BOOK BAR 4 > おかえりのすけ宅 > おかえり、あのね。

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2002年03月31日
まいど。浜金谷で魚
ホウボウ(大)→刺身+汁、クロメバル→刺身+煮付け、イサキ→焼き。みな上手〜い!かったが一番は中味しっとり焼き上がったイサキ、今夜はガスの魚焼き器でだが偶然にも完璧に焼けてしまう。各一匹づつで約1800円、他にトマト空豆菜の花生ピーで約1200円。熟れた昔トマトは粟國塩でばくばく、どっさり空豆も茹でて焼いてばくばく。
今日もまた、トレーラーハウスやうんちチビや朽ちた宿の裏を通ってずんずん歩くが、あるトンネルのところであっさり行き止まる。戻って椅子にすわって休んでいると、大声のひとたちが「アメリカはあっち?どっち?」とひとしきりしゃべって立ち去る。「そういえばどっちだ?」など話してたら、他のグループも同じ話題でハモる。太陽を見ればわかるのに、誰もが信じられないという風で可笑しい。千葉はえらい。広くて豊かだ。
2002.03.29
実はワカメさん
かつて波平さんの髪の毛をプツリちぎってしまった犯人は、実はワカメさんだったのです。ありがとうございます!詳しくはこちら。皆様の情報、心よりお待ち申し上げております。奥成達資料室より。
2002.03.28
ぷ〜んって、蚊が
もう出ました。
「色のバランスと形のスマートさ」にひかれて蚊の研究を続けている栗原毅氏の話によると、もともと熱帯地方にいたヒトスジシマカが、物流や温暖化で北上を続けており、これはデング熱を媒介するという。秋田まで確認済み。さらに、「蚊は人間のだらしない暮しに依存しているのです。動きが鈍い動物は、蚊にさされやすい」。俊敏に、動こう!
2002.03.27
涙、泪の。
気付くと目玉がパキパリするのでじわっと涙ぐむ。涙自体はいつでも普通にがんばってるが、昨今政治家などがすぐ泣くか入院してしまってしょうがない。
涙が武器に見えるということ、どうでしょう、それが武器になりうることを認識できなければ武器とは言えっこないですね。あまりにも上手に仕込まれた地雷を子供達に教えてた映像をみるとどうしてこんなことを...って思うけど、それとこれとはあまりに同じ問題でがっくりきます。
涙なんてついこぼれてしまうのよ。涙はつられる、だって落ちてゆくのだもの、そりゃあ重力にやられてやっと居る私たちは、つい(ここ大事)つられてしまうのよ。そういうフラジャイルさはそれぞれの個にとって愛おしいけど、そのデキゴトに過剰に反応するのは演出に過ぎない。
しっとりを取り戻した眼で西の空をみると、雨上がりのターナーな空。あぁなんてターナー!この安直な連想につい涙。こういうときは(トホホ)とかつけるんですかね。
2002.03.26
フラジャイルに「千夜千冊」の1/2
松岡正剛氏の「千夜千冊」500册記念トーク。最初、会場の雰囲気に違和感。始まるまで「千夜千冊」登場の本がスクリーンに映し出されてるのに誰も興味を示さない。???と思ったら、「構想日本」(?!)がやっているフォーラムのひとつとしての開催の模様。始まってしまえばそんなこと関係ないんですけど。
取り上げた本を順不同で羅列すると、テスト氏/日本のサブカルチャー/消えゆく言語たち/世の初めから隠されていること/ヨーロッパの歴史的図書館/物理学とは何だろうか/グーテンベルクの銀河系/華氏451度/機械と神/鏡の背面/ボクはこんなことを考えている/ホーキング、宇宙を語る/大衆の反逆/代表的日本人/眼の哲学・利休伝ノート/読みなおし日本文学史/小学生の俳句歳事記/日本語を書く部屋/人間という壊れやすい種(抜けてるかも)、これらがセイゴオ語でよどむことなく。
今夜一番印象的だったのは、あれだけ硬軟文理縦横無尽のぼきゃボラリの松岡氏が一冊づつ紹介するときにまず必ず「...でショックを受けました」と言うこと。shock!! その最初の情動を得るきっかけはいろいろあるが、本という場面で自分が与えられてきたことを公開かつ共有していきたいのだという思いがとてもとても伝わってきた。
氏は、日々増え続ける蔵書をまえに図書街を夢想するようになり、「こんな本がこんな棚に並んで誰もが自由に閲覧できる街」のデッサンを描くようになったという。それをみていた事務所のスタッフが、内緒でその紙上の街を3D化し、その映像が初披露された。アイディアだから即物的なデザインだったけど、いやぁちょっと想像しただけでもトイレにいきたくなる...。
