月別履歴(タイトル抜粋)

2002年 10月
2002年 09月
2002年 08月
2002年 07月
2002年 06月
2002年 05月
2002年 04月
2002年 03月
この本は私に会うために(1)
律儀(3)
なんちゃって矢印(6)
ピンクの肋を解体します(10)
世田谷区立下馬幼稚園(17)
「路程」は写っていなかったのか?!(19)
『落ち穂拾い』(22)
フラジャイルに「千夜千冊」の1/2(26)
実はワカメさん(29)

2002年 02月
スタイルの速度。音/映像/文字(1)
0020202の本棚(2)
『オードリーとフランソワーズ』(4)
『紙魚の手帳』12号(7)
東京駅。どっち側に降りて本屋に行くか(9)
本のことなら憶えてるが...(12)
行方不明新聞折本公開捜査(13)
佐伯俊男(14)
『ユビュ王』にくそったれ!ってそのまんまな...(16)
その穴のさきにあるもの(17)
家庭の医学と専門書の断絶を埋めるもの(20)
ジャリなら自転車こぎこぎ冷し中華を(21)
図書館のちょっと無理矢理(26)
送料に限って言えば(27)
月が最近(28)


2002年 01月
あけましておめでとうございます(1)
腹ぺこタイシ(4)
ランクアップした二百円のおみくじ(7)
方角が悪いんです(12)
カタログに載るモノ(20)
お、い〜ぞ〜(21)
冬もボサノヴァ(23)
ぽんぽこたぬき工作(26)
図書館はうるさいのだった(27)
『ナージャの村』(31)

2001年 12月
皆やさしくってヨ(1)
『寄席の脚光』(4)
無理して本屋でバイトすな(5)
大踏切書店でイッパイ(8)
いらないものばっかり残るのよ(13)
ママゴトやっといてよかった(17)
sold out 通知(22)
「2001年宇宙一瞬旅」(25)
不吉な夢もなんのその(26)

2001年 11月
愛犬は0.5(4)
自分で勝手に無理してグチる茶番(5)
どこのどいつ(6)
ひとの書棚を覗くのは楽し(9)
「広告としてのイラスト」(11)
かき×かぼす=マンゴ(13)
どこで区切って無駄と言う?(15)
「学校どこ?」(16)
岡ノ上鳥男様 田辺茂一(20)
おかえりのスケ本登場(26)
webで本をめくりたいひとはいないでしょう(30)

2001年 10月
bookbar4楽天ブックス開店(01)
鉄の扉「絶版」で幽閉された本の脱獄幇助(02)
本コ子雑誌、即物的体験を池袋リブロで(05)
おれなら桜を植えに行く(08)
眼の日は啓祐堂で眼のコヤシをいただく(10)
ライブ辞書を作るゾ(15)
新聞折本第八号(17)
製本-花ぎれの固定(18)
NONを見よう(19)
実感トハ恥ナリ(20)
透明酒は...(21)
となりの客はよく肉食う客だ(22)
わたらせ渓谷(27)


2001年 09月
意の外(01)
これを読んだら呪ワレル(03)
葉書文庫本(04)
均一つながりの本と新聞(05)
広辞苑、外に連れ出し運動(08)
平まどかのベルギー製本留学記(09)
コソコソするのはなぜ(17)
グリコのポーズ、やってみて(18)
それ、名前なんですけど...(19)
あどべんちゃブラリ(25)
オノ・ヨーコと朝日新聞(26)
温寿司(28)
まじ秋(30)


2001年 08月
横顔ばっかの金魚(03)
『チェブラーシカ』(04)
クモの糸をどう使うか(09)
人工雨、日本編(11)
空中金魚(13)
防ぐのが礼儀(14)
炭化菜種降りしきる花火大会(18)
屋久島の森に(28)
宇宙人と妖怪(30)


2001年 07月
くだらナイ→すまナイ(02)
やっと処分したっていうのに(03)
「ドキドキ」を見て体の頼りなさを (05 )
観本旅行(06)
おでかけには「じろう」を(1)
『ラッチョ・ドローム』(12)
いってきますじろう問題(15)
これは本なのですか(16)
「本は傷んだら修理すればいい」(17)
「うまい」か「おいしい」か(19)
エーッ○エーッ○エッ○ホイ○ッ○(23)
新聞折本第三号(25)
ネコとシャクシとキミと(26)
自由カラは逃走できない不自由(29)
夏はこれからだってば(30)


