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_ 睡魔にも負けず一気に読んでしまった。厚さの割には、字が大きいのではかが行くのだろう。死海文書のことが出てくるが、以前話題になった頃に『イエスのミステリー 死海文書で謎を解く』ほか、何冊かの死海文書関係本を読んでいたので、「義の教師」とかなんとかのあたりはそのときのある種の興奮や、キリスト教というもののうさんくささ、あるいは歴史というもののとらえ方の見直し(自分自身の)などを思い出しながら読んだ。キリスト教の抱える欺瞞を中心に据えながら、物語はアラブの色が濃く、ジンだの魔物だのや、濃厚な香料のにおいと人いきれにもみくちゃになるような気分を味わいながら進む。
_ 解説で東へんしうちょう(^-^)/が触れておられるように、『アラビアの夜の種族』を想起させる点も多く、死海文書という書物の断片の解読と平行して、主人公トムをマグダラのマリア、亡くなった妻ケイティー、古い友人にして新しい愛人シャロン(と言えば薔薇ね)という3人の女性が、文字通り濃密に包む。アフマドとそのジンの話など、アラビアンナイトのエピソードめいて魅力的で残酷だ。
_ 中学の教師をしていたトムは、愛妻ケイティを思わぬ事故で亡くした後、職場でのある出来事を苦に退職し、学生時代からの男女を超越した友人シャロンをエルサレムに訪ねる。旧市街の路地で彼の前に姿を見せた奇怪な老婆は、彼に何かを語ろうとし、これを皮切りに彼は現実とも妄想ともつかない光景をかいま見、体験しはじめる。一方トムはホテルで出会った老人から死海文書の切れ端を預かる羽目になるが、シャロンの知り合いのアラブ人学者アフマドが解読したその螺旋状に書き込まれたテキストは、現代に伝えられたキリスト教の大きな欺瞞を糾弾するものだった。トムの妄想を、彼が抱える問題(愛妻の死と職場での出来事)に原因があると見るカウンセラーのシャロンは、トムに自身の問題と直面させようとするが、それは難行で、アフマドに言わせるとそれらはみな「ジン」が取り憑いているからなのだ。シャロン自身も若い頃から自分でも知らずに抱えてきた問題をジンのせいだとアフマドに指摘され、エルサレムのへそに当たる場所で、自分にとりついたジンに向き合うことになる。キリスト教の欺瞞を、女性の憤怒を、男性の不実を、生・性の抑圧を、ここに登場する女性たちは時にジンに姿を変え口々に「うそつき!」と叫び執拗に糾弾する。
_ 終盤、トムが亡き妻ケイティに抱いていた愛がじつはなんだったかをシャロンが指摘するシーンはごくさりげなく描かれるが、自分で固く信じて疑わなかったものすらがじつは初めから妄想であり欺瞞であった、と受け入れることは、…真実がそれ自身の存在を主張するのに気付き受け入れることは、歴史、宗教レベルの問題ではもちろん、一人の個人レベルであってもこれほどに苦難を伴うものであり得る。エルサレムという特殊な場所の持つ重層的で強力な魔力なしには成立しない物語であるが、掉尾の、トムが高所から見渡す狂おしいほど美しいエルサレムは、歴史と欺瞞、なによりもそれらを作り出してきた人間の営みを一見静かに内包してたぎるるつぼのように感じられた。
_ 長男や娘が、調べ物だレポートだと、せっかく私が立ち上げておいたパソコンをいつの間にか占領してどいてくれない。先日知り合いからもらってきたイカレノートパソコン、早く直して彼らにあてがってやってくれい>連れ合い
_ 昨日の『鎮魂歌』の感想を加筆した。なんかもう、イメージが非常に効果的に使われ、文書の螺旋形が物語と都市、そして人の心の迷宮を模し、またエルサレムの歴史的・構造的重層性と物語の重層性とがそれぞれ呼応しあっている点など、素晴らしい。それがまた大変読みやすいと言うことも驚くべき点だ。トムの悪夢の中で「うそつき!」と人々が叫ぶところは「ライアー!」と叫んでいるんだろうか。ライラでハーピーが「ライアー!」と繰り返し叫ぶところでのショックを思い出しちゃったのだ。
_
川端裕人/『川の名前』/早川書房
畠中恵/『百万の手』/東京創元社
アダム・ヘイズリット/『あなたはひとりぼっちじゃない』/新潮クレストブックス
カレル・チャペック/『カレル・チャペックのごあいさつ』/青土社
ル=グウィン/『ゲド戦記外伝』/岩波書店
ミルチャ・エリアーデ/『エリアーデ幻想小説全集2』/作品社
