12年12月1日 表紙へ戻る
22.上尾〜大宮〜浦和〜蕨〜(志村)
この辺りからは、昔の宿場の雰囲気はないが、街散歩と思えばそれも良し。
8:20 上尾宿 氷川鍬神社 この神社が上尾宿の中心で、この向かいに本陣、両脇に脇本陣があった。今はここだけわずかに残る。 鍬が祭神。 |
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9:00 南方神社(3764歩) 諏訪大社から大神を勧請した南方(みなかた)神社。 境内の手水鉢には文政13年(1830年)の銘。 ビルや住宅街の中にも所々に、このような村の鎮守が残っている。 この付近は、UDトラックにちなんだ「ニッサン通り」もあり、コーセー、横浜ゴムなど工場も多いところ。 |
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9:25 宮原 賀茂神社(5793歩) こちらは京都上賀茂神社からの勧請。 灯籠には宝暦3年(1753年)の銘。 |
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9:35 宮原 天神橋 昔の小川に掛かっていた石作りの橋桁か? この道の向かいには、もう一方の橋桁があって、明治?27年の銘。 この「天神橋」の名はバス停として残っている。 |
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10:00 植竹町 供養塔 天保3年(1832年)の銘のある供養塔。すぐ隣にも安永6年(1777年)の供養塔がある。 ここは大宮の街中。すぐ近くには鉄道博物館があるような所。 たまにこういうものを見つけるとうれしくなる。 |
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10:55 氷川神社参道入り口 氷川神社参道入り口。一の鳥居と武蔵国一宮の石碑。享保7年(1722年)の銘。 関東一円の氷川神社の総本家。 大宮宿は前述の植竹町とここの間の大宮駅付近にあったはずだがビルや飲食店ばかりで痕跡もなし。 |
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11:00 さいたま新都心 さいたまスーパーアリーナ 「中山道」とこのなんとなく現代的な名称の組み合わせの面白さ。 |
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11:10 火の玉不動尊とお女郎地蔵(15500歩) さいたま新都心に奇跡的に残っている火の玉不動尊とお女郎地蔵。寛政12年(1800年)の銘がある。 30階建てのビル群に見下ろされるここは、その昔、刑場で、不動尊は死刑者の供養に建てられたものという。 宿場の外れに牢屋や刑場を置いているところが結構ある。 |
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11:30 与野 青面金剛庚申塔 正徳4年(1714年)の庚申塔。 先ほどの新都心の不動尊といい、この庚申塔といい、よくぞ残ったもんだと感心するような場所にある。 |
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12:30 浦和宿 浦和宿といっても何もないが、石碑などを置いているだけいい。 浦和は「紅赤」サツマイモ発祥の地。明治の頃、北浦和で発見され関東一円に広まった。 |
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12:40 浦和宿 青山茶舗 昭和初期の建物だろうか、現役の商店であるが、二階の窓や木の手摺、特に一階の左端のショーウィンドーはいい。 |
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12:45 浦和宿 調神社(23006歩) この調(つき)神社には鳥居がない。古代御調物(みつぎもの)を集めるための「調の宮」に運び込むのに邪魔になるので鳥居を造らなかったという。 |
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13:10 焼米坂 上尾宿から、芝川と荒川に挟まれた15m程度の微高地を辿ってきたが、この焼米坂で荒川に向かって5m程度の低地へ下って行く。 昔、この辺りの茶店で焼米を出していたので焼米坂。 ここを武蔵野線がくぐり抜けている。 |
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14:00 蕨宿 マンホール蓋 この辺りでは唯一宿場の面影を残している蕨宿は、マンホールの蓋にも「中山道武州蕨宿」とあるぐらい保存に力を入れている。 岐阜の加納宿以来。 |
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14:00 蕨宿 土蔵のある旧家 現住の建物では、都心に一番近い土蔵かもしれない。 |
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14:25 蕨宿 竹内家住宅 蕨宿の外れにある農家風の旧家。 |
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14:50 戸田橋から荒川上流を望む ついに荒川を越えて東京都内に入った。最後の大河。 |
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15:00 志村橋(34933歩) 志村橋がかかる新河岸川は、この先で荒川から分流した隅田川に合流する。 |
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以上、22.3km。
荒川を渡り都内に入った。今日の行程は完全に街中であったが、所々に歴史を感じさせるものが意外に残っていた。こういう物を見つけて喜んでいた一日でした。
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