2001年 06月
ダダ書房店主に惚れる(04)
日焼けサロンじゃあるまいし(07)
製本アトリエ記11 (08 )
図書館には何を探しに行くか(10)
『ミリオンダラー・ホテル』(13)
人間を本に変える銃(14)
スクラップ帳をスクラップ(16)
死を待たずにとる魚拓が失うもの(17)
辞書である前に本でもある(20)
さくらんぼの味(24)
ああやっぱジンセイって(27)
金魚部第二回秘宝展(28)
図書館オチの古本(30)


2001年 05月
SPACE ODYSSEY(06)
新入部員は銀魚(09)
製本アトリエ記10 (10 )
「本コ」誌第一期終了につき(15)
never 金魚(16)
日に月に媚びず。(19)
ベストセラーがバカバカしくなっちゃって(20)
新聞を3回折って本にする(21)
『地獄の黙示録』(24)
新聞本の祖父は「くそ」と詩をかく(26)
「言葉はサーファー」説(27)
ナはテイをアラワスか(28)
祝いの席には花火か蜘蛛か(31)


2001年 04月
言いそびれ(04)
宅配から机配へ(06)
金魚部、無念(07)
一般市民ですけど(12)
書肆啓祐堂誌「黄金の馬車」(16)
切手詰め本(18)
「五点支え法」実験装置(19)
東京国際ブックフェア2001(21)
花ぎれ、できた(23)
おかえりのすけ事件2(24)
『ツバル』 (25)
探し選び奪う退屈(28)
ぶらりの卒業(30)


2001年 03月
カフェでふと(01)
日記の積み重ね(06)
忘れてはならない直感。(10)
「荒俣まぼろし堂」最終目録(11)
『キャラバン』(13)
『あらかじめ失われた恋人たちよ』(14)
ナヲナノレ(16)
記憶はひとの身体に間借りして(18)
後ろからやってくる(23)
夢は誰がみているか(25)
第一回金魚部秘宝展極秘開催(26)
図書券の使いかた(27)
閉店間近に耳ダンボ(31)


2001年 02月
窒息おかえりのすけ(01)
恐縮は笑い飛ばす(04)
他人様の土俵で燦然と輝いてしまうNIKE(07)
ダダな漢字(12)
へん平時代(15)
雨の筋に傘は目盛る(18)
『シュリ』(20)
タエコ・リズム(22)
NONでシールを貼ってもらおう!(23)
プロ紙に敬意を表した本(25)
ウリポな文学者の皆様へ(26)
万能web出版(28)


2001年 01月
初詩集『心配の速度』(06)
4×4 = 8 vs 365-6=358(08)
図書館ホテル(10)
中村文庫(14)
発禁と戦い、秘められた名作を(19)
" BOOK BLESS YOU. "(24)
ダイヤル・ビーチへ行こう(31)


2000年 12月
缶詰文庫(01)
星の王子さまが観た星空(05)
砂時計のくび(14)
目論書本(18)
新聞折本プロジェクト(20)
金魚部に西洋の旦那が(22)
環太平洋的に詩集(27)


2000年 11月
『グロリア』(02)
同級生が有名人になってしまった場合の卒業文集(03)
真空凍結乾燥機を入れてくれ(05)
がっくり(06)
カンガルーとおやじ(12)
吹き出し、開放(13)
銀杏書房(16)
『ラテンアメリカ光と影の詩』(20)
いかに多くの「思わずできたもの」(22)
おかえりのすけ事件(23)
「いんちき」とは何かを『桂離宮』に識る(24)
なかったことに(26)


2000年 10月
度忘れの度合い(31)
『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』(28)
本の系統樹(23)
「もいました。」(22)
『馬的思考』、一冊置いとくヨ(21)
疲れた筒(20)
分別快楽(18)
プラスチック部(12)
『ガタカ』(11)
『キカ』(03)


2000年 9月
はみだす飛び出し絵本(25)
文庫本をローンで買いたい(20)
めくるめく書籍目録の誘惑 (19)
『ポール・ボウルズの告白』(14)
みんな平らになりたい (13)
『ひかりのまち』(08)
9月1日はパタフィジックに(01)


2000年 8月
虚言僻を伴う脳の病気の後遺症の証拠(08)
あなたの信頼に背くわたし宣言(11)
「シツレイ」の効果(16)
『モジュレーション』(17)
bookmark 4とbook bar 4 (20)
@(24)


