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_ もう10年以上も前、ふたりの世界(全5冊)でいたく印象に残ったジョアン(ジョーン)・リンガード。それはベルファストを舞台に、敵対する二つの勢力のなかで出会った少年・少女の、ロミオとジュリエットばりの物語であった。決して悲劇に終わるのではないが、根深い憎しみに起因する抗争が容赦なく降りかかるなか、ようやく結ばれて子供も生まれたごく若い夫婦の彼らに、現実の波はとどまるところを知らぬようにこれでもかと襲いかかってくる。そのインパクトといったらなかった。今回読んだ『エディンバラの光と影』は、それとほぼ同じ年代(15歳)の、何の不足もなくエディンバラに暮らす少女エイミーが主人公である。そこへある日平穏な日常生活を乱す影が…(月並みだ)。実際、人物も類型的ならストーリーも月並みで、ちょっとがっかり。影とは、主人公の腹違いの姉。その存在と突然の出現を隠そうとする父と叔母、完璧主義者の母らを配して「家族」の脆い神話を描くと言ったところ。兄が家を出ていること、父と母と叔母(父の妹)との関係、真実が明るみに出たところで言及される十数年前の夫婦の危機、などがさり気なく描かれているので、「何の不足もなく」と思っているのは実は、背伸びをしているだけでまだまだお子ちゃまのエイミーだけかもしれない。それだけに、彼女が最後に夫婦も家族も無事に絆を取り戻すのね、家族というものは安泰、大丈夫なんだわと思ってしまうあたりが、作者がやっぱりあんたはまだネンネなのねとほっぽっちゃったのか、本気でそう書いているのか、首を傾げる所だ。人目には彼女ら異母姉妹はとてもよく似ていると描かれ、原題は"Me and my Shadow"で、作中でエイミーと父が口ずさむ歌の一節でもある。ところで彼女らがやたらに「やっぱし」と言うのだが、この感覚はどうだろう。このあたり、逆に訳者がちょっとお年なのではと思わされる。訳文全体に、何となく無理に「今のティーンエージャーとはこういうものと訳者が思っている対象読者」に合わせたのではないかという違和感あり。ああっ、もどかしい。
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『幻想文学 67 特集:東方幻想』/アトリエOCTA
梨木香歩/『りかさん』/新潮文庫
E・ブロンテ/『嵐が丘』/新潮文庫
川島誠/『もういちど走りだそう』/角川文庫
ヨルク・リッター/『星を見つけた三匹の猫』/白水Uブックス
ルイス・サッカー/『道』/講談社
ジョーン・リンガード/『トムのほんとうのうち』/徳間書店
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『幻想文学 67』は、残念な終刊である。山尾悠子、西崎憲、倉阪鬼一郎などの書き下ろし、中野善夫訳の短編など。
『りかさん』にはこれも文庫版書き下ろしの「ミケルの庭」が集録されている。『からくりからくさ』の続編に位置する。この短編は読了した。
『道』は"Stanley Yelnats's Survival Guide to Camp Green Lake"の訳本。
ああ、つぎつぎ読みたい本が溜まるのみ…!
_ 次男が、ガンダムだの何だのやいやい言うので、じゃあ白山のオモチャ屋大成堂へ行こう!となった。並びに本屋もあるしね、と言いつつ、主目的はなんのことはない、うっかり気付かず買い損ねた「アリスのティーパーティ2」のフィギュアがあるのではないかということである。そしたら、期待通りありました、ありました。もちろん開けていないパッケージも定価で売っていたのだが、250〜400円で売っていたバラ売りに手を出してしまったのである。だってどうせ、9種類を集めるには各2箱買っても揃わないよね…だから投資金額は同じだよね、と理屈をつけて。これで合計約3000円である。すると「シークレット・アイテムの、温室に落っこちた白ウサギもありますよ、あちらに」と鍵のかかったショーケースに案内されて…しかしこれは高いので、とにかく9種類だけは買った。その後次男があれこれ品定めしているあいだじゅう、うーんシークレットアイテム欲しい…どうしよう…どうしよう…と散々悩み、はい結局の所買ったのでした。シリーズ1のシークレットアイテム(半分消えかけているチェシャ猫)は何個も出たのにと思いながら、それ(バラ売り600円)よりさらに高価な温室ウサギを…(恥なので値段は言えない)。まるでバカだとやっぱり今でも思うが、フィギュアケースの中のあんまり可愛くないサンショウウオとかそういう種類の物を隅に追いやっていそいそ10種類並べ、次の「EX」のシリーズはいつ出るのかなあと心待ちにしているのである。ああ貧乏。
