いがけず激しく落ち込む。いやべつにトラブったりしたわけではないのだけれど。
パングボーン『デイヴィー』ようやく三分の一程。静かに引き込まれる。
朝洗濯物を干すのにベランダに出ると風が涼しい。立秋が過ぎるといきなり秋の気配である。木々を吹きすぎる風の音も、遠くにこだまするサイレンの音も、空気の密度が小さくなったとでもいうように距離感を感じさせる。一昨日は細い細い月と金星が見え、今日もおぼろ雲が出てはいるものの星が見えるのに、ペルセウス座流星群の極大である昨日に限って厚い雲に覆われていたのは残念。NHKFMで『小惑星美術館』の再放送をしているのも、ペルセウス座流星群の季節だから、なのだろうに。「聞こえますか、聞こえますか。…わたしはここにいます…あなたが、そこにいてよかった」の部分は、何度聞いても、人が人に送るメッセージの中でもエッセンシャルなものとして胸にまっすぐ飛び込んでくる。この言葉を見つけることが出来て心からよかったと思う。きっともともと誰もが知っている言葉なのだろう、だから、今新たに知ったというのではなくて、あたかも再会したかのように思えるのだ。
パングボーン『デイヴィー』はやっと半分を過ぎたところ。声高にお薦めする類の作品ではないと思うが、ぜひ読み給えと言いたい。気分はすっかり「読書の秋」らしい。
また暑さがぶり返し、出勤前に化粧をするだけで汗が出る。ありがたや、運転練習をしたい娘が(殆ど寝間着のような出で立ちで)車で職場まで送ってくれる。でも帰りは彼女はバイトでいないので、とぼとぼ歩いて帰らなくてはならないのだ(;.;)
『デイヴィー』の続き。急がず、ゆっくり読ませる力を持っている。
『デイヴィー』読了。最終章(25章)を読み終えようとしながら、涙が止まらない。核戦争から300年程経過した、小国家の跋扈するアメリカ東部が舞台である。基本的に非常に健康で本質を見ることの出来る精神を持ち、その置かれた様々な限定的な状況のなかでも決してシニシズムに陥らない少年デイヴィーの姿を、現在の状況と並行して描き出しているのは、28歳の青年になった彼自身である。結末をうけて、彼の「観念」という種は蒔かれ、地に根付いていったであろうと、私は考えよう。「デイヴィー・クロニクル」(長編2作、短編10作とのこと)のすべてを、ぜひ読みたい。
夕食後連れ合い、娘、次男が、車で義母宅へ向かったので、静か。塾から戻ってきた長男も「どうりで、静かだね。」土曜の夜、塾が一段落する長男と一緒に新幹線で義母宅に行き、日曜朝に連れ合いと娘が先に車で戻り、月曜朝に私と息子たちがまた新幹線で戻る(私は昼から職場)という変則のお盆である。以前は混むからお盆をはずして来れば、と物わかりよく言っていた義母も、いざ義父が亡くなると「送り(盆)か迎え(盆)のどっちかにはね」と、どうしてもお盆の時期には来なくてはならないと当然のように思いこんでいる。来ないと言う選択肢は彼女の中にはないらしい。新暦のお盆に行けばいいのかも知れないが、お坊さんが旧盆に檀家廻りをするのでそれ以外は考えられないようだ。うーむお墓参りとかお盆の行事自体は嫌いではないが、同じ行くにも時間が2倍、3倍かかったり、行った先でもどこでも混雑で家から出られない(そこそこ観光地なので近辺の道が大混雑)というのは、せっかく有休を取って行く身には、悲しいものがあるのよー。1週間ずらしてもらえれば、お墓参りもゆっくり出来るし、羽も伸ばせるし、足も伸ばせるし、義母もこちらも楽なんだけどなあ。おじいちゃんは「お前たちの好きなようにしろ」と鷹揚に言うに違いないんだけど>おばあちゃんにも夢枕に立ってそう言っておいてください。
パングボーン『オブザーバーの鏡』読み始め。見るからに古そうな紙面と訳文で、実際にやっぱりそれなりに古さはあるが、中味にはあっているように思う。とはいえ新しい訳で読んでみたいと思うのも事実だ。
2時からえいご(お盆休みが入ったので変則)、3時過ぎから、大江戸さん、MAKIさん、まこりんと、だべりの会の予定が入っている。その足で義母宅へ行くから、出る前に家の片づけをしなくちゃ、と猛然と掃除を始めるが、何せ起きたのが9時だから、1時半に出かけるまでに掃除に費やす時間と言ったらたかが知れている。さっさと起きればいいのに。ともかく、懸案のあの部屋この部屋(なにせ大邸宅だから)、マスクにゴミ袋、掃除機に猫の手ならぬ息子の手と各種取りそろえて一応人間の住む部屋らしくする。普段の掃除が大事とわかっちゃいるが、理論と実践のギャップである。