2000年 7月
目玉に食塩水を~(04)
「今日」あたし、ダメかも。(05)
些細な気まずさの克服(09)
" code " のバッグ(15)
電気スタンドマン(18)
地図通りだ!(30)


2000年 6月
共感しなくちゃいけない脅迫(03)
期待のかたち(05)
「頭痛いので休みます」(06)
人サマのリサイクルをする葬儀やのバイオ度(12)
バービーの脚が指に(15)
ゴダール『映画史』(16)
合理的なプロレタリヤ医学(21)
『ミラクル・ペティント』(26)
『フルスタリョフ、車を!』(29)


2000年 5月
TOTOの味噌汁(15)
『エグジスタンズ』(24)
『棺桶の中で宙返り』(28)
『足にさわった女』(29)


2000年 4月
万年青春映画の恐怖(05)
死因を調べてもらう料金(07)
凸=H2cm、 20×20でいこう(20)


2000年 3月
『スリーピー・ホロウ』(07)
さぶいぼセンテンス(10)
実感のリロード(16)
セルフ・パブ『共生虫』(28)
『ストレイト・ストーリー』(30)


2000年 2月
生まれ変わったらmusicianになる(13)
泡の中身(15)
人が言わないことを否定する(16)
plastic book(21)
接続語の「ぶっちゃけた話」(23)





ほぼ隔週このページの抜粋+/-αをメルマガ『おかえりのすけです。』として発行。詳しくは上記画像をクリックしてちょうだい。

2001年03月31日

■閉店間近に耳ダンボ
閉店時間真際の古本屋にいると数字がよく聞こえてくる。
(1)近くの第一号店から(たぶん)かかってきた電話を受けた二号店のバイト君が「あ、お疲れです。いやぁ後半伸びましたよ、ロクゴ、いきました」。ロクゴ、六万五千円デスカ、30坪強くらいだろうか、SF系専門古書店。
(2)郊外の老舗古書店、HPを最近作ってその反応を店長がチェックしにきた。「注文は?」「10件くらいですね」「いくら?1万ちょっと?」「あ、結構高めのやつが出ましたから2万はいってますよ」「あっそう」「注文はこれだけですけど問い合わせはすごいですよ、さっきまで高瀬さん、ずっとやってましたもん」
へぇそうなんだと耳ダンボだ。


