月別履歴(タイトル抜粋)

2002年10月
2002年 09月
2002年 08月
2002年 07月
2002年 06月
2002年 05月
2002年 04月
2002年 03月
この本は私に会うために(1)
律儀(3)
なんちゃって矢印(6)
ピンクの肋を解体します(10)
世田谷区立下馬幼稚園(17)
「路程」は写っていなかったのか?!(19)
『落ち穂拾い』(22)
フラジャイルに「千夜千冊」の1/2(26)
実はワカメさん(29)

2002年 02月
スタイルの速度。音/映像/文字(1)
0020202の本棚(2)
『オードリーとフランソワーズ』(4)
『紙魚の手帳』12号(7)
東京駅。どっち側に降りて本屋に行くか(9)
本のことなら憶えてるが...(12)
行方不明新聞折本公開捜査(13)
佐伯俊男(14)
『ユビュ王』にくそったれ!ってそのまんまな...(16)
その穴のさきにあるもの(17)
家庭の医学と専門書の断絶を埋めるもの(20)
ジャリなら自転車こぎこぎ冷し中華を(21)
図書館のちょっと無理矢理(26)
送料に限って言えば(27)
月が最近(28)


2002年 01月
あけましておめでとうございます(1)
腹ぺこタイシ(4)
ランクアップした二百円のおみくじ(7)
方角が悪いんです(12)
カタログに載るモノ(20)
お、い〜ぞ〜(21)
冬もボサノヴァ(23)
ぽんぽこたぬき工作(26)
図書館はうるさいのだった(27)
『ナージャの村』(31)

2001年 12月
皆やさしくってヨ(1)
『寄席の脚光』(4)
無理して本屋でバイトすな(5)
大踏切書店でイッパイ(8)
いらないものばっかり残るのよ(13)
ママゴトやっといてよかった(17)
sold out 通知(22)
「2001年宇宙一瞬旅」(25)
不吉な夢もなんのその(26)

2001年 11月
愛犬は0.5(4)
自分で勝手に無理してグチる茶番(5)
どこのどいつ(6)
ひとの書棚を覗くのは楽し(9)
「広告としてのイラスト」(11)
かき×かぼす=マンゴ(13)
どこで区切って無駄と言う?(15)
「学校どこ?」(16)
岡ノ上鳥男様 田辺茂一(20)
おかえりのスケ本登場(26)
webで本をめくりたいひとはいないでしょう(30)

2001年 10月
bookbar4楽天ブックス開店(01)
鉄の扉「絶版」で幽閉された本の脱獄幇助(02)
本コ子雑誌、即物的体験を池袋リブロで(05)
おれなら桜を植えに行く(08)
眼の日は啓祐堂で眼のコヤシをいただく(10)
ライブ辞書を作るゾ(15)
新聞折本第八号(17)
製本-花ぎれの固定(18)
NONを見よう(19)
実感トハ恥ナリ(20)
透明酒は...(21)
となりの客はよく肉食う客だ(22)
わたらせ渓谷(27)


2001年 09月
意の外(01)
これを読んだら呪ワレル(03)
葉書文庫本(04)
均一つながりの本と新聞(05)
広辞苑、外に連れ出し運動(08)
平まどかのベルギー製本留学記(09)
コソコソするのはなぜ(17)
グリコのポーズ、やってみて(18)
それ、名前なんですけど...(19)
あどべんちゃブラリ(25)
オノ・ヨーコと朝日新聞(26)
温寿司(28)
まじ秋(30)


2001年 08月
横顔ばっかの金魚(03)
『チェブラーシカ』(04)
クモの糸をどう使うか(09)
人工雨、日本編(11)
空中金魚(13)
防ぐのが礼儀(14)
炭化菜種降りしきる花火大会(18)
屋久島の森に(28)
宇宙人と妖怪(30)


2001年 07月
くだらナイ→すまナイ(02)
やっと処分したっていうのに(03)
「ドキドキ」を見て体の頼りなさを (05 )
観本旅行(06)
おでかけには「じろう」を(1)
『ラッチョ・ドローム』(12)
いってきますじろう問題(15)
これは本なのですか(16)
「本は傷んだら修理すればいい」(17)
「うまい」か「おいしい」か(19)
エーッ○エーッ○エッ○ホイ○ッ○(23)
新聞折本第三号(25)
ネコとシャクシとキミと(26)
自由カラは逃走できない不自由(29)
夏はこれからだってば(30)


