BOOK BAR 4 > おかえりのすけ宅 > おかえり、あのね。

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2002年10月31日
の〜の〜つながり
『現代詩手帖』11月号は北園克衛特集。藤富保男×金澤一志両氏による対談「センチメンタルな反詩」、白石かずこ「北園克衛の内風景、四つのkey」、臼田捷治「テキストと形式との往還」、小澤實「北園克衛、その俳句」、城戸朱理「詩の幾何学」、新井豊美「屈託のなさと不思議な自由感」、坪井秀人「北園克衛の郷土詩と戦争」、秋元幸人「北園克衛から戦後詩へ」、村山康男「北園克衛とエズラ・パウンド」他。
昨夜のピットインでも藤富先生の「の〜の〜リーディング」は抜群でしたが、そういえばおかえりのすけの友、の〜の〜鳥は、極めて藤富ィなキタソノ的マスコットだなと思った。
2002.10.29
こりゃ!の秋
差出人やタイトルが不明で添付書類あるメールは即ステですが、今思わず開いてしまったメールのアドレス欄は「Mail Delivery Subsystem」、タイトル欄は「Returned mail: see transcript for details」、内容は全く覚えのないもの。開けちゃったけどなんてもなかったんだけど、なんでもなくて良かったんだけどめんどくさいことをわざわざするひとがいるもんだわね全く。
2002.10.28
新宿二丁目の秋
新宿ピット・インでの北園克衛 生誕100年記念コンサートがいよいよ迫る!!当日直接お出かけになっても大丈夫とは思いますが、予約されればなお安心。
ピットインの隣のビルの一階にある荘園は、伊勢丹裏にあった時代から馴染みだが、シジミ醤油漬けに大根もち、炒めソバ、キュウリの湯葉巻きなどなど、(久々食べたいなー)と思わせる味をインプットしてくれる店。営業時間が長いので、ライブの後先のハラゴシラエにぴったり、でもある。合わせてどうぞ、新宿二丁目の秋を。
2002.10.27
ガレリア・グラフィカの秋
ガレリア・グラフィカにて北園克衛「プラスティック・ポエム」展が28日からいよいよスタート。11/9までの期間中に販売される全30イメージは北園克衛生誕100年イベント公式サイトのこちらからご覧になれます。
なお、11/11〜16は、藤井敬子「旅する本2002」展が。こちらもお見逃しなく。
2002.10.26
[ARG-144]
"ACADEMIC RESOURCE GUIDE"(岡本真氏)が、「『近代デジタルライブラリー』をめぐって」の連続特集開始。10月1日公開の国立国会図書館の近代デジタルライブラリー、わたしちがどんなふうに利用していけるのか、専門のかたがたの声を聞いてまいりましょう。サイト内、「今日の日誌」で紹介されていた「東京農業大学貴重書コレクション」「萩庭さく葉コレクション(千葉大学薬学部)」もいいですね。しっとりと実りの秋で。
2002.10.25
『スパー8』2001/伊独/監督:エミール・クストリッツァ
ユーゴのパンク監督ことクストリッツァが、86年にベーシストとして参加したバンド、「ノー・スモーキング・オーケストラ」のロード・ムービー。バルカン人のブルースを「unza unza」と刻みながら、「レゲエ以後に生まれた最も重要な音楽」だと豪語する。
監督のクストリッツァは、映像が音楽をダメにしたといいながら「ノー・スモーキング・オーケストラ」のPV撮影現場を楽しげに演出。『アンダーグラウンド』以後の一時引退宣言の時期とどうダブってんだろと年代を追ってしまう。監督が俳優として参加した『サン・ピエールの生命』は2000年の公開か。