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トムは8歳、お父さんとお母さんの「ほんとうの」子ではないことを知っているが、「ほかの子と違って両親に選ばれた子だから特別なんだ!」と誇りに思っていた。しかしある時、両親に赤ちゃんが生まれることになったのを聞き、その思いがこだわりに変わってしまう。トムは赤ちゃんの部屋の準備をする両親を見て、庭のカシの木の上に自分だけの家を作り始める。さて妹が生まれたが、ちっとも可愛いと思えない。その頃学校に新しい先生がやって来たが、彼女は、若すぎてトムを育てられなかったほんとうのお母さんと同じルイーズという名だった。両親がその本当の子どもである妹にばかりかまけている、とこだわりを深めるトムは、次第にルイーズ先生を自分を生んだお母さんと重ね合わせるようになって行く。
トムくらいの年齢の子にとっては、じゅうぶん細やかに書き込まれているとは思う。筋道がすっきり整理されており、無用に話を込み入らせる枝葉がなく、なにより子どもの持つ健康さに信を置いている部分に好感が持てた。終始「ほんとうの」お父さん、お母さんという言葉遣いで通し、終盤で育ての父を「ほんとうのお父さん」と受け入れる所もすっきりとわかりやすい。もう少し年齢の高い子どもを対象に書き始めたら、先日の『エディンバラの光と影』の、主人公の腹違いの姉・イブのように、相当屈折した性格の子を登場させなくてはなるまい。と味方してみたが、実は上手だなあと思う反面、なんだか読者の年齢層を想定してこのくらいの内容を盛り込もうとしたという意図的なものが感じられるのも否めないのだ。きれいごとばかりで、類型的な人物像に終始しているだけじゃないか?と。「ふたりの世界」シリーズのような、深い傷と複雑な社会的背景を負った子どもたちを書ける人だけに、彼女がほんとうに書きたくて書いたというような物語をぜひ読みたいものだと思う。
_ 表題作は既に単行本刊行時に読んだが、今回再読。書き下ろしの「ミケルの庭」は、赤ん坊が世界を認識して行くさま、その子がひょんなことから…いや、必然か?インフルエンザにかかり瀕死の状態になり、それをめぐる若い女性たちの、赤ん坊を触媒にしての自問自答や交感。時間的には『からくりからくさ』の後ということになる。単行本が出たのは99年の暮れだが、もう3年半も経つのだとは思えない。娘を相手に、あの作者の新刊で、こんな内容で、と熱を込めて語ったのがついこの間のよう。娘、きょうは試験中で友人たちとオールでお勉強。そんなんで身が入るのか疑問ですが。
_ 数日前から読み始めていた。今日も昼休みに読んでいたのだが、帰り際に忘れず手提げに入れようとして机の上に置いたのが裏目に出て、かえって入れ忘れてしまった。どこか悠揚迫らぬ感じで、良い意味で先を急がせない。主人公が、失踪した男のIDカードをコンピュータの画像の中に見つけだすが、たまたま主人公はその男を知っていた。
_ そんなわけで、何となく手近にあって気楽に読めそうなこれを。うーん悪い感じではない。いかにもそのまま映画になりそうな発端だ。
_ レイダル イェンソン/『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』/ヴィレッジブックス
_ 日本の普通の夫婦(カップル)だったらこうじゃないよねとか色々。でも読みやすくて面白い。
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ルイス・サッカー/『道』は、いわゆる続編というのとはちょっと違うみたい。
「ミケルの庭」もまた違う意味で続編ではなく、梨木香歩のは連作というか作品群というのか、たぶんエッセイも含めて彼女の3次元空間のあちこちにそれらが位置している。
_ SFオンラインなきあと、つまり特に井辻朱美の新しい書評が読めなくなってしまったあと、硬派で本音の、ばったばったとなぎ倒すふうの石堂藍さんの書評がよりどころだったのに、「藍読日記」までもが終刊だそうである。幻想文学誌やSFMなどでのおもての書評とは時に全然違ったそれらは、ほんとうに面白くて、いわば勉強にもなったのに。とても残念である。
_ 某所にてチェンバロ鑑賞会(実物、CDりょうほう)。古楽を聴いてあれほど感涙にむせんだのも初めて。ああおなか痛い!これだから古楽はやめられない。
_ 昨日購入、昨日今日と、読む時間はほとんどなかったが、読めるだけの時間はこれに当てる。あいかわらずの独特のテンポの良さ!
