月別履歴(タイトル抜粋)

2002年 10月
2002年 09月
2002年 08月
2002年 07月
2002年 06月
2002年 05月
2002年 04月
2002年 03月
この本は私に会うために(1)
律儀(3)
なんちゃって矢印(6)
ピンクの肋を解体します(10)
世田谷区立下馬幼稚園(17)
「路程」は写っていなかったのか?!(19)
『落ち穂拾い』(22)
フラジャイルに「千夜千冊」の1/2(26)
実はワカメさん(29)

2002年 02月
スタイルの速度。音/映像/文字(1)
0020202の本棚(2)
『オードリーとフランソワーズ』(4)
『紙魚の手帳』12号(7)
東京駅。どっち側に降りて本屋に行くか(9)
本のことなら憶えてるが...(12)
行方不明新聞折本公開捜査(13)
佐伯俊男(14)
『ユビュ王』にくそったれ!ってそのまんまな...(16)
その穴のさきにあるもの(17)
家庭の医学と専門書の断絶を埋めるもの(20)
ジャリなら自転車こぎこぎ冷し中華を(21)
図書館のちょっと無理矢理(26)
送料に限って言えば(27)
月が最近(28)


2002年 01月
あけましておめでとうございます(1)
腹ぺこタイシ(4)
ランクアップした二百円のおみくじ(7)
方角が悪いんです(12)
カタログに載るモノ(20)
お、い〜ぞ〜(21)
冬もボサノヴァ(23)
ぽんぽこたぬき工作(26)
図書館はうるさいのだった(27)
『ナージャの村』(31)

2001年 12月
皆やさしくってヨ(1)
『寄席の脚光』(4)
無理して本屋でバイトすな(5)
大踏切書店でイッパイ(8)
いらないものばっかり残るのよ(13)
ママゴトやっといてよかった(17)
sold out 通知(22)
「2001年宇宙一瞬旅」(25)
不吉な夢もなんのその(26)

2001年 11月
愛犬は0.5(4)
自分で勝手に無理してグチる茶番(5)
どこのどいつ(6)
ひとの書棚を覗くのは楽し(9)
「広告としてのイラスト」(11)
かき×かぼす=マンゴ(13)
どこで区切って無駄と言う?(15)
「学校どこ?」(16)
岡ノ上鳥男様 田辺茂一(20)
おかえりのスケ本登場(26)
webで本をめくりたいひとはいないでしょう(30)

2001年 10月
bookbar4楽天ブックス開店(01)
鉄の扉「絶版」で幽閉された本の脱獄幇助(02)
本コ子雑誌、即物的体験を池袋リブロで(05)
おれなら桜を植えに行く(08)
眼の日は啓祐堂で眼のコヤシをいただく(10)
ライブ辞書を作るゾ(15)
新聞折本第八号(17)
製本-花ぎれの固定(18)
NONを見よう(19)
実感トハ恥ナリ(20)
透明酒は...(21)
となりの客はよく肉食う客だ(22)
わたらせ渓谷(27)


2001年 09月
意の外(01)
これを読んだら呪ワレル(03)
葉書文庫本(04)
均一つながりの本と新聞(05)
広辞苑、外に連れ出し運動(08)
平まどかのベルギー製本留学記(09)
コソコソするのはなぜ(17)
グリコのポーズ、やってみて(18)
それ、名前なんですけど...(19)
あどべんちゃブラリ(25)
オノ・ヨーコと朝日新聞(26)
温寿司(28)
まじ秋(30)


2001年 08月
横顔ばっかの金魚(03)
『チェブラーシカ』(04)
クモの糸をどう使うか(09)
人工雨、日本編(11)
空中金魚(13)
防ぐのが礼儀(14)
炭化菜種降りしきる花火大会(18)
屋久島の森に(28)
宇宙人と妖怪(30)


2001年 07月
くだらナイ→すまナイ(02)
やっと処分したっていうのに(03)
「ドキドキ」を見て体の頼りなさを (05 )
観本旅行(06)
おでかけには「じろう」を(1)
『ラッチョ・ドローム』(12)
いってきますじろう問題(15)
これは本なのですか(16)
「本は傷んだら修理すればいい」(17)
「うまい」か「おいしい」か(19)
エーッ○エーッ○エッ○ホイ○ッ○(23)
新聞折本第三号(25)
ネコとシャクシとキミと(26)
自由カラは逃走できない不自由(29)
夏はこれからだってば(30)