時間はヒトにやさしい。なんでだろう。たぶん、ヒトがみな確実に時間を過ごしているからだ。そんなのはあたりまえ。とはいえ、普段時間はただ過ぎていく。自分以外の誰かの暮らしを想像する力が、時間の経過感を育むようにも思う。
2002.10.23
30日、ピットイン
緊急告知です。今月30日、新宿ピットインでの北園克衛生誕100年記念コンサートに出演予定されていた高橋悠治氏が、体調不良でまことに残念ながらご欠席。かわりに、山下洋輔氏のピアノ+奥成達氏のリーディングとなりました。このイベントの企画最初の段階から御参加を御快諾くださっていた高橋氏です、残念ですが、どうぞ御養生くださいますよう。祈。そしてまたこの緊急事態に対処くださる山下氏と当イベント主催者との深い深いキズナに触れて、新たな逸話に感謝と感動。
2002.10.22
キノコ狩りにいらっしゃい
NY映画祭に招かれていたキアロスタミ監督、ビザが手に入らず参加を断念、このことに抗議してカウリスマキ監督が不参加を表明。「米国がイラン人に用がないならフィンランド人にも無用だろう。我々は石油さえ持っていない。米国防長官をわが国に招くからキノコ狩りでもして気を静めてもらいたい。...」
北朝鮮からの土産は松茸なのかー!!ということをツイキュウする議員を選ぶわが日本国はどうよ。フィンランドならカティ・オウティネンが静かに食事につきあってくれると思う。
2002.10.21
なにがどう異常なのかがわかんない
まぶたを蚊にさされ、そのはれとかゆみがなかなか治らないと思い続けて二週間、「アレルギーじゃないの?」のひとことに思い当たるふしあって医者に。ずばり、アレルギー性結膜炎と診断。
肌寒くなるこの季節、ここ数年まぶたがかさつきかゆくていつも涙目で、歳だな〜と、メンタムリップやクリームを塗っていたのだった。そっか、アレルギーだったのか。身体の異常に正しく気付くのは難しい。
いまどきだと金木犀アレルギーかもねと言われたが、具体的に調べるのはまた今度。医者に行くのがきらい。
2002.10.20
ペーパー→金魚
今月末まで青山のスパイラルで「Paperbacks`Art」展byユトレヒト開催中。Colobockleとのコラボによるオリジナルグッズもあり。
bookbar4としては、スパイラルでの次回展示、須曽明子による帽子展、そのエンブレムモチーフのひとつに金魚があるってことを見逃すわけにはいくまいな。
2002.10.19
狸といえば
先日テレビで『平成狸合戦ぽんぽこ』をやっていた。すぐ消す。かわいげな表情やしぐさ、声色がたまらん。内容以前の問題。苦手なのだ、こういうのが。翌日『初春狸御殿』(59年)をみる。39年の『狸御殿』以来、マゲもの傑作豪華ミュージカル風映画をおくりだしてきた木村恵吾監督による。バカバカしくも美しく、抜けて楽しく抜群。
なお狸映画研究家的サイトによると、ずいぶんあります、狸映画。
2002.10.18
お、ひっぱるねぇ
印刷博物館で開催中の「1960年代グラフィズム展」の図録、刊行が11月中旬に延期かつ仕様も変更の模様。余裕、ですねぇ...。五千円くらいになるそうです。
2002.10.17
北園in名古屋
名古屋で北園克衛のブックデザイン展、始まってますよー。今月、開店2周年を迎えたコロンブックスにて11/10まで。それにあわせて、書肆孤島主催「白のなかの白のなかの黒 プラスティック・ポエム=ミュズの影」とタイトルされた、北園克衛についてのリレートーク(藤富保男氏もご登場!)が11/4に開催。お近くのかたは是非どうぞ。しかし「〜=ミュズの影」ってのはどういう展開?