_ 某所で「ストーリーはめいっぱいファンタジー!」とか書かれているのを見る。ファ、ファンタジー…。
_ 先日、今年中くらいのつもりで母をグループホームに入れる算段をしたほうがいいね、と主治医に言われた。漠然と思っていたところと重なったのでさっそくケアマネさんに相談したところ、たまたま新設の所がちょうど募集をしているというのでとりあえず申し込みをし、今日はそこを見学に行った。痴呆性高齢者グループホームというのは、このリンク先の説明ではまるでわかりにくいが、「施設への収容」という考えではなく、1ユニット5人から9人の高齢者が介護者(高齢者3人に対してひとり)とともに出来るだけ自立した「生活」が出来るように支援するというもの。一般の住宅などを改装した身近なものから大規模施設の中を小さなユニットに(ぶどうの房のように)分けたものなどさまざまあり、また経営面でも地域の小さなNPO団体が行っているものや、既存の老人ホームなどを経営している団体が新たに開設するところなど色々である。現在増加し始めたところと言える。
_ さて、同じ区内なので車で20分ほどのはずが、その近辺の道に明るくなかったため、あと数分の所まで行きながら、今日は日曜ということでスーパーの駐車場の待ち行列による渋滞に巻き込まれ、結局1時間近くかかってしまった。うーむ。これから開設されるところなので当然施設はきれい。でも案内してくれた職員によると、いわゆる机上の空論が先立った部分も多く、お金をかけてわざわざ新設したのに、現場の職員から言わせれば、どうしてここはこんな作りになっちゃったの?こっちがせっかくこうなっているのに、どうしてあっちはそうじゃないの?のようなところが沢山あるとのこと。近く書類審査、面接等がある。家賃相当のコスト(これが一番かさむ部分)・食費・水道光熱費・雑費等・介護保険料の1割負担分などいわば基本料金が、ここは月に十数万円かかる。このあたりではこれで普通か、むしろ安め。それにくわえて日用品費、必要によって医療費などがプラスされる。母の年金収入とにらみ合わせると…(以下無言)。同じ区内で今現在空きがあるところもあるが、そこは基本料金が20万を超えるそうなので、それは幾らなんでも全然無理。空いている理由がよくわかる、というところだ。都内から近郊、地方へ行けばそれだけこの家賃相当の部分が当然安くなるが、ある程度家族が通うことを考えるとそれもまた難しい。またグループホームは「自立」の人が対象なので、車椅子になったら退所が基本だ。入れるかどうか、また入れたとしてもこれから当人の機能低下や病気、経済面などどうなるのか、ああ〜、ほんとに頭いたい。
_ きょうWOWOWでやっているのを見た。劇場上映時に娘が見てきて、絶対見るように、と薦められたが、いやー、劇場で見なくて良かった。「クレイマー、クレイマー」や「レインマン」も泣いたが、これはまさにボロ泣き。ハナも目もぼってり腫れてます。途中で部屋を覗きに来た長男が「あっ。録るの忘れてた!」と言うのに向かってすかさず「大丈夫。DVD買うから」と返事した。いやはや。キャット・ウーマンにジュラシックパークの学者、そしてシザーハンズの「ハロー、エイボンレイディ」。主役のショーン・ペンも素晴らしければ、ルーシー・ダイアモンド役のダコタ・ファニングがうまい上に愛らしいこと。
_ 職場で、噂には聞いていた某氏のブチ切れに遭遇。修正して再提出を依頼した原稿がまだ出てきていないがその後どうなっているか、そろそろ出して欲しいのだが、と問い合わせと催促を兼ねて電話した。そもそも指定の形式に合わせていない形での提出だったのある。「直せなんて聞いていない、返されていない」から始まって「いつ」(何月何日に返したという記録がある)「どういう形で依頼したか」(原稿のFDを某氏のメイルボックスに入れに行った前後にたまたま本人に遭遇したので直接口頭で頼んだ、だからメイルボックスに入れてから頼んだか、入れる前に会って「ちょうど良かった」と手渡ししたのかは、定かではない)「書いたもので頼まれたか」(指定のテンプレートに合わせろというのだけがその内容で、メイルボックスに入れたのが先ならメモがあるはずだし、あとなら例えFDだけ抜き取って渡しメモのほうを渡さなかったとしても、彼は実際「ハイハイ、わかった」と返事した)、この辺になったらテンションが一方的に指数関数的に跳ね上がって、「こういう重要なものを、書いたものもなしに依頼するようなずさんな扱いをしているキミの姿勢に憤りを覚える!出るところに出るから来い!」の世界に。出るところと言っても私がその責任者で、ほかの誰もまるで関与していないんだけどなー。それ程重要なものという認識があるなら、最初から提出方法を良くお読みになってそれに従ってちゃんとしたものを出すべきでしょうが。あまりにバカみたいに電話の向こうで怒鳴り喚きまくるので、こちらもさすがに受話器を持つ指先から血の気が引き怒りでぶるぶる震えるのがわかる(怒ると俄然冷たく寡黙になる人←こういう場合には余計なことを言わないからちょっと得なことも)。