2001.03.30 ■真っ白な一ページ目をどうしてくれる?
日本製紙と大昭和製紙が合併してスタートした(株)日本ユニパックホールディングが、束見本みたいな無地の本の1ページ目を開いた写真に「1ページ目の抱負。」とコピーをつけた広告を新聞数紙に載せた。ところがある新聞で、その真っ白なはずのページにしっかり裏映りしちゃってちっとも真っ白じゃない。
広告の担当者はヤバい。だろうが、読み手としてはとても面白かったです。しかし、世界の一流企業を目指すのはいいけど、なに屋さんだがずいぶんわかりにくいお名前ですね。
2001.03.28
■雫の落ちる速度
関富士子さんの詩誌、" rain tree " no.11~no.15 の合本完成(正しく言えば年末に出来ていたがなかなかお渡しできなかった、昨日もニアミスで渡しそびれてしまったので郵送しよう...)。表紙は雫がしたたり落ちる図のコマ送りをやっているが、記録を続けて見るとその速度の曖昧さが考えようによってはリズムをうんでおもしろい。 " rain tree " は既に19号を迎えている。私は勝手に一緒に遊ばせてもらって、ありがたいといつも思う。
2001.03.27
■入学祝いの図書券の使いかた
ブックオフでは図書券が使えるが、約560あるチェーン全体で年間売上約300億円のうち図書券による販売は3億円弱だそうだ。受け入れた図書券は金券ショップで換金。
そもそも図書券は出版社や取次、書店の共同出資による日本図書普及が発行していて、加盟書店から加盟料として2万円を取り、従って加盟店以外の使用は認めていない。去年の8月からブックオフに対して使用中止を求めているが、現在もその結論は出ていないんだそうだ。
だいたい把握するとそれはちょっとお行儀が悪いんじゃない?になりそうだが、それをダメだとする法令はまだないし利用者としては大喜びなので、業界内でよしなにどうぞ、としか言えないけど、なにごとにつけ風穴開け師はやっぱりすごい、なにしろそのひとの言動によって今まで当たり前と思って見過ごしていたことが明らかになるのだから、となると、私は普段ブックオフは売りも買いもほとんど利用しないのだけれどブラボー!を言おう。
2001.03.26
■第一回金魚部秘宝展極秘開催
皆様こんばんわ。実は金魚部、表記秘宝展開催しました。詳細はこんなとこで述べられませんのでこちら御覧下さい。で、私好きなのは、こういう秘宝的体験、その体験による実感、実感の累積、その追体験への感謝とイイフラシ。そう、黙ってはおれないのです、なにしろ金魚の魚拓云々でなにそれかれこれソレソレ。
2001.03.25
■夢は誰がみているか
気が狂った夢をみた友人が、恐かった、絶対狂っちゃいけないと思った、と言う。本当に狂っちゃったら恐いこともわかんないから大丈夫だよ、と言ったが、それたぶん正しくないだろう。
ミンクのロングコートを着てロシア人の友達と歩いている夢を子供の頃にみた。とっても軽くて温かくて気持よくて、当時はロシア人っぽい名前なんて知らなかったはずなのにその友達はとてもロシアっぽい名前でそれを私は親しげに呼んでいたことを、今でもはっきり覚えている。そんなことでもう毛皮体験にはさっさと満足してしまった。
本人が経験したことのないことが出てくる夢はえらい。いったい誰がみているんだろう。
2001.03.23
■後ろからやってくる
駅前のコンビニでいつもの場所からいつものビールを手にしてカゴに入れた瞬間なんかちらと気になって振り返ると、先日発売になったKBが。麒麟が間抜けに立ち上がっていてそれは「飲むと立ち上がりたくなるほどのキレ」だという。なにじゃぁ次は踊ったり眠ったりするわけ?といろいろ思い巡り、ブッって声が出て我に返る。とても好感を持ってしまい、カゴに入れていたビールをそっくりKBに替え、まんまと作戦にのる消費者。右上に監視カメラ、一連の行動がみな記録されてしまった、恥ずかしいのでカメラ目線でピースをかましてやる。
帰り道、ふと振り返ると沈丁花、あ、また君かと笑う。この道の誘惑者は花か猫。
帰宅。KB片手にモニターにむかう。と、スペースシャワーから数年前の"toutoise " 、やっぱかっこいいからまた振り返ってしまう。
今夜は振り返ってばっかりだ。なんで皆後ろからやってくるんだろう。
2001.03.22
■雪降り積もる川辺なら
新珠三千代が亡くなったそうだ。どんな作品でも独特の気品に溢れていたが川島雄三の『洲崎パラダイス・ 赤信号』あたりは特に印象深く大好きだった。あの世代前後の女優さんってお若い頃のそれぞれの" 品 " がうらやましいほど眩しいが、どうも大女優になると絢爛豪華になって正面から見れなくなる。
新珠三千代は数年前大病したらしい。そのときの事を振り返る話のなかでこんなことを言っていた。ーーー三途の川は一本じゃないんですね、私は真っ白な雪が降り積もっているときじゃないと渡らないって言ったんです。ーーー