テリー・プラチェット/『異端審問』/鳥影社
〃 /『三人の魔女』/三友社出版
〃 /『魔道士エスカリナ』/ 〃
_ どれも基本的にハードカバーなので、結構な量が一遍に増えた。エリアーデの本はあまりのお値段の高さに、アマゾンのマーケットプレイスで予約をしてしまったもの。はっきり言って新古本状態なのだが、こんなことでよいのだろうか>アマゾン
_ 美しい表紙(カバー)につられて手に取る。影山徹の絵には本当にいつも胸をざわざわっとかき立てる何かがある。空を埋める鈍く光る白い雲からは、雨粒がばらばらっと画面いっぱいに時雨れている。森下一仁さんも書いていらっしゃるように、作中の桜川=仙川だろう。仙川が流れ込む野川は、実名で出てくる。野川の方は私にもある程度なじみがあるが、仙川は、京王線の駅名と、車や電車で近くを通るときに、ああこの川は仙川だ、と思う程度にしか知らない。三鷹市教育センター制作の「仙川の流れと新川の昔さがし」に、地図と写真があるのを見つけた。地図の6から7にかけてと思えばよいだろう。お話の方は、中学生どころか小学5年生の男の子が主人公だ。私の大好きな『ハヤ号セイ川をいく』を思い出す。ちょっとスキーク張りの喇叭爺、デヴィッドの妹みたいな感じの女の子も、主人公・脩(しゅう)の友人ゴム丸の妹として出てくるし、もう一人の友人河童が、デヴィッドとアダムがするように、桜川でうち捨てられていたカヌーの修理をしたりする。それに、そう、これも夏休みという限られた特別の時間の中の話なのだ。とまあ、そういう共通点はあるにせよ、話は全く違った展開をしてゆく。
_ とーってもいい感じに話は進んでゆく。喇叭爺の正体をはじめ、脩を取り巻くクラスメートたちの本当の顔が、脩には次第に見えてくる。彼らの「自由研究」が進むにつれ、桜川流域は、現実のアザラシのタマちゃん騒動を揶揄したような騒動となる。その中に唯一ひっそりと静かなのは、彼らが通う鳳凰池だけだったが、その静けさが乱されるのも時間の問題となってきた。
_ 私が子供時代を過ごしたのは、開発(いまならさしずめ破壊)されつつある武蔵野の農村地帯の近くにあった町はずれだったので(多摩川のもう少し上流、国立と立川の境あたり)、ちょうどここにある鳳凰池のような風景の少し昔の姿を、その風や匂い、植生とともに自然と想起しながら読むことになり、その点でも本当に懐かしく引きつけられる。家の歩いて5分ほど裏の方を流れていた用水では、私が高校の頃まで用水の際の家の人が茶碗や洗濯物を清流で洗っている姿もよく見られたものだ。そんなことを話すと「えーっ、東京なんでしょ?」と言われたりするが、東京は結構まだまだ田舎なのである。さすがにもう過去形かもしれない。
_ 先週生協に注文用紙を出したら、いきなり今日宅急便で届いた>エレクトロラックス オキシジェンZ5954。しかし値段なんてあってなきがごとし、生協経由で、税抜きなら6万円台でしたわよ。8時頃帰宅したら郵便ポストに宅急便屋さんの不在通知が入っていて、いつもは配送センターに電話するところを、今日は珍しく運転手さんの携帯電話というのに直接かけてみたらうまく繋がった。「○○(マンション)の××ですが」と言ったら「あっ、△△号室ですか、今いらっしゃいますか?ちょうどその駐車場に着いたところなんです、今行きます!」と、ホンの2,3分で到着した。なんてグッドタイミング。その時点では荷物が掃除機とはわからなかったのだが、あまりのタイミングの良さに、とっておきのロイズのナッティーバーをちょっとだけご苦労様賃に差し上げたら、「ロイズのチョコ、いいんですかあ!?」ととても喜んでくれた。朝早くから夜遅くまでホントに大変な仕事。でもにこっと笑って元気に「仕事ですから!」と言うので、コマーシャルを思い出して思わずくすっと笑ってしまった。で、掃除機の方は「でかっ!」とか言いながら梱包を解き、組み立て。輸入物の電気製品って、本体はともかく部品がちゃっちいかんじがするのはなぜだろう?サイズは確かに決して小さくはないが、大きすぎて困るほどではないし、取り回しも悪くない。とりあえずその辺をささっと吸い取ってみた。この時期になると日中網戸にしておくので、向かいの公園から砂が入ってフローリングはざらついているのだが、確かに、はだしの足裏ですべすべに感じるくらいによく吸い取る(ような気がする)。まあ最近の咳がアレルギー性と言うこともあり、せいぜい掃除機かけに励みましょう(;.;)<なんでここで泣きマークが入るのかはご想像に任せる。