一旦こちらに提出したはずのFDがいまお手元にちゃんとあるって言うんだから、やっぱり返されてたってことでしょ。その辺の都合の悪さをハッと気付いたのか、このあたりで突然態度が軟化した模様。「最初から、言った言わないが言いたいんじゃなくて、まだだったら今から直して出してもらえばいいからとこうして改めて電話して説明し直してるんでしょ」(←実際これがそもそもの目的)と何とかなだめたあと、こちらもしばし気を鎮めて、表向きニコヤカにお部屋にお伺い致しましてどこが違っているかを再度ご説明いたしましたら、もうアホじゃないの、エクセルを開くと「シート」が何枚かでワンセットになっている(「ブック」と称する)ということをまるで知らなかったための勘違いがそもそもの原因と判明したのである。何が「DLしたら最初からフォームが壊れてた」だ。何年エクセル使ってんじゃワリャー。部屋をお訪ねしたとき彼は私を中に招じ入れながら「さっきは言葉を荒らげてゴメンね」とヘラヘラおっしゃり、私も「いえいえ」とは言いましたがね、私は二度と忘れませんわよ。ええもう絶〜対に忘れるもんか、キミがまるでキ○○○のようにブチ切れる人であることを。自分のミスをあれほど棚に上げておきながら人を「杜撰だ、許せない」とまで言うような人だということを。
_ 昨日から変な頭痛と異様な眠気で、どうにも進まない。昼休みについにダウンして机に突っ伏して寝たら、約15分後に自然に目が覚めた後は大体もとに戻った。肩こりから来る眼精疲労(あるいはその逆?)。せっかくの『八妖伝』、さっぱりした気分のときに読むべき!ところで2時頃の15分間の昼寝は、身体のリズムに非常に合っているそうな。ただしせいぜい10〜15分が限度で、30分も1時間も寝ては逆効果なのだ。
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ああああ〜、終わってしまったぁ。美と醜、急と緩、静と動、天と地、様々な対立項がめちゃぐるぐるぐちゃぐちゃごった煮になったこのあり得ざる中国!屍鬼に首を引っこ抜かれた大官の描写や、李老師と燕煕が作る料理のものすごさは類を見ない(おえー、でも怪しく美味そうに見えるのだ)。そしてやっぱり最後はうーつーくーしーいー!で終わるのであるよ。
小鬼が乗り移ったのではないかと思うような李老師の大活躍。十牛(いとしのもうもうちゃん!)の渾身の力の見せ場。傀儡師の燕煕(イエンシー)のあばた面の奥から輝き出す心とろかすような笑み。それにしても、作者はよく表意文字を用いずにこんな様々な仕掛けや奥行きを醸し出せたものよと、いわば「敵ながらあっぱれ!」である。訳者のかたもすーばーらーしーいー!李老師と十牛は、まだあの唐の世界で暴れていなければ、必ずや天の川のどこやらにいるはず。
_ 確かに詰め込みすぎてわかりにくい、イメージしにくい部分もあるが、古の巨大な楽器である土中に作られた禹(う)は素敵だ。クライマックスはこれを舞台に夏至のボートレース、そしてカラッカラの北京に龍が降らせる恵みの雨である。
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広辞苑から:
う【禹】中国古代伝説上の聖王。夏(か)の始祖。鯀(こん)の子で、尭の時、治水に功をおさめ、天下を九州に分ち、貢賦を定めた。舜の禅譲を受けて位につき、安邑(山西省)に都し、国を夏と号した。洪範九疇を定める。大禹。夏禹。夏伯。
_ う【(「芋」のくさかんむりをたけかんむりにした字)】古代に雅楽で用いられた竹製の管楽器の一。笙(しょう)の大型のもの。古代中国のものは36管と伝え、正倉院に中国から伝来したものは17管で、各管の調子は笙よりそれぞれ8度低い。平安時代の中頃から絶えたが、現在復活、演奏されることもある。うの笛。
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帰宅すると次男が突然自信ありげに「あしたはお弁当。」怪訝な顔をする私に、今度は「お弁当?」と疑問形になる。なんで…あーっ、あしたはもう18日の金曜日、一学期の終業式ではないか。今日で給食おしまいだあっ。学童に持っていくお弁当だあっ。ということは来週から8月いっぱい、週五日お弁当つくり…。
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↑キスマークなんかじゃない、もうヤケ〜と書き殴るバッテンマークである。
