2012年3月24日 表紙へ戻る
10.馬籠〜妻籠〜三留野〜野尻〜須原
いよいよ、木曽路。
山の中。
それに加えて雨の中。気分は完全に木曽路。
8:30 馬籠高札場 今回もバスは私一人。馬籠宿を通り過ぎてスタート地点の高札場まで人っ子一人いない。 |
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9:10 「峠」地区の旧家 馬籠峠近くの峠(集落の地名)の旧家。この辺りから二階部分が張り出している雁木造りの家が多くなる。 この地区は宝暦12年(1762年)以降大火がなく、江戸中期の姿をよく残している。 運送業である「牛方」を生業としていたとはいえ、このような山の中に集落を維持していたのに驚く。 |
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9:20 馬籠峠(4367歩) 標高801mまで登ってきた。晴れていれば、木曽路の山並みが一望できるのだが。 |
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9:30 一石栃の立場茶屋 馬籠と妻籠の間の茶屋。江戸時代後期の牧野家。間口が8間もある大きな家。やはり二階が張り出している。 ここには木曽の木材の搬出を監視する白木改番所もあった。 材木に刻印があるかどうかを、木曽の山を管理する尾張藩が監視していた。 |
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9:35 熊よけの鐘 ところどころに熊よけの鐘が置いてある。「熊注意」の看板も多い。 さすがに、熊には遭わなかったが、リスがチョコチョコと横切っていった。 |
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9:40 下り谷付近の石畳 この石畳はよく保存されている。 |
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10:05 大妻籠の町並と妻籠方面遠望 下り谷も終わり、大妻籠が見えてきた。ここは正式の宿場ではないが、江戸時代の雰囲気が残っているため、民宿が多い。 |
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10:10 大妻籠の旧家 古い雰囲気を残す旧家。 間口が広く家構えが大きい。ここもやはり雁木造りが見られる。 民宿をやっているので、小道具にも凝っていて大八車まで置いてある。 |
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10:35 妻籠宿(11714歩) 中山道のハイライト、妻籠宿。開発の枠組みから外れたのが幸運だったが、それを活かした人々も大したものだと思う。 表には電柱も、けばけばしい看板もない。古さをそのまま残して、日常の生活を続けている。 |
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10:40 下嵯峨屋 江戸庶民の代表的な民家。片土間に並列二間取りの形式をよく残している。土壁がいい。 |
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10:50 妻籠宿本陣島崎家 江戸時代後期の図面に基づいて復元されたもの。 島崎藤村の母方の実家であり、兄がここの養子になって、本陣最後の当主となった。 |
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10:50 脇本陣奥谷 林家 明治10年に建てられた豪壮な屋敷。現在は南木曾町博物館になって公開されている。 |
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10:55 北の外れの高札場 ここで妻籠宿は終わり。お約束の枡形。 |
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11:30 かぶと観音 治承4年(1180年)木曾義仲が兵を挙げたときに、妻籠城と、その鬼門にあたるこの地にかぶと観音を建立したと伝えられる。 営舎は元禄の頃(1700年頃)の建造と推定されている。 ちなみに、ここは神戸(ごうど)という地名。木曽川河畔に近いので、「ごうど」と言う名は川にちなんだ名前だろう。 揖斐川の神戸町、長良川の河渡宿、可児川の顔戸。 実は、この先、木曽川の上流、王滝川との合流点にも神戸がある。 |
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11:40 旧中央線とD51 江戸時代の雰囲気に浸って歩いてくると突然こんなものが。 旧中央線の線路がそのまま残してあり、そこに中央線を走っていたD51が展示してある。昭和15年日立製作所笠戸工場で制作され30年間で214万km走ったとある。1565馬力。 新しい中央線は左側の山をトンネルでくぐっている。複線電化されお役ご免となってここにいる。 |