2002.10.16
百五十と花梨
新聞連載を仕事にしたら、どんな毎日になるのだろう。
大邸宅をみてとっさに、(掃除がたいへんだからやっぱり小さい家がいい)と思ってしまうのと同じで、そんなシンパイをするひとにはそういう暮らしはやってこない。ハイハイ。
朝日新聞の夕刊に連載されている柳美里氏の「8月の果て」、この挿絵(井筒啓之氏)を見るのが楽しみ(ではじめたのだった...)でスクラップを続けて150回。こっちとしては150回切るだけでもいっぱいいっぱい、もう終わってくれまいかと心で思フ。
146回目は10月11日、その日切りとった「8月の果て」の裏には、亀和田武氏が「マガジンウォッチ」と題して『劇画狂時代』(岡崎英生氏)についてかいており、岡崎氏がのちに「フォーカス」のアンカーとして、上村一夫氏の死亡記事を一人で朝までかかって仕上げた終章にふれている。
今家では、父が送ってくれた花梨が香る。摘み食いしてウマい果実ではない、だから子供の頃は見向きもせず、久し振りに見てもラフランスのできそこないかと思ってしまった。それと同じくらいのブランクを経て二〇年以上ぶりに再会したひとたち。その間目を凝らしてスクラップした記事が、いったい何枚あったことだろう。
2002.10.15
町の匂い
御殿場線ぶらり旅。国府津から御殿場行き観光客のためにひかれた線だろうという根拠なき先入観のまま山北駅に降りたが、しなびた駅前商店街が風情ありすぎて謎。和洋折衷のコンクリ製二階建てビルや蔵を改造した建物が並び、かつて鉱山で栄えた町的匂いがする。
聞けば、ここは鉄道の町だったという。なにしろ国府津〜沼津間は、現在の東海道本線より先に御殿場線が通ったのだと。丹那トンネルが開通したのは1934年。その後町は衰退するが、1955年に近隣地区との合併を契機に、駅前にあった貨物ホームを払い下げて作られたのが、今に残る商店街の始まりらしい。なるほど。だからある種の秩序感が漂うのか。
事前情報を持たずとも、通りを歩けば自然とこうした疑問や興味がわいてくる。町が持つ力はすごい。
駅から数分の酒水の滝に寄ったなら、帰りは国府津まで出て海岸で高波を浴びてマイナスイオンダブル照射がよろし。食材も堪能。山北産まいたけ2パック200円→焼き+炊き込みご飯+汁。香り歯ごたえもうしぶんなく、食べ足りず喧嘩。山を歩きながらつまんでしまいたいみかんに多々出会うも、見晴らしよすぎて失敬するには勇気が足りず悶々。売店でキチンと買う。甘過ぎずこれまたよろし。
地は歩くに限る。歩く速度以上には思考が追いつくわけがない。いっぽうで、かいつまむ楽しみもある。だから、山北の駅で案内をもらったリニアモーターカーの試乗会に行こうと思う。
2002.10.14
郵便で〜す
原作デヴィッド・ブリン、監督主演ケビン・コスナーの『ポストマン』をBSで。演出の謎に???が連続しすぎて結局最後まで観る。可笑しいのだ。
あとでレビューを観たら悪評高き作品だったのね。しかし。「ヒーローのくせに弱いずるい」ってのはどうなんだろう。彼は最後の決闘で「偽物同士だな」とベツレヘムに言い、その結果の勝利すら自分の手によらず、なのにまた喝采を浴びて蒙昧呆然とし、死んだあとまで銅像にされて滑稽なくらい散々です。現実でも映画作品に対しても、やみくもにヒーロー像を期待して感想を述べられても困る。
手紙を書く機会は減ったが、いただくのはうれしい。『山の郵便配達』『ポストマン・ブルース』と合わせてご覧になるのはいかがでしょう。人、馬、自転車、バイク。いろんなものが手紙を運ぶ。
2002.10.13
ティファニーで古本を
『visionaire』38は、古書をスクラップブックの台紙にみたて、マシュー・バーニーらアーティスト作品を挟み込んだ。発行部数四千、もちろん一冊づつ別の古書でしょう。ティファニーとのコラボのためパッケージはティファニーブルー、それにオープンハートのペンダントヘッドがしおりの先っぽに結ばれて挿入...ハイハイ。
ティファニー本店でも売ってます。タイトルは「LOVE」。
2002.10.12
平まどか的紙
「平まどかのベルギー製本留学記(6)」は、二年目に入ってパッセカルトンが始まった。言葉も試験もすっかり慣れて、装飾のための紙づくりにも余裕の楽しみが。製作の過程を満喫した結果、平さんらしい紙づくりが既にあることがわかる。
なにものにも代えがたいというか、本来それしかありえない「その人らしさ」を体感して表現するのはなぜか難しい。だから見よ。淡々と平まどか的紙作りの記録を。
2002.10.11
長生き
川海老ネタで続けると、先月新潟土産で買った川海老は風味もよろしく重宝している。川や海で暮すものたちは受難多く、今年はもはやイワシはちっとも捕れないって。
近所に俗称イワシやと呼ぶイワシ専門店が数年前にでき、開店当初は美味しく通ったものだった。だが徐々に鹿児島黒ブタが参入して勢力を持ち、昨今では全体の調理法も油派となり足が遠のいた。この店が今さらに繁盛しているのはそういうわけ。
近海に、巨大なイカも出ましたね。みんなたいへんなことになっとります。なんとなく無事に平均的ニンゲンのいでたちで暮していることが奇蹟に思えてまいります。わたしたちは長生きしたいと望み、それで寿命はずいぶん長くなってしまった。
2002.10.10
海老で鯛、鯉で海豹
先週末近所で買った12ロール入りで税込200円のトイレットペーパーを使いはじめる。袋にシール。お店のおじちゃんが貼ってくれたやつだ。見ると、「お早くお召上がりください。新鮮海老専門店海老新」とある。そうか、新鮮海老屋だったのか。
ここは多摩川が近いのだ。昔は川海老がたくさん捕れたんだろう。最近は、鮎も釣れるがとにかく鯉だらけ、たまちゃんもやってきた。そういえば名古屋市博物館特別展「盛り場」の天保4年のアザラシはいいタイミングでおみごとでした。
2002.10.09
電子ルリユール
って、知ってました?私は知らなかったです。メジャーなかたがたが、きっとずいぶん前(記載日付けがないのでわからないが)に、T-Timeによる電子本の可能性に期待を込めて「モニタ上に表示される本そのものをデザインする」ことを指してそう呼んでいた?