_ 2/3位まで読んでほかへ浮気していたのを読了。主人公の医者・ケイティが、夫が家に引き入れてきたヒーラーのグッドニュース(と言うのが名前)に、ついに自分もにっちもさっちもいかなくなってウソの頭痛を治してもらおうとするシーンがある。夫を始め、他の人は、痛いところがあれば彼の手で触ってもらうと熱を感じて嘘のように治ってしまうのである。ところが、ウソの頭痛が治る(か、治ったような気がしてせめて気が晴れる)とか、あるいは内心でたぶん期待していたようになにかもっと根本的なものが治してもらえるかもしれないという「あわよくば」と言うか一種の神頼みとは裏腹に、グッドニュースに「痛いところなんか僕には感じられない、と言うよりも、あなたって言うものそのものがないみたいなんだ、エンジンをいくらかけてもかからないみたいに」といみじくも言い当てられてしまう。どうして、いつの間に、空っぽになってしまったんだろう。いつの何が始まりだったんだろう。彼女は考え、日常の小さな大切なことを再発見/再確認してそれらを拠り所に再び生き直そうとはするのだが、一旦見てしまった空っぽを、空っぽじゃないと思うことは出来ないのだった。少なくとも、今は。今はまだなのだろうか、もうなのだろうか。
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ケイティのモノローグが非常に共感できる。思考がさまよって行くその道筋が。
また訳者も後書きで言っているように、普通男性の主人公がこの役をそっくり演じそうだが、それを女性が演じており、しかも再度すっかり性を入れ替えても通じるだろうと思われる。
_ 先日見た「アイ・アム・サム」でミシェル・ファイファー演じる辣腕弁護士が、サムが裁判の行方を悲観して心を閉ざしかけるところで、「あなたは自分ばかりが問題をかかえてると思ってるの!」と爆発し、彼女自身、自分がいかに最低で、こんなこともあんなことも出来ず、たかが7歳の自分の子どもにすら手を焼き嫌われてすぐキレてしまうようなだめな人間で、他の人が皆自分より立派だと感じて毎日毎日絶望しているのだ、と嗚咽するシーンがある。そうしたらこの本でもケイティが全く同じことを言う場面があり、また共感して涙腺が怪しくなってしまった。程度の差こそあれ、全く同じようなことをいつもいつも身に沁みて感じているから。
_ ケイティは思う、夫やヒーラーの言うことは正しい、でも決定的に間違っている。でも自分自身の生活も、それと同じように、正しいがどこかで決定的に間違っている。ヒューガートさながら、それぞれの人物が「矛盾」と「空虚」を体現しているような、そんな光景を、最後のシーンは切り取っていると感じた。
_ 再開。
_ せっかく火星が6万年ぶりという大接近で、見かけ上は月にも近づいているというのに、重い雲に遮られてお目にかかれない。冬の帰り道(S&Gみたいね)は、すっかり日が暮れてしまうのはいやだけれど、星が見られるのが嬉しい。夏だと帰りが7時頃になってもまだ空が明るいから、意外に星空とはご無沙汰になりがちなのだ。
_ なぜに缶ジュース24本セット。しかも3人から。もう一箱は、ゼリーだ。どちらもうちではあまり売れないのである(大泣)。
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J・コクトー/『大胯びらき』/河出文庫
R・ブローティガン/『西瓜糖の日々』/河出文庫
I・カルヴィーノ/『見えない都市』/河出文庫
トム・フランクリン/『密猟者たち』/創元コンテンポラリ
茅田砂胡/『デルフィニア戦記 第II部 異郷の煌姫I』/中公文庫
川上あかね/『わたしのオックスフォード』/晶文社
Louis Sachar "Stanley Yelnats's Survival Guide to Camp Green Lake" A Dell Yearling Book
_ 次男が2週間前に白山の大成堂に入荷を確認しておいたガンプラ(フリーダムガンダム)を買いに。午後入荷ということだったが、所用のため行ったのが夕方4時半頃で、哀しいかなお目当てのものは見あたらない。「ない…」でもそんなはずない、と自分を励まして努めて何気ないように振る舞っている。実はもう少しで泣きそうな所を励ましてお店のお兄さんに尋ねさせる。すると、思ったより生産が少なくて、入ってきた数が少なかったため、売り切れてしまったのだそうだ。先日は予約しなくても十分な数が入るからねという話だったので特に予約しなかったのだ。すかさずお兄さんが支店に電話して残りがあるかを確認してくれ、「1つあったから、明日の昼には入るよ!」途端に雲が晴れたように次男の顔が明るくなり、「うんっ!」と普段の元気を取り戻した。
_ 一方私は、関西地区7月先行発売のアリスEX(4種類各2色計8種類250円)が既に(ばら売りにもなって)売られているのを発見し、よくよく&くよくよ考えた末、二箱購入。レジで「開けてもいい?」と訊くと、「そのためにちゃんと用意してます」とすかさずハサミが出てきた。首尾良く異なるものが出てきたので、今日は欲張らずここでおしまいに。ちなみにブルーの芋虫と黄色い帽子の公爵夫人である。
_ 夕食後、義母宅へ。思ったより車は多かったが、2時間弱で着いた。次男と先に寝てしまったが、おかあさん元気だよ、76歳なのに12時過ぎてもまだ息子としゃべってる。長生きして下さい。