2001年 06月
ダダ書房店主に惚れる(04)
日焼けサロンじゃあるまいし(07)
製本アトリエ記11 (08 )
図書館には何を探しに行くか(10)
『ミリオンダラー・ホテル』(13)
人間を本に変える銃(14)
スクラップ帳をスクラップ(16)
死を待たずにとる魚拓が失うもの(17)
辞書である前に本でもある(20)
さくらんぼの味(24)
ああやっぱジンセイって(27)
金魚部第二回秘宝展(28)
図書館オチの古本(30)


2001年 05月
SPACE ODYSSEY(06)
新入部員は銀魚(09)
製本アトリエ記10 (10 )
「本コ」誌第一期終了につき(15)
never 金魚(16)
日に月に媚びず。(19)
ベストセラーがバカバカしくなっちゃって(20)
新聞を3回折って本にする(21)
『地獄の黙示録』(24)
新聞本の祖父は「くそ」と詩をかく(26)
「言葉はサーファー」説(27)
ナはテイをアラワスか(28)
祝いの席には花火か蜘蛛か(31)


2001年 04月
言いそびれ(04)
宅配から机配へ(06)
金魚部、無念(07)
一般市民ですけど(12)
書肆啓祐堂誌「黄金の馬車」(16)
切手詰め本(18)
「五点支え法」実験装置(19)
東京国際ブックフェア2001(21)
花ぎれ、できた(23)
おかえりのすけ事件2(24)
『ツバル』 (25)
探し選び奪う退屈(28)
ぶらりの卒業(30)


2001年 03月
カフェでふと(01)
日記の積み重ね(06)
忘れてはならない直感。(10)
「荒俣まぼろし堂」最終目録(11)
『キャラバン』(13)
『あらかじめ失われた恋人たちよ』(14)
ナヲナノレ(16)
記憶はひとの身体に間借りして(18)
後ろからやってくる(23)
夢は誰がみているか(25)
第一回金魚部秘宝展極秘開催(26)
図書券の使いかた(27)
閉店間近に耳ダンボ(31)


2001年 02月
窒息おかえりのすけ(01)
恐縮は笑い飛ばす(04)
他人様の土俵で燦然と輝いてしまうNIKE(07)
ダダな漢字(12)
へん平時代(15)
雨の筋に傘は目盛る(18)
『シュリ』(20)
タエコ・リズム(22)
NONでシールを貼ってもらおう!(23)
プロ紙に敬意を表した本(25)
ウリポな文学者の皆様へ(26)
万能web出版(28)


2001年 01月
初詩集『心配の速度』(06)
4×4 = 8 vs 365-6=358(08)
図書館ホテル(10)
中村文庫(14)
発禁と戦い、秘められた名作を(19)
" BOOK BLESS YOU. "(24)
ダイヤル・ビーチへ行こう(31)


2000年 12月
缶詰文庫(01)
星の王子さまが観た星空(05)
砂時計のくび(14)
目論書本(18)
新聞折本プロジェクト(20)
金魚部に西洋の旦那が(22)
環太平洋的に詩集(27)


2000年 11月
『グロリア』(02)
同級生が有名人になってしまった場合の卒業文集(03)
真空凍結乾燥機を入れてくれ(05)
がっくり(06)
カンガルーとおやじ(12)
吹き出し、開放(13)
銀杏書房(16)
『ラテンアメリカ光と影の詩』(20)
いかに多くの「思わずできたもの」(22)
おかえりのすけ事件(23)
「いんちき」とは何かを『桂離宮』に識る(24)
なかったことに(26)


2000年 10月
度忘れの度合い(31)
『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』(28)
本の系統樹(23)
「もいました。」(22)
『馬的思考』、一冊置いとくヨ(21)
疲れた筒(20)
分別快楽(18)
プラスチック部(12)
『ガタカ』(11)
『キカ』(03)


2000年 9月
はみだす飛び出し絵本(25)
文庫本をローンで買いたい(20)
めくるめく書籍目録の誘惑 (19)
『ポール・ボウルズの告白』(14)
みんな平らになりたい (13)
『ひかりのまち』(08)
9月1日はパタフィジックに(01)


2000年 8月
虚言僻を伴う脳の病気の後遺症の証拠(08)
あなたの信頼に背くわたし宣言(11)
「シツレイ」の効果(16)
『モジュレーション』(17)
bookmark 4とbook bar 4 (20)
@(24)