2週間ぶりのえいごは、お決まり「夏休みは?」で始まった。休みのあいだにどこかへ骨休めに行ったという先生は、順繰りに5人の生徒に質問する。一人目「まだこれから。9月に」「どこへ?」「バリ島」「ワオ、いいなあ、ぼくはもう終わっちゃったよ夏休み!」二人目「私も9月に」「どこへ、バリ島?」「いいえ、イギリス」「おおっ、イングランド!9月!最近9月の休みが多いね。」三人目「フフッ、私も9月」「えーっ、何で皆9月なんだーっ、ぼくはもう休みが終わっちゃったんだよーっ、ねたましい。君も…?」四人目「そう、9月」「えーっ、なんでなんだ、まさかキミも9月?」五人目「ぼくは7月に取った」「おーっ、僕たちの休みはとーっくに終わったんだよねー、よっしゃー(って感じ)」と言うわけで9月に夏休みというのが圧倒的だった。でも9月にはいると結構なんだかんだ職場でも予定があるし、子どもの学校も始まってしまうから、一般的にはどうしても8月に集中するのだよね。
午前中は晴れ間もあってまあまあの天気だが、昼頃から霧雨としっかりした降りが交互にやって来る。義母とやっぱり服を買いに。地元の知り合いに、「あそこでさるなしの苗を売っていた」と聞き、往復2時間かけて買いに行く。さるなしはミニサイズのキウイみたいな果実で、よく熟れたものはもうそれだけで既にほとんどお酒状態なのである。2回だけ食べたことがあるが、私にとってはまぼろしの果実だ。持たないので市場には流通しない。教えてくれた人と意気投合し、うまく根付いて収穫するのが楽しみ、と語り合う。蔓性なのでベランダでは無理。義母宅に植えてもらうことにする。でもお盆時期に生るのでは(苗にいくつか実が付いていた)来年以後もまた今頃食べに行かなくちゃ(;.;)
昨晩台風の進路をTVで見て運休などの影響はなさそうだと確認したのち、帰り(今朝)の新幹線の切符の予約をしておいた。その時点で、すでに午前中の禁煙席はすべて満席とのこと。出張し慣れている連れ合い(一足先に昨朝帰京した)は、月曜のしかも9時過ぎだから絶対その場で買えると言うのだが、心配になって電話してみてよかった。あさ駅の窓口に行ったら、目的の列車はすべて満席表示だった。
その足で午後から出勤する。幸い、こちらでは雨には殆ど降られず。しかしうちのバカ娘は、友人らとレンタカーを借りて、止せばいいのに湘南へお泊まり。長男に「波、ヤバイよ」とメイルが入ったそうな。
『オブザーバーの鏡』続き。
夜帰宅してから見た読売の朝刊2面「顔」欄に、西崎憲さんが…!!ひゃーっ、保存版だわ。(日本ファンタジーノベル大賞受賞の件)
カスピ海ヨーグルトって、やっぱり有名だったんですね>cloveさん。でも私の周りでは誰も知らず、新しもの好きの義母も知らなかった(ケフィアは一応知っていた模様)。
唐突ですが、以前、職場主催の講演会の打ち合わせの席でのこと。講演予定の先生が、内容の大筋を説明して下さった。それを受けて、打ち合わせ会の進行役の女性30歳(推定)がきびきびした口調で「ありがとうございました。雑駁にお話し頂きました」と言ったのには目が点になった、というより、赤面した。また別の時別な人が、お菓子を勧めて「どうぞ食べられてください」…。
職場を出るのが7時過ぎてしまい、だいぶ暗くなっていた。一歩外に出ると、思いがけず夕闇はすっかり秋の匂いだ。そっと深呼吸して早い秋に浸る。西の空に驚く程に輝く金星。本当に空の丸天井に開いた穴から光がこぼれているようだ。南には、それと競うように、太り始めた月がかかっている。夕食後、洗剤や明日のパンを切らしてしまったので連れ合いと買いに出たが、なんて気持ちのいい夜だろう。つい先日までは「夜になっても暑い〜」と言いながら帰ったのに、今日はもう夜の散歩におあつらえ向きな気温だ。あんなに暑くてもう御免だと言いながら、いざその夏が去ろうという気配を感じると、今度は惜しむ気持ちが生じてくるのだから、まったく勝手なものだ。
2時頃にようやく昼食をとりながら『オブザーバーの鏡』を読む。『デイヴィー』はホルンを吹き、こちらは複数の登場人物がピアノを弾く。りっぱな音楽SFだが、SFマガジンの音楽SF特集には取り上げられていたのだろうか。火星人の音楽というとブラッドベリを想起するが、それと異なり「オブザーバー」の音楽性は人間と共通らしい。