2001年 06月
ダダ書房店主に惚れる(04)
日焼けサロンじゃあるまいし(07)
製本アトリエ記11 (08 )
図書館には何を探しに行くか(10)
『ミリオンダラー・ホテル』(13)
人間を本に変える銃(14)
スクラップ帳をスクラップ(16)
死を待たずにとる魚拓が失うもの(17)
辞書である前に本でもある(20)
さくらんぼの味(24)
ああやっぱジンセイって(27)
金魚部第二回秘宝展(28)
図書館オチの古本(30)


2001年 05月
SPACE ODYSSEY(06)
新入部員は銀魚(09)
製本アトリエ記10 (10 )
「本コ」誌第一期終了につき(15)
never 金魚(16)
日に月に媚びず。(19)
ベストセラーがバカバカしくなっちゃって(20)
新聞を3回折って本にする(21)
『地獄の黙示録』(24)
新聞本の祖父は「くそ」と詩をかく(26)
「言葉はサーファー」説(27)
ナはテイをアラワスか(28)
祝いの席には花火か蜘蛛か(31)


2001年 04月
言いそびれ(04)
宅配から机配へ(06)
金魚部、無念(07)
一般市民ですけど(12)
書肆啓祐堂誌「黄金の馬車」(16)
切手詰め本(18)
「五点支え法」実験装置(19)
東京国際ブックフェア2001(21)
花ぎれ、できた(23)
おかえりのすけ事件2(24)
『ツバル』 (25)
探し選び奪う退屈(28)
ぶらりの卒業(30)


2001年 03月
カフェでふと(01)
日記の積み重ね(06)
忘れてはならない直感。(10)
「荒俣まぼろし堂」最終目録(11)
『キャラバン』(13)
『あらかじめ失われた恋人たちよ』(14)
ナヲナノレ(16)
記憶はひとの身体に間借りして(18)
後ろからやってくる(23)
夢は誰がみているか(25)
第一回金魚部秘宝展極秘開催(26)
図書券の使いかた(27)
閉店間近に耳ダンボ(31)


2001年 02月
窒息おかえりのすけ(01)
恐縮は笑い飛ばす(04)
他人様の土俵で燦然と輝いてしまうNIKE(07)
ダダな漢字(12)
へん平時代(15)
雨の筋に傘は目盛る(18)
『シュリ』(20)
タエコ・リズム(22)
NONでシールを貼ってもらおう!(23)
プロ紙に敬意を表した本(25)
ウリポな文学者の皆様へ(26)
万能web出版(28)


2001年 01月
初詩集『心配の速度』(06)
4×4 = 8 vs 365-6=358(08)
図書館ホテル(10)
中村文庫(14)
発禁と戦い、秘められた名作を(19)
" BOOK BLESS YOU. "(24)
ダイヤル・ビーチへ行こう(31)


2000年 12月
缶詰文庫(01)
星の王子さまが観た星空(05)
砂時計のくび(14)
目論書本(18)
新聞折本プロジェクト(20)
金魚部に西洋の旦那が(22)
環太平洋的に詩集(27)


2000年 11月
『グロリア』(02)
同級生が有名人になってしまった場合の卒業文集(03)
真空凍結乾燥機を入れてくれ(05)
がっくり(06)
カンガルーとおやじ(12)
吹き出し、開放(13)
銀杏書房(16)
『ラテンアメリカ光と影の詩』(20)
いかに多くの「思わずできたもの」(22)
おかえりのすけ事件(23)
「いんちき」とは何かを『桂離宮』に識る(24)
なかったことに(26)


2000年 10月
度忘れの度合い(31)
『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』(28)
本の系統樹(23)
「もいました。」(22)
『馬的思考』、一冊置いとくヨ(21)
疲れた筒(20)
分別快楽(18)
プラスチック部(12)
『ガタカ』(11)
『キカ』(03)


2000年 9月
はみだす飛び出し絵本(25)
文庫本をローンで買いたい(20)
めくるめく書籍目録の誘惑 (19)
『ポール・ボウルズの告白』(14)
みんな平らになりたい (13)
『ひかりのまち』(08)
9月1日はパタフィジックに(01)


