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_ 翌月分駐車場代を、前月の月末までに払う約束になっている。ところが昨日は綺麗さっぱり月末だということを忘れてしまった。今朝思い出して、謝りの電話を入れ、すぐさま払いに走った。
_ このお宅は、最近建て直したらしい一戸建ての玄関先に2台分の駐車スペースを貸しているのだが、主婦のお小遣いに、という感じで、良くも悪くもビジネスライクではない。子供に手が離れたご夫婦らしく、私が帰宅途中の夕方6時過ぎに訪ねて「お忙しい時間にすみません」と言うと「あーら、うちはいつも6時にはごはん終わってるから全然構わないのよ」という感じ。えー当方6時なんてまだ仕事してる方が多いよ。7時頃に寄れば「こんなに遅くまでお仕事なのォ!?」とどこか疑わしげな目。月末の夜、帰宅が遅くなり、やっと子どもたちにごはんをでっち上げて9時頃慌てて払いに行こうものなら「なかなか来ないから、忘れたのかしらどうしたのかしらと思って、いつもならお風呂に入ってるんだけど、入らないでずーっと待ってたのよ!」
_ 今日も、「済みませ〜ん、ごめんなさい」と頭を下げて駐車場代を渡したら「ゆうべもね、今来るか今来るかと思って、お風呂にも入らないで9時半まで待ってたのよう。もう車要らないのかと思ったわ!お正月からこれじゃあ困っちゃうわねぇ。どうしましょアハハハ」と言う(一瞬「お正月」って何のこと?と怪訝な顔をしてしまった)。暇で時間があって(同じか)、まだかしらまだかしらとヤキモキヤキモキしてるの図。慣れてないというか、多分「余計なことは言わないで言うべき事はきっちり言う」ということが出来ない、あるいはこれまで全くそうした必要がなかった人なのね。もちろん今回は明らかに忘れた私が悪い。それは分かっている。もともと気のいい人なので「月末じゃなくて早めでもうちは全然構わないわよ」と言って下さったが、以前早めの日に行ったときには「あらっ!ずいぶん早いわねえ、まだ月末じゃないわよね。今日来るって思ってないから、あと10分遅かったらお風呂にはいってた所よ、よかったわあ!」と言ったじゃないか〜(またお風呂ね)。だからこちらも気を遣ってそれ以来きっちり末日に行くようにして来たのに、あー、めんどくさいっ!!ご近所だから顔を見て払う方がいいかと思っているのだけれど、生活時間も感覚も違うってこと。もう振り込みか引き落としにしてくれえ〜。この辺では駐車場の需要に比べて供給の方がずっと少ないから、シャクなことに借り手の立場が弱いのであるよ。
_ 昨日職場の同僚と、私の部署と関連が深い部署の方々の仕事のやり方についてああだこうだと意見を交わした。どちらの意見ももとより私の、あるいは彼の見方に過ぎず、当のあちらの部署が実のところどうであるのかは分からない。一種議論のための議論、見方によっては不毛な議論であるかもしれない。しかし彼と私にとっては各々の意見を披瀝して、ものの見方の違いを明確にしておきたいと言うつもりがあるので、その意味で大いに意義あることなのだ。ところが、つかず離れず聞いていたもうひとりのお姉様同僚が「そんなことで二人で角突き合わせてたってしょうがないじゃない!ここでいくら言っても始まらない事じゃない!」と言い放って去っていった。顔こそ見合わせないが、我々にしてみれば「何じゃ〜??」という感じ。本気で角突き合わせてると思ってるんだったら見当違いも甚だしい。お姉様は普段から上から言われたことはきっちりやりはするが、自分なりの判断というものは全くしない、という態度の人なのである。要するに、無駄な議論をしてやかましくしてくれるな、ということなのだろう。私たちにとっては全然無駄じゃないのだけれど。
_ 尊師の元でクロードは、年若いながらエナメル画と時計作りに天才とも言える腕を持つに至った。しかし思いがけない出来事を機に、ついに良き教師でもあった尊師の元を離れてパリに出ることとなる。しっかし『ボートの三人男』ばりに可笑しい。そばに人がいるときには読めませんわ。今日も誰もいないのを幸いニヤニヤくすくす、時に吹き出す。
_ 二つの塔はいよいよ22日から公開だが、私が行こうと思っているところの先行ロードショーの日取りがまだwebに出ていない。そろそろ確かめて、買いに行かなくちゃ。
_ ところで例の字幕の件は、字幕改善連絡室、LotR字幕抗議のための英語工房(NALさんの日記1/22経由)に現在のところの状況が報告されている。ともかく、字幕、吹き替え両方見ることになるだろう。
_ 「二つの塔」とは、オルサンクとミナス・ティリスを示すと思っているのだが、予告編で見る限り映画ではオルサンクとバラド・デュアと言うことになっているのかな?
_ 大変にショックを受けた。あの、見る間にいくつもの火の玉になって行く光景は…。長男が、あんな危険を冒してまで宇宙に行く必要があるのだろうか、と言うのに対して私が即座に「ある。」と断言し、娘もほんの一瞬おいて「ある」と言う。たとえ必要がなくても、例え危険でも、行こうとするだろう。長男はしきりに「恐いからやだ」と言う。あんたねえ、思いがけず身近に「徴兵制」だの「核戦争」だの、もっと直接に恐いことが迫っているんだよ〜。しっかりしたまえっ!
_ パリでのクロードの失意の日々。ほんの少年だった彼は、いつの間にかお仕着せのヴェストはきつくなり、手袋もその長い指を収めるには小さくなるという描写に示されるように、いつか成長して若者の域に達する。その愛情と落胆、悲劇の後に再び道が開けること。これが作者のデビュー作だと言うが、この書きぶりはいったいどうだろう、緩急の自在なこと、描写する対象との距離の取り方の実にうまいこと、章立てとそのタイトル、など舌を巻く。
_ 最新刊は9巻なのに、目につかず買いそびれている。
_ 鬼のお面をかぶった次男に、長男と豆をぶつけると、次男はきゃあきゃあ言って玄関から後ずさりして出て行く。と思うとお面を取って入ってきたので「鬼が福の神になって帰ってきた〜」というと満面の笑みだ。以前、次男は自分から鬼になりたいと言ったのに、いざ皆に豆をぶつけられたらベソをかいてしまったんだよね。だから豆をぶつけるのもちょっと手心して。でもさすがにおにいさんらしくなり、もうすっかりこれは「鬼の役」と、自分と鬼とを切り離せるようになったらしい…少なくともベソかかないでにこにこ笑えるくらいには。次男といえば、おととい一日べったり遊んでいた親友が、今日は39度の熱でお休みとか。大丈夫か>次男
_ 昼休み、満ち足りて読了。クロードは、その元を逃げ出してきた尊師と思いがけず再会する。そして大いなる誤解を解き、パリで一種の共同生活を始める。そしてそれまでの音、絵画、器械、など一見とりとめのない様々な興味を、ついにしゃべる自動人形という形に収束させることに成功する。しかしそれも、自分には関係ないと思っていた社会情勢の激しい動き(フランス革命)に巻き込まれて失われ、それまでの自分の来し方を語るべきものとして、タイトルの「形見函」を作るに至る。10の仕切りのうち空白のままで残しておかれた最後の一つは、彼がその手指に持つ一つの空白に対応するものでもあるだろう。
_ クロードの指向や興味は、その器械への偏愛や異常なほどの集中力をはじめ大いに他人とは異なっているが、決して奇矯な人間としては描かれていない。反対に、いつしか、手助けをしてやろうという暖かい友達に取り巻かれたハンサムな青年として成長している(実のところ青年になってからのクロードを、ジョニー・デップさまの姿として読んでいたのだ(#^.^#)。変と言えば登場人物達はそれぞれに相当変、言葉を変えれば実に個性豊かである。
_ 同じくコレクションを後に残す『望楼館追想』のラストと似て、クロードはこれまでの世界を離れて愛する伴侶と共に暮らすこととなるのだが、こちらの読後感は暖かく、猥雑で、豊かだ。満たされた気持ちで、クロードの驚くべき物語と実際の本のページ(360ページに少し足らない、10章構成の)とを二つながら閉じることとなる。
_ 「石筍のように」(形見函より)積み重なって待っている本の柱から、注意深く取り出す。まだ本当に始めのところ。
_ 帰宅しようと自転車置き場へ向かうと、三日月が西の空、まさに目の前にかかっておりはっとする。空の反対側には木星。…あー、ダメだ、空を見ると頭のどこかで思い出してしまう、シャトル事故の光景を。
_ 一挙に読んでしまった。バルサは、恐ろしい力を身内に秘めた少女を連れてひたすら逃げる。しかし懐深い世界ですね、ここは。と思いつつまっすぐ『帰還編』へ突入。
_ しかし、どうもこのシリーズでの漢字の開き方は解せない。どういう基準で漢字とかなの使い分けをしているのだろう。これは作者ではなくて編集の方で決めるのだそうだが。ルビも併用しているのに何かへん。
_ これまた一気に読み終わった。圧倒。来訪、帰還とは、広義にはいろいろ取れるかも知れないが、第一義的にはカミサマの。再び二木 真希子の描く挿絵の数々は この世界にぴったりで、今回はまた力が入っている。このカミサマの姿はなかなかに怖いぞ。古代から続く神の都に生い立つ巨木には圧倒される。狼、寒さ、巨木などスーザン・プライスを遠くに想起する(と言っても全然別物なので大丈夫)。一応これはこれできっちり終わってはいるのだが、また間をおかずして物語は動く。動かずにはいられないはず。こうなるともう物語がそれ自体の命を持っているという感じだ。
_ 読み終えて書店のカバーをはずして改めて表紙カバー絵を見る。何気なくそのカバーをはずすと、思いがけず本体の表紙はやさしいピンク色だ。これは「あわい紅にゆれるサラユ」の花の色ではないか。戦いと憎悪、血と冷たさのシーンが多い本作であるが、その中に今回もまた、花が非常に象徴的に用いられており、これまでの花とはまた違った余韻を持って深く心に残る。あっそれからタンダとバルサもね〜(#^.^#)。
_ 本業あっての上橋さんではあろうが、読者としての勝手な希望を言えば、もっともっと書いてくれ〜!