_ といつも言ってしまうが、虫歯予防デー。
_ あさ、出勤途中に何もない(ように見えた)路上で足をひねってしまい、足の甲の筋が思いっきり伸びた感じでかなり痛い〜。
_ 止まらなくてけさ2時半過ぎまでかかって読み終えた。よく子供たちが住所をでっかく言う、「宇宙ゥ、銀河系ェ、太陽系ェ、地球ゥ、日本ン、本州ゥ、東京ゥ、○○区ゥ、何丁目ェ〜」というアレ。いきなり東京のところから行政区分なんだよね。よく茶々を入れて「関東、武蔵野、××(土地の古名)」と言っては「なにそれぇ」と煙たがられたが、まさにそれ。自分の住んでいるところを川の流域として認識する、と言う考えが自分の「川の名前」なのだ。今でこそ荒川流域人だが、元々私は多摩川の人で、河岸段丘の1段目の人でした。と言うようなことは同じ段丘上に建ち、七不思議の一つとして多摩川までの地下道があるという伝説を持つ高校の、地学の時間にさんざんやった。
_ 物語は台風がやってきて大雨の中にそのハチャメチャなクライマックスを迎える。カヌーで多摩川河口へ向かうその眺めに彼らが抱く感覚は、月並みと言えば月並みかもしれないが、胸がすっと開けるような自然で素直な感覚だ。パペンのことだってその一瞬はすっかり忘れてしまう、そんな感覚なのだ。『海へ出るつもりじゃなかった』というタイトルが口をついた。大事なカヌーは甦って今一度の大役を果たし、最後はひとりで海へと旅立ってしまうのね。喇叭爺かっこよすぎ!(ジジ萌え)
_ 長男に、面白いから読め!と押っつけた。乙一と、最近はレポートのためになぜか錬金術とかどちらかというとトンデモ系を読んでいる模様。
_ 私にとっては非常になじみ深い岩波の愛蔵版らしい装丁だが、さすがに何となく、古っぽいというかダサイような気がした。色のせいか?
_ 序の部分で、ル=グウィンはこの本を書くようになったいきさつに触れているが、彼女自身の変化にともなってアースシーの世界も変化する(した)と言う。それはたぶん恣意的というようなものではないのだろうが、一方で、ファンタジーの変わらない部分に人は惹かれて還っていくと言うことを書いてもいる。私は必ずしもアースシーの熱心な読者と言うほどではなく、5巻目がでたときにも本当は初めから読み返すべきで、作者が書いたものをもう一度読むというそれだけでなく、以前読んだときから年月がたった今となって、この世界の見え方がどう変わったか、を見直すべきだったのに、それもしていない。だからちゃんとは言えないのだが、思うに、アースシーがファンタジーならば、たぶん彼女が挙げているようないわゆるいつも変わらないファンタジーとは異質なものなのではないだろうか。あるいはやはり全然ファンタジーではないというのが本当のところなのかもしれない。と、まだ本編を読み始めたばかりのところなのに、彼女の地の声が、やや疲れたような生の声がどうも気にかかってならないのだ。
_ 「カワウソ」の途中。カワウソは、動物園に行くと必ず見に行く動物の一つで、マイナスの印象はあまり持っていない。あの美しい泳ぐ姿が大好きだ。この短編の主人公のカワウソは、むしろまじめで鈍くさい感じで、それが真の名前ではないにせよ、名前とのギャップを感じたが、次第に成長し不用意に魔法を使ってしまってからの行動を見ると、やっぱりカワウソっぽいかなあという印象がある。どこか小ずるいというような。どうしてカワウソが小ずるいかという確たる理由はないので、本物のカワウソには申し訳ないのであるが。
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テリー・プラチェット/『死神の館』/三友社出版
クラフト・エヴィング商會/『テーブルの上のファーブル』/筑摩書房
梨木香歩/『ワニ』/理論社
森雅之/『ペッパーミント物語(上)』/ふーじょんぷろだくと
〃 /『夜と薔薇』/ 〃
〃 /『散歩しながらうたう唄』/ 〃
たむらしげる/『氷河鼠の毛皮』/ 〃
_ 誰もいない午後、外は素晴らしい上天気で暑そうだが、からっとしているので家の中まではまだ暑くならない。午前中ポットから植え替えたミント類の様子を見ようと網戸を開けると、あまりの風の爽やかさに、この恵みを思いっきり体で味わわないわけにはいかない、という気になった。ちょうど洗濯して干してあったタオルケットの蔭になって木かげの趣。クッションを持ってきて、足をベランダに投げ出して座り込み、『氷河鼠の毛皮』と『夜と薔薇』をともにしばし至福の時間。