トーク中は、静岡から自ら駆けつけた煎茶達人が松岡氏のために常に飲み頃の煎茶を用意し、トーク終了時には松岡氏お気に入りのジェシー・ノーマンを響かせる(私はこのホールが(さっさと終れ)の合図に音量をあげたのかと思った)という完璧な事務所スタッフのサポート。最後にキンキラの主催者が花束贈呈して写真撮ってたり出口で綺麗にお見送りされたこととのギャップすら、フラジャイルな我らよと思えた充実の三時間。
2002.03.24
金魚部お宝本、公開審査会
「わたしの詩考か詩法か詩の精神(スピリット)の方法かかまえか知らないが、そんなものがかりにあるなら、それは劇画の「子連れ狼」の勝負の場面とか、なにげなく泳いでいる金魚を眺めてる時とか、コルトレーンの精神の在り方、行方をその音楽から感じとってる時、そこから吸収しているのが、詩へのいでたちといわなければなるまい。...詩の学校などというのが、もしこの世にあるなら、ヨガの呼吸法のクラスとか肉体を鍛練するためのクラスとかをわたしは設けるだろう。...」『JAZZに生きるーディ・バィ・ディ』白石かずこ/1978/エイプリル出版より

2002.03.23
君と行(ゆ)きますタンク道(どう)
カメラが完璧に壊れた。何度か修理に出したがその都度「もう寿命ですよ」とテキトウ言う店のひとの嘘をあばいてきたカメラだ。
買ったのは1986年、発売翌年にダイフンパツしたのだった。おぅもう16年か御苦労でしたと思いつつ、じゃぁ次はど-するよと、機種に左右されるような手前ではないのに、めっきり高性能で軽く安くなったカメラを買い替える気分になかなかならない。
近所のディスカウント店が14年目にして閉店が決まってセールチラシが入る。日常の生活用品はほとんどここで揃えてきた。カメラもある。望遠付きのほどよいやつが出ている。ここでならこれを買ってもいいような気がした。
出かけて買う。珍しくあっさり決めたので驚かれる。帰って構えるがしっくりこない。もう決めたんだから、これからは一緒にタンクを楽しんでくれよと頼む。
2002.03.22
『落ち穂拾い』2000/フランス/監督:アニエス・ヴァルダ
現在の落ち穂拾いを、終了した市場、ゴミ捨て場、収穫を終えた農場、嵐のあとの養殖場付近、リサイクルショップ、芸術家の家、etc.にもとめたアニエスは、自分のしわしわの手もおさめながら、この映像こそ落ち穂デスと言ってるみたいだ。
穂は穂、それが落ちたことに意味付けするのは人それぞれだ。ゆっくり流れて、いろんな恵みがうまく循環できたらいいのにと思う。
2002.03.21
シュールな場面
今日はCSがつまんなくて、新聞折本しながらつけっぱなしのテレビからいろいろと。
(1)NHKのニュースを副音声できくのは楽しい。英語がわかった気分になれます。
(2)料理番組をみるとそれを作りたくなりますね、だから今夜筍の土佐煮。コツってやつ(水煮の筍を買うとヌカがすっぱいじゃないですか、あれは軽く塩茹でするととれる)を試してみたけどダメでした。こりゃ!と文句言おうと思いましたがそうかこうやってルーティーンが形成されてゆくのねと思い制御。
(3)長島一茂氏って天然ボケの対極のひとみたいですね、完璧に誤解しててしつれいしました、見事な操作に感動すら。
(4)黒柳徹子氏のユニセフなんとか番組。義足が並ぶ映像には、映画『カンダハール』のなかでシュールとよく称された映像がやっぱり重なる。同じことをとらえていながら後者のあまりの美しさ、だから観客はついシュールと口走ってしまったとたんに思う「シュールっていったい何?」感、この実感がなにより大事。最後に黒柳氏がアフガニスタンの子供たちに囲まれて言う、ユニセフに寄附をお願いします。子供達も氏の高い声につられたようによろよろとオネガイシマスを言う。カメラに笑って手をふって、オネガイシマスと言うことが楽しくなってきてだんだん声が大きくなる。可愛いなぁ可笑しいなぁと言いながら、そう思っているわたし達が彼等をあんな暮らしに追いやっているのに、というか、政治的なこと以前に、せいぜい私たちひとりひとりはどちらの可能性も持ってんのに、どうして今わたしはお願いされるところに居てニヤニヤしてんのかと思ってテレビを消す。ここんとこを撮られたら、なによりシュールじゃないか。
2002.03.20
土星食
今夜、福井と千葉を結ぶ線より北の地域で、土星食が見れるそうです。東京だと19:46から20分くらい、三日月の極下の部分をかすめるような感じ。小型の望遠鏡でもあればさらに楽しいけど、なくても想像して素敵な土星食を楽しみましょう。ご参考まで、昨年10月8日今年1月25日それぞれの土星食写真をどうぞ。いろんなかたがいろんな映像を公開されてて有難いです。
2002.03.19
「路程」は写っていなかったのか?!