『オブザーバーの鏡』読了。「オブザーバー」エイモスが、天才児アンジェロ(のちにエイブラハム)とその恋人シャロンを見守り、手助けし、自身もそれなりのやり方で苦悩するさまを一種淡々とした口調で綴る。『デイヴィー』とはストーリーとしての終わり方は違うが、まさに読み終えようとする時の印象はまったく同じであると言ってもよい。その人間性への信頼は厳かでかつ謙虚でもある。このような終わり方、余韻をもたらすことが、今書かれるSFにはできるだろうか。この二つの作品が昨年から今年にかけて相次いで復刊・刊行されたことはある意味グッドタイミングとも言えるし、反対に、これまで品切れであったり刊行されずに死蔵されていたことが非常に悔やまれるという言い方も出来るだろう。これらを相次いで読むことが出来たことに感謝したい。
季節が確実に変わっている。いつ夏から秋に滑り込んだのか、木の葉も風も空も雲も、月や金星さえも、夏とは違う。
『ハヤ号セイ川をいく』の読み返し。アーディゾーニの挿し絵も大好きだ。ああ!
某所で見かけた「コレポン」てなんぢゃ?と検索。ふうん、主に外資系企業などで英語でメイルの返信とか、手紙のやりとりとかすることなのね。最近、必要上英語でメイルをいくつか書く羽目に陥っている私、英作文なんてン十年ぶりだよ。しかも最も苦手。仕方ない、お勉強するしか(;.;)
『ハヤ号セイ川をいく』続き。ピアスの作品でもっとも好きな作品である。読むたびに、陳腐かも知れないが、発見と感動があって、いつも涙しつつ読む。今回もまたすっかり引き込まれ、時間のたつのを知らずに読む。
静かな村グレートバーリーのセイ川の畔に住むデイヴィッドは、自宅の小さな桟橋に流れ着いたカヌーの持ち主アダムと知り合いになる。アダムはおばであるミス・コドリングと彼女の父・老コドリング氏と、昔は立派であった大きな屋敷コドリング邸に住んでいるが、彼らには殆ど財産がなく、アダムはいつもつんつるてんの服を着ておなかをへらしている。コドリング家には数百年前から「失われた宝」の言い伝えがあった。お金がないためアダムは夏休みが終われば都会の従兄弟の家にやられてしまう。アダムは、宝さえ見つかれば!と、デイヴィッドとともにカヌー・ハヤ号でセイ川を上り、下りして、密かに宝探しを始める。この風物が実に美しい。お金の工面に頭を痛めつつも園芸への情熱をもち、老いて時代もよくわからなくなった父の面倒を見ながら毅然と暮らすミス・コドリングや、なんとしてもグレートバーリーを離れたくないアダム、おとぎ話から出てきたかのような小さな老人スキークなど、登場人物の心の動き、宝探しの思いがけない謎解き、匂い、色、せせらぎの音などが、本を開くと長年の知己のように生き生きと甦る…。
この登場人物たち、デイヴィッド・モス、アダム・コドリングと彼らのカヌー、犬のトビー、デイヴィッドのお父さんであるバス運転手のビル・モス氏らは、『まぼろしの小さい犬』のなかにも出てきて、こちらの主人公ベンがセイ川の岸から彼らの姿を見たり、あるいはベンが乗るバスを運転しているのがモス氏であったりする。ところが、邦訳の『まぼろしの小さい犬』の中では「コドリング」がすべて「ゴッドリング」と訳されている。あきらかに『ハヤ号セイ川を行く』の登場人物なのに一文字違いはヘンだなあと思って私の持っている原作(Paffin books)を当たると、やっぱり「コドリング(Codling)」なのだ。訳者の猪熊葉子氏が底本とした版がその時点で「Godling」になっていたのだろうか。大したことではないかも知れないが、両者はピアスの作品としては切っても切れないものなのだから、やはりこれは「コドリング」であってほしい。
心を入れ替えて台所の掃除。涼しくなると俄然活動する気力が出てくるが、午後から次第に蒸し暑くなってきたので、まだその気力もちょっとだけ。春と秋の短い間だけ活動して、冬になるとまた寒くて活動レベルが低下するのである。こんな生き物どこかにいたような…ナマケモノ。