2000年 8月
虚言僻を伴う脳の病気の後遺症の証拠(08)
あなたの信頼に背くわたし宣言(11)
「シツレイ」の効果(16)
『モジュレーション』(17)
bookmark 4とbook bar 4 (20)
@(24)


2000年 7月
目玉に食塩水を~(04)
「今日」あたし、ダメかも。(05)
些細な気まずさの克服(09)
" code " のバッグ(15)
電気スタンドマン(18)
地図通りだ!(30)


2000年 6月
共感しなくちゃいけない脅迫(03)
期待のかたち(05)
「頭痛いので休みます」(06)
人サマのリサイクルをする葬儀やのバイオ度(12)
バービーの脚が指に(15)
ゴダール『映画史』(16)
合理的なプロレタリヤ医学(21)
『ミラクル・ペティント』(26)
『フルスタリョフ、車を!』(29)


2000年 5月
TOTOの味噌汁(15)
『エグジスタンズ』(24)
『棺桶の中で宙返り』(28)
『足にさわった女』(29)


2000年 4月
万年青春映画の恐怖(05)
死因を調べてもらう料金(07)
凸=H2cm、 20×20でいこう(20)


2000年 3月
『スリーピー・ホロウ』(07)
さぶいぼセンテンス(10)
実感のリロード(16)
セルフ・パブ『共生虫』(28)
『ストレイト・ストーリー』(30)


2000年 2月
生まれ変わったらmusicianになる(13)
泡の中身(15)
人が言わないことを否定する(16)
plastic book(21)
接続語の「ぶっちゃけた話」(23)





2000年3月

2000.03.30『ストレイト・ストーリー』
リンチらしからぬヒューマンなお涙もの、とか言われて賛否両論ですけど。
低音の不吉な音とくればリンチだからサスペンス狂気こわ〜・・・ということになるが、この映画全編を通して最もひやひやするのは、主人公アルヴィンが突然死んじゃうんじゃないかという不安。560キロを時速8キロのトラクターで移動する6週間のあいだにはいろいろあって、例えばミシシッピを渡っているときもぐぉ〜んと低音が入り、アルヴィンの目がちょっと剥き出しになって、なに、もうすぐなのに倒れちゃったりするの・・・とドキドキ、すると画面は墓場になり、あぁやっぱり・・・と思うとたき火が見えてきてなんだよかった・・・というような具合。音で誘ってドキドキなんて、リンチそのものではありませんか!
途中あることで鹿の死体が出てくる。笑う。しかもその後の処理がおかしい。おいおいアルヴィンじいさん、ジーンズも葉巻も帽子もキャンプファイヤーも全部かっこいいけど、その角(つの)を飾るのはちょっとオチャメでしょーという。
旅の途中、裏庭に野宿させてくれるおじさんが出てくる。終始いいひと。アルヴィンが旅立つ朝、コーヒーを飲みながらそっと見送るシーンを観てたら、これがもしジャック・ニコルソンだったらめちゃくちゃ怖いなぁと思う。
冒頭、隣人の女二人が名前を呼び合う。外は夏の終わりの静かな日溜まり。最後、再会した兄弟が名前を呼び合う。外は秋の木々のざわめき。そしてそのさらに外側を、満天の星空が囲い込む。少年たちは見上げて笑い、父娘も見上げて笑い、今夜私も見上げて笑う。
03.28と偶然にもryuつながりになってしまったが、村上龍がこの作品を本にしている。なおこの映画は実話をもとにしています。最後にどうしても気になること。アルヴィンがミラー・ライトを飲む田舎のバーのきまじめな感じのマスター、あの俳優さん、誰でしたっけ?