_ 改めてご紹介:神の守り人 スペシャルサイト(偕成社のサイトの中) 読後の今、上橋さんを思い浮かべながら読むと改めてニヤリとするところ多し。
_ また一人、職場でインフルエンザ患者が。 怖いよう。ワクチンを打つと言っても、そもそも医者に行っただけで即感染間違いない気がして足が向かない。
_ 洗濯物を干そうとベランダの窓を開けたら、バネ仕掛けのように電光石火飛び出す小さなかたまりあり。あっ、メジロだ!冬のさなかに咲く紫の小さなローズマリの花の蜜を求めて、窓のすぐ脇の鉢に来ていたらしい。うぐいす餅のような色の本体に、懸命に羽ばたく明るい色の羽先、ごめんね急に驚かせちゃって。飛んでいったのは1羽だけだったが、いつもつがいでいるメジロだけにお連れあいを呼んでくるつもりだったのでは?懲りずにまた来てね。
_ えいごは、ここふた月ほど、いつもクラスの人数が1人か2人、多くても3人なので、先生としゃべる時間も多いし質問も出来ることなど、まあいいかという感じに落ち着いている。チェックテストも12課中2つを残すのみ。うう早く終わりたい。
_ 星占いの星座のことがちょっと話題に出たのだけれど、「私の星座は射手座」というのは正しくは何というのかしら。こんな事が分からないのよ(;.;) "My astrological sign is Sagittarius. " かな?訊いてくればよかった。先日は「いい湯だな」を何というかも話題だったし、今日耳にしたのは「節分」を説明しようとする会話。立春の前の日?陰暦で春の始まりの日が「立春」で、その前日が「節分」と言って、豆を撒いて鬼を追い払うのよ。うーん泥沼。
_ 18世紀半ばのロンドン、様々な職業の親方の元で、ほんの子供のような少年、少女らが徒弟として7年間の見習い生活をしていた。10月から始まり、月を追って12の短編がこれらの見習いたちのエピソードを繋ぐ。1月まで終わり、ちょうど2月の「バレンタイン」に入ったところ。何というか、一種児童文学の王道。何より面白い。ぐっと引きつけて離さないのだ。
_ だいぶ前に古本として入手したもので、昨年12月に読んだ同じ作家の『テムズ川は見ていた』>(コメント)以来、懸案にしていたもの。この福武書店版は絶版で、現在は岩波文庫より『見習い物語 上』『見習い物語 下』として再刊されている。
_ ここ一週間ほどずっと何となくおなかが痛い。風邪の症状らしいが、今日は一日シクシク痛くてお昼も食べる気が起きない。帰宅する頃になって頭がボーっとしてきて、夕食をでっち上げて何とか食べ終わったらそのままバッタリ。息子達は心おきなくTVで「バック・トゥ・ザ・フーチャー3」を見ていた模様。あー連日つい2時頃まで起きているのが良くないのだと分かってはいるものの。
_ 職場に、パソコン組み立てキットが到着。で、でかい。まだ梱包をほどいていないのでしかとは分からないが、何せ筐体が大きいらしい。このおもちゃ、いつ手をつけ始めよう。うう有効利用せねば。
_ あー先日入れ替えたWindowsXPは、まあ順調に稼働中。メモリがいくぶん不足気味らしく、気持ち反応が遅い。特にプリント命令に対する反応が遅いのが鬱陶しい。そのうちメモリup予定だ。
_ 母の日にPalmとかZaurusとかを買ってくれそう。私は日々自宅と職場を自転車で往復するだけなので、あまり利用するシーンはないとは思うのだが、時流に遅れないようにってか。いろいろあるらしいけれど、どれを選んだらよいのかさっぱりわかんない。
_ 「二つの塔」の先行ロードショー(2/15土)のチケットを買いに行った。一番近いマイカルのwebサイトでは、全然先行ロードショーの情報が発表されないので、電話して確認してから行った。レイトショーのみの予定だと諸般の事情から行けないところだったが、午後〜夜まで字幕版4回(2館上映)吹き替え版2回と言うことなので、まずは連れて行かざるを得ない次男を考慮して吹き替え版で。本公開の分も、字幕版1回分確保。「レッド・ドラゴン」その他いろいろやっていたので、コブがいなければ夕方まで見て帰るところだったのだが…何事も思うようにはいかないのこと(;.;)
_ 12ヶ月中、11ヶ月めである8月のエピソード「きたないやつ」まで終わった。一つ一つは独立しているのだが、前のエピソードの登場人物がまたあとのエピソードに顔を出したりするので、彼らの生活や人間模様が立体的にまた親しく感じられる。18世紀半ばと言えば、ちょうど産業革命真っ最中で、それ以前からの制度に新しい仕組みが否応なしに侵入してきた頃だろう。底辺に近いところでひたむきに生活している見習い(徒弟)達のストーリーなので、生活の悲惨さを感じたり、子どもたちのたくましさに驚いたりすることになる。彼らの時代を思い、翻って現代を思うと、確かに良い方向には進んできたのだろうなあとは思うが、生きて行く意味は結局たいして変わらず、むしろ、あれこれ余計なことを考えざるを得ない現代の方が、生きるということの実感は様々な意味で薄れていることよとつくづく思った。
_ 時期が時期だけに、妙にリアルに感じる。
_ 先日購入した財布のファスナーが不調のため交換依頼(ファスナーそのものの作りが良くないらしく、噛み合わせが変で知らぬ間に開いてしまったりする)、その他連れ合いの買い物につき合った後、池袋リブロでダニエレブスキー『紙葉の家』を本気でめくってみて、買おうかどうしようか散々悩み、結局見送った(;.;) アトウッド『昏き目の暗殺者』も見送った。どうしてこんなにお値段が高いのでしょう。でも図書館で借りても読み切れないと思うぞ>特に『紙葉の家』。
_ 18世紀半ばのロンドンを舞台にした徒弟達の一年間が巡り、また冒頭に出てきた点灯夫と灯り持ちが象徴的に登場して終わる。産業革命を象徴するガス灯、その一方実は暗くてあまり役立たなかったらしいガス灯を補うように、たいまつを持って人々の足下を照らす商売をする灯り持ちの少年たちも欠かせなかったらしい。この少年達はたいまつの光で図らずもロンドンの闇の中、建物の陰、路地の奥に底辺の人々の生活を照らしだす。ガーフィールドがこの作品でしてきたのもまさにそれと同じこと。彼らの生活を否定も批判もせず、毎日を精一杯生きる登場人物一人一人に寄り添った暖かい描写が心を打つ。12の章に出てくる主な商売はこんなふう。
