2007年11月18日日曜日

ほっこりとおこもり

結婚してから増えた趣味が旅行である。旅とレストランでの食事は一人ではしにくいもので、一人旅とか孤独のグルメとかはそれだけでジャンルを形成しうる。と言うわけで旅行のカタログなども楽しく眺めることが出来るようになった。そこで「じゃらん」と言うリクルートが出している旅行雑誌を二回ばかり買ってみた。

まあ殆どが旅館のパンフレットを再構成したような内容で、ネットで見れば十分と言うか、その方が検索とか便利なのでもう買うことはないと思うのだが、非常に読みづらいというか「?」と言うマークが頭の上に浮かぶ事しきりであった。それが標題の「ほっこり」と「おこもり」なのだ。

「ほっこり」とはどうも京都弁で「(達成感のある)疲れた」と言う意味だそうな。馴染みのない言葉ですな。それが「じゃらん」においては「ほっとする」「癒される」と言う意味で使ってるようだ。これって只の馬鹿が見栄張っただけじゃん。「ほっとする」と言っておけばいいのに、それを気取って「ほっこり」なんて言葉を語感だけで使ったのだろう。こういう誤用はとても恥ずかしい。自分を実態以上に見せたい人間の卑しさが出るね。「癒し」って言葉も俺は嫌いでね。どうしても「卑し」に聞こえてしょうがない。癒しを求める人間の性根が卑しいというか。「ほっこり」に関してはネット上でもこういう事例があるので旅行関係には蔓延しているのかもしれぬ。

「この冬お勧めのおこもり宿」ってなんのことか分かりますか?じゃらんを読むと、まるで常識であるかのごとくなんの注釈もなく使われている。ネットで調べるとこういう事らしい。でもこのページでも注釈で書いてるように決して一般的ではなくその場で定義されて使うのが当然の程度の普及しかしてないはずだ。それがじゃらんだとまるで知らない方が悪いぐらいの使いっぷりだ。なんかなあ。雑誌作りってこんなんで良いんですか?まあどうせなら「観光なんて不要!宿だけで満足の」ぐらいにしておけばいいのにね。ちなみにおこもりってのもこんな意味があったりする。まんまー!めしー!しるー!

雑誌の作り手の感性が鈍いと、ジャーゴン程度の単語や恥ずかしい誤用を連発するのであろう。海外旅行のAB?ROADも昔は雑誌で売ってたと思うが、今はネットサービスのみである。じゃらんも存在意義は、多分もう無い。JTBや阪急旅行社のパンフレットを見ている方が変な日本語も無いし、第一ただだよ。

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2007年11月17日土曜日

きっちょきちょにしてやんよ☆

asahi.com:「吉兆グループ」に広がる波紋、宴会のキャンセルなども -というのはアサヒコムの関西に出てたニュース。図が出ていて吉兆グループの様子が分かる。

吉兆の偽装事件は(あえて船場吉兆とは書かない)赤福よりさらに嫌らしい。経営陣が弱い立場のパートや納入業者に責任をなすりつけているところもそうだが、商売として一番安易な方法で儲けようとしたからだ。俺は前から手っ取り早く儲けるには、支那産の食品を有機食品と偽って売ることだと思っていた。多分やってる人間はいるだろう。なぜなら一般消費者は有機食品と農薬まみれの食品とを見分ける術が無く、かつ価格差がとても大きいから容易に莫大な利益が得られるのだ。だから有機農法という謳い文句は、よっぽど信用できるものでないと信じない。それはどういうものかというと、結局はブランドと言うことになる。つまりブランドに傷が付くことが大きなリスクとなる場合には、偽装はやらないだろうという類推である。
大手デパートやスーパーがこういう偽装を行えば、経営に差し障りがあるだろうから多分やっていない、と推察するのだ。ま、だから普通は有名処はそんな偽装はしないと思うのだ。

それをやっちゃうと言うのは、全くもって、、、、

しかし高級料亭というもののいかがわしさが露わになった事件である。赤福もそうだが、祖先が築いたブランドを簡単に換金しようとしてしっぺ返しを食らった格好だ。船場以外の吉兆各社は「経営は別」などとほざいているが、おまえらだって吉兆というブランドを金にしていることには変わりはないだろう。この際偉そうなことを言ってる京都吉兆は吉兆という名を捨てては如何か。自分で作った名前でもないんだし、もう吉兆なんて名前はお笑いでしかないんだから。ゼロから再スタートしてみろよ。その方がよっぽど良いと思うね。

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2007年11月11日日曜日

高雄の景色


高雄へ出張へ行ってきた。今年三回目である。多分今後は当分来ないだろうなあ。
写真は泊まっていた、圓山大飯店の部屋のテラスから清澄湖を望んだものである。朝になると鳥の声が聞こえて良い感じだね。台湾は香港に比べるとのんびりして良い感じだなあ。飯は大抵旨い。味付けがあっさりなので、いくらでも食べられちゃう。つい食い過ぎてしまった。

三日目の午前で仕事が終わったので、午後は初めて観光に出かける。今まではとんぼ返りばっかりだった。と言っても、海辺の旗津にタクシーで行って砲台まで登り、フェリーで対岸まで行き、旧英国領事館でお茶を飲んだぐらい。砲台の近くではツバメがいっぱい飛んでいた。渡りで日本から来たのかなあ。蝉の声も聞こえたような。流石に暖かい、と言うか山登りで汗をかいた。旧英国領事館も階段をずっと上った山の上で、大汗をかいた。アフタヌーンティーというのを頼んだら、三段重ねで一番上がケーキ、二段目がツナサンド、三番目がフルーツの盛り合わせ。かなり後悔した。フルーツもブドウぐらいしか食う気がしない。ドラゴンフルーツやグアバはちょっとなあ。台湾は大抵美味いといったが、これはちょっと。やっぱり中華がよいのだ。

東京に帰ったら打って変わって寒い。体調崩しそう。

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2007年11月6日火曜日

死ぬ死ぬ詐欺が無くならないわけ

もう古い記事になるが「毎日新聞「ネット君臨」取材班にインタビューした」という文章がある。さくらちゃんを救う会に疑問を呈し、mixiなどでも声を上げていたがんだるふ氏に毎日新聞がインタビューして悪意ある記事に仕立てたことに対し、元毎日新聞の佐々木氏が取材班にインタビューしたものだ。これを読むと愕然とする。大新聞の記者というのは輿論をフレームアップする資格が自分たちにあると考える、何とも傲慢な連中であることがありありと分かる。しかし今や大新聞の権威などというものはない。俺も社会人になってから新聞を定期購読などしたことはない。必要だと思ったことがないのだ。

毎日新聞の記者達は弱者を誹謗中傷する卑劣な人間という先入観に基づき、インタビューを行い記事にする。これは予定調和であり、真実を探り出そうという行為とは180度異なるものだ。ところがこのような欺瞞的記事が社内では賞賛されたという。

穂香(ほのか)ちゃんを救う会などというのがまた出来ている。この間けいた君を救う会の代表が募金の山分けでもめて暴力事件で捕まったというニュースがあった。さらにおさむちゃんを救う会などという本物の詐欺もあった。募金をするのは勝手だが、募金をしたからと言って自分がいい人になるわけではない。金満日本人の難病の子供が助かることにどれだけ意味があるかを良く考えてからでも遅くはない。

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