100エントランス
(**更新情報**)

00よにん
01詩1(80年以前)
02詩2(80年以降)
03雑誌1(6.70年代)
04雑誌2(70年代)
05雑誌3(80年以降)
06雑誌登場編
07『芸術一番館』
08『東京25時』
09『小説マガジン』
10冷し中華関係
11全日本冷し中華祭り
12『ニャロメ紳士録』
13漫画
14書籍1(90年以前)
15書籍2(90年以降)
16書籍登場編
17ジャズ
18『SAKATABOOK』
19昭和なつかし関係
20『δ』
21『gui』
22『vou』と北園克衛と
23別名編
24レコード
25映画
26イベント1(主に詩)
27イベント2(主に音楽)
28ジャックの豆の木
29ソークメナーズ
30日本満足問題研究会
41
42グラフィック
43写真秘宝室
....
95リンク室
96奥成達小辞典
97略歴
98略歴副読本
99閲覧方法

........................
ここにあるのは、
奥成達氏の著書及
び寄稿した雑誌、
関連書籍などのご
く一部です。
詳しくは資料室エ
ントランスをご覧
ください。
........................

まことに勝手なが
ら、皆様の敬称を
略させていただい
ております。
誤字脱字など発見
の折にはご一報を。
........................
資料室へメール
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■□ 29_ソークメナーズ □■

資料室注:「ソークメナーズ」とは、1976年、新宿にあった「ジャックの豆の木」にツドうひとたちが中心になって作った野球チームの名前である。まず「ジャックの豆の木」についてこちらで予習しときましょう。

ソークメナーズ会則(抜粋)、他

資料室注:『週刊サンケイ』(1978.8.31)の「草野球タイムズ」、『週刊大衆』(1980)及び下記『月報ソークメナーズ』に掲載されたものから抜粋してみます。

会則
第二条 酒場、仕事場、飯場、土壇場、修羅場、その他、奇しき因縁、前世の宿業、目に見えぬ糸で結ばれし会員が、草野球を通じて会員並びにその家族、一味郎党の親睦を図り、明朗健全なる社交機関たらしめ、併せて草野球の普及発展、明るい日本の未来づくり、健康の増進に努めることを目的とする。
第六条 入会の資格は、人種、性別、年齢、美醜、賞罰、身長、体重、職業、性的傾向、資産状況、動産不動産の有無など問わないが、入会後のあらゆる差別、誹謗、中傷、罵倒、雑言、嘲笑、悪口に耐えうるだけの健全な肉体と精神を自らの力で管理できる者に限る。
第十条 除名、資格停止は、
(1)酒気を帯びてグラウンド内に立ち入ったとき。但し、二日酔いはプレーに支障の有無で判断する。...
(5)応援にきた後援会員が声を出さなかったとき。
(6)バット、グローブなどの愛すべき道具、野球必需品を地面に叩きつけるような、非人道的な行為をしたとき。
(7)監督の逆鱗に触れたとき。
会則を作った理由
ヤジウマをなくし本当にやりたい人だけでやるため。(by奥成繁キャプテン)

月会費
正会員=千円、平日会員=五百円、後援会員=三百円、家族会員=寸志
チーム名の由来
ひっくり返すとわかるが、発案はタモリ。
モットー
自由業の人が多いでしょ。だから仕事はルーズになっても野球だけはマジメにやろう、がモットーなんです。(by川村年勝監督)
ユニホーム
1977年(結成一年後)に作り、志賀高原ビューホテルへユニホーム披露旅行を実施。

歴史
1976 
ジャックの豆の木あたりで、山下洋輔氏と奥成達らが言い出しっぺとなり発足
1977 
ユニホーム作成。「ユニホーム完成記念バス旅行」
1978 
1月 機関誌「月刊ソークメナーズ」発行。その誌上にて「ソークメナーズ・バンド」結成告知。
2月 スプリング・キャンプ(以後毎年恒例となる)。
4月 対少画チームに12ー8、5ー4で惜敗。
5月 「ソークメナーズ・ファミリー・バンド」結成。メンバーは青石有信(perc)、青野聰(fl)、朝倉喬司(perc)、伊原福富(tb)、岡崎英生(fl)、奥成達(tp)、奥成繁(fl)、川崎正(ds)、川村年勝(tp)、喜安幸生(g)、黒川博(as)、ケン・サンダース(fl)、関庸一(fl)、高平哲郎(b)、田村祐介(perc)、デニス・ファレル(key)、長谷邦夫(reeds)、中原仁(tp)、平岡正明(p)、藤本賢治(fl)、三田晴夫(ds)、山口明夫(uhp)/山下洋輔、坂田明、タモリ、河野典生。
7月 『面白半分』7月号より、山下洋輔セカンドの草野球エッセイ「野球は人をキチガイにする」連載始まる。
8月 対ドジャルス、8ー1で二勝目を飾る(一勝目は対ドランカーズ、2Xー1)。同八月四日、川村監督31才をむかえる。
9月 田村ゴロー選手、胆石で入院。奥成達選手の隣の狂女を見る会。同二十九日、吉祥寺「羅宇屋」にてソークメナーズ・ファミリーバンド初セッション。
11月 ソークメナーズ球団創設三周年及びソークメナーズ・ファミリーバンド結成記念などを含む「大記念大狂乱大パーティ」
1979 
1月 森戸海岸奥成達邸にて「ソークメナーズ中年大会」及び「新春囲碁大会」続けて「三角ベースの紅白試合」
11月 ソークメナーズ・ファミリーバンド、1st コンサート『ALL NIGHT JAM SESSION 』
不定期刊 冷し中華 第3号