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ガス灯の点灯夫と灯り持ち、居酒屋
鏡の枠に細工する職人、鏡職人
産婆、ジプシー(ここではリンゴを売る)
質屋
葬儀屋
靴屋、靴の留め金作り、銀糸紡績職人
時計職人、時計売り
鳥かご作り、かつら用の髪の商人
薬剤師
印刷所、本屋、製本所、首つり役人
ペンキ屋、絹物商、見せ物小屋
棺桶屋、チーズ屋、人形店、パイ店
_ 7月の章では、教会当局に怪しからぬと思われた本が焚書されるのだが、焚書する役目はなんと首つり役人なのである。本の生命を絶つのだからまあ確かにそうかも知れない、しかしまさか首つり役人の仕事の一つとは思わなかった。本屋の徒弟はこれから焚書されるその本をなんとか救いたい事情があった。首つり役人らは職業がら字が読める必要がない。そこをついて本屋の見習いは、件の本を取りに来た首つり役人見習いに全然違う本を「手違いで」渡す。見物人の前でめでたく煙となったその本は、ベストセラーの主教さまの説教集だった!思わず喝采を送った。
_ ネズビット/『砂の妖精』/福音館文庫を急に再読しているのは、これまでなぜか縁のなかった続編を図書館で見つけたからだ。続編は『火の鳥と魔法のじゅうたん』(岩波少年文庫)、『魔よけ物語―続・砂の妖精』(講談社青い鳥文庫)、『宝さがしの子どもたち 』、『魔法、魔法、魔法』、『ドラゴンがいっぱい』とか。しかしそれにしても、このサミアドは奇妙きてれつ、たしかに今の時代に出現しても十分通用する見かけだと思う。SWに出てきそうじゃない?
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草野厚/『癒しの楽器 パイプオルガンと政治』/文春新書
山並陞一/『語源でわかった!英単語記憶術』/文春新書
多田智満子/『魂の形について』/白水Uブックス
マルセル・シュウォッブ(訳:多田智満子)/『少年十字軍』/王国社
_ リブロに多田智満子のささやかなコーナーが出来ていたのだった。
_ こんなにユーモアいっぱいだったっけ!?たとえばロバートが糖蜜をぼうやの背中にたらし込むところ。ぼうやは全部着替えなくてはならなかったが、でもロバートは二重にいいことをした、とある。なぜなら、ぼうやはべたべたしたものが好きなので大変喜んだのだし、ぼうやが着替えに手間取っている間、きょうだい4人はぼうや抜きでサミアドの所に行くことができたからだ\(^O^)/ はっは、ネズビットはほんとにぶっ飛んでるよね。確か近年TVアニメになったんじゃなかったか?
_ 続編の『火の鳥と空飛ぶじゅうたん』(絶版)へ行く。訳者が違うので、間をおかずに読むと多少の違和感はある。『砂の妖精』は石井桃子、こちらは猪熊葉子である。サミアド→サミアッドなど。なんて素敵な火の鳥でしょう!うちの暖炉に火の鳥の卵が転がり込んだならなあ!(暖炉ないけど)
_ 樋口裕一/『やさしい文章術』/中公新書ラクレを仕事の合間に。このひとのもう一冊の本も時々斜め読みしている(『イエスと言わせる文章術』/青春出版社)。うーん確かに論文(レポート)の書き方なんて教わったことない。職場の試験でちょっと教わるだけ。実際にネタを持ってきて書いてみないとだめだと思う。
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『アニメージュ 3月号』/徳間書店
『ニュータイプ 3月号』/角川書店
_ エヴァと、新海誠のCD-ROM、DVDがお目当て。昼間本屋に行けなくて帰りに遠回りして買いに行ってしまった。長男に呆れられる。次男はエヴァを「かっこいいね!」と感心する。母親の方は、新海誠の光と空、画面の振り方にひたすら「綺麗…」を連発。エヴァは何枚か連れ合いが買ってきたLDがあるのだが、今度新しくDVDが出るのだそうだ。そう言ったら長男が「エヴァの新しいマンガ持ってるよ」と言うので「じゃ見せて」と返事したら、いきなりどさっとコミックスを全部持ってきた。キミ、さっき私のこと呆れてみせたんじゃない?「どうせその前覚えてないでしょ?」とのお優しい心遣いなのであった。
_ 吹きこぼれをそのままにしておいて、大鍋でスパゲティ用のお湯を火にかけしばらく放っておいたら、戻ってみるとなぜか吹きこぼれに火がつき盛大に燃えあがって、鍋がすすで真っ黒に!こうやって火事になるのねと痛く反省し(レンジフードまで炎があがったのだ)、盛大に掃除。疲れた。
_ 『砂の妖精』の4人のきょうだい達が、偶然彼らの元にやってきた本物の火の鳥と魔法のじゅうたんにまたまた色々お願いをしては騒動を引き起こす。ある章では、2000年ぶりによみがえった火の鳥(=不死鳥)そのひとが、昔のように神殿で祭り上げてもらいたがる。何を勘違いしたかそのシンボルマークに不死鳥を用いている「不死鳥火災保険会社」に子どもたちと乗り込み、どういうわけか社員一同にあがめ奉ってもらう。彼らは皆仕事中に居眠りをして夢を見ているのだと思いこみ、火の鳥に言われるままに「頌歌」じつは彼らの社歌(らしきもの)を歌うのだ。
加入可能の第一は、個人の住宅
家財道具に店舗もよろし
…
「ほかのをうたってみなさい」不死鳥は言いました。
そしてまた社員や職員たち、支配人たち、秘書たち、料理番たちの声がわき上がりました。
スコットランドでは、わが社の保険は
畑の焼けた麦の束さえ保証する。
「それはとばしなさい」不死鳥はいいました。
かやぶき屋根の住居とその家財
すべてがわが社の扱うところ−家賃もともに
おおはえある不死鳥よ、照覧あれ
これらが加入可能の三番目。
_ まじめくさって頌歌を聞いている黄金色の不死鳥!可笑しくて爆笑してしまった。
_ 朝からどんよりした雲が幾重にも低くたれ込め、強い北風に目の前の竹林が盛大にかしいでいる。一時は、針の先ほどの細かな雪粒もぱらぱらと吹き付けてきたが、次第に明るくなってきた。職場に着いて窓(4階)から北を見ると、まだ厚い雲の下、遠くの空は晴れている。と、彼方に雪を頂いた一連の山が輝いている。筑波山か?それにしては富士山のような整った美しい形、真っ白い雪。右の方には同じく真っ白い山並みが連なっている。筑波じゃないよねえ…。と調べてみたら、どうやら、日光の男体山のようだ。この強い風で100キロほど先の男体山までくっきりと見遙かすことができたのだ。
