2011年12月3日 表紙へ戻る
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3.武佐〜愛知川〜高宮〜鳥居本
近江八幡から西武電車と同じ色の近江鉄道で一駅の武佐駅から1ヶ月ぶりのスタート。
切符がまだ硬券だったので感激。
先回は結構足にダメージが来て間が開いてしまった。今回はどうなるか不安を抱えて歩き出す。
8:55 武佐宿 本陣の門 ここは本陣の門がそのまま現存している。 実は、鳥居本宿にも鳥居本宿本陣の扉が現存しているが、そちらは何と庭の物置の扉に流用されている。武佐は一応住居の門の役割を保っていて重々しい雰囲気を出している。 |
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9:00 武佐宿 旧家 半二階の白の漆喰の壁と一階のベンガラ色の格子が京風の雰囲気を醸し出している。 この一帯は、近江商人の発祥の地で、愛知川宿の先には、丸紅の創始者の家も残されている。全体に家も大きく瀟洒で栄華を感じさせる。 明治、大正期の大きな石造りの洋風の建物も散見される。 |
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9:10 武佐宿 旧家 今までの半二階+天辺の小屋根のなかでも一番垢抜けした建物。さすがに現代に改修しているのだろうが中々いい雰囲気。 |
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9:30 西生木(2851歩) 安土城近くの山(観音寺山)。 間に新幹線が見える。野洲から鳥居本の先まで30kmほどずっと並行している。逆に言えば米原から瀬田のあたりまで新幹線から中山道が見える。いつも車窓から黒瓦の家並みを眺めながらいつか中山道歩いてやろうと思っていた。 百分の一のスピードの分だけまわりがよく見える。 |
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9;55 老蘇(おいそ)の森(奥石神社)(5941歩) 紅葉真っ盛りの老蘇の森。 こんな平野のまっただ中に、田んぼにもならず、こんな森が残るのは不思議。普通大きな神社はちょっと山地に差し掛かるあたりに多く、後ろの山地が大きな森になっているというのが相場なのに。 |
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9:55 奥石神社 本殿 「おいそ」神社と読む。平安時代からあったようだが、本殿は1581年(本能寺の変の前年)に再建されたと棟札にある。安土城から2kmと近いので信長の援助もあったのかも。 近江の大きな神社はどこも伊勢や熊野の神社みたいな形式。村の鎮守や八幡様とは一線を画す。 |
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10:35 五個荘 藁葺き民家 このあたりから藁葺き(茅葺き?)屋根の旧家が結構出てくる。 山あいにあるのは時たま見かけるが、こんな町中にあるとは驚き。 しかも朽ち果てかけた家ではなく手入れもきちんとしている。田舎に行くとよくトタンで覆った藁葺き屋根を見るがそれを拒否して残している。保存しているのでしょうね。 商家の半二階の家と農家(多分)の旧家が点在するいい旧街道。 ちなみにここはすぐ裏は新幹線、表側1ブロック隔てて8号線という立地。 |
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10:50 五個荘の常夜灯 「右京道」「左いせひの八日市」と書かれた常夜灯。 |
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11:00 五個荘 松並木と土蔵 ここ五個荘は正式の宿場ではないが、近江商人の発祥の地と称せられている。 |
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11:10 五個荘 道標 「右京みち」「左いせひの八日市みち」と書いてある。 このあたりは愛知川の左岸を行くと八日市に行けるのであちこちに道標がある。 |
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11:10 五個荘 酒屋 造り酒屋だったのかもしれない大きな造り。梁が二本見える。漆喰の壁の中ほどを黒くして洒落た感じにしてある。 |
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11:50 愛知川宿手前の橋 この川の名前が「不飲川」。「のまずがわ」とでも読むのだろうか。 とっくりらしき欄干の擬宝珠があるから、何か由来がありそうだが、わからなかった。近江の小原庄助さんがいたのかな。 このちょっと下流にコカコーラの工場があって笑ってしまった。 |
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12:00 愛知川宿 本陣跡(14709歩) こんな田舎(失礼)に突如現れた石作りの建物。何とこれが本陣の跡というから、多分街の名士が大正か昭和の初期に銀行でも建てたのだろう。何の説明板もないが博物館にでもして残してやりたい建物だね。 |
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12:00 愛知川宿 広重の「恵知川」の絵が飾られている。 武佐からも次の高宮からも2里。昔の人ほど早く歩けないので、途中昼飯は食ったが、ここまで3時間。 |