昨夕、食事の時長男を正面から見ると、目から頬にかけ日に焼けて赤らんで熱っぽいような、ちょっといつもと違う顔をしていた。「日に焼けたの?具合悪いの?」と訊くと、赤いのはアセモで、ちょっとだけ熱っぽいのだという。「涼しくなったのにアセモ?勉強のしすぎじゃない(まっさかー)」なんて言っていたら、夜中になって「ママ、明日医者に行こう」という。見ると、腕からおなかから、全身に細かい発疹が出ている。熱は37度ちょっとで別にさほどかゆくない。う〜ん、ハシカも水疱瘡もやっちゃったし、というと風疹か?そう言えば中学時代に風疹の予防接種をさせ損なっている。今朝になると「熱は下がったしポチポチも少し退いてきた。医者に行く方がタルイからいい」と言う。医者に行ったからと言ってこんな症状では特段の治療はないなあと思い、一日ごろごろ好きにさせておいた。なにか風邪のお友だちだろうか。君が2歳の頃、娘から水疱瘡がうつって、ママはそれはそれは大変だったんだよ。知らないでしょう〜。
『ハヤ号セイ川をいく』の原作"Minnow on the Say "の後半を読む。スミス氏(魂胆があってコドリング邸を買おうとするあやしい男)の娘ベッチーが、ささやかだが熱烈な願いが叶ったお礼に、列車からデイヴィッドに花束を投げ落とす場面も、印象的で好きなシーンだ。スキークと呼ばれる大層小柄な頭の少々弱い老人は、ファージョンの物語の中にでも出てきそうな、ちょっと妖精的な人物だ。この老人が歌いながら、夏の花々の匂いと共に三輪車で通り過ぎてゆくシーンも秀逸。と思い出しているだけで、幸せで涙ぐんでしまうのだ。『トムは真夜中の庭で』だけでピアスを知っているという人には、彼女のスーパーナチュラルと銘打たれたたくさんの短編はもちろん、デビュー作であるこの『ハヤ号セイ川をいく』をぜひ読んで頂きたいと、熱烈希望しているのだ。>現在入手可能なピアスの本 あらー、『サティン入り江のなぞ』も絶版なのか。
つい先日上野圭一『代替医療 オルタナティブ・メディスンの可能性』というまったく同じ題名の新書(角川oneテーマ21)が出たばかりでまた同じ題名とはなんと芸がない(それぞれサブタイトルは付いているけれど実際の表紙では小さい活字)。と言いつつ買った『代替医療 効果と利用法』。ぱらぱら見ているだけじゃなくて、両方とも読みなさいよね>自分
永江弘之個展@東武百貨店に行く。予想していたより、また事前にここに掲げたサイト(会場の光線の関係で黄みがかっているとのこと)で見ていたより、ずーっとずーっとよかった!イバラードの並行世界、といったところだろうか。でもイバラードとは風物も質感も空気も光線も、皆違う、異世界。緑と青が印象的な中、夕焼けの茜色が目をひく「星祭りの塔」、また気にいったものの一つ「遊覧飛翔」は、『琥珀の望遠鏡』のなかのある光景を思い出す。ちょうど行った時、人があまりいない狭間だったらしく、永江氏に直接色々伺うことが出来、これらの絵が一挙に親しいものになった。そうこうしているうちややくたびれたお顔の井上直久氏が奥様とご一緒に登場され(今朝3時まで制作を続け、昼に間に合うように大阪を出発された)、それと前後して見に来る人も増え、また井上氏に仕事がらみの訪問客が次々とあり、小さな会場は何だか急に活気を呈した。いいなあ、絵が描ける人は!どんどん永江氏の世界が発展していくことを願う。
夜、教育テレビで五嶋みどりが出ていた。以前からずっと上手になっているように思った。天才少女などともてはやされてどうなっちゃうかと思っていたが、早くから自分のやりたいことを見つけられてよかったね。昨日は弟の五嶋龍くんの番組もやっていた模様。終わる頃しか見なかったけれど、14歳になった龍くん、まだまだ音楽は暴れているようだが、彼も自分の道を着実に歩んでいるようだ。そう言う点、二人とも一種の天才なのだろう。
近々職場のサイトのリニューアルがあるので、せんせいがたから原稿集め。なかなか集まらない。それを見込んで早めに締め切りを設定したのだけれど、うーん敵もさるもの、締め切りを過ぎてから「何を書いたらいいんでしょう」「依頼メイルをなくした」とか言う狐狸の類がぞろぞろと…。でもって予定の期日にリニューアルが出来ないと、すっかりそれは棚に上げ「高いお金を使って何をしているんだ」と文句が出るのよね、はぁ。頑張ります(催促を)。
"Minnow on the Say "あちこちとか『9.11と日本外交』とか、あっちを少々こっちを少々。
いつのまにやら8月もあとわずか。夏休みちゅう学童保育に行っている次男のお弁当つくりも、今週二日間と始業式とで当分放免だ。でも9月になってしまうと、そのあとは転がるように秋を過ぎて冬に突入だ(気が早い)。猛暑はいやだが、冬も苦手だ。秋と春、短い冬と、適度に暑く輝かしい夏だったらいいのに!