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11:50 南木曽駅と桃介橋 木曽川の向かいに関西電力読書発電所があるが、その建築資材運搬用に掛けられた木製の吊り橋。大正11年(1922年)建造。 今でも橋の上にはトロッコのレールが残っている。中央の橋脚は中州上にあり階段で中州に下りられるようになっている。 ちなみに木曽川流域の発電所はほとんど関西電力。黒部も関西電力。天竜川の佐久間は電源開発。地元の中部電力出る幕なし。 手前の南木曽駅には広大な貯木場があるが今は単なる空地。 |
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12:00 檜皮葺き屋根の模型 南木曽営林署の入り口に檜皮葺屋根の展示があった。街道途中の神社の檜皮葺に感激していたが、ここが主産地らしい。妻籠近くの山を檜皮用の山として整備したり、檜の皮をはぐ原皮師の育成をやっているとのこと。 |
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12:20 三留野宿町並 桃介橋や営林署に気を取られて何となく三留野宿を通り過ぎそうになってしまった。 |
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13:00 羅天の木曽川 三留野から野尻までは、このような崖に張り付いた道。国道もコンクリートの擁壁の上に築かれている。 昔は大変な難所だったようで、この区間には、江戸中期に与川道という大きく山の方に迂回する道が作られ、伏見家王女比宮の輿入れの際に使われた。 今回は遠回りになるのでパス。 |
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14:30 野尻宿「はずれ」 野尻宿の西の端にある「はずれ」という屋号の家。 |
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14:35 野尻宿旧家(31576歩) 雁木造りに格子窓。木曽路らしく漆喰ではなく土壁。 |
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14:45 野尻宿旧家 こちらは、同じ二階張りだしでも濡れ縁タイプ。格子窓は一階と同じ面。ここの縁側には雨戸がないが、雨戸付きの家も結構見かけた。 |
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15:20 大桑 関 左彼方に、雲に頂上を覆われた木曽駒ヶ岳が見える。 道路正面の山の手前が大桑の町。中山道はそこから木曽川を避けて右の山あいに入っていく。 |
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15:25 フクジュソウ 路傍に花が見られるようになってきた。レンギョウもアシビもほころびかけフクジュソウが満開となっている。山には雪が残っていても春。 |
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16:05 岩出観音 須原宿手前の橋場にある馬頭観音を多数集めてある岩出観音。 清水寺のように崖の中腹の舞台の上に建てられているこのお堂は江戸中期のもの。 |
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16:15 IHIターボの工場 こんな山あいにIHIターボの工場がある。結構大きな工場で戦前から過給器など造っているらしい。GTRにも使われている。 |
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16:35 定勝寺 須原宿にある臨済宗妙心寺派の古刹。慶長3年(1598年)に建立された。 古風な檜皮葺の山門をくぐると世界が変わる。 写真は庫裏。本堂も立派だが、切り妻側を正面にしているため、庫裏の方が大きく美しく見える。庫裏の直線に対する玄関の曲線の対比がすばらしい。 |
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16:40 須原宿町並 がんぎ造りの格子窓の家が続く町並。この須原宿は昔はもっと木曽川沿いにあったが洪水で流されて、享保2年(1717年)に現在の高台に移転した。そのせいか道が広い。 |
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16:45 水舟 須原宿は水舟の里と呼ばれる。大きな木をくり抜いて水を溜めている。徐々に木工の里の感じになってきている。 |
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17:00 須原駅(43069歩) なかなかノスタルジックな駅。当然ながら無人駅。 途中の町で缶ビールを買って正解。1時間に1本の電車を待つ。 日が傾いて向かいの尾根筋が霧氷で白くなってきた。 |
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以上27.9km。妻籠まではリス以外は誰にも会えず。
木曽川は水量も増え常にゴーゴーと音が響いていた。
昔の人は木曽川には近づきたくなかったろう。尾根筋を辿る気持ちが少しわかる。
木曽路は木の世界。石の存在感が希薄になって木が存在を主張している。
木曽路の厳しさを柔らかく包んでいる。
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