2000年 7月
目玉に食塩水を~(04)
「今日」あたし、ダメかも。(05)
些細な気まずさの克服(09)
" code " のバッグ(15)
電気スタンドマン(18)
地図通りだ!(30)


2000年 6月
共感しなくちゃいけない脅迫(03)
期待のかたち(05)
「頭痛いので休みます」(06)
人サマのリサイクルをする葬儀やのバイオ度(12)
バービーの脚が指に(15)
ゴダール『映画史』(16)
合理的なプロレタリヤ医学(21)
『ミラクル・ペティント』(26)
『フルスタリョフ、車を!』(29)


2000年 5月
TOTOの味噌汁(15)
『エグジスタンズ』(24)
『棺桶の中で宙返り』(28)
『足にさわった女』(29)


2000年 4月
万年青春映画の恐怖(05)
死因を調べてもらう料金(07)
凸=H2cm、 20×20でいこう(20)


2000年 3月
『スリーピー・ホロウ』(07)
さぶいぼセンテンス(10)
実感のリロード(16)
セルフ・パブ『共生虫』(28)
『ストレイト・ストーリー』(30)


2000年 2月
生まれ変わったらmusicianになる(13)
泡の中身(15)
人が言わないことを否定する(16)
plastic book(21)
接続語の「ぶっちゃけた話」(23)





ここに直接来ていただいてるかたには御案内が遅れましたが、ほぼ隔週このページの抜粋+/-αを、メルマガ『おかえりのすけです。』として発行。詳しくは上記画像をクリック!

2000年10月31日


■度忘れの度合い
「ほら、なにのそれでこれがあれだよね」的会話が始まったらヤバい。「そういうときは時間かけても思い出したほうがいいらしい」とも聞き、(せめてもの自衛でそんなときは思い出そう)という決意も空しくなるほど、そのテの会話が多くなる。
昨晩もナレーションの話しになり、あのほら、おだやかな話しっぷりで有名なほらあのだちょうクラブのリーダーとうりふたつでよつやシモンにも似たあの...って、延々「あ」から「ん」まで何度も往復しつつ今の今も思い出せない彼の名前はナンダッケ...。
やっぱり人体の拡張への憧れってのはいつだってこの身に宿る。昔は辞書を、めくりやすいようにとか言ってシワシワにしたり、覚えたページは食う!っていう奇人もいたもんだが、そういう軟派なことじゃぁおいつかなくなったので電子辞書を買う。
CASIOのXD-S2100。広辞苑(第5版)+ジーニアス英和/和英辞典+大修館監修の類語/漢字辞典。ページをめくるよりキィボードに打ち込んで往来するほうが間違いなく早い。なにより軽い。で、彼の名前はなんでしたでしょうか...。