_ ウィリアム・クリスティ&レ・ザール・フロリサン@オペラシティ。というか2年ぶりに来日の、コンマスのヒロさまを見に(聴きに)。なんてったってヒロさまの独演会、よくまあ2時間半を弾きづめで楽しませてくれました。
_ 初めに卵をかえしてくれてその後も外出のたびに不死鳥を懐に抱いて隠してくれたロバートと、ホンのしばらく別れただけで、さしもの不死鳥も気もそぞろ。そんなところが微笑ましい。
「気分でも悪いんですか。」アンシアは…いいました。
「病気ではないよ、」ゆううつそうに頭をふりながら金色の鳥はいいました。「ただ年をとってしまったのさ。」
「あら、だってあなたかえってからまだそんなにたってないじゃありませんか。」
「時間は、」不死鳥はいいました。「心臓の鼓動ではかられる。お前方を知ってこのかたの鼓動ときたら、どんな鳥の羽も白くしてしまうに十分なのだよ。」
_ これは『ゾウの時間、ネズミの時間』などでも言われているような、動物種によって寿命は違っても一生の間に打つ心臓の鼓動の数は大体同じ、ということと符合しているようだ。こうした直感は往々にして正しいと言う一例だろう。
_ さてあれほど楽しい魔法を働かせてくれたじゅうたんだが、子どもたちのひっきりなしのお願いに見るも哀れにすり切れ、破けてきてしまった。ついに別れの時が来て、卵を産んで火の中に飛び込む不死鳥(雄のはずなのに卵を産むのだ)。2000年経ったらまた人の眼に触れるようにと願いをかける。でも魔法の世界の2000年はこの世界の2000年とは違うかも。だから意外にすぐまた出会うことが出来るかも知れないね!あいにくと今、近所の図書館は整理期間で休館中だが、開館し次第また続編を借りてこようっと。
_ 12の短編集。思いがけず掘りあてた小さな金塊、という感じ。現在二編読了。訳は西崎憲さんほか。
_ 英語の宿題(ワークブック)を昨日のうちにやり終わる暇がなくて、今日昼休みに急ぎ仕上げる。CDを聞いてT/Fを答えるのと、ディクテーションだったので、割合に早く終わった。しかしいざ終業後クラスに行ってみたら、肝心の今日の授業の分の予習を全くしていなかったことに気付き、はて今日のテーマは何だったかあわててマトメのところを盗み見。良かった、難しいところじゃなくて。今日のチェックテスト担当はいつものクラスの先生だったのでリラックスできて無事パス。あーあと1unitでおしまいだ!長かったよー3ヶ月。
_ 今週TTT見に行くんだ!ホント?チケット買ったの?ワオ!と、先生と2,3人でローカルに盛り上がる。
_ 何週間か前『ロマネスクの教会堂』を見ていて、私はこれが好きなんだ!と深く納得して、その途端「そうだっ、またフランス語やろう!」なんて思ってしまったのだ。高校生の時自由選択科目と称して週1時間、1年間だけやったことがあるので、これはフランス語である、と言う程度にはわかる(<とは言わないか)。でイギリスとフランスの教会巡りをしたいなあ。
_ いっぷうも二風も変わった監獄で終身刑の囚人が語る「ねじくれた骨」は、コワイ。そして「骨のない人間」も。このカーシュという人は一体どういう人?淡々としてどこか古風な匂いがする。この独特の、自ら描いている対象との距離の取り方は、作者本人の、周りとの距離の取り方に相似しているのだろうか。
_ 訳者である神宮輝夫が丁寧に作者と作品について解説している。大変面白そうなので原作が手に入らないかなと思う。ただしかなり古い人。調べてみたら、うーむ詩はいくつか手に入りそうだけどあとは余りないわねえ。
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ジェイムズ・リーブズ/『月曜日に来たふしぎな子』/岩波少年文庫
リン・ティルマン/『ブックストア』/晶文社
W・G・ハモンド、C・スカル/『トールキンによる「指輪物語」の図像世界』/原書房
大石五雄/『知っておきたいイギリス英語』/平凡社新書
_ 足のむくみがひどいというデイサービスからの連絡で、すわ腎臓か?と、とりあえず内科へ。診察では見たところさほど重篤なものは認められず、運動不足か、いつか足をくじいたせいか?念のため、足と胸のレントゲン、心電図、血液検査をして見ましょうとなった。むしろ、どうやらパーキンソンの症状が見られると指摘され、来週神経内科を受診することに。今日は混みすぎていて、割り込みの診察がムリだったのだ。ああー、半日で終わるかと思ったが、母を家に送り届けたらもう4時近かったよ。うへー、アルツにパーキンかい。また来週診断結果が出たら、ケアマネさんとご相談せねばなるまいな。
_ 6話からなる短編集。表題作は、マンデーという名の、おかしな女の子の話。どこからかパン屋さん一家にやってきた小さな女の子マンデーは、嫌いにまではなれないのだけれど、筋金入りのトラブルメーカーだ。こぎれいできちんとしているパン屋さん一家は、彼女を引き取ったばかりに、おもちゃは壊れる、ものはなくなる、編みかけの毛糸はぐちゃぐちゃになる、と引っかき回されっぱなし。マンデーは度重なる悪さを叱られ、いさめられて泣いてもすぐに笑って「だってもめごとが大好き」といわずにいられないのだ。妖精でもなく、かといってシリアスな訳ありの子でもなく、いったいこの子は何なんでしょう?いなくなると淋しい、悪たれ心の化身なのね。
_ 「おばあさんと4つの音」は、自然とフィリパ・ピアスを思い出しながら読んだ。あの人なら、隣の親切な大工が古い家の4つの音(実はドアの精、床の精、窓の精、そして小ネズミ)を直そうとやってきても、このおばあさんのように機転を利かせて大工の機嫌を損ねずに上手に4つの音と折り合って行くだろうなあと思った。窓から差し込む月の光を浴びながら、妖精たちと小ネズミが一緒にささやかな夜食をとるシーンが夢のよう。
_ 「水兵ランビローとブリアタニア」は、瓶に仕込まれた帆船の上で望遠鏡を覗き続ける小さな水兵と、ひっくりがえすと雪が降るガラス玉の中の家に住む小さな少女の、ほのかな恋とも言えない恋。
_ 「エルフィンストーンの石工」は、トム・ティット・トットのバリエーションだが、とっても完成度が高くてふしぎな味わい。仕事の報酬を得る代わりに名前を当てられてしまった小さなエルフの石工は、そのままの姿で石になって、あたらしい教会のガーゴイルになりましたとさ!