最近の活動を目にすることはなかったが、金銀スナゴより白が似合うままお歳を重ねたんだろう。私はまだ夢にすらみたことないけれど、さてどんな川なら渡ろうか。
2001.03.21
■言い訳、かなどうかな。
前号のメルマガで、オンデマンド出版の「万能web出版」「rj direct publishing」「コンテンツワークス」をとりあげたが、 昨日の朝日新聞に「コンテンツワークス」のことが出ており、そのなかで砂子屋書房代表の田村氏が取材を受けて「時代の要請としてその意義は認めるが、文芸に生涯をかけた作家の作品は、その世界を体現するよう精魂込めて装丁したい」と語っていた。
精魂込めるのはちょっと恐いなぁと思って下の記事を見ると、今月20日刊行の「埴谷雄高全集」第十九巻(講談社)のことが出ている。「此処にいては、食物より何より書物です」などと書かれた、刑務所にいる間に母親に送った手紙五通が収録された、と。
私は今、埴谷雄高の『虚空』をパッセ・カルトンで製本中だが、アイディアと技術のはざまで遅々として進まない。プライベートな装丁だし私の精魂をどう込めたところでその世界が体現できるはずもないので、行きつ戻りつ今日のように埴谷雄高を体験する時間を過ごしながら作っていくことがなにより楽しい!アトリエ関係の方には言い訳に聞こえそうで心外です。
2001.03.20
■ご近所
マンションの更新に行く。手続きしながらお茶飲みながら近所地図拡げて、中野さんち(地元の大邸宅)がどーだ、ここのアパートの名前は可笑しい(解体が決まった古い建物なのに「高津アパート新館」)、近道のこと(なぜあそこは舗装されないか)、反対運動(岡本かの子の実家の病院あとちに予定されている高層マンションに対して)のこと、花見のポイントなどなど話す。私は地図が好き、不動産屋さんも皆地図が好き、客のこないことをいいことにバサバサどんどん地図を拡げ、大山街道、人さし指ぶらり旅だ。
また2年、お世話になりますと言う。こちらこそ、またよろしくねと言われる。帰りの近道は仲良し御近所細通り、日の丸三軒、やっぱり今日もしっかり掲揚、ああ今日は春分の日か、祝日ありがとさんと手をあわす。
2001.03.19
■北極振動により
今年の冬の北日本の寒波の原因に北極振動説というのがある。北極圏上空の低気圧が発達して強くなる時期(北極振動の指数がプラス)と弱い時期(マイナス)が交互に訪れる現象で、マイナスの変化をする年に、中緯度にある日本にもその寒気団がやってくる、と。専門家たちはその周期性を見つけていたらしいが、「地球の温暖化は二酸化炭素によるもの」という説への関心が強過ぎて、こっちの研究に十分な注目が集まらなかったらしい。北極なんて遠い話だしそのしくみもよくわかんないが、ポールがシフトするよりはわかりやすい気はする。
ふと閉息感でウッ...としたら、眼を閉じて地面を思い、ぐるぐる廻る地球を思って深呼吸する。そうだね、地球は一個だ。私なんかが想像するより地球の実体は身近なんだろう。間借りしてる記憶なんかに頼ってると、たいへんなことになッチまう...。
2001.03.18
■記憶なんてひとの身体に間借りしているようなもんでしょう
酔っぱらうと記憶をなくす。初めて経験したときは死んでしまいたかったが、なんて不思議なことが自分の身体にもおこるのだろう!と感動した。二度とそんなことがないように、いつも注意はしているがうまくいかない。失敗しては皆にバカにされ信じられないと言われるが、一番信じられないのは自分自身だ。だけど常日頃私達は興味を持たないことはとっとと忘れ、認識できないものは全く素通りしているし、忘れたふりを通せばそれはなかったことになるってなもんで、 記憶なんてひとの身体に間借りしてるようなもんでしょう?
言っておくが、今日は二日酔いでもなく昨夜の全てを覚えている。それでちょっと発言が強気。
2001.03.16
■ナヲナノレ
保守党さんのマークが決まった時、それが古典的な鍵のシルエットであったことを以前笑ったが、個人認証の技術は虹彩(光を当てるために心理的な抵抗感をうむらしい)や指紋(ゼラチン製だと代用できてしまうらしい)だけじゃなくて、マウスの握り方による富士ゼロックス、人さし指に近赤外線を当てて透過した光を画像化、そこに写し出される血管のパターンから判定する日立製作所、などいろいろな技術が出てきた。
暗証番号を入力してもそれを黒のマルポチで返して周囲の人には見せない、というのがPCでのスタンダードだが、そもそも暗証番号なんてせいぜい三種類くらいの忘れにくいもの(=ばれやすいもの)を使い回していません?ここだけの話。暢気このうえないが、暗証番号を間違えて確認されませんでした、や、忘れちゃって変更手続きなんてことが面倒でネ。
まぁ自分が自分であることを機械に伝えるのはとてもたいへん、ということだ。眼を見開いたり指を差し出したり握ったり、身を呈して名を名乗るのが仁義ってもんです。
2001.03.15
■ドットはつぶれずにじみません
