100エントランス
(**更新情報**)

00よにん
01詩1(80年以前)
02詩2(80年以降)
03雑誌1(6.70年代)
04雑誌2(70年代)
05雑誌3(80年以降)
06雑誌登場編
07『芸術一番館』
08『東京25時』
09『小説マガジン』
10冷し中華関係
11全日本冷し中華祭り
12『ニャロメ紳士録』
13漫画
14書籍1(90年以前)
15書籍2(90年以降)
16書籍登場編
17ジャズ
18『SAKATABOOK』
19昭和なつかし関係
20『δ』
21『gui』
22『vou』と北園克衛と
23別名編
24レコード
25映画
26イベント1(主に詩)
27イベント2(主に音楽)
28ジャックの豆の木
29ソークメナーズ
30日本満足問題研究会
41
42グラフィック
43写真秘宝室
....
95リンク室
96奥成達小辞典
97略歴
98略歴副読本
99閲覧方法

........................
注意
ここにあるのは、
奥成達氏の著書及
び寄稿した雑誌、
関連書籍などのご
く一部です。
詳しくは資料室エ
ントランスをご覧
ください。

........................

まことに勝手なが
ら、皆様の敬称を
略させていただい
ております。
誤字脱字など発見
の折にはご一報を。
........................
資料室へメール
........................



■□ 21_gui □■

(達度2=bookbar4販売部で買えるものもあるよ)

資料室注: 1979年に、藤富保男、奥成達、山口謙二郎が中心になって始めた同人誌。その経緯は創刊号のあとがき(F)記参照ください。現在も継続刊行中。


vol.1 no. 1 Mar.1979
発行:TBデザイン研究所

立ちつくした季節 奥成達

あとがき 
...自分を律するには同人雑誌がベストだと信じて集まったのがこのguiである。そのために、ここはコリツムエン、キゼンたるエゴの羽根をのばすのには、絶好の競技場である。集団で物申す、という組織とはちがう。...「gui」は「guitar」の「gui」と発音する。「技」でわざを競うものではなく、特別にギ憤を感じてギ理につけたものではない。単に「gui」にすぎない。創造的な頭脳を持っている当事者は、作品自体を思想と呼ぶ。こんな当り前のことが判らなくて、思想を理論で説明する癖が日本人の好みであるのは偉大な間違いである。「gui」はなるべく多くの作品活動を中心に飛翔していきたい。(F)



写真上左より

vol.3 no. 8 nov.1981
相談(4)「”知性の自由さをもって、おのずから自らの感情を解放したい”ものだねぇ」 奥成達vsながたはるみ

vol.6 no. 15 aug.1984
「深層の尻」 奥成達
発射的見解(7)「いま同人誌にアイデンティティなど必要なときだろうか?」奥成達

vol.2 no. 5 aug.1980
「堰 1」 奥成達
「 CUCTUS MAN 」 奥成達  訳/ジョン・ソルト

vol.10 no. 10 dec.1988
アイ・ガット・リズム(9)「五七五七七はこわい」について 奥成達

vol.6 no. 16 dec.1984
「午後の輪郭 」 奥成達

資料室注:写真下は、 gui創刊20周年を記念して発行(1998.11.14)された『guino.1〜no.55総目次録』。
資料室注:『gui』のバックナンバーは近代文学館で御覧になれます。最近の『 gui 』はこちらからお求めにもなれます。
資料室注:小中陽太郎氏が『58歳からの”知”の楽しみ』のなかでguiについて触れていますのでどうぞ。


ガロ no.221 (1982.8)

 P210 GOSSIP & BOOK
「全日本冷し中華愛好会やハナモゲラ語、面白グループの陰の仕掛人、奥成達氏が「gui」という雑誌を出している。詩・イラスト・エッセイなどから成るもので、ほかに岡崎英生・桑原伸之・ながたはるみ氏も加わっている。「gui」はグイじゃなくてギと発音するんだそーな」

資料室注:『ガロ』に連載されていた「高信太郎のサボテン男」をどうぞ。

「ね、森原さん」ーgui20周年のための回顧譯 奥成達
(「現代詩手帖」1998.5 P188 : 連載■わが仲間たち4)

...「gui」の例会では、みんなとにかくよく笑います。必ずしも”詩”の話ばっかりではないにしろ、guiの同人たちは会話のユーモアをまず最優先している人々が多いから、とはとりあえず言ってもいいかもしれない。...”サロン”というのは、あまりいい意味で使われることはないが、正にそのいい意味ではけっしてない”クラブ””サロン”に「gui」はよく似ているかもしれない。なぜなら最初からそれほどしっかりした考えがお互いにあって始めたわけでもなく、まあ言ってみれば、物を書く、描く、造るという、どちらかといえば普段孤独な作業をつづけているひとりひとりの、定期的寄り合いの会という雰囲気も強いからだ。...

”詩”の内部、外部という言い方をうっかりするとこれまた結構面倒臭い話になってしまいそうだが、「gui」をあえて”詩誌”ということにすると、どちらかといえばいわゆる”詩”(というカテゴリー)の外に立つ”詩愛好者”がかなり多いのではないのかなとぼくは思う。...だからあえて「gui」に新しさ(珍しさ)というものがあったとすれば、それはこれまでの”詩”の正統的(というのがなんだかよくわかってはいないけど)歴史の蓄積の上にだけ立っている新しさ(珍しさ)ではない、ということなのではないだろうか。

もともと詩本来は、どんなやり方でも、どんな書き方でもいいし、まったく自由で構わないものだったんじゃないか。とはいっても、ただ無茶苦茶に書いたらそれで”詩”になるのかというと、そういうわけでもない。しかし、そういう、いってみれば実験(と、お稽古)をしてみたくてウズウズしている人たちにとっては、こうした半公的な「gui」のような遊園地はとても便利な運動場にきっとなってきたのではないだろうか。

ディズニーランドや日比谷公園ではとても面白くなく、草ぼうぼうの空地ではゲームがかぎられすぎるし、「gui」が一番遊びやすいグラウンドとしてみんなでワイワイ楽しんでいたら、いつのまにか二十年もたっていた、とまあ、そんなところじゃないですか、ね、森原さん。


自筆原稿

資料室注:奥成達がguiに寄せた原稿の実物写真がこちら「自筆原稿頁」から御覧になれます。
資料室注:さらに、藤富氏が『gui』 no.28(1989)に寄せられた「奥成君のトラムペット」の原稿もこちらから御覧いただけます。