2011年11月6日 表紙へ戻る
中学校の教科書で天井川というのが出て来るがこの年になるまでイメージが持てなかった。その天井川は草津にあると教わった。いつかは見てやろうと思っていたが半世紀が経ってしまった。
これが天井川をくぐるトンネル。 高架道のように見えるのは川の堤防。河床はトンネルの天井より高いところにある。江戸時代はこの3階建てより高い堤防を越えて渡っていた。 右の角に道標、左には高札場。 東海道はここを右に行く。中仙道は直進。 |
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8:15 草津宿(東海道との追分) この道標には「右東海道、いせみち。左中仙道、美のぢ」 と書いてある。 ここが、中仙道のスタート地点。 |
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8:50 綣近くの民家。(草津宿と守山宿の中間)(4276歩) このあたりの旧家は、こんな半二階建てで屋根の上に小さな屋根(煙抜き?)がちょこんと載っている。屋根の軒先が微妙に下向きに湾曲している。 二階部分の壁には小さな飾りのような格子などが意匠されている。見た目は外を覗けるような窓ではない。 商家ではないので庄屋か豪農だったのか。それにしてもこの街道筋ではこのタイプの家を随分見かけるので、この近江は豊かな地域だったのでしょうね。 |
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8:55 綣(4624歩) このあたりの住居表示を何と読むのだろうとずっと疑問に思いながら歩いていたが、やっと回答を見つけた。 「ヘソ」 と読むのですね。 普通、役所が設置している住居表示板には大抵ふりがながしてあるのだけれど、ここだけは全く無くて、やっと交差点の表示で判明。 ここはJR栗東駅前。すぐ近くには大宝神社という大きいが落ち着いた神社がある。本殿は728年前建造のりっぱな檜皮葺の屋根が苔むしていい雰囲気。 |
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9:40 今宿一里塚(7669歩) 滋賀県唯一の現存一里塚。(東海道、北国街道含め) 中仙道に一里塚は129カ所あって、ここは江戸から数えて128番目。 距離から言うと129番目は草津駅前ぐらいにあったのかな。 岐阜県にある一里塚をいくつか見ているが、それよりは随分扁平なので大分上の方が削られているのかもしれない。 北側の一里塚は残っていない。木は榎木。 |
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10:00 守山宿道標(8931歩) 「右 中山道 并 美濃路」 「左 錦織寺 四十五丁 こ乃者満ミち」と書いてあるそうです。 「右 中山道ならびに美濃路」 「左 錦織寺 四十五丁 木浜(港)道」 の意味だそうです。 ここは「中山道」だが、さっきの草津では「中仙道」。 江戸時代から「山」と「仙」と両方使っていたのですね。 |
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10:10 守山宿稲妻型道路 街道筋のあちこちで見られるぎざぎざ状の道路。 わざと家の並びを不揃いにして、家の陰に隠れたり見通しを悪くしたり防衛機能を持たせている。近江長浜の北国街道黒壁スクェアーのものが有名。 ただでさえ狭い街道がこれだけ右左にうねっていると歩くのが結構大変。 ここでもうだつが見られない。もっと田舎に行かないとないのかな。 二階の窓がないのは大名行列などを見下ろさないようにしたのかな? |
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10:50 野洲 唯心寺(12970歩) 野洲の萱葺きの寺。境内も落ち着いた感じで門前には子供を抱いているように見える素朴な道祖神?お地蔵さん?があって趣がある。 ここから少し行った所には、背くらべ地蔵(大小の二体の地蔵)もある。綣の水路の脇にも同じような小さなお地蔵さん(お地蔵さんというより美濃や信州によくある道祖神に近い)があって、このあたりには結構多い。 野洲の外れに甲山古墳があるが、その石棺が600km離れた熊本県宇土の産。1トンの石をどうやってここまで運んできたのか想像もつかない。 |
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13:20 鏡宿立場(23572歩) 義経の元服の松がある鏡神社の近くの旧家。 やはり、屋根の天辺に小さな屋根を載せて半二階建て風。 屋根の勾配も湾曲している。 このちょっと手前の村田製作所のわきには平家の最後の大将だった平宗盛の胴塚がある。大津の義仲寺の木曾義仲と同じく義経に首を取られた。その義経は鞍馬山から飛び出してここで元服したということで近江路には昔話がいろいろあるね。関ヶ原までにはまだまだ沢山の墓が多い。 |
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14:20 千増供町の旧家(29394歩) 門まで茅葺き?の旧家。奥の母屋も立派な造り。 この近くには住蓮坊首洗池というこれまた血なまぐさい史跡がある。こちらは鎌倉時代の後鳥羽上皇がからむ話。 現代では、ここにはTCMの大きな工場やイトーキ、象印などの工場が並んでいる。この道路(8号線)と平行に新幹線が走っていてその間は一面のコスモス畑が美しい。(新幹線からもよく見える) |
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14:55 武佐宿(32529歩) 武佐駅の前が枡形になっていてそこから武佐宿になっている。今日はここまで。 疲れ果て武佐宿に入っていく気力なし。そのまま駅に直行。 |
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以上、今日の行程は20.5kmでした。
やはり、二日連続は厳しい。最後は足を引きずりトボトボと歩いて20分毎に小休止する始末。
大分、田舎っぽくなってはきたが、まだまだ都会。家も立派。
こうやって写真だけを見ていると旧街道だが、この街道沿線は大きな工場も多く、住宅地と大きな道路が縦横無尽。この中でよくこれだけ街道の史跡や景観を残しているもんだと感心する。古い神社もその地区の人たちが手入れしているようで荒れていない。民家も改築しているはずだが雰囲気をきちんと残している。
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