_ 「フーの花瓶」は、私たちの世界のような音楽がなかったチェンの国が舞台だ。花瓶を叩いて出す音が彼らの音楽で、年に一度花瓶つくりのコンテストが行われ、最も優れた焼き物師には、音楽を心から愛するロー・イェン王女から褒美が授けられる。不器用な焼き物師フーは、王女の美しいほほえみが見たい一心で3年間花瓶を作り続けるが、あまりにひどいものしか作れないので、法律により牢にとらわれてしまう。所がその後ある少年が、捨てられたフーの花瓶のかけらで楽器と新しい音楽を発明したので、フーは許されて焼き物作りに励むことになる。牢から出されたとき王女はフーにほほえみながら花瓶のかけらのお礼を言ってくれた。その後も仕事場へ来てほほえみながら話すことはたびたびあったが、「そのときの王女の愛らしく美しいほほえみを、フーはしかし、二度と見ることはありませんでした」と結ばれる。
_ 「11羽の白い鳩」は、みんながのんびりのんびり暮らしている国、谷間王国でのこと。レックス王とツボミ女王には5人の王子と一人の王女があった。長男のハイタカ王子が隣国の大学に勉強しているほかは、どの子どもたちも未だに何も身につけていない。ただそれぞれがたのしく楽器を弾いたり、踊りを踊ったり出来るだけ。さてあるとき信頼していた重臣がハイタカの名を借りて革命を起こし、国王夫妻は逃亡生活を余儀なくされる。が、それまでの間に旅芸人としてへんぴな地方で楽しく暮らしていた子どもたちと巡り会って、また楽しく暮らす。冬が過ぎ春が来ると共に、革命も終わって国王に戻って欲しいという報せがやって来る。昔話風なのに、革命というのが面白いし、それでもやはりのんびり楽しく美しく話が進んでいくところが独特だ。自由に飛び回ってのんびりの象徴のような11羽の鳩は、スパイの通信手段だったとさ。アン・ローレンスの『アンブラと4人の王子』が自ずと思い出されるが、こちらに触発されたと言うこともあるかも知れない。
_ いずれもアーディゾーニの絵の魔法のフィルターがかかって、面白さは倍加している。作者は1909年〜1978年に生きた人。
_ ううむ、表題作はなかなかに、時空を越えてしかもホラーの味わいあり。魂だけではなくてフィジカルにも【食人】?この人の作品は、マジックリアリズムの香りに加えSF的アイデアがふっと表れるなど、ジャンル的にも文学史的にも微妙な位置か。大変気に入っていますハイ。何というか、次第にじわじわとあぶり出し風に話が広がって行く形式が、実に好奇心をそそることになっているのだ。短編の醍醐味。
_ シネコンで2時からの吹き替え版を見た。いきなりバルログだぁ!そして戦いに次ぐ戦い。セオデンに涙した。「予は何者であろう」のくだりとか、もうめろめろ。
_ 以下ネタバレ御免。
_ 北イシリエンの美しさをもうちょっと表して欲しかった。戦闘に対比するオアシスのようなシーンとしても、ラブシーンではなく、こうしたほんのひとときの平穏を丁寧に描いて欲しかった。ファラミアは、やはり高潔さを体現させて欲しかった。配下の者達もちょっと目つき悪かったぞ。あのエオウィンがなびくとは思えないなあ。あ、せっかくサムが作ったうさぎ肉のシチューはどうなっちゃったんだろ。
_ もーっと長くしてくれえ。私の脳内指輪物語とはもう別物だなあ。大体「二つの塔」がアイゼンガルドとバラド・デュアというのが許せん。どうせだから、この際出来るだけ原作を変えないでそのままにして欲しかったものぢゃ。角笛城での勝利の経緯もそう。エントについては保留。
_ とは言え、ローハンとエドラスをこの目で見ることが出来るなんて、とか、全く脳内と同じヘルム峡谷!とか、あれとかこれとか嬉し泣き(T.T) 「な、投げてくれ」byギムリ、お笑い担当ですか。レゴラスのスケボーシーンは、実際にやったのかなあ。彼が馬に飛び乗ったところは笑った。アラゴルンは次作ではちゃんと死者の道を行くのだろうか?どう描かれるのだろうか。
_ ゴラムについては聞いていたとおりであれはあれで非常によい出来だと思うが、長い年月を経てホビットたちとは異質な部分の方が多くなっているはずで、その中にホビットと似たところがあるという、原作にもっと即した描き方であれば良かったのに。
_ 全体にアラゴルンかっこよすぎ。肯定的にも否定的にも。崖から落っこちてアルウェンを見るところは不要。
_ 予告編で「マトリックス リローデッド」「マトリックス レボリューションズ」をやっていたので、エルロンドが、まんまエージェント…。
_ サムよサム、それにしてもサムが詩人になって行くのを入れて欲しかったぞ。終盤の彼のセリフは素晴らしい。ああ〜字幕版が楽しみ。やっぱり生で俳優の声を聞きたい。そう言えばギムリは木の鬚の声も担当しているのだそうだ。
_ などなど、いろいろ。
_ ウィリアム・クリスティ&レ・ザール・フロリサン@オペラシティ(マチネ)。ああ今日のはほんとに楽しかった。座席が先日と通路を挟んで中央ブロックにうつっただけなのに、オケの音がまとまって聞こえたのは驚き。先日はヴァイオリンはヒロさまの音ばっかりだった。ちょっとだけ、不調にお見受けしたけれど、また明日は移動日であさってはシンガポールなのね。TV放映(4月23,24日)でヒロさまの知名度が上がって次回はリサイタルが実現できますように。せっかくヘンデルのソナタ集のCDが出たというのに、リサイタルを企画しないとは許せん>誰に言えばいいやら
_ おとといから、HTMLのリストタグの表示が変だと思っていたら、昨日、以前にも一度あった症状、ウィンドウタイトルバーの最大・最小化、元に戻す、閉じるなどの記号が数字になる、スクロールバーの▲などがやはり数字になる、などの文字化けが起こった。以前に一度この症状が出たときは、パソコン自体が不調で日を経ずしていかれちゃったので、どうやって直ったのか、そもそも直したのかどうか記憶にない。「MS タイトルバー 文字化け」で検索してみたら、良くあるトラブルとのことで、ttfCacheというファイルが壊れたためだそうだ。safeモードで立ち上げてそのまま再起動すれば良いという指示で、確かに一発で直った。よかったー。
_
J・G・フレイザー/『初版 金枝篇 下』/ちくま学芸文庫
ベッティーナ・ヒューリマン/『ヨーロッパの子どもの本 上』/ちくま学芸文庫
シュティフター/『森の小道・二人の姉妹』/岩波文庫
茅田砂湖/『デルフィニア戦記 第T部 放浪の戦士1』/中公文庫
緒方貞子/『私の仕事』/草思社
フジモトマサル/『長めのいい部屋』/主婦の友社
_ ヒューリマン『ヨーロッパの子どもの本』は、以前福音館から出ていた『子どもの本の世界』の改題・文庫化。この親本は、高校2年になった四月、新しいクラスの私の机の中に入っていた。どうしてわざわざ私のところに?と驚くやら嬉しいやら。どうやら前年のそのクラスが、文化祭の発表に使った参考書だったらしく、誰の本というわけでもないからと私がもらっていいことになり、今も私の本棚にある。カラーページに出ていた愛らしいうさぎの絵が、そこでは「ピーターうさぎ」と訳されていたが、ご存じピーターラビット。福音館から邦訳出版されるよりだいぶ以前の話である。
_ ネットバンキングを申し込み、さて最後に契約者番号(ログインに必要)が表示されたので画面を保存しようと思った瞬間、タイムアウトで画面が消えた。がーん。これ、ひどい。書面の手続きなしに今すぐサービスが利用できる、と言う触れ込みで、しかも別段途中で手間取った覚えはないのに。結局カードが郵送されてくるまでログインできないじゃないかあ(怒)
_ 職場でおそるおそる組み立て始め。ちゃんと親切なはずの組み立てマニュアルがついているのだが、マザーボードの仕様が変わったらしくマニュアルと全然違うぞよ。CPUもファンも説明と全然違う。結局英語のマニュアル(と日本語の歩くマニュアル)と首っ引きで。これまでMacのメモリー増設を2,3回したことしかないので、部品を見ても「これはなに」状態だ。明日配線の予定。煙が出ないことを望む。
_ コニー・ウィリス『航路』が、福音館の月刊誌『母の友』3月号の書評欄で取り上げられている。「トンデモ本」という言葉が云々とか、ちらっと訳語にモンクもついていたが、総じてべた褒め。おおこんな所でも、と思ってしまった。
_ 『砂の妖精』『火の鳥と魔法のじゅうたん』に続くシリーズ第三弾(図書館本)。あのサミアドが、何ともお気の毒にペット屋の檻の中に。そこへ件のきょうだいがたまたま店をのぞきに来て、無事サミアドを助け出す(ちゃんとお金を払って買うのよ)。偶然のように見えてきっとこれはサミアドと子どもたちが別れたときの「また会えますように」のお願いが叶ったのだろう。こうしてまた子どもたちの日常に魔法が戻ってきた。けれどこの前サミアドと別れるときに、もうサミアドは彼らの願い事は叶えられない、ということになってしまったので、これから子どもたちの願いを叶えるためには特別な「魔よけ」がなくてはならない。サミアドは、ついこの前それを見かけたと言う。さてどうやって手に入れたら…?