2000.10.30 ■「のために生まれる」
フォスタープランの15段広告。
「子どもは、川に水を汲みにいくために、生まれたのではない」
そのあとに「水がなければ、人は生きられない。しかし、水を得るために、人生があるのではない」「...水を汲みにいくために失う時間を、ほかの大切なことに使える子どもが、世界にはいっぱいいます」と続く。
このNGOの活動については心から敬意を表すが、なにを尽くしても、たった今もまた水を汲みにいかざるをえない子どもが必ずどこかにいるんだし、その行為を全て否定するってのはずいぶんと傲慢だし哀しい感じがしました。表現が良くないと思いました。
2000.10.29 ■ 頓珍漢な解釈
何かを読んで頓珍漢な解釈をすることが良くある。先日の長尾さんの詩集「頭の名前」の表紙について、私は、いったい何「もいました」なのか、いったい何がいたのか....?という不毛な想像をしているが、答えはなんと「お」であったのだ!「お」です、「お」。ハイ、続けて読んでみて下さい。ね、いいでしょ、そうなんです、全然思いつかなかったもんネ...。
ちなみに表紙の彼はその日ボカンと犬を殴ったりしていないし、そこにあったのは太陽ではなく月であったようですが、なんだかすっかり勝手に楽しませてもらっちゃいまして恐縮です。
2000.10.28 『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』(1999年/アメリカ)
冒頭、ヘザーの机が映る。彼女が撮影のために持っていこうとしているものがそこにある。「森でのサバイバル」、「ひつぎ岩」、そしてヘザーの資料ノート。 「ひつぎ岩」でなにがあったのかを伝える本は、古い革装。がぜん、気になる。
映画のもとになった伝説の舞台は1786年で、伝説を伝える本は1809年に発刊されたとある。前述の「ひつぎ岩」は、彩色していない革を地に、魔女ブレアを描いて桃色系の革でモザイクしてあり、これは、1890年頃にパリで流行したポスターを模したスタイルじゃないかと思うが、アメリカにおいてはいつ頃の流行になるのかちょっと今はわからない。
とにかくそのあたりまでの気遣いが好ましい。監督であるダニエルとエドゥアルドは「映画は物語を伝えるもの」と言う。なにもなくてもできるのは想像。それが複数のひとに受け入れられるものになったときに物語は生まれる。この映画が多くのひとの興味と参加を呼んだわけは、なによりここに在ると思う。
2000.10.27 ■ 製本アトリエ記(04)ロニャージュ〜やすりがけ++レベル24
フロッタージュして背を固めたら次は本文の天地を整える。保護と装飾のために金やプラチナ、染めなどを施すが、その前に天地にやすりがけをして整えるのだ。言うところの「ツルツル」(日本語)は文字通りつるつるにまっ平、「テモワン」(フランス語)というのはより自然な感じでばらつきがある状態、さぁどっちにしよっか。
今回やる本はプラチナ箔にしたいのでつるつるにする。が、天があまりにも不揃いでこれをやすりでやるのはたいへんだなぁと思っていたら、根気のない私を既に見透かしヤバいと思ってたジュンコさん(先生)が、ベルギーに旅立つ直前のオヤカタをラチし、ロニャージュロニャージュ!と言う。ロニャージュ???
この工程は言葉で説明するのが超難だが、同じ長さで物を切りそろえるための珍法。からだの動きとしてはカンナがけに似ていて、すっすすっすひいたりおしたりしつつ微妙に刃の長さを調節して、決めた長さで本文をすぱっぱっと切っていくのだ。ひとしきり切ったらその後をやすりで微調整する。
これはセッティングがまず難しいし、一気にリズムにのってやらなければならないので素人には危険すぎる。ありがと、オヤカタ。気をつけてね。チョコ、待ってる。