私がエキスパンドブックやT-Timeになじめなかったわけ、また、自作の詩を動画にすることを実際やってみたら見て下さるかたがたからの反応が良すぎて逆に(違うな)と思ったわけ、うまく言えないがその違和感だけははっきりしていた。新しいものに会ったとき、これまでの習慣をこじつけて説明する野暮さがいやだったのかな。まずは楽しみと工夫を尽してみてはどうなのか。それが新しい習慣となって意味づけするのは次世代がやればいい。常に誰もが誰かの次世代、そんなに焦ンナヨとつい言いたくなる「電子ルリユール」ってやつ。
2002.10.08
『歌え!フィッシャーマン』
ロシアに招かれ緊張の面持ちのメンバーが歌う『コロブチカ』に観客が寄せる手拍子にホッとしてしまう。ドキュメンタリーだというけれど、随所に挿入された歌うシーンは相当な演出。ここまで過剰にした理由は?
「防波堤と歌があるからこの土地で生きていける」と合唱団のメンバーが言った。しかし、巨大なテトラポットにあたってはじける波音は、合唱団の歌声をかき消していたし、原発や公害で荒れた土地を見て非難するメンバーも結局その土地に暮す人達の手拍子に救われていた。どこに暮そうとその土地が持つシステムの影響下に在るわけで、だから絶対というものはなく、そんわけで、猛吹雪のなか直立不動で歌う姿がなんて普遍的な強さと弱さを感じさせることか。震えたり泣けたり笑ったり。その昇華形が歌うことなのかも。過酷なものに向き合うときにヒトがなしうるのはせいぜい身体を響かせること、あぁなんてオルガンな...。
くわしくは配給のこちらをどうぞ。しかし東北新社の佐藤くん、仕事熱心はいいんだが手当りしだい掲示板に書き込むのはやめとくれ。
2002.10.07
本屋で万歩、ぶらり散歩するために
「本屋さんでお散歩〜「sumus」が選ぶ秋の文庫・新書100冊」というブックフェアがリブロ池袋店・文芸書売場と青山店で10/8〜11/10開催中。選んだ本をまとめた小冊子(表紙はジャイアイント馬場が文庫を読む、の図)ももらえそう。
本屋で散歩といえば八重洲ブックセンターの看板、「店内散歩健康法 本を見ながら店内をくまなく散歩していただくと、一回五千歩のよい運動になる」。どういうクマをナクして歩くのかが難しい。
2002.10.07
ぶらり旅のモダニズム。「シュールは実は近代の諧謔」
西脇順三郎展を世田谷文学館に。構成は、詩、絵画、旅、草花、西脇文庫。以下メモ。
シュルレアリズム/「... 私は風情ということを強調したが、しかし十五夜の月をみる方法としては、なすに穴をあけてそこから管見するのが本当の風流人だそうだが、それは今日の言葉ならシュールとなる。そういう風流はあまりにしつこすぎる。私は十五夜の夜のために東京近在の百姓のようにススキとガマズミの赤い実のついた枝を一緒に飾る程度のものでよい。」(「生花以前」『あざみの衣』より)
各種ノートに挟まれたメモの美しさ楽しさ。それがなによりの詩。
旅/世田谷近辺をぶらり旅する西脇。「あらゆる生垣のわきをさまよった」とマラルメの言葉をもじって嘆いた、と誰かがカタログに書いていたが、下馬を散歩する西脇の写真をただ見ることのほうが、実感が伝わる。ぶらり旅の系譜。しかし衣裳がダンディ過ぎるな。
絵/水墨画や襖絵のほうが、人気の油絵よりだんぜん良い。
帰り道、世田谷線から、周囲に残る生垣を眺めつつ、終点三軒茶屋駅から喇嘛舎にむかうが、先月いっぱいで神保町に越した模様。そうとなっては『近代の寓話』「午後の訪問」的に立ち去るべし。「ではさようなら......」
2002.10.06
刺繍刑に処す
club noohlが、[拘束と規律]の世界を三十一音で表現する the mail book bor bondage & disipline《刺 繍 刑》を創刊。続いて、葉書形式に拘束された郵送版も予定。この限られたインフォメーションでぴんときたかたはお問合せを。
刺繍刑...どんな柄にしましょうか。糸は?針は?