_ また訳者が違うためか、子どもたちの言葉がえらくお行儀良い気がする。しかしこの魔法の約束事は、ややこしいね。ネズビットの流れをくむイーガー『魔法の湖』などでもそうだった。
_ どうもいけない。日中ふと、くらぁっとくる瞬間が数回。夜、次男を寝かせると同時につい枕に頭をつけたら、次は朝だった。
_ 娘はもとカレと(決裂したわけではないので)時々メイルのやりとりをしているが、「あ、これオカンに伝えて」と言ってきたことがあるそうだ。何かと思ったら「乙一を教えてくれて、ホントありがとう」とのこと。以前娘が、なにか面白い本がないか訊かれたと言うので、ミステリ、ホラー好きというなら小林泰三とか乙一とかはどう?と手許にあったのを何冊か貸したのである。その時は、それなりに面白い、という感じだったらしいが、この頃最新作を読んでとっても面白く、そう言えば、と前のも読んでみたらとても気に入ったそうだ。「薦められなければきっと知らなかった、教えてもらって感謝」とのこと、あー薦めてよかった。「じゃあこんどは舞城王太郎をおすすめしなさい」と娘に言っておいた。
_ 月曜の午後に一通り組み立て、今日の午後に配線を済ませ、いよいよ通電。歩くマニュアル氏、私が最後に確認してくれと頼んだのに「いいんじゃないですか。煙が出ておしゃかになるだけですよ、ハハハ」でおしまい。さてディスプレイやらキーボードやらを繋いで電源もさした。歩くマニュアル氏「白い煙がもくもく出ないか見ててね。いくよー。パチ」と正面の電源オン。どきどきどき。…あれっ、うんともすんとも言わない。と思ったら「すいません。後ろのスイッチオンにしてなかった」もういちど「いいですね。いくよー。パチ!」…よかったー、煙も火花も何事もなく、動いたっ。その後も順調に動作し、デバイスも認識され、無事WindowsXP機としてめでたく使えるものとなりました。でもね専用のディスプレイがないの(;.;)
_ サミアドが見つけた「魔よけ」は、片割れだけだった。もう半分を捜さねばならない。そのため子どもたちとサミアドは、片割れの魔よけ(魔法の言葉で時空を繋ぐアーチ型の門になる)で、空間ばかりか時間の旅に出掛ける。エジプトへ、バビロンへ。このバビロンのちょっとおっちょこちょいな女王がいい。現代のロンドンへ現れて大騒ぎを引き起こす。そう、まるでナルニアに出てくるチャーンの女王ジェイディスのよう。でもこちらの女王はとっても可愛いのだ。
_ 子どもたちの家の階上に住んでいる考古学者の先生は、アンシアから実際に行ってきたエジプトやバビロンの話を聞かされるが、内容があまりに詳しく真に迫っているので、アンシアがテレパシーで自分の知識を読みとったのか、あるいは自分が夢を見ているのかと思ってしまう。さて今度は、子どもたちはアトランティスへ行くらしい。
_ やっとアガリ!もしかして私が行っている教室では一番にあがったのかも(ほら某大手スクールだから)。途中で放棄する羽目にならなくてよかった!頭真っ白になったときの先生が、「おめでとう〜!ほれ、ハイ・ファイブ!」と言う。「ハイ・ファイブって??」おお、ハイ・タッチのこと。さて3月にはTOEICだが、これまでに受けたことないのだ。それからメインのテキストは最も苦手な仮定法、これも覚え直さなくちゃ。
_ 職場の同僚が、Perl、どうせならプログラミングを「ちゃんと」勉強しなさいって(;.;)
_ 午前中先週の内科検査結果&神経内科受診。どちらも「問題はあるけど、大したことない」で経過観察となった。ほっ。職場の1時からの会合予定に15分遅刻で滑り込む。
_ 病院で順番待ちをしている間中暇な母はそれでもゴキゲン。酸素ボンベのカートを引いている人にニコニコ「こんなお荷物引っ張って歩って大変ね」案の定言われた人プイッとそっぽを向く。後ろのベンチの老夫婦、やたらに威張りまくってがみがみ叱りつけるご主人にむかって奥さんが何度「それは失礼しました、これから気をつけます」と頭を下げたことか、それが耳に入った母、「あ〜ら、××って言ってさっきからあんなに怒ってるのよ、あの人。おっかしいねえ」と大きな声。隣の老人が手帳とお札を数枚重ねたものを取り出して整理しているのを見て、「ホラご覧なさい、隣のおじいさん、あんなに大金持ってるよ、ほらこーんなだよ」と1センチほど指先で厚みを作る。職員で小人症の人が通ったのを見て「あらっ!」と好奇心丸出しでじっと見送り「見てご覧なさい!あの人あんなだよ、何だろう!」と指さす。疲れた。
_ でも帰る道々、と言うか家まで送り届けたら半分ケンカ。相手は「ボケ老人」なんだけどね、「運動不足だから安心して散歩に出られるようにヘルパーさん頼もうね」と言えば「毎日ちゃんと散歩してますよ!」(<事実に反する)とふくれる、「ごはんだって自分で作ってるでしょうっ、買い物だって行ってますよ」(<電気釜でごはんだけは炊けるがほかは壊滅、お財布方面も壊滅)、掃除など頼んでいるヘルパーさんのことを「あんな人来たっていったい何やってくれてるのよ」(<部屋とお風呂とトイレの掃除、お布団干し、シーツ替え、ゴミ出し、インコの世話、その他一般、母はその後ろをついて歩いてしゃべり続けている)、「頼まなくたって病院なんかいつも一人で行ってますよっ、誰が一緒に病院に行って頂戴って頼んだのよ」(<ここ2年近医にも行ってないし、場所もわかんないから行けない)、とにかく呆けるリスクの最も高い種類の人なのだ。持ち上げても下げても、悪い方の受け取り方へ行き着いてしまう。昔から「人の世話になりたくない、迷惑かけたくない」と言い言いしてきたのだが、実際はプライドが高く意地っ張りでヘルパー拒否、老人会をはじめ集まり大嫌い、人付き合い大嫌い(ホントは好きなのに)、etc.,で、人に迷惑かける方向(呆けになる方向)まっしぐら。以前は「最新の研究では健康に(とかボケ防止にとか)これこれがいいんだって」とよく言っていたのにいまでは「年寄りをバカにして。研究材料にしないで頂戴っ」と言う。今思うと、こう言い始めた頃がボケ始めだったのかも知れない。
_ ぼうやと一緒に転地療養しているおかあさんと、戦地に行ってしまったおとうさんに、一日でも早く帰ってきて欲しい4人のきょうだいたち。その願いを叶えてくれるのは、完全な形の魔よけだけだ。半分の魔よけの力でエジプトへ、バビロンへ、アトランティスへ、とあちこち時空の旅をするが、どこへ行っても魔よけのあと半分を手に入れることが出来ない。そればかりか、古代エジプトの神官が、彼らと同様魔よけの片割れを探し求めていることがわかる。この二つの片割れずつを合わせれば完全な魔よけとなるのだろうか?それがビックリのどんでん返し。そしてさらに、子どもたちの世界へ連れてこられた神官と、子どもたちの上階に住む学者先生は…。
_ 20世紀になるかならないかの時代のこと、ぶっ飛んでいるとは言えネズビットは当時の価値観に確かに縛られてはいて、鼻持ちならない部分や、書き飛ばしているのだか手抜きだかの部分もいっぱいあるのだが、やっぱりそれより面白い部分の方がずーっと大きい。『砂の妖精』そして『火の鳥と魔法のじゅうたん』と比べてさえもこの『魔よけ物語』は、時間(歴史)の深淵にひそむ闇を実感させる点で前作とはずいぶん異質なものになっている。どこかから新訳希望。
_ 「世界不思議発見」で、「ロード・オブ・ザ・リング」(;.;)にかけてニュージーランドを取り上げていた。バルログを怪獣呼ばわりするのもずいぶんだけど、しばしば気になったのが、あたかもニュージーランドを舞台として指輪物語が生まれたかのような物言いだったこと。あれは許せん。