2000.10.26 ■藤井敬子「旅する本」(ルリユールとエッチング)
藤井敬子さんが造る本を見てるとセッションだなぁと思う。その中身であるテクストや版画と、構想のモトになったものと、素材と、そして藤井さん自身のイメージと技と、そのどれかが突出することなく、製作過程の全ての時間中互いのかけあわせが響いていて、せっかちな藤井さん(1)とワザ師の藤井さん(2)が二位一体となってアタックナンバーワンなんだろう。とても繊細なんだけど勢いを感じるんだな、これが。
それぞれの製本に使われた素材や質感をコンパクトに活かした手帳サイズの作品説明ブックも展示されてて、手に触れて楽しめます。こっちもまた、可愛いんだこれが...。
東京銀座のガレリア・グラフィカbis(03-5550-1335)にて10/28まで。
2000.10.25 ■着信音の行方
NTTドコモが開発している新しい携帯電話は、手首に巻きつけるものらしい。着信は振動でわかり、相手の声は指を耳に突っ込めば聞こえ、そういうスタイルをとると口元に手首がくるでしょ、そんでそこに組み込まれた小さなマイクに向かって自分はしゃべるらしい。よりウェアラブルで音害の少ないものをってことなんだろうけど、ホラきみ、今指を突っ込んでみたでしょ、どう思う?ホジホジせずにすま〜とに電話をきれる?
着信音といえば、今朝すれ違ったお兄さんのやつが、昔の黒電話のりりり〜〜ん的だったので思わず振り返ると、鳶姿眩しく、ヤルな、と思った。
2000.10.24 ■いつのまにわたしたちは
いったいいつの間に私達はこういうひとを総理大臣に選んでいて、いつの間に、こんなひとたちを代表とし、そんなことで自らを、それ以下のひとに成り下げてしまってたんだろう。
2000.10.23 ■本の系統樹
横田順彌氏といえば、学校の日本文学史上ではおよそお目にかかれないナゾに満ちた作品の数々を発掘して読み解き、なんでそこまでどうしてそんなことを...と他人がいぶかることを淡々と探り抜いて脈絡を明かしてしまうという妙技を、これまでもいろんなところで見てはアングリしてきた。
だいたい巷で「雑本」と言うのは、それを分別して示せるひとがまだいないからにすぎず、日本の古典SF分野だって横田氏らによってまさに雑本のなかから分別されたばかりと言っていいだろう。歴史のお勉強は大嫌いだが、氏の研究を見ると、探し当てた著者の遺族への心遣いまで含めて、歴史を読み解くのってクリエイティブなことだなぁとつくづく思う。
一冊づつの雑本の可笑しさっていうのも確かにあってbookbar4でも come on a booky! のなかで取り上げているが、本って所詮系統樹内に必ずあるから、それをイモヅル式に探る程に面白みが拡がることは間違いないもんね、最初から狙うと気が遠くなるだけだけど。
たまたまブリヂストン美術館で『雑書にみるもうひとつの文学史』のタイトルで横田氏が講演されたので書きました、ちなみに28日は鹿島茂氏の『モロッコ革の匂い』。全4回で『古書のコスモロジー』、今後どうまとめ展開されるか、期待。
2000.10.22 ■「もいました。」
96年秋というのは思えば4年も前のことで、それは高校一年生が小学校六年生のときを思い出すことに等しいというから、時の流れは決して同じリズムを刻んでいないことが良くわかる。
96年秋にbookbar4はスタートし、その翌年には長尾高弘さんのHPを訪れていたと思う。その頃はまだ詩のジャンルでのHPは数える程しかなく、そのなかで日本では突出して様々な表現方法を試み、詩のソフトもハードもご自分で作り、多くのひとに影響を与え、そのスタンスは今も全く変わることなく、そいうわけで従来の出版社からの新作の詩集もごくごく当たり前のこととして届く。2000年、『頭の名前』。
表紙。子供の絵(ですよね?)を使うのは確信犯的反則、まぁ則なんて所詮人が決めたもの、だからどうでも良くて、「もいました。」と赤線がひかれた文字がドン。
まっかに燃えた太陽の下でポチ(たぶんそんな名前)を棒切れでボカンと殴るボクの絵日記に書かれたのは、いったい「なに」「もいました。」のか?に思いがまずいってしまう。
ものごとの、あまりにも多くの側面、長尾さんの、あまりにも多くの側面。その楽しさ残酷さ曖昧さ自然さを、「もいました。」って言う。「も」「も」「も」「も」いて、だから太陽を見て笑ってポチをボカンとやった日の君の日記はそんなふうにポロっと書かれて残る。
「も、いる。」し「も、いて」、「も」だらけが集まって、それでやっとひとりになる。
2000.10.21 ■『馬的思考』、一冊置いとくヨ
以前ずいぶん探して見つからなかったアルフレッド・ジャリの『馬的思考』を、古本光堂(幻想・シュールリアリズム・SF・推理・怪奇・官能系文学の絶版本・稀少本中心)という古書店のHPでふと見つける。驚いた、だがすぐに(呼ばれた)とか(私のためにそこに在った)と大きな気持になって注文する。現物を確認しておきたかったので取りに行く。あった、しかも二冊。状態は悪くない。なんとなく二冊買っちゃおっカナ〜と思う。
お店の猫がゆっくりと足元にやってくる。そもそもこの本のことを教えてくれた見ず知らずの人たちのことを思い出す。実際は誰も手にしていないということでその話題は途切れた。
猫は寝そべり、ふんずけそうになる。あのひとたちに知らせたくなる。「おかげさまで見つけました、ここにアルよ。一冊、置いてくから」伝えるすべがないのでここで言っとく。

2000.10.20 ■疲れた筒
ヒトの体は筒なので、口〜内臓〜おしりという、ヒトから見れば内側だが実際は外側のところを、ただ食べ物は上から下へ落ちていくつもりでいる。ところが御飯は、残せばゴミだが食べればうんち。つまり浄水装置ばりの炭素な筒々が、その機能を発揮したくて街を歩く。
血尿が出る。どんな感じでそうなったのかに思いをはべるといつのまにか視点がとてもミクロになる。そうそう暢気も言ってられない。クコの実スープにウーロン茶、どんどんどんどん流し込む。ダルい。すぐ眠くなる。疲れがたまってたらしいことにやっと気付く。きれいな尿になる。たったひとりこの筒を知りうる私なのに、ニブくてごめんと謝る。