2000.03.28セルフ・パブ『共生虫』
富士ゼロックスのBookParkから、村上龍の『共生虫』がオンデマンドのセルフパブリッシングとして発売。そもそも『群像』に書いていた作品で、今月21日には講談社から出版が決まっていたのを先行して売ったもの。私が注文したのは3月10日頃だったろうか(0752/1000)。誤植があったらしくて納期が遅れ、手元に届いたのは結局20日。
セルフパブならではの点 = 早く読める(はずだった)、1000部限定だからプレミア付くかも、村上龍の手書き文章を印刷したものが巻末に付いている、スペシャルIDが与えられてホームページの特別コンテンツが見れる。
セルフパブにしなきゃよかった点 = 結局早く読めなかった、表紙の質感がどうしようもない、特別コンテンツったってぜんぜんたいしたことなかった、3500円(送料500円込)はやっぱり高い。
記者会見の内容によると、村上龍サイドのしきりで全て進んだらしい。結局講談社とゼロックスは直接コンタクトなし。印税は村上龍側が30パーセント、講談社が10パーセント。出版社を中抜きしようという動きでは当然ないんだが、講談社の人が終始なにも分かってない感じだったので実現したことだったみたいよ。
作家自身が作品の発表・流通に関してイニシアチブを取るという可能性を示す意味ではいいけど、本としての質感はゼロ。現在オンデマンド出版と呼ばれているもののスタンダードな装幀で、特に表紙はひどい。確かに「本」なんだけど、「本」って何だっけ?と思ってしまう。BookParkには装幀のことで何度か質問等してみたが返事なし。今回の誤植による遅配についての謝りの文章を見ても、とにかく早くプリントして配達する、ということに命をかけているのがよくわかる。せめて web とのからみに面白みがあればネ・・・始まったばかりだから今後に期待って言っておこう。
2000.03.26■漱石とその時代・の顔
『j-phone』の漱石トリオコマーシャル。「俺達もそろそろケータイ持とうか」と長男が言う。「いいねぇ」と次男と三男。「でも通話料(この表現は正確でないかも)安くなって3000円しないから、3人もいらないかも」と長男、次男。いらないと言われた三男、しょぼくれる。
日本協栄証券の広告にもおんなじ方法で漱石が出てくる。「漱石も驚いた!!売買手数料いくらやっても1取引1000円」って、目玉を剥き出し口を開けて驚いている漱石が。
最近1000円札を出して買い物するとき、j-phoneの、次男のあの意地悪〜い流し目や、三男の弱々しいいいねぇって声の漱石がそこに浮かんできて会計の邪魔をします。いずれにしてもあまりに自然なので、もしかしたら漱石ってそんな感じの性格をしてたんじゃないかと思う。
2000.03.23■ボウイ・バンク
かのデビット・ボウイがネット上で運営する「ボウイ・バンク」が、PDAや携帯電話によるワイヤレス・バンキングのサービスを始め、今月20日からweb上でワイヤレス用の通信ソフトの無料配布を開始。ワイヤレスによる銀行サービスの提供は米国でも初めてとか。
「ボウイ・バンク」は、今年1月にUSAバンクシェアーズ・ドット・コムとボウイが共同で発足させていた金融サービスだなんて知らなかったけど、果たして今後は追従する●●バンクが出てくるのかどうか。とにかく『地球に落ちて来た男』も、すっかり地球にいついていたのね。

2000.03.22■TBS君一家の陰謀
TBSの新しいシンボルマーク、ずいぶんいろんなものに似ているなぁと思いませんか。基本は『人』のかたちを擬人化?ん、違うな、もともとヒトのかたちなんだ、とにかく、のぺーっつとした人型のマーク。
東京三菱銀行のある広告にも、帽子を右手にもって「やぁ」というイラストがあって、これはTBSくん(という名前ではないが仮にそう呼ぶ)のお父さんだろうし、社団法人 部落解放・人権研究所のマークは、明らかに赤の覆面を脱ぎ、青服に着替えた双子の弟だし、アスクルのマークは浪人中の従兄弟のお兄さんだろう。
似てしまうことはよくあると思うけど、あまりにも見慣れたタイプのマークだったので、これはマーク界におけるTBS君一家の乗っ取り陰謀と見た。
TBS君はhttp://www.tbs.co.jp/mark2000/で、社団法人 部落解放・人権研究所のロゴマークはhttp://blhrri.org/blhrri/keihatsu/ki_index.htm、アスクルのロゴはhttp://www.askul.com/でご覧になれます。

