2011年11月5日                                   表紙へ戻る

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1.京都御所〜三条大橋〜大津〜草津

 本来なら街道の出発点は三条大橋のはずが、今日はたまたま御所が一般公開されていたので、御所をスタート地点にしてしまいました。
 朝6:30に家を出て8:00には御所の門前に並びました。中山道を歩いて行こうというのに、2時間もかからず着いてしまうというこのギャップに戸惑いながら開門まで1時間も待つという矛盾。
 時間の感覚に戸惑いながら旅をすることになりそう。
8:50 京都御所 紫宸殿
 列が伸びて行くのを見て、定刻前に開門してくれました。宮内庁も柔らかくなりましたね。
 40年ぶりの京都御所でした。写真は紫宸殿と右近の橘。
御池庭や御常御殿の紅葉はまだでした。2〜3週間先かな。
9:55 三条大橋(4073歩)
  東山まで常にお香の薫りがしてました。
  しもた屋風の家の前に湯葉を並べていたので、内を覗くと長い棒で湯葉をすくい上げていました。多分すごい老舗なんでしょうね。
  京都ですねー。
  鳩居堂も本能寺の門前に。
  いざ、お江戸日本橋に向けて出発。
10:20 蹴上(6462歩)
  日本の技術の先駆けがここに集中している。琵琶湖疎水、インクライン、水力発電所。
  写真は上の船着き場のインクライン(船を運ぶケーブルカー)。
  120年前に三井寺の下を掘って蹴上まで開水路で琵琶湖の水を持ってきて、インクラインで標高44mの京都から85mの琵琶湖まで船を通し、その水で電気を作るなんてすごいの一言。
  世界でも3番目の発電所だとか。今でも発電しているらしい。
  蹴上が琵琶湖と同じ標高でしかも天智天皇陵を微妙に避けられることを見通してやっているのがすごい。
11:10 天智天皇陵(10084歩)
  ここは、1300年前の世界。裏の疎水の所まで行きたかったが先は長いので断念。
12:00 追分(14823歩)
  右に行けば京三条、左は伏見。このあたりは1号線や名神などの立体交差やICでぐちゃぐちゃ。単純にどちらがどうとは言えないが、ちょっと複雑。
  このあたりの町並みは雰囲気をよく残している。家の石垣に車石がよく使われている。(車石については下記参照)
12:40 逢坂の関(17685歩)
  恥ずかしながら、私は今まで、百人一首で有名な逢坂の関が、何となく京都と大阪の間にあると思いこんでいた。
  こんな狭い峠道を電車と車が分け合って、人間は歩道すら貰えません。車道をひたすら身を細めて歩きました。
  左から名神高速、京阪電鉄、国道1号線。
  話は昔に戻って、江戸時代に、大津までは車の通行が許されていたのですね。石畳の舗装までやってたそうです。車石と呼ぶその石畳は轍の溝が彫ってあります。(車石の写真は粟田口の坂にあるもの)
13:30 大津宿(22206歩)
  京阪電車が道路を走っている。(疲れてきたのか、ビックリしただけで写真を取り損なう)
  町並みがやっと旧街道風になってきた。でも都が近いせいか雅を感じる。
  ここでは、「うだつ」が見られない。
  雨も降ってきたので、義仲寺(木曽義仲と芭蕉の墓がある寺)は前を素通り。
15:20 瀬田の唐橋(30295歩)
  途中大きなルネサスの工場のそばを通っていたら、前のバス停はNEC前。古い地名などが残るバス停は歴史そのものですね。
  豆で足が痛くなって薬屋を探すが、結局唐橋を過ぎてからやっと見つけてバンドエイドを入手。
  紫式部が源氏物語を書いたという石山寺はちょっと下流にある。
山の上の月見亭からの眺めはいい。今回は道草を食う余裕無し。
17:25 草津宿(42294歩)
  (愚痴)雨は降るし足は痛いは暗くはなるはデジカメの電池はなくなるはで、ひたすら歩くのみ。
  草津宿にやっと到着したが、真っ暗でそのままホテルへ。この本陣の写真は翌朝のもの。


以上、今日の行程は28.95kmでした。
今日は東海道の一番交通量の多いところを京都から歩いたわけですが、都の華やかさに比べて以前歩いた美濃路や木曽路の侘びしさをあらためて感じた旅でした。

もう一つ強く感じたのが、1300年前の天智天皇とそれから1200年後の先進技術との因縁。天智天皇が作った大津京から水を引いて、陵墓の裏を通って京を潤す。いつかは疎水を歩いてみよう。

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