2002.10.05
Sound Bum
時々ガンバって耳を澄ます。横断歩道で信号待ちしているときなどはやりやすい。両耳からまっすぐにピアノ線を、できるだけ遠くに伸ばそうと考える。懐かしい音が聞こえてきたり、気付くと映画みたいだと感じてがっくりしたり。
サウンドバムプロジェクトで収録してきた音を、日本科学未来館他で公開するイベントが続く。音は常に溢れ、聞こうとしないから聞こえていないだけだもんねーが体感できればいい。
2002.10.04
もんじゃやまこもだけ
昭和三十年代の路面電車(風)でもんじゃを食べる。幼少時もんじゃ体験がない私にとってのもんじゃは一種のイベント食、五回目くらいかなぁ。手慣れた皆があきれ、完成したもんじゃをヘラに貼り付けて「食べれば?」とくれる、ありがと。ビールにホッピー、電気ぶらんがおいしく飲めます。「次はベビースター入りにする?」と聞かれギョっとするが、そもそも駄菓子屋の奥にあったもんじゃ焼きにベビースターが入るのはごく自然でしょ、と言われてあっさり納得。リゾットもあるよ。そうそう、最初に、肉とまこもだけを焼いて食べることをお勧めします。まこもだけ、うまいよねー。銀座のニュー北京でママにはじめて教えてもらって以来の大好物。
2002.10.03
ポーラでビジン
ポーラ文化研究所の「is」最終号は、特集:終わり方の研究。「isがwasになるとき」という前書きがちょっと鬱陶しい。とはいえ24年続いた雑誌。ポーラ化粧品ってものがいったいどんなものなのかついぞ興味を持たないままの読者も多かったはずだから、すばらしいと思う。今後はポーラ美術館へ。比べるものではないけれど、この美術館がこの調子でいくのなら、雑誌を続けて欲しかった。
2002.10.02
ぐるぐるぐるぐる
飛鳥新社から先月20日にでた『劇画狂時代』は、岡崎英生氏が「まんだらけzembu」に連載していたものをまとめたもので、あとがきによると編集を担当された赤田祐一氏による強力なプッシュとサポートがあった模様。その赤田氏は『「ポパイ」の時代』を先頃出版、著者プロフィールにも紹介されている『磯野家の謎』は1992年に担当出版した本で、本文中で「サザエさま」事件の真相を聞くべく奥成達氏に電話するシーンが出てくる。その奥成氏の小辞典をまとめたり、ソフトマジックから先頃復刻された上村一夫氏『おきせの乳房』の解説も書く岡崎氏の現在は、仕事の合間に車を走らせ、穏やかな菜園狂時代、か。

2002.10.01
柔らかな身体、そして道具
製本会社の現場を見学する機会に恵まれて終日過ごす。
職人の方々が日頃使っている道具がある。例えば一本のヘラを手にすれば、ヘラまでが身体の一部となる。ひとつの作業が終るまで、ヘラが手から離れることはない。全体で「手」になっているからだ。
そのヘラを借りて、私たちが同じ作業をしようとする。きっと便利な道具であるそのヘラを、うまく使いこなそうと考える。当然、ヘラはたびたび手から離れて彷徨う。その作業のために、自分の身体でなにが足りないかがちっともわからないからだ。
道具の美しさはそもそもそういうところにある。どうしたいのか、そのためになにが足りないのか、その不足を補うためにはどうしたらいいのか。そこで造られるのが道具であるから、それを使って目的の動きをすれば理想の世界のはず。美しくないわけがない。
私たちの身体はなんて柔軟なんだろうとも思う。道具が、身体の延長に見えうるのだからね。