_ 今日はお気の毒に学校公開、しかも給食付きの5時間授業だ。おとといあたりから「あーあ」と言いっぱなし。帰ってきてからは、5時にはピアノの発表会のため会場に集合しなくてはならない。歩いて15分ほどの場所だから4時半過ぎに出発の予定だ。さて本人は2時半頃学校から帰宅した。忙しくともこの上天気を味わわせないというのは罪悪だ。「外は気持ちいいでしょう!遊びに行っておいで!明日からお天気悪いから今のうちにいい気持ちしておいで」と言うと、ちょっと渋りながらも、結局その気になってすっ飛んで出ていって、約束の4時をだいぶすぎて帰宅した。シャワーを浴びてさっぱりして、さっと練習したらもう出る時間だ。会場に着いてしまえば、あとは出番を待つだけ、それが終わってしまえば最後の集合写真を撮るだけ、しかしその3時間半がひたすら長い。食事は途中で抜けて済ませたが、帰宅したら9時半近い。発表会のビデオを見ながら「あー、今日は忙しい一日だった!」と締めくくりにまた一言。はいはい、ご苦労さんでした!
_ その母の方は、午前中は頭が重くて結局学校公開に行くのももさぼり、洗濯機こそ数回まわし、ミントの植え替えもしたが、午後は本を片手にそよそよ風に当たって「時々起きて居眠りをする」を実践したので、じつは気分はとってものんびりだったのだ。たまには勘弁してちょ。
_ 『ぱふ』とか『コミックMOE』とか、昔からあちこちの媒体で目にするたびに「!!」と思ってきた人だが、どれも1,2ページからせいぜい数ページものなので、まとめて読むのは初めて。改めてすっかり恋しました。
_ 森雅之と言えば私にとってはまず、俳優の方の森雅之(はあと)。もうご存じない方も多いだろうね。検索するとこの二人が混在して現れるのが不思議でもあり懐かしくもあり。さて復刊ドットコムに投票してくるか。
_ 最近のと絵が違うのが面白い。もっと大きいサイズで見たい。以前のものは、彼自身が表したい世界が、自由にその雰囲気を持って感じられたが、最近はキャラクターの味わいそのものによって、逆にその世界やストーリーが規定されてしまっているきらいがあるように思える。
_ どこやらの市民オケの本番に出る連れ合いを車で送る長男。行きはともかく帰りは怖いので、しかたなくお供する。まだ坂道発進の呪縛から逃れられないらしい。一度見事にエンストしてパニクりそうになり、深呼吸して気持ちを鎮める19歳4ヶ月。大丈夫すぐ慣れるって。帰路は次男が後ろでいつの間にかすやすや寝ていたのを見て、当人も安心したらしい。
_ 土曜日の代休で次男が休みだったので、迷ったあげくに私も休みを取って朝から二人で見に行った。なぜか小中学生がうじゃうじゃ居り(たぶん先週末に運動会や学校公開の学校が多かったのだろう)、「字幕版にすれば良かった!」とひるんでしまったが、どうしてどうして、描き出される光景のあまりの真迫さに場内は水を打ったよう(画面も確かに水だらけだったけど)。地球の温暖化が海流の大規模な変化を引き起こしたために逆に急激な寒冷化を引き起こす、というメインの話を、ちょうどそのとき離ればなれになってしまった高校生の息子を古気象学者の父が救いに行く話を軸に描いている。やっぱり主人公はものすごい気象の変化・スーパーストームが引き起こす竜巻、高波、氷結そのものだろう。その前においては個々の人間のエピソードなんてどれほどちっぽけなことか。見終わって次男と声をそろえて「怖かったぁ!」と言ったことだった。後ろの席の小学生の男の子たちも、終わったときに「最初はどうしようかと思って来たけど、見て良かったよ!」「ホントだな!」と感じ入った様子で口々に言っていた。
_ スーパーストームがとりあえず去ったその後に、副大統領から格上げになった大統領が「私は間違っていた」とTVで国民に語るシーンこそ、この映画の最大のメッセージではなかろうか。
_ 小惑星の衝突の危機、とかだと「まあ映画だからね、ただのお話」とやり過ごせるが、今既に進行しているに違いない温暖化がテーマなので、かき立てられる危機感はかなりリアル。現実世界では、まだ温暖化に手を打つのに遅すぎないと良いのだが!