2000.10.18 分別快楽
(今朝は収集が早かったんだなぁ)と、からになったゴミカゴを横目に歩いていると、向こうからビールの匂いをぷんぷんさせた男がガラガラと自転車に乗ってやってくる。そう彼は、ゴミ収集車の先を行って缶を集めて麻袋に詰め、それを荷台にいくつも束ねて運んでいるのだ。ビール缶だけ集めた端正な袋詰めに目を奪われる。
そういえば日曜日の散歩の途中で、缶用のゴミカゴのなかにほおりこまれたコンビニの袋をくわえて外に出す分別カラスを見た。分別協力ありがとう、と言う。彼の好みはスーパードライ、選りすぐって運び出している。硬質な素材感住宅を好む都会派なんだろう。
分別して皆楽しそう、それとこれの違いを見分けられるものだけが与えられた快楽。

2000.10.16 ■EYE LOVE EYE
『日本SF論争史』(巽孝之編、勁草書房2000)を読んでいたら巻末に『EYE LOVE EYE』というマークを見つけた。視覚障害その他の理由で活字のままで本を利用できない人のために、営利を目的とする場合を除いて拡大写本などの制作を認める、という印らしい。
こういう活動はこれまで多くの、しかし一部の方々の手によって守られ受け継がれ、その手間ひまはたいへんなものであったに違いない。今ならそれは、技術的にだいぶ簡単にできるようになったし、分業して参加する方法と機会も増えてきたように思う。
会の活動についてまだ詳しく知らないが、とりあえず巻末にこのマークを見つけたら、その著者と出版社の意識に◎でしょう。本は、読みたがるひとから読まれたい。そのためには身体を、どんなふうにでも変容したいはずなのだ、お〜プラスチック

2000.10.15 ■描いて楽しいからいけない
手書きの文章じゃないと読んでくれない人から「字が乱暴です」と言われた。思い起こせば小学生のとき、なにか悪さをすると放課後ノートに漢字を書かされ、早く遊びたいばっかりに字を書くのが早くなった。高校生の頃、現代国語の先生であるまことちゃんに「答は間違っていないがあなたのためにこれは×にします」と、字が汚いから試験の点数はあげないと言われた。社会人になり仕事で一緒のプロジェクトにいた豆粒のような字をかく人から「君の字は大きすぎて資材(レポート用紙)を無駄にする」と注意された。
確かにちょっと大きいし乱暴に見えるかもしれないし読みにくいし下手なのかもしれないが、たま〜に達筆ねぇと言ってくれるひとだっているしそんなに誤字略字もないはずだし、なにより字を書くことが大好きなんだケド...。これは日本の文字が、描いて楽しんであまりある美しいかたちをしているからいけないんだと思う。

