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2000年12月31日


■世紀の「また」を渡る速度
本年もありがとうございました。休みますので正月5日くらいまでここも留守します。
あまり筆まめではないけれど、年賀状は好き。年に一度のごあいさつのひとも多くて、それでも出すのは楽しい、が、書くのは辛い。だんだん雑になりつつそうしてイヤイヤ書きながらくだくだ思い出したり想像したりすることが、楽しい。
世紀をまたにかけるときに生き合わせたけど、今世紀的な移動の高速化に追従した野暮な方法はやめよっと。交通の利潤に還元できるわけないひとそれぞれの歩幅が愛おしい感じ。
明日、あけまして、おめでとう。これからもよろしく


2000.12.30 ■金物やでゴム手袋を
誰に言われるまでもなく当たり前に身に着いた年末の動きを楚々とする人々で賑わうひなびた地元の商店街の金物やでゴム手袋を買う。コンビニになかったので。
年老いた店主はほこりをかぶったゴム手袋を探して差し出す。レジ、正確にはそろばんのところには、なにかの空き箱の上にのった鏡餅だけがほこりなく真空パックで鎮座している。
私は毎日この店の前を通るが中にはいったのは初めてで、だからここの店主が祖父に似ていることも知らなかったが、彼は毎年この店で、こんなふうに鏡餅を飾ってあたりまえに年の瀬を迎えていたんだろう。知らないおじいちゃんだけど、確かに今ここで一緒に生きているのねという実感をもらって、50円高いほうのゴム手袋を「こっちのほうが、丈夫なのかな?」とか言って買う。
2000.12.29 ■去年はしゃぎすぎたので
去年はしゃぎすぎたせいなのか、この年末は街が落ち着いているような気がする。いつもと同じようにぐでぐでの酔っ払いにぎゅうぎゅうの人込みなのだが、なんだかひとりひとりがはっきり見えて、すれちがった全てのひととアラ同時代を生きているのねアナタとワタシ、と思ってにやけてしまう。
21世紀が2000年からだろうと2001年からだろうと、クリスチャンじゃないしクイズ好きでもないからなんのこだわりもないので、この落ち着いた年末はちょっと得した気分だ。いちおう世紀をまたにかけるときに生き合わせておもしろいのだが、「いやぁ世紀末ですねぇ」って言ってる人ってもしかして100年前のことも知ってんのか?そんな不毛なこと言ってる暇があるなら、今世紀末をたまたま生き合わせた自分の日常に集中したほうがいい。
2000.12.27 ■環太平洋的に詩集
以前ここでもチラと書いた詩集が刷りあがった。大先輩方のお誘いにホイホイ気軽にノリで便乗し、トウキョウで制作タイで印刷L.A.から出版、それを祝って今夜は銀座の裏手でちびりちびりとハラスにナスにタマゴヤキ、なんとも環太平洋的なことでとてもうれしい。奥成達、山口謙二郎、ジョン・ソルト各氏に感謝と御礼、なんたってイキオイが大事と、ジャズが日本で不良の音楽だったころから変わらずセッションをしかける奥成兄の音波にもまれる。詳細は年明けに。
2000.12.25 ■コシゼンに問え。
創るのは楽しい。というか、生活の全ては創作で、その認識の加減が人それぞれ違うだけでしょう。
糸一本で適当に作っていく編み物は楽しい。ところが編み物っていうと、オンナが怨情込めてオトコにプレゼントする辛気くさいもの、というイメージが強い。確かに単調な時間を費やしながら想いはモクモク!な場合もあるんだろうけど、別に編み物は本を買ってそのとおりに作るものではないんであって、適当に編んでは合わなくてほどき、また編み直してやっとやっと作り上げるというひとつも単調さのない作業なんだけど、そういう一番楽しいところがカツアイされるってのがまぁ可笑しくも面白い、だがそうではなくて本来の編み物が好きなオンナやオトコもたくさんいる。
ところで、コシゼンという人が様々な素材でバッグを縫っていて、このたびHPをリニューアルした。彼女の仕事が確実であることは私もよく知っている。
バッグでも服でもなんでも、そんなものは「買う」ものではなくて「好きなようにそれぞれが作って使う」ものだった。わたしたちはちょっとそういうことがデキナクなってしまったので、それに対価を払って使わせてもらっている。お客様は神様とか言ってみても、なんだって創るひとのほうが楽しく豊かで鋭い。さてあなたは、「どんなバッグを持ちたい」のに「自分では造れない」でいるのか。そいういうことがわかっているひとはコシゼンに問えば楽しく買い物できるよ。
2000.12.23 ■へび
来年はへびどしだ。そんなことを言うヤツはきっと、今頃になって年賀状を考えている。その通りである。
