2012年6月2日                                          表紙へ戻る

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12.宮ノ越〜薮原〜奈良井〜贄川〜(日出塩)

 いよいよ、木曽川沿いの旅も終盤。分水嶺の鳥居峠を越えれば日本海側に注ぐ奈良井川。贄川を過ぎた桜沢で木曽路も終わる。
9:20 宮ノ越 義仲館
 宮ノ越から木曽川を越したところにある義仲と巴御前の立派な銅像。ここ日義村は義仲とその別名の朝日将軍から字をもらったぐらい思い入れの強い土地。
 義仲については、養育の地も、この辺りから松本盆地にかけて諸説あるようだ。
9:25 徳音寺 山門
 義仲の母親の小枝御前の菩提寺を基に、大夫坊覚明上人が義仲討ち死にを弔って菩提寺にした。この山門は享保8年(1723年)のもの。
 大きなスズメバチの巣が軒下にぶら下がっていた。
 義仲の墓そのものは討ち死にした滋賀粟津のある大津の義仲寺に芭蕉の墓と並んである。
9:45 巴淵
 巴御前が幼少時代ここで泳いだという巴淵。
 木曽川もここまで来ると泳いで遊べそうな姿に。
 中山道は、先ほどの徳音寺から、この淵の上の山を越えて行くが、現在は通れないので、再び木曽川を渡り国道沿いに進む。
11:00 薮原 一里塚跡
 一里塚に何故D51なのか不思議だが、中山道の木曽路には南木曽、木曽福島、薮原と3台も保存されている。
(追記:奈良井にもC12があった。木曽路には4台もSLが保存)
 中山道を歩いていると鉄道のありがたさがよくわかる。それだけ地元の思い入れが強いということなのだろう。
11:10 藪原宿 お六櫛問屋(11699歩)
 薮原は鳥居峠を控え、さらに飛騨街道の追分でもあった。さらに明治44年鉄道が開通すると、飛騨から野麦峠、奈川を越え薮原経由で岡谷へ行く女工で賑わった。
 お六櫛は江戸時代からこの辺りの名産品としてもてはやされた。
11:15 薮原の町並
 出桁造りの家が並ぶ。
11:20 防火高塀
 薮原は、元禄8年(1695年)の大火の後、うだつはもちろん、広小路を造ったり、このような石積みの上に高い塀を作ったりして延焼防止にした。
11:35 鳥居峠 オドリコソウ
 いよいよ、標高差280mの鳥居峠の登りにかかる。
 道ばたに白のオドリコソウが咲いていた。花の形が笠を被っておけさを踊る踊り子に似ていることから名付けられた。
 平地より一ヶ月以上季節が遅い。
11:55 藪原宿遠望
 木曽川の流れも見納め。
12:10 御嶽遙拝所(15797歩)
 峠近くにある御嶽遙拝所。ここから御嶽、駒ヶ岳が見えるはずだが曇って見えず。晴れたときに又来たい。
 子供連れのハイカーもいてハイキングにはいいところ。昔の人も厳しい道と言いながら結構楽しんでいたかも。
12:50 奈良井宿遠望
 鳥居峠を転げ落ちるように下ってくると、ぽかっと奈良井宿が見える。奈良井川の奧にひっそりと残った江戸時代の宿場。南の妻籠と北の奈良井。木曽路の双璧。
 でも向こうの山並が気持ち低く木曽路の終わりを想起させる。
13:30 奈良井宿町並(20430歩)
 手打ちそばを食って町並をぶらりと歩く。朝ドラの「おひさま」効果にしてはちょっと賑わいすぎだと思っていたら、この先の平沢と一緒に「漆器祭り」が開催されていた。
 私はおひさまロケ地巡り。
13:30 奈良井宿の混雑ぶり
 出桁造りの町並は妻籠以上。よく保存したものだ。
13:35 奈良井旧家
 奈良井宿は妻籠宿と同じくほとんどの家が実際に使われている。
店や民宿にしているところが多い。
 この家は店にせず、住居として使っているようだ。
 出桁の部分が庇になって、潜り戸が時代を感じさせていい。
13:35 酒屋
 巨大な杉玉を飾った酒屋。創業寛政5年(1793年)と暖簾にあるので220年続く老舗。
 前の家もほとんど同じ間口の広さ。
14:20 平沢の町並
 ここ平沢は奈良井と贄川の中間にある集落であるが、奈良井とともに江戸時代から漆器の一大産地として有名。
 この平沢は町並のほとんどが漆器屋とその関連。
 町並も奈良井に負けず劣らず雰囲気を残している。
 「漆器祭り」の最中とあって、鄙にそぐわぬ賑わい。
14:20 平沢の旧家
 出桁(出梁)とうだつとツバメの巣板。
 昔、三州街道の宿場町(足助?)でツバメの多さに驚かされたことがあった。
 こういう旧家が多いところはツバメも多い。最近市街地では少なくなった気がするが、ここではまだ住み易そうだ。
 まあ、虫も多いけどね。
15:30 贄川宿 深澤家住宅(32719歩)
 加納屋と称した行商中心の商家。嘉永7年(1854年)竣工。出桁が二段になっている。軒が深い。
 この贄川が木曽路最後の宿場。
15:30 贄川宿旧家
 深い軒の下にもう一つ浅い軒が見える。比較的新しいのかもしれないが良い雰囲気。

 
15:40 贄川の関所
 復元であるが、石置き屋根で良い感じ。本当の中山道はその関所前の道を下っていくが現在は行き止まり。
15:55 山村の花菖蒲
 こんな山里に丹誠込めた花園。
16:05 桜沢
 桜沢にある家。二階の格子が吹き抜けの正当派。
 ふじやという屋号を掲げていた。
 この先の本山宿でもやっているが、この屋号を掲げるのは旧街道の雰囲気を残して面白い。
16:20 是より南 木曽路碑(38437歩)
 建立そのものは馬籠宿の藤村の碑より早い。昭和15年藤村が揮毫した前後に、こちらは建立された。書き方が同じなので連携している感じ。
 ここは松本藩と尾張藩領の境。南は信州と美濃の境。尾張藩は木曽谷の木曽檜や鷹狩りの鷹などを占有。代わりに中山道の管理をやっていた。
 ちなみに、鷹狩りの鷹を捕る山を巣山とか御巣鷹山と呼ぶそうだ。
平沢には巣山家の表札があった。
17:00 日出塩駅(40847歩)
 木曽路も終わり、この先に山は見えなくなった。
 道の両脇ではヒメジオンの絨毯が歓迎してくれた。

以上、26.3km。鳥居峠・奈良井宿が木曽路のハイライト。馬籠峠・妻籠と双璧。やっぱり木曽路はいい。
両側にそそり立つ緑の山の威圧感の中で人の小ささを感じながら一歩づつ前に進んでいる。

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