レビュージャパンがオンデマンド本『rj direct publishing』をスタート。 RJサイトに集められた投稿レビューを様々なテー マで再編集して書籍化する「rj anthology」シリーズがメインで、このシリーズでは『感読 田口ランディ』を現在制作中とか。
「書評」なんてできないが「読後感」は誰でも持つ。全体の要約はできなくてもどこかのパーツを鮮明に覚えていて飛躍したり(例/金魚本中本への異常反応)。それぞれのひとが一冊の本のなかに読む、バラバラで些末な、でも身近で実感のある観点がたくさん並んでうまく構成(これ肝心)されたら、楽しいんじゃない?全体を上手に評するのは先生方の仕事。センセイでないひとは、書評家気取りしないで自分の読み方を全うしてユニークな「点」をただテンテン打つ。ドットは集まり、やがてなにかの像を浮かびあがらせるのだ...。
2001.03.14
■『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1971/監督:田原総一朗・清水邦夫)
リルケが残した言葉「あらかじめ失われた恋人よ、一度もやってきたことのない人よ」をどう解釈するか私にはよくわからないが、こういうこむずかしい言葉を絶叫する主演の石橋蓮司の前に現れた唖のカップル、桃井かおりと加納典明。三人の旅は続きやがて石橋は「偽の唖」に、桃井と加納は失明してしまう。
能登の朝市でニンジンを買い物カゴからちらつかせて歩いているのは売春のしるし、旅人の石橋はそれと気付かずついていってしまうがすんでのところで逃げる。と、女は洋服をひきさき地べたにからだを擦りつけキャア〜、村びとたちは暗黙の了解で石橋をメッタメタ。同業の女達は見てもいないのに「ひどいしうちで許せない!」と証言、うそばっか。真実の言葉など一切不要不毛のまま石橋は強姦魔に。
別のシーンで、緑魔子がふらりと飛び出し「あたしの離縁を反対する署名運動に協力してぇ」と石橋に言う。「その理不尽さはこの記録を見ればわかる」と、ノートを道路に拡げようとする。それは彼女が妄想一杯に書き込んだ日記?その後の沼の上でのランチシーンが爆笑。
そうだね、記録するには言葉を頼りにしたり言葉を使うしかないけれど、所詮ヒトのやることだからそこんとこのブレを緩衝して受け取る力をつけとかなくちゃね。
しかし田原さんって映画撮ってたんだ。政治家の口をぽろりと開けさせる田原氏だが「わたしバカでわかんない」を前置きしたり複数を相手にして必要以上にひとを煽る話法には、この映画の石橋を彷佛とさせるものがありますマイかそんなことナイか。
2001.03.13
『キャラバン』(1999/監督:エリック・ヴァリ)
標高5000メートル超の山々を、ヤクを連れて塩を運ぶキャラバン。壮大な平原、山々、湖、絶壁、星空。「遠く」を意味するときの、ほんとにとぉぉぉぉ〜〜〜〜〜く指差すしぐさ、ほんとにとぉおおおおお〜そうに細めた声は、この土地の「寛さ」を感じさせる。
その生活の全ては想像を絶するのに、悲愴感や「かわいそう」さが全くなくてむしろ眩しく、(あああたしもあんなとこころに生まれていたらストイックな強さを瞳に光らせるウツクシイにんげんになっていたハズ)というアホアホな想像で目が潤む。
そこに生まれそこに立ち、そこで充分に暮らすということなのか。劇場を出ると、必死で時間をつぶす浮いたゆらゆらの雑踏にまぎれてダマになり、立ち位置などどうでもよくなる。かわいそうってもしかしてこの状態?恥ずかしいけどそうかも、な、帰路。
ご参考までに関連図書として、監督のエリック・ヴァリがパートナーのデブラ・ケルナーとつくりあげた写真集「ヒマラヤ、ある長老の少年時代“Himalaya-L'enfance D'un Chef”」、この映画をもとにした立原えりかによる絵本『キャラバン』(アーティストハウス)がある。
2001.03.12
■かわいそうなひと
先週、米原潜グリーンヒルの元艦長が初めてえひめ丸行方不明者の家族に謝罪した。駅のホームでぶつかっても謝れないひとがいるけど、ほとんどのゴメンってのはごちゃごちゃ考える前に条件反射的に出てくるんじゃないのかなぁ。彼も知恵やら邪念がわきおこってぐらぐら負けてしまってんだろう、謝ることもできないなんて、かわいそうなひとだと感じていた。
その一方で、謝罪した元艦長に対して行方不明者のご家族のなかのおひとりが「あなたにも家族がいる。どうか家族を大切に」と声をかけたという。あのような立場でこんなふうに思いを及ぼし、かつそれを言葉にできるなんてすごいジ〜ンウルウル@@と思いつつ、この方々に対してこそまさにかわいそうって言うのかな、でも「かわいそう」っていうのは全然違う気がした。 「かわいそう」ってなんだっけ?ってことになるんだが、なんかこう、環境や状況に流されることなく自分の立ち位置にすくっと立つひとに「かわいそう」を感じるのはナンセンスだと。