_ じつは、近く短期間娘とニュージーランドに行こうと画策していたのだが、どうしても娘と私の都合が合わずボツになったところなのであったよ。しかしまだボツになる前の段階のこと、旅行社に出してもらったスケジュールが希望に合わず、これは、あれは?といろいろ聞いてみた。担当の女性からはしかしほとんど何も提案がなく、ただこちらが訊くのに対し「どうしてもそうなってしまいます」「それしかありません」「それは無理です」と言うだけで、「ではこうしたらどうか」「こういう案もある」などの発言は全くなし。一番笑ったのは、「このパンフレットによるとこの曜日の到着時刻は何時となっているからそれを使えばこちらの希望が容れられるのでは」と電話で訊いたとき「そんなはずはありません、間違いだと思います」と返事するから「でもほかのコースにもそう書いてある」と言ったら「…印刷間違いだと思います。」と言いきったこと。埒が明かないので、いくつかの条件を提示して、とにかくそれに近そうなものを何案か捜してファックスして下さいと頼んだ。はい今日中にファックスしますと言ったはずだよお姉さん。所がそれきりウンともスンとも連絡がないので、その翌日娘と「全然役に立たないから旅行社を変えよう」となったのだ。ところが残念、急に日程の目処が立たなくなっちゃってボツに相成ってしまった(;.;) 旅行社からはその後今に至るまで電話も何もないまま。普通、旅行社の仕事とはこんなものなのか?今回は電話代くらいで実害はないし、日程的にボツにならなかったとしてもさっさと旅行社を変えればよいだけのことだけれど、約束した仕事を途中放棄するなんて商売としては支店長出せと言ってもいい位のお粗末さだと思うよ。これはHIS・池○支店です。
_ 先日娘に何か面白い本はないかと久しぶりに言われたので、これっきゃないでしょうと(指輪ではなく)ライラシリーズ、高楼方子、上橋菜穂子をすすめた。どれもみな分厚いので、気圧された様子で「こういう厚いのは持って歩けないんだよ、わかるでしょ」と言う。ひるまず「でも面白いって!ママは毎日職場に持っていって読んだよ!これはオックスフォードから始まるよ」と『黄金の羅針盤』を渡したら、ヤレヤレと言う雰囲気だったのが「ン?イギリスの?」と手にとって読み始めた。しばらくは「何だかよくつかめない」などと言っていたが、翌日には大半を読み終えたらしく、「面白い!でも難しい」と言う。「でも途中でやめられないでしょ?」「うん」やたー!これで鳥姫伝&霊玉伝に行ってくれたらいいのだけれど。
_ 先週借りた図書館本のため先に消化しなくてはならない。ええい勢いだ、ネズビット頑張って読んじゃおう。まだ未読がいくつか。
_ 本公開後初めて行く。朝10時からの字幕版で、開始の頃にはほぼ満席の模様。チケットは先週買っておいたので、ど真ん中の一番いい場所だった。そのせいか、周りでは要所要所で鼻をすする音、涙を拭くらしい手の動きなど。またセオデンとサムで泣いちゃった。やっぱりエドラスと、ローハンの広野の風景は素敵。
_
以下ネタバレ御免。
・城壁の門を守る中に大写しのPJを確認。アラン・リーはわからない。
・やっぱりハマ、素敵なだけに消えるの早すぎ。
・白の魔法使いがアラ・レゴ・ギムの前に姿を現すところでは、サルマンとガンダルフの声が二重になっているのね。吹き替えではよくわからなかった。
・エドラスの民が避難するあの洞窟は、燦光洞なのか?そう思ってみると、確かに左手前側がきらきらときらめいているシーンがあったのだが。燦光洞はどこかほかにあると思いたい。
・ええとサムはうさぎ肉のシチューを火にかけっぱなしにしていたと思うのだが(つまり料理中)、その後引っ立てられるときに全部荷物を身につけていたのかしら、料理道具を初めとして(;.;) 帰宅してもう一度プログラムの写真を見たら、鍋・フライパン始めちゃんと旅の荷物を身につけた状態でファラミアの郎党に引っ立てられているようなので。次回要チェック。
・オスギリアスでフロドがナズグルと相対する場面は如何なものか。などなど。
2回見たら余計また見たくなった。ぎゅうぎゅう詰め込んであるので結構咀嚼するのが大変だ。
_
ところで2ちゃん本スレ(ロード・オブ・ザ・リング/指輪物語 第44章)から
966 :名無シネマ@上映中 :03/02/22 22:03 ID:Q5NfASEs
21日東京新聞夕刊の紹介
「映画は煩雑な前作のダイジェストを省略、
拉致された仲間たちを救い出すためホビット族のフロド達の
尾根越えから幕が開く。
彼らはさまざまな勇敢な種族を束ねるアラゴルンと連携して、
冥王サウロンの手に渡れば世界が破滅する指輪を打ち壊すための旅に出る。
クライマックスは、サウロンの暗黒の塔バラド=ドゥアと、
魔法使いサルマンの塔オルサンクを、アラゴルンの率いる大軍勢が
攻略する大合戦シーン。・・・・・(後略)」
・・・苦労したのね(笑)
_ 『MOE 3月号』/白泉社
_ 6ヶ月続いた井上直久・イバラードの見開き書き下ろし作品集中連載の最後の号。
_ 昼前からおなかがマジで痛くなり、どーしよーかと。たぶん風邪だと思う。実際には熱はなかったが、痛さのせいか熱感がある。ショールを腰に巻き付けて過ごす。ちびちびお茶を飲むだけ。
_ ついつい見てしまった、マイケル・ジャクソンの特番。怖〜。MIBで「じつはエイリアン」の一人として出演?していたが、まさにピッタリだ。まあ彼の肩を持つわけではないが、死ぬほどお金があったら、私も遊園地の一つくらい持っていたいと思うかも知れないし、仕事しないで木登りしているのもいいと思うよ。ナレーションではしきりに言っていたが、別に44歳の大人が一日木登りして喜んでいたって、それ自体は全然変じゃないと思う。しかし彼の場合はあっちもこっちもどう見たって普通ではないわけで。どこかティム・バートンを思いおこした。彼の「子どもたち」は一体どんな風になっちゃうんだろう。所でおなかが結構出てませんでした?などと思いつつ不調のためいつのまにか途中で墜落睡眠。
_ これはファンタジーではなくて、バスタブル家の6人きょうだいの日常そのものを描く。おかあさんはいなくて、おとうさんは仕事に忙しく、しかも経済的に困窮している(と言ってもちゃんと使用人はいる程度)ために、彼らはとりあえず学校にも行っていないで6人で仲良く毎日を過ごしている。彼らなりに何とか苦しい生活の足しになるようにと、庭を掘って宝を見つけようとしたり、新聞に詩を売りこみに行ったり、様々な手を考えてお金を手に入れようとする。それが非常に「子どもらしい」手段なので、お話にもなるわけである。しかしきょうびさすがに彼らの発想、遊びの程度というのはどうにも現実味がなさ過ぎるなどのマイナス点の方が大きくて、正直なかなか先に進まない。もちろん面白い部分もあるが、ただ惰性で筆を進めていたのじゃないの、と感じられるようなこともしばしば。ネズビットの本領はやはり思いっきり羽目を外した『砂の妖精』シリーズのような所にあるのだろう。
_ 黒門=くろもん、灰色港=はいいろこう、だと疑いもせずに読んでいたけれど、2ちゃん方面でそれぞれ「こくもん」「はいいろみなと(映画ではこう言っていた)」だと思っていたという複数の声を聞いてしまうとうーん言語感覚、というより言語経験の差かと思う。本の中の読みばかりでなく、御中=ごちゅうとかなんとか、続柄=ぞくがら、とか聞いてしまうとそれこそ萎え萎え。関係ないけど「ダイ アナザデイ」という感じに区切って言うのだろう題名が、どうしても「ダイアナ ザ デイ」に聞こえたり。先日娘がFMを聞いて「あーどうしてフ【ア】ンて言うんだろう!フ【ァ】ンでしょうが!アナウンサーなのにちゃんとしろ」と言っていた。今時パーテーという若い人はいないだろうに、フアンというのはよく聞くのだ。エンターテ【ィ】ナーというのも大あり。
_ だいぶ飽きた。
_ 朝起きる頃、夢を見ていた。悲しいかな中味は思い出せないが、頭の一部がまだ夢の国にいるようで一日じゅうそちらに引き込まれそう。眠いというのとはちょっと違うのだが、時間の感覚も何だかおかしい。これからお昼のような気がして時計を見たら午後3時頃だったので軽い驚きを覚えた。夢の中の時間の流れに同調しているのかもしれない。お昼を食べる(た)のを忘れていたわけではない、仕事と本読みをチャンポンにしながらパンをかじっていたので、区切りの印象が薄かっただけであるが、それにしても。
_ 山のてっぺんに住んでいるゆきだるまの「るん」と「ぷん」、朝起きて先に青い帽子をかぶったのが「るん」になり、赤い帽子をかぶると「ぷん」になる。ある朝青い帽子の取り合いになって…。
_ 町の空き地に立っている雪だるまは、どこからか流れてくるピアノの音が大好き。あるときピアノの音の主の女の子が現れる。春が来て溶けてしまった雪だるまは、また冬が来て新しい雪だるまになって、女の子に再会する。
_ いたずら心でいっぱいのおばあさんが作ったいたずら心いっぱいの人形チョロップは、気むずかし屋のキムズカ一家のもとにやってきた。犬のシロと一緒にちっちゃないたずらをあれこれするうちに、一家の人々も少しずついたずら心を発揮し始める。たかどの節、本領発揮!