2000.03.21■メロンのすじにぶちあたる
NTTコミュニケーションズの15段広告、日経朝刊。メロンの地球儀。
「世界のボーダレス化が進んでいるがまだまだ壁が多い、遠く離れた恋人ともっと自由に話したり、世界中の取引先ともっと早く安くデータのやり取りをしたいと思いませんか?(かなり抜粋)」メロンのすじを壁にみたてて、こんなふうに言う。
そういうメロンのすじみたいなものを壁って呼んで、ましてそれをボーダーと呼び、それを取り除くためにわれら企業はあるのだ!って言われても、そんなことでも壁と呼ばないと一生壁にぶちあたんないような安穏とした暮らしをしている私でも、メロンのすじにぶちあたって落ち込むことは絶対ないと思う。
2000.03.20■ジョニーと呼ぼう
春分の日の今日、東京は凄い強風だった。北からぼぉぼぉ。歩くのも大変。
春一番は春分の日の前に吹く南風を言うんだそうだ。つまり今年は春一番が吹かないままに春になる。そういう年の気候はどんな傾向にあるかという話に夜のニュースは進展していたが忘れました。今日の風、台風みたいに名付けられることもなく、特に季節感を醸し出すものでもなく、あの「強い風」のおかげでやっかいな休日だったなぁ、とか言われて終わるんだ、と思ったら、少し愛おしくなってジョニー!と呼び掛け窓を開けたがすぐ閉めた。

2000.03.16■実感のリロード
数日前の日経新聞最終面、青木進々さんの「知ってほしい虐殺の歴史」から。
ポーランドのある小学校で急に戦場にでることになった先生が、生徒に「日常生活を記録するように」と言い残す。子供達は先生の言葉通り、自分たちの日常生活を絵にする。青木さんが目にした戦争の絵は、その子供達が描いたものだった。彼はそれを画集としてまとめ、1985年『子供の目に映った戦争』として出版する。
この記事を読んで石垣りんを思い出す。
石垣りんさんは、銀行勤めで父と義母、弟、義弟の一家を支えながら多くの詩をあらわしてきた。仕事を終え、疲れて帰りつく家の玄関の前で聞く。「ここはどこなの?/私の家よ/家って、なあに?/この疑問、/家って何?」。その重みを「この、愛というもののいやらしさ」と言った。
老年を迎えたりんさんは「家族の大方を失ったあと、私は寥々とした岸に流れ着いていました。・・・この人たちに向けた私の愛の何という乏しさ。詩を書いてきたのも、悪いことだったかもしれないのです」とエッセイに書く。
日々の確かな体験をしるすのは実感のリロードの手段なんだろう。あまりにもささやかなはかない実感の累積で暮らせる毎日は、どこかで時々は自分の実感リロードをかけることを要求しない。感情の起伏を実感で得られなくなった頃、テレビの番組などでその疑似体験が始まる。誰かと誰かの話を聞いて、感動したり怒ったり泣いたり笑ったりたいへんでございます。そうしてさらにそのテレビの話題を持ち出された日には、一体誰の目をみて誰と話しをしているのかわかんなくなる。
誰もが自分の実感リロードを確実にやれればいいのに、そう思ってもなかなかできない。

2000.03.12■酸素マスクの使い方
今月11、12日の大阪ー札幌のスカイマーク便を『小樽よしもと号』と名付け、機内をよしもと一色にする、という記事を以前に読んだ。機内アナウンスやスチュワーデスさんは全部関西弁で!とのことだったらしいが、いわゆる安全装置の説明みたいなものだけは標準語じゃないとまずいだろう、というような内容。
飛行機にのったら必ず酸素マスクの使い方の説明をうけるけど、これをフンフンまともに聞く人はそうそういまい。よしもと仕込みの関西弁で手振り身振りも華やかに説明してもらえたら、きっとおもしろがってよく聞いて、使い方を覚えて心に残って、すごくいいんじゃない、結局どうした?