ちなみに山形弁では「かわいそう」のことを「むつこい」、「なんかちょっとかわいそう」のこと(たぶん)を「むつこしゃい」と言うが、子供に対してしか使わなかったんじゃないかな。
2001.03.10
■「荒俣まぼろし堂」最終目録NO.1
平凡社のビル解体にともなって、地下で営業していた「荒俣まぼろし堂」も廃業...というか、地下の一画で保管していた荒俣宏氏の蔵書も移転せざるをえなくなった、と。荒俣事務所は白山に引っ越しが決まり、そのために段ボール200箱分の書籍を破棄、洋書稀覯本は四谷の雄松堂に一括おあずけとなったらしい。
『ラパン』01年春号にはその「荒俣まぼろし堂」の写真と最後の目録が。目録1番のダンセイニの『時と神々』は、氏の『稀書自慢紙の極楽』にも登場、ファンには超有名な一冊。若き日の氏による自装、本文はコピーと手書きで複写、一枚挿絵も描き、さらに原本からの挿絵も挟み込んでいる、これがなんと50000円!!!ほんと?
2001.03.10
■忘れてはならない直感。東京大空襲/カラスの飛翔
昨日(3/9)から東京の江東区総合区民センターで開かれている「空襲展」で、東京大空襲当日の模様を描いた、政治漫画家の森熊猛氏(91歳)のノートが展示されている。当時から漫画家であった氏は、空襲当夜の惨劇に直面しながら、その模様を「忘れてはならない」と水彩画と言葉で一気に書き上げたという。その後ノートはたんすの奥に眠っていて、このたび初めて公開となった。 ノートは和紙を袋とじにした約30ページのもの。忘れてはならないという直感が生んだ貴重な記録。
この前、多摩川沿いのビルの上でカラスが三羽飛んでいた。ゴミ集積所でがっついているいつもと違ってとても優雅に楽しそうに遊んでいる。カラスもいっぱしの鳥なんだな。忘れてはならない風景だと思ったのでここに記す。
2001.03.09
■理想的な荷物の大きさ
宅配屋さんにとって、理想的な荷物はどんな大きさなんだろう。本一冊なんて小さすぎてわざわざ階段登ったり不在票置いたり電話したりが面倒になりそうだし、逆に茶箱いっぱいの本なんて重すぎて頭にきそうだ。宅配屋さんにお世話になることが年々増えたわけのひとつはまさに本の通飯利用による。
読みたい本があって、それがいまいちマイナーなものであるときは、オンライン書店bk1をのぞいてみよう。ここは注文の本の在庫がなくて取り寄せの場合は配送費が無料。web本屋ならではのとってもいいサービスじゃないかと思い、大いに活用している。
ひとつだけ注文。こちらの希望があれば、遅くなっても構わないから一回の注文分はまとめて配達してくれるようにならないだろうか。結構これって、面倒なことなんでしょうが、ことごとく一冊づつ届けていただくのは、なんだか気がひけてくるのだヨ。
2001.03.07
■今時分の食事のポイント
昨日あんな話(↓)をちょうど書いたばかりなのだが、北海道開拓史を食の面からまとめた村元直人氏の「北海道の食」という本の記事を読んだ。戦前の道内の庶民の食事の記録はほとんど残っていないので、調査は七十歳以上のお年寄りへの聞き取りによるものだったという。三平汁は米の節約のためにできたものであることや、漁村で魚を食べる犬が増えすぎたので駆除が進んだ頃、前後して犬を食したこともあった、とか。
さて今日はなに食べよっか。なおちゃんちでごちになっておいしかった「マッシュ里芋+海老」揚げ+沖縄の粗塩でも?でもあれはなおちゃんの友達んちのおいしい里芋で作ったってのがみそだったんだよな...。そう、昨今はこんなことがポイントになるのであります。
2001.03.06 ■日記の積み重ね
「フツーのお母さんたちの子育て日記」が増えたそうだ。流通は出版社頼みで印刷費は著者負担(1000部で100〜200万程度)。某出版社は「だれにでも一生に一冊ぐらい本にできることがある」と広告する。まぁ単純に1億2千万人の日本人がひとり一冊ここで作れば百二十億円か、いいな。カルチャースクールでも自分史を書こう!講座が人気らしい。おばあちゃんやおじいちゃんの自分史を聞き書きすることで日本各地の風習や方言を残そうとする活動も活発化してる。
自分史って、このページみたいな「webにあふれるくだらない日記」同様、きをてらったり物書き然の勘違いさえしなければ、本人にとって有意義である。なにしろ自分にしか書けないものだからユニークで、在る。
歴史なんてそもそも振り返って始めて浮かび上がってくるもんだが、だいたい公文書やえらいひとたちが書き残したものがその資料だから偏ってしまう。歴史の素材は毎日毎日のひとりひとりの暮らしの集積であることを思うと、ひとりひとりが、一生、子育て、一日などのコマい単位で振り返ると物語化の幅も狭くてすむし、これこそ分散して歴史素材の記録をしているようなもんじゃないんだろうか。
ただ気になるのは、手軽な出版が本の美しさをないがしろにしがちなこと。中国のある地方では女性が自分史を書くために独自の文字を考え伝えてきたところもある。焦ってはいけない。