昨秋、三島由紀夫の「路程」原稿が見つかった記事を折本したのです。それは1999年山中湖にオープンした三島由紀夫文学館が1996年に遺族から買取った遺稿のなかから見つけたものですが、その前年1995年に篠山紀信は写真集『三島由紀夫の家』のために、書斎もそうとうじっくり撮影したはず、としたらもしかしてその写真をすみからすみまであなのあくほどながむれば「路程」がどっかにころがってるかもしれなくもなくもないかも、なんていう不毛な遊びを想いながらできた折本17号を見てね。小宮山書店の三島コレクション棚へのイザナイもあります。
2002.03.18
木があると集まってしまう
近所でマンション建設中。このあたりではだんとつ目立つ高さで、入口の屋根部分には銅も貼ってたみたいだしなかなかしっかりした作りのようだ。最上階だけ日本家屋調なのは、きっと大家の家族が住むからだろう。空中庭園完備だもん。そんなつもりはないんだろうけど、やっぱり威張ってみえます。
今日は庭木を入れていた。ずいぶん大きい木が三本。おかげで通りの感じが全く変わる。まっすぐ見上げていた視線がそよそよさえぎられ、夏は秋は冬は春はどうなんのかと楽しみになる。すばらしい。とてもいい。
木はえらい。一気に周囲を味方にしてしまう。
2002.03.17
世田谷区立下馬幼稚園ご卒園のみなさまへ
奥成達資料室より。
昭和61年以降に上記幼稚園を御卒業されたかたを探しています。園歌を作詞した奥成達の資料室整理(作曲は渋谷毅!)のために確認をしたいのです。詳しくはこちらをご覧ください。ただし、園歌を、「元気に、明るく」歌ったヨイコに限りマス。
2002.03.16
飛騨高山の風の絨毯
日本=イラン合作映画『風の絨毯』の飛騨高山ロケが今日から始まったようですが、21日の高山まつり再現シーン撮影でボランティア・エキストラを募集してるようです。3月21日(祝) 12時より撮影終了まで、飛騨高山まつりの森広場にて。詳細はこちらに。
2002.03.15
こら!笑うな
第二回現代俳句大賞(現代俳句協会主催)は鈴木六林男氏に。「社会性俳句を中心とした活発な実作で戦後の俳句界をリードしてきた(朝日新聞)」。お名前がちょっと難しいが「すずきむりお」さんとお読みします。コラワラウナ。今年82歳。コッチガサキ。句集『一九九九年九月』など多数。
2002.03.14
覚悟。したい
玄海出版が月刊で出していた(1978〜81)『50册の本』(no.22p34/小説のなかの古本屋ー山下武)をみてたら、梶山季之が『せどり男爵数奇譚』をかくにあたって庄司浅水の本を無断で引き写していたことがバレ、庄司氏にお灸をたんとすえられた、とある。そっか、ことわっておかなかったのか。
ちくま文庫版『せどり〜』の解説では永江朗氏が、トップ屋だった梶山氏をかっこよく紹介してたが、自分で責任をとる覚悟ができてれば、どうぜバレるのがわかっていることを乱暴でもやってしまうのは全然平気かも。
ちょっとはなしが飛躍してますね。実は最近、「覚悟」ってどんなコトかと考えていたのでした。はじめての健康診断の結果が要再検査だったからです。マンガのベタネタだってのに、どうやらなかなか覚悟ならないらしいのです。呆れたもんです。
2002.03.13
そりゃあベージュさんに失礼です
宇宙の色といえばだいたい青系の濃淡を思い浮かべませんか。つい先頃エライ科学者が「宇宙の色は薄い青緑色」と発表しても、そりゃそうだろ宇宙は青よ、とただ思ったもんです。ところがそれが「計算に使用したソフトに欠陥があり、正しくはベージュ色だったことが判明」と言われるととたんにオイオイとなる。
この広大で神秘的な宇宙がだよ、ベージュ色でいーわけ?という、根拠ない異論。ところがじゃぁその色にベージュじゃなくてもっとぴったりくる名前を考えようという呼びかけがあるっていうからナンセンスの極み。それは「ベージュ」(ということば)さんに失礼じゃないか!!と言いつつ、なんかないっかなーってね。