_ 土曜に頼んでおいたフリーダムガンダム(HG)を取りに白山へ。次男は大喜び。私は、ええい、と残りのアリスフィギュアを…ばら売りで…。でも絶対箱で買うより安い!(後ろめたいらしい)。家では長男らが適当に昼を食べるというので、フレッシュネスバーガーを食べに入る。娘に薦められていたが、実際に食べるのは初めてだ。モスバーガー系ってことらしい。Sサイズのバーガーがあるのが嬉しい。違う種類を二つ食べられるってことかも。ガンダムをテーブルに出したりして通り沿いの席で食べていると、突然しぐれて、堪えかねたようにどっと降り出した。広重の東海道五十三次のように、道行く人たちが或いは腰を折るようにして駆けだし、或いは傘を深くかぶって斜めになって歩いている。何組かの客があわてて駆け込んで来た。「ちょうどいいタイミングでお昼にしたねえ」とパクつきながら次男と外を見る。次男、「どうしてみんな急いでるのかなあ」「いっぱい濡れちゃうのがいやだからでしょ」「走ると濡れないの」うーむ確かに、特に傘があれば大して変わらないかも。ほんとうは、そのつもりで雨の中を濡れて歩くのって、実際とっても楽しいのだ。そう言えばどこかのTVニュースで「休耕田で泥んこバレー」というのをやっていたが、心から「やりたーい!」と叫んだ私であった。
_ 父親の仕事の関係であちこちのインターナショナルスクールで学び、飛び級をして17歳でオックスフォードの学生となった著者が、青春を振り返りつつオックスフォードの学生生活を語る。ものすごく勉強している。すみません、だの、勉強の質が違う!だの思う。こういう学生を生み出している文化には太刀打ちできない、と素直に思ってしまう。
_ とっくに読んでいたのに読了記録を書いていなかったらしい。川上あかねが、オックスフォードの大学院生であったときに、ケンブリッジで教員を募集しているからアプライしてみたら、と言われて半信半疑で試験を受けてみたらめでたく受かっちゃった、と言うところから話が始まる。実力もあれば運も強いのでしょう。仏文の講師として過ごした数年間の、楽しいケンブリッジのレポート。ハイ・テーブルの話が詳しく出てくるせいか、むしろオックスフォードの巻よりむしろこちらの方がライラを思い出させる。
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椎名誠/『活字の海に寝ころんで』/岩波新書
小澤勲/『痴呆を生きるということ』/岩波新書
_ 前者はちょっと時間つぶし、と思ったら引き込まれて一挙に半分ほど読んでしまった。本の話なのだけれど、徹底して食べることの話。最近あまり椎名誠を読んでいないが、もしや彼は一段と文が上手くなったか?
_ 後者の著者は、精神科医として痴呆老人の治療、ケアに長く関わってきた人。
_ 懲りずに、またもえいご会話文を暗記して受けるチェックテスト第二弾全12課中6課目終了。えーん難しいよー長いよー。苦し紛れに出るジェスチャーと時間稼ぎの声色・演技を、とーっても褒められる。だってぇ単なる暗記じゃ覚えきれないんだもん。
_ 最近は土曜にもほかの先生に格安マンツーマン1時間をやっている。そちらはぐっと実用的に、A4に1ページ弱のエッセイを書いていって読みあげ、次週その添削、それとやさしめのテキストを使って、問いに対して主に簡単な文がちゃんとフルセンテンスで反射的に言え、時制だの冠詞だの前置詞だの複数形だのをナチュラルに使えるようにと直してくれる。言いたいことを単語やジェスチャー混みで、文法的には間違ってもいいから何とか伝えるという事は、たぶんある程度は出来るのだろうが、問題はその先なのである。そこから上達するのが難しい。文法も(分からないことは多いけど)そこそこは知っている、考えれば全然使えなくはない、でも普通の会話にそれらが全然反映しない。普段使わなくちゃ身に付くわけがない、という部分である。だからどの先生も「プラクティス、プラクティス」とか「あとは向こうへ行って住めば大丈夫!」とかでおしまいになり勝ち。この先生は、私が答えた文で間違いのあるものを先生が書き留めて、後でまとめてどこが違っているかを指摘させられる。大概は一目見て笑っちゃうような、「過去形!」だの「Heが抜けてる」とか「theをつける」とか、ホントに他愛のない間違いばっかり。間違いのない答えがないくらい。「wouldで質問したらちゃんとwouldを使って答えて」のような指摘もしばしばだ。こう言うのこそが、出来ないのであるよ。
_ 痴呆(主にアルツハイマー)について、痴呆を病む人々の側に立って、主にその周辺症状が解説され、しばしば問題行動とされる様々な周辺症状がどうして起きてくるのかを語る。実例や、痴呆老人と全身で関わった人々の小説や詩歌を多く引き、痴呆とその介護の核心を提示している。
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痴呆の「中核症状」と「周辺症状」について、この本の表1−1から引いておく。
中核症状=痴呆を病む人のだれにでも現れる:記憶障害、見当識障害、判断の障害、言葉・数の障害など
周辺症状=だれにでも現れるとは限らない:幻覚妄想状態、抑うつ、意欲障害、せん妄、徘徊、弄便、収集癖、攻撃性など
_