へびは嫌い、たぶんなにより嫌い、あの動きかたが納得できない。
今となってはそれが現実なのか夢だったのかさだかではないが、家の門のところにとぐろを巻いていた、習字の先生の隣の家の稲杭に巻きついたままひからびていた、テルヨシが紙袋に青大将を入れて学校に持ってきてえばっているのを一喝した、夏休みに親に内緒で自転車で遠出した帰りに蛇を踏んで、それはイケナイコトをしたばちだと思った、そんなこんなで眠れない夜は瞼に蛇が浮かんでどうしようもなく、そのくせ蛇革のアンティーク鞄をいくつも買っては使わずにいたりして、気になる存在であることだけは確かである。
年賀状に干支の編みぐるみを採用して3回、せっかくだからワンサイクルやり遂げようと思っているが、早々に「へび」がきちゃってヤバイな...。
2000.12.22 ■金魚部に西洋の旦那が
この秋、詩人南川優子氏の紹介で、当金魚部英国からの新入部員が仲間入り。
さて、中谷宇吉郎は随筆「日本のこころ」でこんなことを言っていた。
...日本贔屓のあるオランダ人が浴衣姿で神楽坂を夕涼んでいると、汚い仕事着の日本人に「もしもし、西洋の旦那」と話しかけられたという。中谷はドイツで「あれは日本人だ、支那人とは違う」と自分を指差して会話する親子に出会って、合理的な実物教育にいとまない精神をかいまみた気がしていた。「西洋の旦那」なんて表現は封建性や自覚の欠陥のあらわれとも言えるが、そういうユーモアや俳味をむやみと捨てるのは、ちょっと勿体無いような気もする。...
わたしもこういうのはユーモアだなぁと思ったので、ここでは彼ら(本名は部員紹介の頁に)のことを「西洋の旦那」と紹介してみた。ちなみに南川優子の作品に登場するポフウェル氏は、どこの星の旦那なのか皆目見当がつかず、その動向は全く目が離せない。
2000.12.21 ■馬鹿しあいの加減
牛乳をぽたっと落として王冠が拡がるように、近所の野良猫一家がまた子供を増やしていた。
声をかける。必ず振り返る。その従順さが可笑しくて、中指と人さし指をツラツラさせてバイバイ言って通り過ぎる。こっちもそっちも馬鹿しあいだけど、そんなことが結構お互い楽しい。
昨夜某メルマガからウィルス添付メールが届く。発送主はtselist01-admin@www2.tse.or.jp、そんなもん開かないが、間もなくうわさが届き、ニュースとなって情報が流れ、次にメルマガサイドからの通達が届き、前後してそのウィルス添付メールに返信したバカドモのメールががんがん届く。
ハッキングして不正メールを送るのはくだらないことだけど、それに過剰に無知に感情的に反応するあんたたちがいるからおもしろがられる。こんなとこで馬鹿しあいをするひとたちはたぶん、猫と馬鹿しあう遊びを知らない。
2000.12.20 ■新聞折本プロジェクト
新聞ってまぁ社会の日記みたいなもんで、自分の生まれた日の新聞なんてのは確かにみてみたいから、友達の子供が生まれた日のものや知人が載ったものはとっておいてあとであげようとも一瞬思うが、新聞は毎日新しいからすぐに忘れ、月に一度の古新聞回収日のためにきちんと角をそろえて収集袋に収めたらひっくり返す気にもならない。
一ヶ月分の新聞は重くて持てない。大雑把に言って約30日分のできごと量だ。この一ヶ月は私にとっては忙しくも平穏に過ぎて、特別思い出す一日はないが、いろんなひとのそれぞれの特別な日の連続であったことをたまたま私が知らない。
新聞を日記にみたてて製本し、その日を特別な日とする人に送って新聞日記を共有分散することを考えていた。年明けから、きりがいいからスタートしようと思う、「新聞折本プロジェクト」。これも plastic book のひとつです。
2000.12.18 ■目論書本
投資信託の情報開示制度が12月に導入されて、販売については目論見書という書類にして個人投資家に配付することが義務付けられた。国内投信は3000本くらいあり、支店やらなんやらが変更するたびにそれを直してまた送らなければならないということだったが、その後金融庁は、一部については目論見書を送付済みの投資家が勧誘を受けずにインターネットで自主的に購入を申し込んできた場合に限り再送付は不要だとした。
メールによる開示は来春以降になりそうで、それまでに限っても相当の量が印刷され廃棄されるだろう。わかりやすさや読みやすさを誰からも期待されなくて、ただひたすら間違いと誤植が許されない印刷物って結構ある。そう思って見ると目論書もいとおしくなってページをめくるが、やっぱりちっともわかんないので捨ててしまう。こういうものを作るひとと友達になったら、一冊きれいに製本してプレゼントしてあげようと思う。
2000.12.16 ■東京製本倶楽部展