2000.10.13 ■ リチャード・ファーンズワース氏が自殺
俳優リチャード・ファーンズワース氏が10月6日、ニューメキシコ州の自宅で短銃自殺した。享年80歳。今年日本でも公開された『ストレート・ストーリー』に主演し、監督のデヴィッド・リンチが言っていたように、まさにこの役のために生まれてきた役者という風情でとてもいい気持にさせてもらったばかりだった。末期癌だったらしいという話も聞くがとてもとてもとてもとても残念...。映画を観なかったかたは今月ビデオが発売になるのでそちらで是非。
2000.10.12 プラスチック部
plastic booker(?)であるわたしとしてはこのたびの白川英樹氏のノーベル賞受賞はことのほか勝手にうれしく、これを記念してプラスチック部(参考*金魚部)を始めようかと思っている。
白川氏は中学の卒業文集で「欠点を取り除いた新しいプラスチックを作りたい。安価に作れるようになったら社会の人々にどんなに喜ばれることだろう」と書いていたという。戦後まもなくの日本であるから家庭に次々と合成樹脂製品が入ってきたばかりの頃。
研究のひとつのきっかけになったのが留学生が実験で失敗して出来た膜だったと言うし、「化学賞としての受賞だが物理学との境界にある成果だと思っている、学問の境界がなくなっていくことを先取りした受賞かもしれない」と語っていたり、白川氏の最大の特質って変化とか変容ということに対する敏感かつ繊細なる感性なんじゃないだろうか。
勝手に名誉部長と任命させていただきまして、その感性を部活に吸収、活かしたいと存じます。
2000.10.11 ■ 『ガタカ』監督アンドリュー・ニコル/1997
遺伝子操作によって完璧に作られた適正者とそうではない不適正者が互いに成り済ますことで話は展開していくが、適正者であったジェロームは実は自殺未遂で下半身麻痺になったのだった。彼にとっては与えられた役割への抵抗のスベは死しかなかっただろうし、昨今の年輩の偉い方々の自殺のなかにはそんなような部分もどっかあるんだろーかと考える。
ここ数年、個人的にいちばん考えていたのは「役割」というコトだった。自分なりの答えを見つけるまでにはずいぶんいろんなモノを失った気がする。ただただ失い続けることなんてあり得ないから、その結果得たモノにまだ気付けていないと言ったほうが正しいんだろう。
『ガタカ』的には私達は皆、不適正者で神の子だ。適正たるべく役割など何も持たずに産まれてきたこと、昨夜たまたまCSで『野生の証明』を観ながら、功罪含みおいて忘れずにいなきゃと思った。
2000.10.09 ■ 印刷博物館
東京文京区の凸版印刷が創立100周年記念事業として印刷博物館を10月7日に開館。 まず入って、壁面にべったりくっつけられた本にガックリ。風合いよろしく作られたレプリカ本がページを開いた状態で本文をノリ付け(波打っている)されて並ぶ。触ってはいけないのだが触ってみると、開かれたページ以外は何も印刷されてないから、まるっきり展示用につくられた展示品にすぎないのだが、それが本のカタチをしているせいだろう、非常に痛々しく不快。
中に入ると開館記念企画の「江戸時代の印刷文化」展。日光江戸村、江戸博物館よろしく、江戸といえばこんな風にしたくなるのが業界のツネなのだろうか。
その奥は国内外の本の現物やレプリカ、印刷技術の歴史や工程の展示があり、それぞれの項目別に映像が用意されているが、辞書をビデオ化して分散した感は否めない。一本のビデオとして市場に出るのが前提なのかな。
一番奥に「印刷の家」という工房がある。ここでは自分で組んだ活字を、用意された一筆戔に10 枚刷らせてくれる。時間がなくて今回はできなかったが、有料でいいからちょっと大きめのものをやらせて欲しい是非。
作家やデザイナーのイメージと印刷の職人技の合致でどれだけ多くのすばらしいものが時代時代に作られてきたことか。それぞれの特徴を活かした印刷がいつでも楽しめるように、いつまでも多くの印刷の技術と道具が残っていて欲しいというのが本好きの気持だ。経済的に無理だというならこうしたメセナ活動で残していくしかないんだろう。
決して印刷好き、本好きとは思えないような展示法をする野暮な業者さんはまず替えたほうがいい。そして、どんな人に訪れてほしいのか、なにを楽しんで欲しいのか、何を残していきたいのか、究極の目的であるどんなメセナ活動をする企業として認知されたいのか、いまひとつはっきり伝わってこないところがまことに残念。上記のような理由で、ホントに期待したいんだけど。


2000.10.07 ■ 中村宏、図面蜂起ス。
鎌倉の小町通りに、必ず寄る古本屋がある。少し前にそこの硝子ケースに銅で装幀された稲垣足穂の本『機械學宣言』仮面社1970を見つけた。しばし見るも買わずに帰る。
京橋のINAXの本屋で『画面蜂起』(美術出版社2000)という派手な表紙の本を見つける。なんだこれ?と手にとると、鎌倉でみたあの本を足穂と共著した中村宏の画集だった。帯は種村季弘、戦争/革命/地形/怪奇/顔/お尻/便器/井戸ポンプ/エロス/蒸気機関車/飛行機/立入禁止/セーラー服/望遠鏡/カタストロフィーという項目別に、多くの挿し絵やイラストが並ぶ。画集と言ったが通常の画集とは違って編集の妙が光る。ご本人によるあとがきによると「...雑種の各々の図絵は絵言葉に転じ、もうひとつの別の自在なコードとして立ち現れた。これは発見であり私にとっての図画事件となった...そして図面蜂起へと...」おもしろい。すごく。

2000.10.05 ■ 製本アトリエ記(03)フロッタージュ++レベル22
丸みだしを終えた本の背を本格的に固める作業を「フロッタージュ」と呼ぶ。前回丸みを出した背、というのはつまり折丁をそんなふうにおおまか折り曲げて丸くしたという不安定な状態だが、それをプレス器にはさんでフロットワール(音は極めてソフトなんだがナ...)という木製の道具で、丸みの折れを押さえつけ、君はこの丸みを維持して一生過ごすのだ!的強迫を植え付けて固定する作業である。
パッセ・カルトンの工程中、最も夏場にやりたくない作業。本の背の丸みを維持しつつそれがぐずぐずしなくなるまで押し続けると、手は痺れ、汗だくになり、(あぁジュンコさんお願いしますぅ泣)すぐイヤになります...。
それをさらにエンタシス的形状にまとめあげ、ニカワで寒冷紗を貼り固定。そう、ウツクシイ本というものはがちがちの直方体ではないのであります。