終盤にいたって、死に至る病の受容を例に挙げ、では、痴呆を病む人の病の受容の過程の現れが、周辺症状なのではないか、と述べる。病人本人だけが病を受容するのではなくて、病人と関わる人々、地域、社会が、それを受容できれば、と言う。この辺が、彼のそもそも言いたかったところ。
痴呆についても、まったく同じである。痴呆という病を受容すべきなのは痴呆を抱えた本人だけではない。彼らとかかわる人たちが、さらに彼らの住む地域が、そして社会全体が、彼らを受容できるようになれば、あるいは痴呆という事態を、生き、老い、病を得、そして死に至る自然な過程の一つとしてみることができるようになれば、周辺症状は必ず治まり、彼らは痴呆という難病を抱えても生き生きと暮らせるようになるはずである。(p.217)
_ ほんとうに、こうして痴呆という病を受容できるような時間的、経済的、精神的余裕が欲しいものである。さらに終章としてわずか見開き2ページの文章がある。ここへ来て愕然とした。このように、精神科医として多くの痴呆老人のこころと向き合って来た著者が、じつは自らも死に至る病を得てまさにその受容のただ中にあるとは。これまでにしばしば語られた、痴呆患者が時として見せる生を突き抜けたような透明感。著者の病の受容において、こうした経験と認識が形作ってきた彼なりの宇宙観・死生観がさらにすぐれたものとなって行くのだと思わずにいられない。
_ しかし、これは痴呆の兆しではと思い始めると、色々なことが気になってくる。料理の段取りが悪くなる。複数の作業の同時進行ができなくなる。片づけができなくなる、と言うよりしたくなくなる。意欲が低下する。刺激が多いところに行くと騒がしくて堪らない。何かを提案されて、理解できてもやれないことがあり、しかも何故できないかを説明できない。等々。何だかいちいち当てはまるから、私もそのうち母と同様に痴呆になるのかなあ。せいぜい今のうちから、人付き合いをして、頭はよく使って、廃用症候群にならないように気をつけよう。
_ 帯に「瀬戸内寂聴氏絶賛!!痴呆の恐怖からの救いの福音書」云々と書いてあるけれど、ちょっと違うな。自分の/人の痴呆と向き合うときの一つの有用な手引きではあるでしょうが、少なくとも、これを読めば「そうなのかぁ」と身も心も軽くなる、そういう救いでも福音でもないと思う。一層自分と向き合わされる事を余儀なくされると思う。その動機となると言う意味では福音かも知れないし、救われることにもなるだろう。でも著者が伝えたいことは、このコピーから単純に感じるような、受動的に読んでいれば済むといった生やさしいものではない。じつに帯って情けないなあ。
_ 朝方、肩から頭がしんしんと痛い気がして眠りが浅くなり、いざ目覚ましで起きたら、頭と目の裏が痛くてくらくら状態。次男のお弁当をでっち上げながら、彼のマグカップに紅茶をつぎかけて、次の瞬間カップを二度見直した。「あれっ?」それはマグカップではなく、ヨーグルトをよそってやった別のティーカップ。時すでに遅く、カスピ海ヨーグルトは2センチばかりの紅茶の海に沈んでいた。これで観念して、今日は休むことに決めた。幸いに今日は特段の予定はないし…忘れているだけかもしれないが。頭痛薬を服んで、昼過ぎまでぐっすり眠る。その後ゴロゴロしながらやっぱり読書。
_ SF、というよりSF・ミステリー味の伝奇だろうか。近未来として描かれている21世紀部分は、全体の中ではちょっとインパクトが弱い。じつはマラリア原虫が人から人への人格の転移を媒介するというSF的設定が背後にあり、「カルカッタ染色体」とカルト的集団がつながってゆくあたりは面白い。しかしマラリア原虫の発見にからむ事情の謎解きの中で、カルカッタ染色体自体のSF的説明はほとんどなされない。「染色体」と言う用語はちょっと違う気がする。まあこのカルト的集団は科学の側の人ではないからと言うことでこれでいいのかも。レヌプール駅でのランタンと引き込み線のエピソードは、その前に伏線があるのだけれども、ホラーとして非常に怖い!きょうは1/3位で止まっていたところから再開したのだが、気付くともう終盤に差しかかっており、振り返ると意外に読みやすかったのだなと思う。
_ 『鬼の橋』『えんの松原』の伊藤遊の新作。ケイタは札幌の小学6年生。これまで3人の親友がいたが、どの子も名前はユウキ、彼らは皆転校生で、中でも一番のサッカー友だち勇毅までもがついこの間急に転校していったばかりなので、ケイタは意気消沈している。そこへ新しい女子の転校生が来た。何とその名はユウキ(優希)。細やかな心理描写がいかにもこの作者らしい。非常にきっちりと良く書けているが、だれもが優等生過ぎて面白味には欠ける。つい前2作の流れのものを期待してしまうのは仕方ないだろう。
_ 先頃(7/11)に発表された2002年度カーネギー賞受賞作である。印象的な書き出しだ。
_ 大変読みやすいので、読んだ時間の割には捗っている。1/4くらい。人物の性格付けが非常にはっきりしている。