世田谷美術館で明日17日まで(17時終了)開かれている同展を観に行く。海外の製本展受賞作をはじめとして会員の新作旧作およそ140点が並んだ。他に製本の手順をわかりやすく見せるコーナーや、ポール・ボネ作品コレクター所蔵品の展示などがこの倶楽部らしい多様性を感じさせて実に楽しい。この展覧会自体は明日で終わるが、倶楽部のHPをチェックしておけば必ず次の機会にあえるはず。
で、私はどう観たかというと、今抱えている三冊の本の表紙をどうしようかという構想のヒント獲得が一番。本好きとしてはとにかく多くの本を観るのがまずうれしいのだが、製本を習っている身としてはその技術のよしあしに目がいって感心したりそれはつまり自己嫌悪、という具合で。
うまい人たちは皆、「こうしたい、と思うことが一番、あとはそれに近づけるためになんとかすればいいんだよ」と言う。(え、それはナントカできるから言えるのヨネ....)と思いつつ、(確かに...なんだってホントにそうしたいと思ったら、なんとしてもそうするだけだもんね...)ということで、高揚とがっくりに肩を抱かれて、夕暮れに映えるタンクにあいさつしながら、落ち葉降り積もる暖かな砧を後にしたのでした。いやぁ今日はあったかかった。
2000.12.14 ■砂時計のくび
冬の澄みきった夜空は気持ちいい。17才まで、とても広い空の下でラッキーにも育ててもらったので、その後どんなにぼんやりかつ狭い円にしか夜空が見えなくても、星星はただただいつもキレイに在ることが想像しやすい。
この季節は思い出す。「冬青空九億九光年の留守」齋藤愼爾。
作意は知らない、ただヒジョーに、強い気持ちになる。もーどーしよーもない強烈な強さに直面したときの諦め、っていうか両手放してへらへらするしかない、みたいな感じ、瑣末なじぶんのデキゴトを抱えて在るワタシが砂時計の首の状態で対峙しているような。
実はつい最近になって初めて、この句の背景の一つを知った。作者は飛島(山形)で少年時代を過ごし「暗鬱な海に向かって、視線を灯台の回灯のように左から右へ半回転させる」と、まるで「列島の北から南まで一望のうちに内視しえた」と思えたという。偶然にも私は山形の生まれ、内陸だし時代も違うけど、ただ黙して向き合わざるをえないモノがそこにあったことを有り難く思う。
2000.12.13 ■本専用洗剤
大阪のオーエルという会社が、はけで塗って拭き取るだけできれいになる本専用洗浄剤を来月から発売するそうだ。表紙用の「フレッシュ・ブック」と天地・側面用の「ホワイト・ブック」、それぞれ4リットル入りで5,000円と10,000円、界面活性剤とケイ酸が原料で金属用洗剤の応用で開発した、と。
これまで古本屋さんが使っていたものより乾きやすくしみになりにくいということと、天地側面をやすりがけしていた手間がかからなくなるということだが、こうして専用の商品がつくられるようになるほど古本市場も拡がってきたってことなんでしょうが果たして。小さい古本屋さんでやすりがけする音とラジオだけが聞こえてくるってのもいいもんだけど。
2000.12.12 ■ポータルって陽明門のことか
三省堂が日本最大の辞書検索サービス「三省堂Web Dictionary」を来年1月12日より開始するそうだ。同社の「大辞林」「新明解国語辞典」「エクシード英和、和英辞典」「クラウン仏和、独和辞典」「コンサイス日本地名辞典」など13タイトル、120万語を検索できるもので、これらを半年1,000円、1年2,000円で個人向けに提供、検索用ソフト「HotLink」は無料配付というもの。
この検索をメインコンテンツとして「ことばのポータルサイト」を目指すんだそうだが、猫も杓子も猿もなにも「ぽーたるぽーたる」って陽明門を100個重ねたみたいなものをたくさんつくってるが、そういう本末転倒なことにならぬよう期待します。
2000.12.10 ■気になってしまった本
本屋に資料を探しにいく。時間がないので目指すところに直行するが、そういうときに限ってエスカレーター脇に積まれた新刊がやけにおもしろそうに見えたり、いつもは眼にとまらないジャンルの本が浮き上がって見えてくる。資料だけ買い、早々に出る。
夜、本屋でちらと視界に入ってしまった本が気になってしょうがなくて結局web本屋に出掛ける。立ち読みせずに本を買うことはほとんどないが、こういう場合はわりとあっさり買うからあきれる。
web本屋もいろいろ増えたが、無難な書籍を買うならナビゲーションのわかりやすさとページの軽さでアマゾンがいい。余計な画像やわけわかんない素人書評、そしてなにより決して気に留めることのない広告の量が少ないほど好感を持つ。みんな、そう思うでしょう?