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12:30 歌詰橋(18188歩) 宇曽川にかかる歌詰橋から見た鈴鹿の山並み。 討ち取られた平将門の首を京に運んでいる途中、その首がここで暴れ出した。運び役の藤原秀郷が将門の首に歌を詠んでほしいと頼んだところ詠めず詰まってしまって首は元に戻った というのが橋の名前の由来。 |
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12:50 豊郷の旧家 相変わらずの半二階と天辺の小屋根の家だが、近江路も五個荘あたりから「うだつ」が見られるようになってきた。それだけ財力がある地域になってきたということだろう。やっぱり近江商人の地力かな。あの逢坂山の車石の出資者が近江商人だったようです。 |
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13:05 旧豊郷小学校 大学顔負けのコンクリート造りの小学校。端から端まで200mはあろうか。昭和12年に伊藤忠商事の専務古川鉄治郎が、メンソレータムで有名な近江兄弟社のヴォーリズに設計してもらって寄贈したもの。近江兄弟社は近江八幡だし、伊藤忠、丸紅の創始者も豊郷出身。 取り壊す、取り壊さないで町長リコール騒ぎになったところ。 部外者の無責任を承知で言えば、こんなのを取り壊すなんて論外のような気がする。 |
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13:40 葛籠(つづら)町の榎木(?)並木(24137歩) 結構古そうな並木。旧街道特有のうねうね曲がった道筋に沿って並んでいる。 |
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13:50 葛籠町の町並み 先が見通せない造りになっている街道。一旦右に曲がって先方の白い土蔵に突き当たって又左に曲がっている。 黒瓦と板塀の落ち着いた街並み。しかもきちんと手入れされた庭木。古い物を現代に活かして生活しているというと持ち上げすぎかな。 |
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14:10 法士(ほぜ)町の無賃橋(高宮宿南口) 高宮宿入り口の犬上川にかかる橋。無賃橋とはその名の通り無料通行できる橋と言う意味。昔は有料の橋が多かったのでしょう。 「むちんばし」の道標には天保三年(1832年)の年号が見える。 |
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14:20 高宮宿 多賀大社一の鳥居(27373歩) 嘉永12年(1635年)に建てられた多賀大社の一の鳥居。 周りに土塁を築いて大きな石を積み上げていったようです。 ここから多賀大社まで4kmほど。多賀大社そのものは古事記にも記載があるらしい。この参道を新幹線と名神高速が横切っている。 参道脇にはブリジストン、キリンの工場もある。 新旧取り混ぜた日本の縮図かも。 |
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14:20 高宮宿 酒屋 中々風情のある酒屋。五個荘あたりから白と黒の漆喰を基調とした家が増えてくる。これがもっと進むと北国街道近江長浜の黒壁になるのだろうな。 |
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14:20 高宮宿 提灯屋 ちょっと小粋な提灯屋。これは関西弁よりべらんめーが似合うような。 |
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14:50 石清水八幡(29750歩) 彦根IC近くにある扇塚のある石清水八幡。紅葉が盛り。 |
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15:10 常夜灯と道標(31486歩) 彦根IC傍にある多賀大社の道標。左下の道標には「是より多賀大社みち」とある。慶応3年(1867年)の建立。 ここから名神高速に沿っていくと確かに多賀大社に行き着く。 |
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15:15 五百羅漢の道標 天保15年(1845年)の銘のある「五百らかん」の道標。 後方の高架道路は彦根IC。 |
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15:50 鳥居本宿 彦根道との分岐点道標 写真が下手で読みにくいのですが、「右 彦根道」「左 中山道京いせ道」と刻んであります。文政十年(1827年)の銘。 ここは鳥居本宿の南の外れ付近で、ここを右に行くと佐和山を越えて2kmほどで彦根城下にたどり着きます。この道は、将軍や朝鮮通信使が専用で使った道で、彦根、安土を経由し野洲で元の中山道に合流します。 |
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16:00 鳥居本宿 合羽屋(36188歩) 鳥居本の名産品の一つの合羽を看板に掲げた松屋。 雨で暗かったためかフラッシュ多用でカメラの電池も上がって今日はここまで。 |
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以上 ここまで26.4kmでした。
近江鉄道の鳥居本駅から彦根に。鳥居本宿は明日探検。
ここまでの近江路は古くからの歴史に栄華の歴史が重なって風格と余裕を感じさせてくれる旅でした。
飛鳥、平安、戦国までの血なまぐさい戦乱の歴史、江戸から明治大正昭和にかけての通商の発展が渾然一体となって檜皮葺の神社と石造りの洋館が融け合っている。面白いところでした。
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