11月13日(月)

長い間死に体のまま放置してきたこの日記ですが、けじめをつけて日記猿人の登録を削除することにしました。
新システムへの移行、日記才人という名称への変更はよいきっかけでしょう。
いつまでも屍をさらしておくのもみっともないという感覚がやっと出てきました。
96年からほそぼそと書いてきましたが、奇特にも更新するたびに読みにきてくれた方々に感謝します。ありがとうございました。
「流言飛語」「いいわけ日記」その他もろもろの読者だった方にも深く感謝しています。ありがとうございました。

振り返りますれば、(略)、でした。
今はただ、楽しかったなあというぼんやりとした思い出を胸に今日の床につき、明日に備えようと思います。
それでは。

狂楽

読了メールが私に届きます。
読んだら押すのも何かの縁。


さるさる
96年 1 2 3 97年 1 2 3 98年 1 2 3 99年 1 2 3 00年 1 2 3
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日記猿人




8月30日(水)

日記猿人はもっと拡大主義に走っても良い時期だと思うのです。
つまりスポンサーを募集して広告を掲載し、資金を集め、さらにみやすく、使いやすく新世紀にむけて生まれ変わるのです。
参加者は増加しつづけ、アクセス数もウナギのぼり。
管理者グループは安定した資金源を得、利用者は利便性を得ます。
こうしたリンク集にとって規模の大きさは最終的には利便性に通じるのです。

これまでの日記猿人が管理者グループのボランティアによってなりたってきたというのは確かです。
巨大化し続ける日記猿人をもっと使いやすくて便利なものにするには金がいります。
いま現在の状態を維持するのでもかなりの金と人手を使っているに違いないのです。
参加者による会費制度という手もありますが、オープンなリンク集としての性質を維持するためにはそれは良い策とはいえません。
商業ベースにのることによって失われる性質もあるでしょうが、巨大リンク集に成長した今では、古き良き時代の性質はすでに失われています。
日記猿人はさらなる巨大化へと舵を取るべきなのです。


というような選択もあるなあと「日記猿人新名称募集のお知らせ」を読んで考えた。
掲示された文章からは変更する理由を読み取ることができない。
新世紀に向かって生まれ変わるから、デザインを一新するついでに、というのは理由としてはいかにも弱い。
真意は別のところにあるのでは?
つまりは日記猿人を商業ベースにのせようという試みではないのか。商標登録もにらんで新しい名称に変更しようというのでは?

日記の更新もしないでこういうときだけ書くのは心苦しいが、日記猿人のページを毎日見て、アクセス数には貢献しているのでお許し願いたい。

管理者グループは、日記猿人の今後の方向性をはっきり打ち出してもよいのではないか。
「新世紀にむけて生まれ変わる」ために、むしろ積極的に打ち出すべきではないか。

日記猿人が進化するために必要なプロセスだと私は思っています。



10月20日(金)

気まぐれに更新。

はや10月。ふと気が付けば11月がすぐそこに。

会社に行く時も遊びに行く時も家にいる時も同じ格好と聞いて、それは合理的だね、と答える。
思考の道筋と心象風景。
麺は細くてちぢれてるのがいい。
スープは薄味でだしの効いているのがいい。具は少しのねぎでいい。
そう全てはバランスの問題。
つまりはメモ書きであって深読みはバランスを欠く行為。
一語一語に味があって読語感はさっぱり。次の日はすっかり忘却の彼方。
理系的思考による論理のしなやかな跳躍。うさぎ?あるいは桂馬?
マントヒヒは今日もあから顔。

書いて面白いものが読んで面白いとは限らない。