2002.03.12
レジで訓練
コンビニでバイトするがんくんは、980円の買い物に対して980円出しても1000円出しても、「チョウド980(1000)円お預かりしま〜す」と言う。スーパーのふみさんは1002円出すと「千トビトビ二円お預かりします」と言い、まつさんの場合は「千トビ二円」と言う。なにがちょうどでなんで0をトブのか不思議で可笑しく、(来た来た...)と楽しい。人それぞれの定番の物言いにさらされて、客はレジで瞬時に豊かな言葉の理解を訓練する。
おつりは「大きいホウから一、二...」にもいつのまにか慣れた。思いきって小さいほうから返されたら、客は不安になるのか。もっと思いきって500円以上を大きいホウにしてやってみてはどうか。やっかいでスリル満点です。
2002.03.10
ピンクの肋を解体します
空中線書局から『ピンクの肋』が届く。未生響×間奈美子による言葉と造形の遊戯本シリーズ「ビブリオ・アンテナ(6)」だ。
booky!しつつ、空中線書局の頁を、書局発行の冊子に加えて、書局が装幀・造本を手掛けた本の一部も加えて新たにしましたので見てね。
なお『ピンクの肋』は肋の解体をさっさかできるひとでないと読めませんのです!シンセツなbookbar4は「解体成功者だけがたてる戸口に貴方をお誘いいたします」のでどうぞ。なお、佐々木聖×山下陽子×間奈美子による『散歩者の扉』出版記念展もお見逃しなく。
2002.03.09
販売部書籍係より
『Shimpei's 30 20歳への贈りもの』(1982/キリンビール株式会社)売り切れました。それから『NON』の在庫もあと2册になりました。ありがとうございました。
2002.03.08
ムム許す!ムネオとロシア映画
review-japanが「ムネオ喚問記念!?ロシア映画」を特集してきた。「3月11日の証人喚問を控えて...せっかくですから便乗...」というあっさり感がいいから許ス。ひじる?オンラインの『小幡章の入門ロシア極東生事情』など。照れ隠しだかなんだかで文章はちょっとズルいが、この本はテレビ新潟の番組をまとめたものとかでいいちょいすじゃないですか。
他に『動くな、死ね、甦れ』『ルナ・パパ』『不思議惑星キン・ザ・ザ KIN-DZA-DZA!』『惑星ソラリス』『オリエンタル・エレジー』などのれびゅー。ちなみに4年前、寅のパンツをはいたウチのキツネをヨシオからカネフスキーに改名したのは『動くな、死ね、甦れ』が大好きだったからです。
2002.03.07
スポンジ兄さん
薬局でとてもステキなスポンジ兄さん発見。詳細忘れてしまったんですが花粉症の薬の販促ポップ。
1センチ厚くらいのスポンジでお兄さんの横顔がかたどられている。後ろに回転する簡単なしかけがあり、その横顔スポンジをひっかけて引き延ばしたりはずしたりしていかにもスポンジ横顔がハッ、ハックショ〜〜ンとくしゃみをしている風に見える(なごりのユラユラが絶妙)わけです。
あんなに毎日毎日くしゃみしてスポンジ兄さんもたいへんなことだ。柔らかいくしゃみだからきっとストレスもたまるだろう。つらそうだなぁと、思ってしまう。
2002.03.06
なんちゃって矢印
旅するクレーを追った展覧会を観る。スケッチ・ブックもたくさん。
『軸を回る風景』1928。太陽に枯木立。水平線を定時観測したように風車的線。そして大ぶりの矢印。
クレーがたびたび用いた「矢印」については、バウハウスでのクレーの講議『絵画的な理論への寄与』1922や「芸術は超越への試み」ということばをひいてカタログで解説し、クレー協会の申し出を受けてエジプトに一人で旅した頃に描いたっていうが、どっちかっつぅとこの場合は(なんちゃってね)的緊張のずらしがふくよかに漂うのは観るひとが暢気だからか。
旅をする。印象に残る。描いてみる。描かれたもの、それはいったいどこの何???