_ 子どもたちは、あれこれとお金を作る算段を試しては結局どれも実を結ばない。ひょんなことから知り合った「まずしいインデアンのおじさん」を食事に招く。それはじつは決して貧しくなどないばかりか、子どもたちと仲良くなり、おとうさんに協力して事業を建て直し(たぶん)、おまけにバスタブル一家を自分の大きな家に一緒に住むように計らってくれる。暮らし向きがよくなって、男の子たちはラグビー校に通うようになり、皆幸せに暮らしましたとさ。
_ かなり退屈したには違いないが、確かに面白い部分もいっぱいある。エピソードばかりでなく、きょうだいのうちのひとりが、誰が書いているか読者に隠して「わたしたち」と言ういい方で物語を進めているというスタイルは面白い。じきに誰が書いているのかはわかっちゃうのだけれども。また、退屈だけれど面白いと言う印象と同じく、内容的にもアンビバレントで、型破りな価値観と妙に型にはまってもったいぶった部分とが共存しているのが特徴だろう。後書きにあるネズビットの一生を見るとなるほどと思うところがある。言葉遣いや文体など、訳がやや古めかしい、いかにも昔の「児童文学」のスタイルなので、むしろ原文で読んだらストレートに面白いかったのかも知れない。色々な意味で、心から入り込むことは出来ない、白けてしまうところの多い作品だった。挿絵が、どうも妙に親しいものに思えて仕方なかったが、それもそのはず『トムは真夜中の庭で』でさんざん親しんだスーザン・アインツィヒだった。
_ 昨日の朝から、太ももの裏側の、身体をよじっても見にくいあたりが、小さいとげでも刺さったかのような痛みがある。いつもではないがチクチク、妙に気になる。今朝になり痛みを感じる部分が一直線上に増えている。も、もしやこれは帯状疱疹の始まりか?いやだー、娘がおなかにいるとき、母が帯状疱疹になり、胸〜首〜顔〜頭と水疱が出来て、それも大変だったらしいが(私はまだ水疱瘡にかかっていなかったので、医者から母の所に行くのを止められた)、治った後の神経痛に何年も悩まされ、難儀だったようである。冬など、額のあたりがそれこそ風に当たっても痛いと言うような有様。その記憶があるので、慌てて皮膚科を受診した。幸か不幸か発疹がないので確定診断は出来ないが、抗ウィルス薬を服用することになった。何でもないことを希望。長男曰く「神経痛なら年のせいだ」(;.;)
_ 3ヶ月続いたチェックテストから解放されたので、本来のテキストの方に集中できるはずだが…最も苦手な仮定法が続く。どれがどれやら区別が付かないのは高校時代と変わらない。
_ またTTT話で盛り上がるが、指輪物語を知らない生徒に向かって先生「このクラスにいる人は必須!」と真顔で薦めていた。
_ ところが、この先生、せっかく3ヶ月間楽しくやってきたのに、また故郷に戻っちゃうんだって。また新しい先生になるのかと思うとうんざりだよー。もう一人の、大変きっちりして気に入っている先生も辞めちゃうのだ。
_ 終わり三分の一の「時計収集家の王」「狂える花」「死こそ我が同志」が、注意深く並べられた短編集のクライマックスを形作る(ほれ、美しい庭のように)。「時計収集家の王」は時計という言葉から想像されるように自動人形の話である。いずれも微妙にかつ確かに今の現実とシンクロしていて不気味さを感じる。というのはむしろ現実の方に感じるのであるが。止めようにも止められないと言う状況の恐ろしさが3作に共通している。「狂える花」の最後は、『ジェイン・エア』だし『レベッカ』だし、それらの凄惨さが二重写しになって、書かれているよりも余計に印象が強いのかも知れない。
_ 振り返ってみてどの作品もいずれ劣らず、多彩で独特で、タフだ。白眉は巻頭の「豚の島の女王」あるいは表題作だろう。「時計収集家の王」、「骨のない人間」「ブライトンの怪物」も気に入っている。
_ また18世紀イギリス。アン・ローレンスではありません念のため。
_ そちらも事情を十分知っているのだからもう少し待ってくれ、のように理解を求めることも、時には相手への甘えであることを、また気付かされる。「また」と言うところが我ながら情けない。指摘してくれてありがとね>同僚
_ ロンドン子のジョンは、帆船アイル・オブ・スカイ号の船主である父と共に初めての航海に出た。イタリア、トルコ、スペインで荷を積み、プリマスへ戻ろうとする矢先、嵐に追いつかれる。夜明け前に船底が浸水し始めたとき、陸の信号灯を見つけそこへ逃げ込もうとするが、逆に座礁して難破してしまう。ジョンは海岸に打ち上げられる。しかし難破船の様子を見に来たその土地の人々が何らかの理由で生存者を殺すつもりであるのを知り、辛うじて逃げ出す。じつは彼らはレッカー(wreckers 難破屋)、難破しそうになって海岸近くへ来た船を、偽の信号灯によって確実に難破させ、その積み荷を奪っているのだった。村へ逃げ込んだジョンは、太股から下がない男につかまり、その仲間に殺されそうになるが、あやうく土地の実力者モーガンに助けられる。モーガンこそがレッカーの首領なのか?
_ 同じく命は助かったが、レッカーによって海辺の排水溝の中に監禁されているジョンの父は密輸に手を染めていたのか?彼ら父子をつけねらうレッカー勢力と、モーガンの関係は?モーガンの姪メアリーとジョンは、それぞれにモーガンの真の姿に疑問を抱きつつジョンの父を助け出そうとする。ただでさえ暗い舞台に、古代のドルメン、青白い死者の灯、絞首刑の死体、舌を切り取られた不気味な男、教会の窓からじっと見下ろす聖者の像たち、迷い込んだ船を確実に難破に追い込むと言われる魔女のようなウィドーのばあさま、と言った道具立てが緊張と不気味さをいや増す。
_ ストーリーは父の救出とレッカーたちの最後まで、ほぼ3日間のジョンとメアリーを息もつかせずに追って緩みがないので、ほとんど一気に読み終えてしまった。この作品もまた18世紀を舞台としており、このレッカーは歴史的背景があるそうだが、筆致は現代的なので読みやすく面白い。コーンウォールという厳しい土地柄が生んだレッカーという違法行為を、痩せた荒野と岩を噛む波しぶきの描写が強調し、読後も波しぶきと雨でびしょびしょになった心持ちがなかなか抜けない。作者は、イギリスではなくカナダ生まれの人。これは三部作(High Seas Trilogy)の第一作で、"The Smugglers "、"The Buccaneers "と続いているとのことだ。読みたいっ。
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