2012年9月22日                            表紙へ戻る

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16.岩村田〜小田井〜追分〜沓掛

浅間山の裾野を軽井沢に向かって緩い坂を上って行く。段々と現代を感じる。
11:00 佐久平
 駅から中山道まで戻って出発。
 しばらく行くと小海線の踏切を越える。
 JRの踏切は中山道とクロスするところは、律儀にも必ず「中山道」踏切と表示している。ここは「中仙道」となっている。
 木曽路ではクロスするところが多いので「第○中山道踏切」となる。
11:25 岩村田宿
 この辺りの中心地だったのだろうが、1kmほど西の新幹線佐久平駅周辺のイオンモールなど大型店の賑わいに比べると衰えを感じる。
 この宿は本陣、脇本陣がなく、農産物の集散地としての宿場だったようだ。
11:40 荒宿 住吉神社
 住吉神社前にあった善光寺への道しるべが移設保存されている。
 小諸まで2里とある。享保20年(1735年)の銘。
 元あった場所にはレプリカが立っている。
11:50 色づいたリンゴ
 この辺りで初めてリンゴを見た。伊那谷には多いのに、木曽、塩尻、諏訪では見られなかった。
 「枝もたわわ」という言葉はこういうことなんだろうと納得。
12:35 小田井宿 尾台家住宅
 明和9年(1772年)頃の屋敷。問屋跡。
 小田井宿はこぢんまりとした宿で姫の宿とも呼ばれた。
12:40 小田井宿 安川家住宅(8344歩)
 こちらも問屋だった建屋。向こうに本陣(安川家)が連なる。
12:40 小田井宿 本陣(安川家)
 宝暦6年(1756年)に改修されたもの。浅間山の噴火(1783年)の前の建物が傷まずに残っていることになる。
 軽井沢は焼けたが、沓掛や追分も一応無事だったようで、南にはあまり火山弾や灰は来なかったのだろう。
14:00 湯川用水温水路
 湯川から引いた用水を、この池のような浅い水路で暖めてから農業用水として下流に流す。
 湯川用水は、追分の問屋本陣の土屋市左衛門が小諸藩から請け負って作ったもので、小田井、御影新田、岩村田を潤す。
14:20 分去れの道標(15881歩)
 右に行けば北国街道(善光寺)、左が中山道。
 いつの時代のものかわからないが、「中仙道」となっている。
 後ろに常夜灯があるが、こちらは寛政元年(1789年)、噴火の6年後。
14:50 追分宿一里塚(17812歩)
 追分宿はこの辺りでは一番大きな宿場で旅籠が70軒もあった。
 現代は本陣の跡が残るだけで、西軽井沢と称して別荘地と瀟洒な店が続く。
 その東の外れの18号線の両脇に一里塚が残っている。向こう側には、交通量が多いのでとても渡れない。
15:10 借宿の旧家
 18号線の少し南にある借宿。別荘地とは少し離れた古い村。
 追分や沓掛にない落ち着きを感じる。
 この家は、旧家とは言うものの、洒落た感じにリフォームされている。これが軽井沢全体に通ずるの雰囲気なのかもしれない。
15:35 古宿から見た離山
 借宿と並んでいい地名が残っている。
 沓掛が中軽井沢に、追分が西軽井沢に変わるご時世。
 小田井宿を過ぎた御代田辺りから延々と別荘地が続くと「軽井沢」を付けたくなるのもわからんではないが。
 中軽井沢と旧軽井沢を隔てる離山が正面に見える。
15:35 古宿 道祖神
 古宿の外れにあった道祖神。草に埋もれてひっそりと佇む。
 風化して表情も定かではないが、和む。
15:50 中軽井沢駅前(24057歩)
 先ほどの道祖神から10分と経たずに現代に。土曜日とあって大渋滞。
 かっての沓掛とは言いながら、現代は中軽井沢。
 ほとんど古いものは残っていない。

以上、16.4km。今までのどこかに歴史を感ずる中山道とは違う景色であった。良い意味で過去に囚われない変革のエネルギーが新たな秩序を作り出している。
 それはそれでいいのだが、この辺りから道しるべなどの案内が極端に減ってしまったのには困った。

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