えいごのせんせいが、今日でおしまい。母国へ帰るという。わけわからない生徒を相手にするのが、突然いやになったのかなあ。何となく上の空だったよこの頃。日本人の奥さんを連れて、でも何の仕事をするか、決めていないのだそうだ。ピーターパンシンドロームか、ボヘミア〜ンか。
帰宅してみると、うちからほど近い非常階段で警察の人たちが実況見分をしている。また飛び降り?すっかり片づいてはいるようだ。しばらく後で長男がゴミ捨てに行って戻ってくると(ゴミ捨ての通り道)「歯とか爪みたいのがまだ転がってるよ!」という。「うえ〜!」と言いながら行ってみたら、本当に歯が数本、転がっている。管理人さんに伝えたら、ほうきとちりとりを持ってきて「さっき血は流したんだけどね、まだ残ってた?」と言いつつ、見たところ無造作に掃いていたが、内心堪らないだろう。それにしても若干5階から、まだ明るいうちに、人のうちの玄関先めがけて飛び降りるなんて。チョークで囲った「現場」は、1階の住人の玄関の真ん前ほんの2メートル程のところだったのだ。しかもつい何ヶ月か前に飛び降りがあったところと同じ階段のところ。これからマンションに引っ越す人は、非常階段の近くの1階の部屋はやめましょう。
『9.11と日本外交』読み中。あーあ、うちの職場の運営方針のなさと一緒だよ、日本外交。
こんなはずじゃなかった、とある委員会の委員長先生、散々これまで了解を得ながら進めてきたんじゃあーりませんか、せっかく幹部から集めた原稿の細目を、今さら変更!と言われたってそれは困る。ただでもまだ半分くらいしか原稿が集まっていないのに。それが祟って、気がついたら7時を回っている。うちではおなかを減らした雛鳥たちがお口を開けて待っているのに(;.;) しょうがないので待ち合わせて近所の中華やさんへ。えーいついでだ青島ビールを。
い、いそがし。「すぎかえる」といかないところが困る。あっ、この「いすがし、すぎかえる」はクリストファー・ロビンだからね>おわかりでない方々 で、今日もまた職場を出るのが7時半頃になってしまった。ありがたやありがたや、バイトで不在の娘に代わって長男が冷凍庫をあさって適当にそれらしい食事を…。
調べものにやたらに時間を取られる。気がついたら、3時(朝の)だ。目がつぶれそうだす(これは続あしながおじさんだす)。
職場では『代替医療 効果と利用法』を読む。アメリカでは代替医療が医学教育に取り入れられ、サポート体勢もかなりできているそうだ。また先日の日本での中国製健康食品の被害について早くも触れられている。
あー、8月も終わりだ!近所の老健施設で夏祭りをやっている音が聞こえる。
TVで「ウォーターボーイズ」を見る。めいっぱい笑わせて頂きました。モデルとなった川越高校の文化祭の実物の映像も以前ネット上で見たが、両者が重なって、おかしさ二倍。次男なんか笑い転げていましたよ。男子校の生徒の制服姿が、実際の高校生のそれよりこぎれいだったかな。たとえばアイロンがぴっちりかかってるとか。
『グリーンノウのこどもたち』を切れ切れにやっと読み終え、『グリーンノウの煙突』へ。先日前者を娘に薦めたら、その場で読み始め、声をかけても返事もせずにそのまま読み続けてその晩のうちに読了、ようやく本から顔を上げて「面白かったァ!」 こういう系はあんまりお好みではないかと思ったが、そうでもなかった模様。ただ私みたいにはまる程じゃないらしい。現実世界のほうが魅力なんでしょうね。スーザンみたいにならないでね(職場にいるナルニアの友が、私とそりの合わないある人のことをスーザンと呼び、その時には私のことをルーシーと呼ぶのだ)。
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