矢印ご参考→BAUHAUS COSMOLOGY私の武器は西の矢印(『西の長さ』より)
2002.03.05
020305
ほらまた忘れました、昨日は020304だったのに。
あっという間にちっとも面白くない020305です。
2002.03.04
ごぼうの蒲焼きと母親の不思議
肉が嫌いになったのは、給食カレーのブタコマのせいだろう。年に数回ある「人気メニューの日」は必ずカレーとフルーツポンチ、隣の学校の人気メニューもやっぱり同じ、その隣校でも不思議と同じ、しかもいっつもカレーはブタコマ、なんでブタコマだけどブタコマ。給食当番の誰かを買収するか、ダメなら牛乳のフタに押し込めて捨ててとっとと遊びに行くしかなかった。だから成人してあっさりバチがあたり、南平台のある店の生姜焼き丼で二度もジンマシンが出てしまった。
親のせいとは思えないが、母は今でも気にしている。で、今日の宅急便はこうだ。「おもしろいものができました。ごぼうの蒲焼。うまいよ。」
そう、話はいつの間にか変わって、肉と似た感じで半端に嫌いなのがウナギ、うな丼身抜きが好物の私の母らしいめぬ〜である。甘辛く蒲焼いてゴマたっぷりのごぼうは冷めてもウマくてばくばくつまむ。最初っからゴボウ料理として食べてうんとおいしいのに、ウナギの蒲焼風ゴボウ料理って言われるともっとおいしいような気がするのはなぜか。
だけどどうして母はヨークベニマルの刺身お造りの入れ物にきれーに並べて入れてきたのか。わざわざタッパーではないのは意図があるとしか思えなくて、こっちのほうがよっぽど不思議。
2002.03.03
律儀
そこの角の肉屋の生け垣を過ぎながら、この季節は「公道」にぼたっと落ちた椿を拾う。春には生け垣から「公道」にちょっとでもはみでた木の芽をいただいて筍に添える。この律儀さはかつて、葡萄畑沿いの近道が下校のルートであったからだと思う。
向かいの家の梅もぽっぽぽっぽまた咲いたが、決して「公道」には出ずにすっくと伸びる。その隣の柳はある年の台風で「公道」をふさいだのが因で今はもうない。私も律儀に「公道」を歩く。なかなかストイックな午後だ。
2002.03.02
三婆通り
誕生日など本来本人の知ったこっちゃないから誰かと同じだとしたって別にいかほどのものカだが、やっぱりなんだかそんなことがわかった日には握手などしたくなるもんである。
マスターは私が生まれた日に成人になり、その年にお母さんが店を始めたんだという。「ここは三婆(ルビ:さんばば。意味:三人の名物ばばぁが店を今でもきりもりしている)通り、おっさんの俺にダヨ、婆たちは『おぅボンお帰り』って今でも云うんだ」という。
ひとりづつ、間違いなく年をとってたいへんだ。だけど今隣にいる誰かも全く同じ時を過ごす。なんだか皆めちゃくちゃイキモノですナと可笑しくなる。
2002.03.01
この本は私に会うためにここにあった、というゴキラク幸せの日
本は好きですがタンキュウして探しまくることはほぼありません、が、ふらと立ち寄ってつらつら眺めていたらOー欲しかったあの本がゆうに2cm飛び出して見え、この本は私に会うためにここに居た!というお気楽極楽な幸せを得た日はたまりませんです、ね。そんな日よ今日も、学芸大学の「流浪堂」で。
1)陳舜臣『闇の金魚』。ポンと飛び出て350円。講談社文庫で今も新刊で買えるのですがまぁそのわざわざ探したのではない、ってことで。欲しい理由は金魚部お馴染みのかたにはおわかりね、ふふ。
2)遠藤櫻子『青山ロブロイ物語』。ポンと飛び出て1000円。世界文化社絶版。遠藤さんも『青山ロブロイ物語』も知ってるんだけど、これを古本屋で見つけたことがうれしいのであります。ナゼカ(←ここ大事)絶版なので、昨今この時代のジャズものを扱う古書店でお目にかかる日を楽しみにしていたのです。
さて出会うべき本はその人の目の前で飛び出るのか否かという大切な問題、これはねー、飛び出ますよ間違いなく。気にしてたら認識は早くなるもん、それはスナワチ飛び出る(とわたしたちは思ふ)。それだけのことが、すごくすごくうれしいわけです。