1998年5月分の「最新情報」
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1998/5/28
1998/5/26
林郁夫被告に無期懲役判決 1998/5/26(毎日新聞より)
東京地裁は、地下鉄サリン事件の実行犯林郁夫被告に対し、捜査段階での林被告の供述を「自首」に当たると判断し、検察の求刑通り無期懲役の判決を言い渡しました。検察の求刑が無期懲役であっても裁判所が「死刑判決」を下すことができないわけではありません。その点、死者12名の殺人事件の実行犯にどのような司法判断が下るのか注目されたわけです。そして、結果的には、裁判所の判断は検察の主張と全く同様のものでした。地下鉄サリン事件について、検察側は、松本智津夫被告の指示のもと「指示・計画」「サリン製造」「実行役」「運転手」の4グループに分けて全体を構成していましたが、今回の判決では、全てその通りに全容が認定されました。
林被告は、地下鉄サリン事件の14人の被告中唯一起訴事実を全て認め、検察側証拠もすべて同意していたため、初公判から約2年5カ月という早期判決となりました。他の被告たちは、現在、あるいは心神耗弱を訴え、あるいは殺意を否認するなどして争っています。松本被告は「弟子たちが起こした」などと無罪を主張しており、長期化は必至です。裁判は1件1件が独立の建前ですが、今回の判決によって、事実上他の被告の審理の促進に影響を及ぼすこともあると思います。注目しましょう。
松本智津夫被告第80回公判 1998/5/22(毎日新聞より)
松本サリン事件の証拠物の科学分析を担当した警察職員3人に対する検察側主尋問と、地下鉄サリン事件で林泰男被告に対する8回目の弁護側反対尋問を実施。
松本智津夫被告第79回公判 1998/5/21(毎日新聞より)
松本サリン事件の捜査にかかわった長野県警の警察官4人、科学警察研究所職員1人に対する証人尋問.
1998/5/19
「未だ活動を続けるオウムの資産を取り上げて被害救済に回すことはどうしてできないのか?」
実にごもっともな質問が「掲示板」に寄せられました。破産管財人も被害者も私たち弁護団も、現在のオウムの資産に何とかかかっていけないものかといろいろ知恵を絞りました。しかし残念ながら、破産法の限界としてどうしようもないというのが結論です。
詳しくは「法律の窓」で。
1998/5/11
松本智津夫被告第78回公判 1998/5/8(毎日新聞より)
松本サリン事件の捜査にかかわった長野県警の警察官2人に対する証人尋問が行われました。
松本智津夫被告第77回公判 1998/5/7(毎日新聞より)
松本サリン事件に関して、捜査に当たった長野県警の警察官6人に対する証人尋問と、地下鉄サリン事件で実行役の一人とされる元教団幹部、林泰男被告に対する7回目の弁護側反対尋問が行われました。
松本智津夫被告第76回公判 1998/4/24(毎日新聞より)
地下鉄サリン事件について実行役の1人とされる元教団幹部、林泰男被告(40)に対する6回目の弁護側反対尋問が行われました。
松本智津夫被告第75回公判 1998/4/23(毎日新聞より)
地下鉄サリン事件の被害者の治療に当たった医師に対する弁護側反対尋問と、松本サリン事件の捜査にかかわった警視庁と長野県警の警察官に対する尋問が行われました。
1998/5/1
「極刑を!」
都子さんの父・大山友之氏証言 岡崎被告公判で (1998/4/30)
坂本都子さんの父親大山友之さんが、4月30日、東京地裁で開かれた岡崎一明被告の公判に検察側証人として出廷し、娘夫婦や孫を奪われた怒りと深い悲しみを証言し、岡崎被告に対する処罰として極刑を求めました。
※ 先日、大山さんの証人出頭が「5月12日予定」とお知らせしましたが、私の聞き間違いか、予定変更か、5月1日に実施されてしまいました。お詫びします。ごめんなさい。
坂本さん一家のアパート返却へ
坂本弁護士一家の住居、そして一家3人が殺害された現場でもある横浜市洋光台のアパートが、5月末までに家主に返されることになりました。
1988年、坂本夫妻はこのアパートに転居し、ここで龍彦ちゃんが生まれ育ちました。そして事件が翌89年11月に起きました。
事件発生以来、お母さん坂本さちよさんが管理をされ、「救う会」で家賃を負担してきました。事件現場としてずっと保存してきましたが、先日裁判所の現場検証も実施され、アパートは一つの使命を終えたこと、「救う会」へのカンパが減少し家賃負担が厳しくなったこと、などもあり、この4月30日で賃貸借契約が切れるのを機に、ご遺族と相談して返還を決めたものです。
坂本さん一家3人の生活の様子と「暴力の痕跡」がそのままに残された、この部屋はまさに坂本事件の象徴でした。事件発生以来何回も足を運びましたが、行くとさちよさんがよく手料理をごちそうして下さいました。3人の無事を祈っていつも陰膳を供えておられたのが印象に残っています。
これでまた一つ坂本事件の「形」が消えていくかと思うと、何とも言えない気持ちになります。