2000.03.10さぶいぼセンテンス
読みもしないで本を、観もしないで映画を、聴きもしないで音楽を評するのはナンセンス、でも誰にどう非難されても甘んじてうけよう、さぶいぼタイトルにはついていけない。
今日の新聞広告くぎづけは、『シャトウ・ルージュ』渡辺淳一著。フランスの古城で月子はいよいよ「ドレサージュ(性の調教)」を受けることになるという、性の深淵を描く小説(朝日新聞)!!さぶいぼいぼいぼだらけ。
まぁそういうのはほっといたとして、翻訳にからんでさぶいぼになってしまうケースは多いと思う。『本が死ぬところ暴力が生まれる』バリー・サンダース著、杉本卓訳(1998新曜社)。この手の断定とそれに群がる書評は気持ち悪い。鉛筆削り器やシャープペンを嬉々として作ってきた世代が、それを消費させる世代に向かって「いまのこどもは鉛筆一本削れない・・・」と言うのに似ている、ようにタイトルは思わせる。しかし原題が " A is for ox " であることを最近知り、読む。たぶん著者の真意はこの邦題のおかげで、本来伝わりやすかったひとには伝わりにくく、伝わりにくかったひとに多く伝わったでありましょう。個人的にはもっと早くに7割の反感と3割の共感を得ていたはず。邦題のつけかたに、限りなく、さぶ・・・。
映画編。『この森で、天使はバスを降りた』。たぶん原題は全く違うんじゃない?調べてないけど。「天使」「天使」って大騒ぎして相乗り邦題をつけてたその時期の配給だったんでしょう。そのうえ「○○は●●した」って、「○○に●●されて」とかと同じテイストでさぶ〜いのは、やっぱりその作為が稚拙ににじみすぎなんだと思う。ロードショーは一回でも作品は延々と残るから、その最初の利害だけで作品のイメージを壊さないでね。と言いながら『スリーピー・ホロウ』はもうちょっとなんかいい邦題がつけられなかったんだろうか、と思ったりしている。そうです、アメリカさんの持つ古き伝説に馴染みのない私だから。

2000.03.08■あたまのいいキミのエスノ度
最近日本のあたまのいいひとたちが、驚き呆れることを日常的にやっていることがばれて、さすがにニュースを読む人たちもこんなくだらないことを言うのはいやだろうなぁ、聞くのもいやだけどほっといてはいけないのだなぁと思いながら聞いている。
今日の朝日新聞夕刊『素粒子』でもこのことにふれていて、F.L.ライドの「専門家というのは考えるのをやめたひとたちだ。彼らは考える必要などあろうか。専門家なのだから」という言葉を引用していた。ライドがどんな状況でこう言ったのか知らないけど、昨秋、科学者のエスノ度にぶるっとしたことを思い出す。
それは有名な形成外科の先生の講演だった。まずは患者さんとの出会いから始まる個人的な動機の経緯、それを行動に移そうとすることで生じる軋轢、時代の流れが後押しして実現に向かい、医学界及び社会のなかで倫理を確立するまでのこと、そして後半はスライドを見ながら実際の手術の具合をみせてもらうものだった。これはほんとに貴重だった。すごかった。途中退席者続出。
どれだけの人がこの先生方のおかげで救われたことかと思うと同時に、どれだけの人がこうした可能性を知ることで新たな苦痛を覚えるのだろうかとも思ったが、なにより気になったのはその先生が言う「デザイン」という表現だった。以前他の美容整形の先生と話したときも気になったのだが、その世界ではあたりまえの表現として、手術の際のメスの入れ方などにデザインということばを使う。でも専門外の人間には違和感あるだろう、少なくとも私はとても気になった。
その先生の科学者としての熱意や興味、前進の姿勢は、講演が進むに従って白熱する手術の具体的な説明、そしてそれにともなって頻出することになる「デザイン」ということばから伝わってきた。それだけに、敬意とともに違和感が残ったことは否めません。もちろんこのことと昨今のばか話を一緒にするつもりはないんだけれど、きっといつでも世の中をになう一部のあたまいいひとたちの盲目は、追従するしかない凡人が、しかしそれゆえの広く浅い確かな目線をばんばんばんばん突き刺すことで、やっとやっと釣り合いがとれる気がする。
どんなに先端を生きているひとでも、その先っぽなりの日常がある以上そこの習慣のなかで相対的に暮らすだろう。そういうわけで雪見酒を飲みながら図書券かけて(マサカ)麻雀も普通にやるだろうし、おなかの脂肪とるためのデブ腹削除線のデザインの妙に夢中にもなる。エスノエスノ。ソリトンで受け流せないそのエスノのやっかい