2001.03.05 ■ママ、けんぽうをよんでちょうだい。
『葉っぱのフレディ』を90万部近く売った童話屋が、儲けは子供達に還元したいと文庫版の「小さな学問の書シリーズ」を一冊300円でスタート。第一段は憲法の前文と条文だけをまとめたもので、ルビと英訳付き、解説等は一切なし。
『葉っぱのフレディ』戦法でいくと次は朗読か?朗読王にかかればきっと、ああいう文体のなかに潜む我らが日本人の風情も情緒も醸し出されて子供の心をつかんじゃって「ママ、今夜はけんぽう読んで〜」みたいなことになるかもしれません。
2001.03.04 ■010304とか1334
今日は誕生日だった。誕生日占いのたぐいはどうでもいいんだが、子供の頃お誕生会で母親が作ってくれたひな飾り系ちらし寿司の嬉しさが身にしみているらしく、この時期になるとたとえコンビニ弁当を食べるときでもちらし寿司を選んでしまう。なにがそんなにおいしかったのか、今母親にその「れしぴ」を聞いてもどってことなくて、「おまえこれがははのあじってものよ」から始まって延々、話が長くて腰がくだける。
去年の誕生日は平成12年3月4日で1234だったのにすっかり忘れていた、来年は西暦省略で020304、そのせんで11年後は1234、33年後は3434、今年はどってことない並びだな。
2001.03.03 ■しょうもない気持
東京自由が丘の文生堂書店に寄る。今年5月には旧2号店と3号店が新築ビルにて古書ニシムラ文生堂としてリニューアルするらしい。
3号店は探偵・絶版文庫等の専門。野球少年、世界少年、ロック、新青年、ぷろふいる、苦楽、宇宙船文庫、コロタン文庫etcetcetcetcと棚に並ぶ。何冊も取り出して見る。くすくす笑う。ふと顔をあげるとまた別の一冊がちょっと見てみる?って呼ぶ。だから見る。くすくす笑う...。
しかし思うのだ。資料として探す時は別として、ふと立ち寄った古書店があまりにも取りそろえが見事だと、(どうしても欲しい)一冊を買うことができなくなる。だってあれもこれもそれもどれも全部欲しいんだもん、それは無理よ。
これがなんかしょぼい本屋で、そのての本が隅っこにむげにされていたりして、それを見つけたりするとうれしくなって興奮して自慢したくなるからしょうもないことだ...。でもそんなわけで、いろんな本屋さんががんばっていてくれることが何よりありがたい。だからこういうしょうもない気持も大事にしておくことにしよう。
2001.03.02 ■とり肉のうま煮とライトなたばこ
近所の中華屋の今日ランチ(今日「の」ランチではない)は「とり肉のうま煮」である。私が通り過ぎたときはすでに閉店まぎわであったのにまだ今日ランチの板書が出ている。もう4年ここに住んでいるが、まだ一度も入ったことがない。
うま煮ってときどき聞くけど、甘辛煮とか四川風とか、みそとかしょうゆとかしおとか、なんかわかりやすい言い方がありそうなものを、なんでそんな難しい概念を使って「うま煮」っていうんだろう。アメリカじゃぁたばこに「ライト」って使えないっていうから極端な話です。
2001.03.01 ■カフェで「ふと」
本を読む愉しみのひとつに、「ふと手にとって読みふけってしまうこと」がある。「ふと」ではなく「つい」手にとって買ってくれ、という戦術が、タイトルを含めた装丁のパッケージ化とすれば、「ふと」を呼び込むエッセンスとユーモアを備えて本の中身の居住まいを整えるのが装丁のひとつの真髄だろう。お気付きか?両者では働きかけのやじるしの向きが異なる。
ひとが行き交う蜘蛛の巣の砦に溢れた「ふと」につかまれたい。