2000.12.08 ■どんどん族の隠居
社)著作権産業情報センターが発表した「著作権白書」によると、1998年の著作権産業(著作物を通じて行われる法人・個人事業主の経済活動)はGDPの2.3%をしめるまでになったらしい。ちなみに鉄鋼が1.4%、輸送用機械が2.1%、電力が2.1%、通信が2.3%。
どんどん作れー!どんどん売れー!どんどん買えー!どんどんどっかに捨てちゃえー!にストップをかけることは決して豊かさに反することではないもんね。どんどん族がた、ごくろうさまでした。
2000.12.06 ■組み合わせの楽しみを切手に
昨日の話で中谷宇吉郎氏が生きていれば100歳とスラスラ言えたのは、郵便局で切手をみつけたからであった。生誕100年記念として11月に発売になっている。窓口で即注文「なかやさん、トリアエズ5シートください」
が、窓口のかたはわかってくれないので図柄を指差す。「あ、なかたにさんですね」...
私は実は一口140円×α分欲しかったのだが140円の定番の切手はつまんないので組み合わせでなにか見つけようと探していたのだが、中谷さんのは外せないとしてじゃぁ残り60円分はというと定番のなんとか貝になるのであった。こっちが雪の結晶写真だったりするとこんせぷちゅあるな140円になったのだがそうはいかないのがまたいいんだな。でもこれは今後の課題でしょう、シートで混在販売もいいけど、もっと多くのひとの遊びの食指をくすぐるような統計的センスを加えてちょうだい。
2000.12.05 ■星の王子さまが観た星空
サンテグジュペリが「星の王子さま」の表紙などに描いているあの有名なの星の配置が、60年ぶりに今、20時〜21時ころ真東45度くらいの高さに観ることができるそうだ。木星とおうし座の一等星アルデパランを丸で、土星を土星のかたちで描いていたが、その三角形のこと。
この配置が前回見られたのは1940年、「星の王子さま」が書かれたのは1942年、飛行機乗りのサンテグジュペリはあてずっぽうに星を描きはしないはず、と、文学研究家椚山(くぬぎやま)氏は言う。4月頃まで楽しめるって。
ちなみに今年はサンテグジュペリ生誕100年というが、ということは中谷宇吉郎、ルイ・アームストロング、稲垣足穂氏らと同い年できんさんぎんさんより年下であったということがわかった。
2000.12.04 ■ユニバーサルな広告
新聞はどこから読むか。私は左手でページをめくるので最終面から読む。と、こんなことがおこる。
東京三菱銀行の「MV」の広告。日経新聞朝刊34面に、開いた「赤い本」、その中ページに説明が書いてある。しばらくして28面までいくと、その「赤い本」の表紙の写真。つまりこれは、新聞を一面から順序よくよんでいくひとに向かって造られた広告なのだ!!って別にそれがどってことではないが、どうせそういうのをやりたかったのならあと一面とって三面攻め、その「赤い本」の後ろ表紙もあれば気の効いたユニバーサルなものになったのにね。「高くつくだろ」て?だからそういう中途半端なことをしなきゃいいのにと思って。
2000.12.03 ■「応援はしたい」消費者の態度
ネット直販していたスティーブン・キングの『ザ・プラント』が、12月の第六部の配信をもって当面中止するそうだ。 キング氏いわく「しばし冬眠」。ニューヨーク・タイムズ誌は「出版社の勝ち(←なにそれ?by 4-kama)」と報じ、「ダウンロード件数が減り支払いも悪化したため」と伝えた。
こうなって初めてじっくりサイトを覗いた人(私)も多いのでは。そんなの成り立つのかなぁと誰もが思うことを始めたリスクと楽しさはいかばかりか。記念に第六部だけダウンロードしよっかな...英語スラスラ読めないけど無料だっていうし。励ましのメール添えて。不謹慎な。
2000.12.01 ■缶詰文庫(11/30日経新聞)
私にとっての缶詰は子供の頃のフルーツ缶、今ならアンチョビやオイルサーディンといったところ、「缶詰文庫」の文字に「なにまたいまどき本のタイムカプセルみたいなことでも始めたの?」と不粋に記事を読みはじめたが。
今年91歳になる真杉高之氏が30数年かけて集めた缶詰についての書籍約200冊などを、清水市の「フェルゲール博物館」に寄贈するかたちでできた文庫だという。一般書籍の他に、缶詰の祖アベール氏刊行の「動植物食品保存法」(1810)の復刻版、明治十年代からの主な缶詰ラベル、全国缶詰メーカーの社史、大英博物館より手に入れたブリキ缶詰特許状の写しなども。
真杉氏は、戦地での缶詰の味は忘れがたいものがあったという。そういう実感がこうした貴重な収集を生む。この世を転写する本の陰謀を再びワレワレに引き戻すのはこうした方々のひとつづつの実感と行動。私達はそれをまた本にもってかれないようにせねば。敬意。