2000.03.07■『スリーピー・ホロウ』
首なし騎士の伝説を基にティム・バートンが撮りあげたゴシック・ホラー。ジョニー・ディップがまたまた新しい表情を見せているが、コミカル氷室京介という感じ。科学でもって解明するのだ、と意気揚々と手製の道具を持参し、遺体解剖はヴェルサリウスばりの本を片手に行おうとする。
風車小屋から脱出して馬車にずりずりひっぱられるシーンなんか迫力満点、でも随所にバートン色がにじみ出て笑ってしまう・・・。骸骨の目玉はどうしてもびよ〜んと飛び出させたくなるらしいし、ひも状のものは寸暇を惜しんでにゅるにゅる伸ばすし。イカボッド(ジョニー・ディップ)の角革装の捜査ノートにはバートンの描く『オイスターボーイの憂鬱な死』(アップリンク1999)を彷彿とさせるイラストがいっぱいあって、最後のほうでこれを焼いてしまうのがもったいない!
バートンは整合性の無いものがくっついて醸し出す雰囲気を遊ぶのが好きなんだろう、ひとの体でいえば首と胴体が別々のテイストのもの。映画のなかでの例としては、丸い紙の表と裏に、鳥かごと鳥をそれぞれ描いてくるくる回すと、錯覚で鳥がかごに入って見える遊びをカトリーナ(クリスティーナ・リッチ)に見せながら「真実は錯覚かも」とイカボッドに言わせるあたり。
前作の『マーズ・アタック』(1996)は、『宇宙水爆戦』(1955)に出てきたみたいなチープだけどゆらめくイヤリングがなまめかしい骸骨火星人を中心になにかとイカして大好きだったが、同年上映の『ID4』とどういうつもりか比較されたりしてすっかりB級扱い。そぉカシラ?北島明弘著『宇宙生物大集合』(キネマ旬報社1999)の表紙は『マーズ・アタック』の火星人が一番大きく映っているよ。
スリーピー・ホロウの OFFICIAL SITE はこちら
2000.03.04■どっちも欲しい、カメラ
lomo人気はちょっと最近くさ〜い感じになっているけど、いつだってカメラは物心両ファンが適度な距離を持って愛してきたのだ。lomoやgokoはさることながら、ライカやローライファンでもほってはおけないんじゃないか→日本玩具メーカー系がおもしろカメラをぞくぞく発売!
1950〜1970頃の復刻版ミニカメラ(表現が正しくないかも)、『SHARAN』はメガハウスより24000円で4/17より発売、これはライカlllfモデルとニコンFモデル、東急ハンズと浅沼商会で販売するって。プレス用の写真で見たとき、大きさ比較のためにカメラの後ろにCDを置いたんだな、と思ったが実はそれはフラッシュだったみたい、ということで具合がわかりますね、でもちょっと下手、あの写真。
そしてデジカメにも玩具メーカー続々参入。
●バンダイ・4月下旬発売『c@mail』(仮称とはいえあまりにも野暮。絶対替えましょう)7800円・12万画素静止画でマックス80枚加工ソフト付き。
●タカラ・3月23日発売『あそ・デジカメ・スリムショット』7500円・ケータイとの連動計画中。
●トミー・昨年11月発売7800円・25万画素静止画でマックス15枚
デジカメの相場は100万画素超で5〜10万円くらいかな、300万画素以上が続々登場しているけど、市場が成熟してくると曖昧なモノは淘汰されるもんです。いいものはもちろん欲しいけど、おもちゃも欲しいなぁ。曖昧なヤツ・・・だから消費にカウントされない。
2000.03.02■酢酸を入れる高級ボトル★
レンジ、換気扇、トイレ、お風呂用・・・。専用洗剤を選ぶのはおもしろい。少なくとも毎年年末にはそれらを買い揃え、一度使ったら洗面台の下あたりの目につきにくいところに置くからすっかり忘れてまた年末、一年前に買った洗剤を見つけるが「もう一年たっちゃったからいいよね、心機一転、捨てる捨てる!」って捨てる。
酢がいいって言われてもすっぱくてね臭いが。百瀬いずみ氏によるとハインツのビネガーがいいらしい。ベストは薬局で買える酢酸を20倍に薄め、トイレや床の汚れや臭い、流しのくもりに吹き付けてて拭く。臭いがどうしても気になるならアロマテラピー用のオイルをたらせばいい。
今年は酢酸でいってみよう。そう決めるとどんなに増え続ける洗剤も気にならなくなる。希酢酸を入れるかっちょよい高級スプレーボトルを探そう。でも違うんだ。「そういう商品」、例えばしんぷるがすきなひとがえらぶむじるしりょうひん、みたいなやつじゃなくて、「そのもの自体がかっこよい」ので、それを、薄めた酢酸入れにしてみたくなる、というヤツね。別に古着が好き!なんじゃなくて、いいなぁと思うモノに古着が多かっただけという認識がわかるかたには理解していただけるはず。