_ 主人公である13歳の双子は身寄りがなく、幼い頃から児童施設に暮らしている。里子に出されてはトラブルを起こしたと言って施設に戻される、そんなことを何度も何度も繰り返していた。男の子ダラスは内省的で夢見がち、女の子フロリダは勝ち気で口数が多い。規則ずくめの施設の経営者夫婦(彼らや過去の里親家族があまりにも類型的なのにはちょっと辟易)につい口答えをしては罰を与えられ、そこでまた「どうして」「だって」と言っては罰が倍加されるという悪循環だ。なぜかこの施設は長いこと公的な監視の目からは洩れている。ふたりは早くホームを逃げ出して、いつも通過音が聞こえるあの列車に乗って行こうと目論んでいる。そこへまた新しい里子の話が来た。夏の3ヶ月の間だけ、ある老夫婦(と言っても60歳くらい)が彼らを引き取りたがっているのだ。彼らは住み慣れた土地を離れて、旅をしようとしている。夫婦がそれぞれ双子のひとりずつを伴って、別々の地へ行こうというのだ。双子が渋々行ってみるとそこは木々に囲まれたすばらしい谷間、ルビー・ホラー(地名)。ふかふかのベッドが4つもある素敵なロフトに、毎日のおいしい食事。ダラスにとっては思い描いている天国のような場所だ。ボートの修理、旅の準備などの手伝いに、1日いくらの日当まで与えられると聞き、ふたりは信じられない思いにとらわれる。このお金を持って、今日こそ列車で逃げよう!いや、もう少し貯めてから…と、実は結構楽しく日々を過ごす。しかし早くも安心しきっているダラスに比べ、フロリダはずっと懐疑的だ。間違って細工物を壊してしまい、片手をさっと挙げて身を守ろうとしながら「さあ、私たちを罰するんでしょ、罰には慣れっこよ、さあ」と言うフロリダ。里親のうち思索的で理解力に優れた人として描かれる妻セイリーは、彼らの反応の原因を理解しつつ、さり気なくものごとを発展的な方向へと導いて行く。夫ティラー(今のところおっとり・ぐずぐず型)との対照も見事だ。フロリダは「これを直すから、ティラー、ナイフを貸して」と言うセイリーの言葉にも身を固くして「ナイフで(私たちに)何するって言うのよっ!」と過剰反応してしまうような子。これまでそう言う扱いをされてきたとさり気なく示される。
_ 昨日、『痴呆を生きるということ』を50歳過ぎの知人大卒に貸したら、彼女が帯を見て「ふーん、ふくおんしょ」と言ったのには耳を疑った。「福音」を「ふくいん」と読むのは、これ常識じゃなかったのか???
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『芸術新潮 イギリスの歓び』/新潮社
『SFマガジン9月号』/早川書房
梶尾真治/『美亜へ贈る真珠』/ハヤカワ文庫JA
レオノーラ・キャリントン/『耳ラッパ』/工作舎
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村上春樹・柴田元幸/『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』/文春新書
グレッグ・イーガン/『しあわせの理由』/ハヤカワ文庫SF
シオドア・スタージョン/『海を失った男』/晶文社
村上春樹/『少年カフカ』/新潮社
_ 最近1時まで起きていると翌朝がつらいことが多い。先日、私がげんなりしている9時頃に、黒猫の配達の人が元気よく「こんばんは〜、宅急便で〜す」とやって来た。この人はもう10年以上お世話になっていて、私と同い年で子供も同じ年頃のため親近感がある。自分がげっそりしていたので「いつもNさんは元気よね!」と言ったら「いやあ、やっぱり最近はそうでもないですよ、今日なんかもこれで帰ったら10時半過ぎでしょ…明日はまた5時半起きだからつらいよねえ。」Nさぁんやっぱり元気だよ〜。というわけで、12時に寝よう!運動展開中のため、なかなか捗らない。
_ 双子たちはある晩ついに、夜汽車に乗って逃げる計画を実行しようとこっそり家を出るが、右も左も分からぬ真っ暗闇のルビー・ホラーでどうにも進めなくなり、とりあえず寝袋で寝ようと言うことになる。地面の石ころは背中に食い込むは、食料を持ってくるのを忘れたため空腹にさいなまれるはで朝まだきに目を覚ました彼らは、思いがけず流れてきた魅力的なベーコンの匂いに引き寄せられる。セイリーは彼らを「準備した寝袋や何やらを、旅に出る前に試しに使ってみようなんて、ほんとにいいことを考えついたわねえ、すごいわ!」と目一杯誉める。そしてほんとうの旅に出る前に一日二日のいわばリハーサルの小さな旅をしようと提案する。初めて別行動をする双子は、内心とてもとても不安だ。出発の前夜、彼ら4人はそれぞれに不安をかき立てられるような夢を見る。いっぽう双子がいた児童施設の院長のもとには、何者とも知れぬ"Z"という人物が現れる。彼らはどうやらルビー・ホラーについて何かをたくらんでいるようだ。
_ 昼休みにあと20ページを残すところまで。寝る前に読み終わりたい、と先ほど読了。随所にファンタジーテイストがあり、ラストは、出だしと呼応しあうように終わる。
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