2000.10.04 ■初詩集表紙。陰謀にやられたか?
2001年1月1日発行で詩集を出すことになった。縁あって、出版元=ハリウッド/印刷=バンコク/デザイン=東京、いろんな方にお世話になって本日入稿。どんなふうに刷り上がってくるカナ...。あとお二人の詩人と三人で、同じ装幀で三冊同時に出します。
昨日表紙の二案を見せていただく。ぱっとみてA案を選ぶ、が、机のうえにその三冊を並べるとB案がぐいっとせまってくる。一冊だけ見た場合と数冊まとめて見た場合では装幀の印象は全く違ってくるもんだが、そんなことでB案に変更。
(市販本の装幀のパッケージ化について文句を言っていることとこの感覚は、相反しない?)夜、ふと考えた。三冊並べて置かれることを想定してそれで選んだだけじゃないか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。
ぐっとせまってきたB案に託したこの詩集の陰謀ーそれはたぶんひとりでいるのが嫌だというささやかな意志だろう、気弱なやつ、そしてその陰謀に翻弄された気弱な著者。
2000.10.03 『キカ』監督ペドロ・アルモドバル/1993
94年に観て以来気になっていたこと---ラモンの母親の日記はやはり和綴じだった。
マザコンのラモン。自殺した母親の遺品は鍵をかけた棚のなかにしまってある。なつめや嗅ぎたばこの瓶、そして和綴じの日記などオリエンタルなものがいっぱい。義父への不信がつのってようやく日記を見るが、そこには哀しいカナ自分のことは何もかかれていなくて、義父との愛憎劇が切々と満々と...。
小花柄の和綴じの日記帳の表紙にはタイトルを書くための白い和紙も貼られているが、知ってか知らずか彼女はそこには何も書かずに、万年筆でびっしり日記を書き込んでいた。
映画のタイトルになっているキカはメイクアップ・アーティストの女性の名前で『もっと本を読みましょう』というテレビ番組でラモンの義父ニコラス(バロウズ気取りのアメリカ人作家)を担当したことで出会う。そのあと、三角だか十角だかの関係が、本棚も美しいアルモドバル色のマンションの上下で繰り広げられるが、この頃までの過剰に疾走するアルモドバル作品には、言葉にするのはちょっと恥ずかしいが自立した可愛いオンナがいっぱいで爽快。
2000.10.02 ■書評の神髄
エール大学の大学町では宅配のニューヨークタムズ日曜版がよく早朝に盗まれたという。書評欄を読みたがる貧乏な学生が犯人であることが多かったのだそうだ。
広い本屋でも小さい本屋でも、どんなにうろうろしても全く興味のない分野の本はほとんど目に入ってこない。その点新聞の書評欄はまぁ流れでとにかく読んでしまうから、たまに思わぬ拾い物をすることがある。
昨今ではネットで書評がどんどん流れる。ネット本屋に行って試しに送ってもらおうかナーと思うと「おすすめの一冊!」みたいな総合案内はおよそはずすことが多いので「好みのジャンル」を選んでその分野での紹介や書評を配信してもらうことになる。だけどほんとは、「うちが推薦する選者が選ぶ本」みたいな自信に触れながら、思わぬ興味をひきだされるような文章を読みたいもんだ、きっとそれが培われてきた書評の神髄。
2000.10.01 ■紙を7%軽くします
今日から日経新聞が新聞用紙を40g/一平方メートルに軽量化、これまでより7%軽くしたそうだ。欧州では一部使われているがここまで大々的に使用するのは世界でも始めてというが、持った感じ、めくった感じとも違いはわからないし、印刷の具合もこれまでとの違いはわからなかった。
宅配の新聞は月に一度配達所が回収にきてくれるが、一ヶ月分まとめると結構な量になる。下手に括ると配給される新聞用ゴミ袋に納まりきらなくなるし、それを持って集合ポストまで持っていくのは結構大変。7%軽くなる実感は、そういうところではじめて得られるのかもしれない。