1977.2.20
発行:全日本冷し中華愛好会(JAM RICE内)
定価:300円

p7 冷中番外地 わが愛すべきソーク・メナーズ 監督・川村年勝
...新宿はジャックの豆の木・A子嬢、奥成、山下諸氏の音頭により、最も品の良い酔客によって構成されたチームであります(勿論、タモリもはいってる)。


資料室注:『冷し中華』会報についてはこちらからご覧下さい。

資料室注:この翌年から、月刊会報誌「燃える男のエキサイト新聞」(↓)が登場。


月刊 ソークメナーズ 創刊号



1978.1.19
発行所:ソークメナーズ球団事務所”アクト”

内容抜粋
盛大に52年度納会/成績10勝4敗2引分け/愛の合宿第2弾!!海を渡るソークメナーズ/ソクメナーズ・バンド結成のお知らせ/より一層の飛躍をめざして選手に贈る、53年度、監督愛の指針。


資料室注:モノクロコピーで制作され、ダーマトなどで手彩色されたもの。

月刊 ソークメナーズ 2号〜10号



1978.3〜
発行所:ソークメナーズ球団事務所”アクト”

資料室注:その後、「原則として持ち回りで手空きの人間が製作する」こととなり、なるべく月刊をめざしながらゆるやかに刊行が続いた。当資料室には10号(1978.10.19)までが保管されている。

はらたいら無責任(?!)編集 がんばる 女の子におくる
プロ野球エキサイト新聞




1978(たぶん)
発行:不明

p16 新宿の飲み仲間が集まった ソークメナーズ 山下洋輔他
酒場、仕事場、飯場、現場、土壇場、修羅場などの仲間が集まってできた『ソークメナーズ』は、50年に結成。部員はただいま35名。ジャズ・ピアニストの山下洋輔、タモリ(一応部員)などのメンバー。...「真剣にやっていると楽しくなるものです」と監督の川村さん。...


大記念大狂乱大パーティの御案内



日時:1978.11.2(木) 23:30〜朝まで
場所:六本木ジャズクラブ「ピット・イン」
会費:3000円(もちろん飲み放題です)
主催:ソーク・メナーズ・ファミリー旅行団 代表奥成達、山下洋輔
内容:●「砂山」コンサート打ち上げ記念●ソーク・メナーズ球団創設3周年記念●山下洋輔エッセイ集「ピアノ弾き翔んだ」出版記念●奥成達詩集「古都」出版記念●ソーク・メナーズ・ファミリーバンド結成記念●赤塚不二夫独身生活7周年記念●スナック「ホワイト」2周年記念●白石かずこエッセイ集「スペースへ漕ぎだすもの」出版記念●タモリ芸能生活2周年半記念●黒川博久留米移転記念●高平哲郎27インチテレビ月賦購入記念●中原仁ヤクルトV1狂気乱舞記念●高信太郎相変わらず記念●赤瀬川原平エッセイ集「少年とオブジェ」出版記念●南伸坊おにぎり脱皮記念●坂田明処女出版晶文社より2月刊行決定記念etc

ALL NIGHT JAM SESSION
ソークメナーズ・ファミリーバンド、ファースト・コンサート




日時:1979.11.10(土) 23:30〜朝まで
場所:六本木ピット・イン
会費:3000円(もちろん飲み放題です)
主催:ソークメナーズ球団 代表/川村年勝、奥成達
選手:川村年勝、奥成達、中原仁、橋本克彦、黒川博、青野聰、山口泰、小林のり一、岡崎英生、川崎正、三田晴夫、田村祐介、青岩有信、赤塚不二夫、秋山道男、糸井重里、岩神光一、上村一夫、河野典生、高信太郎、宮崎三枝子、その他
審判:山下洋輔
※当日は飛び入り大歓迎です。ぜひ楽器持参でおいで下さい。