_ 映画の後、「オールスカイCGプログラム」ではなくふつうのプログラムぽいと思われる「プラネタリウムプログラム」を見た。星が見たくて星の話が聞きたかったのだ。そしたら…。星はまあずっと映してはいたけれど、あー、女優の自分語りみたいなストーリーは聞きたくなかったよ。星の話は教育科学館みたいなところでやればいいという考えなのだろうか。私は全天型CGばっかり見せるプラネタリウムなんて何の意味があるのかと思っちゃう。次男も「女の人の自分の話ばっかりでつまんなかった。もっと星の話をするのかと思ってたのにずーっとそれだけで終わっちゃった」と、帰宅してから兄、姉にも言っていた。全然面白くなかった。親子併せて1300円損した。
_ 私が読んだものから娘にあてがってやった。呼んでも返事しないので見ると「ママ、これ、おもしろいね…!」と、まじめな面持ちですっかりはまった様子だ。ほかのも手に入らないかな。
_ 巻頭の中編「カワウソ」、次の短編「ダークローズとダイヤモンド」を終える。
_ 「カワウソ」は、長めの短編かと思ったが、手応えはむしろ長めの中編というくらいに濃い。ロークの学院が出来るに至る事情を描いている。そう、カワウソ(のちにアジサシ)こそが学院の基礎を築いた人物だった。しかしそこに至るまでには、一人の名もない、しかし力ある女性が彼に決定的な影響を与えたこと、その後の人生で彼がどれほどそれを負ってきたか。またのちには彼の伴侶となる女性が、彼女らしくあることによっていかに彼の生きるよすがとなったか。時代が下るに連れて魔法使いにははっきりと女性は禁忌とされるようになったが、この時代にはまだそれほどではなかった。そのあたりの魔法使い側からの本音が、ここには描かれている。こういう視点には先日の『鎮魂歌』でもマグダラのマリアの真実を押さえ込んできたサウロ(パウロ)一派として触れたばかりだが、ル=グウィンの「魔法」を「キリスト教」あるいは「宗教」と置き換えるとすっかり同様の主張に見える。とはいえ、決して彼女の主張は声高ではなく、単に淡々と事実を述べているような口調でさりげなく書かれる。最後にロークの学院の9番目の長がなぜ守りの長なのかが明かされ、静かな感動をもたらして終わる。
_ 「ダークローズとダイヤモンド」は、一種民話のような味わいを持つ佳品だ。金持ちゴールデンの息子ダイヤモンド(!)が、音楽の才と魔法の才との間で、さらに愛し方や生き方の狭間で迷い、揺れる。女性や愛は惑わしなのだろうか。人は一つの生き方を選ぶしかないのだろうか。「カワウソ」で取り上げられているテーマの一つの変奏だ。
_ 掲示板で教えていただいたので、さっそく中野ブロードウェイにあるタコシェに行ってきた。大変狭い店内の、棚の上の方に、漫画の原画など20枚くらい?がかけてあった。額に入った原画はみーんな売約済み。今はもう手に入らないという「オ・シャマンペ」がただ1冊見本として置いてあったが、ほかの客に気兼ねしながらも結局ぜーんぶ読んでしまった。カンバッジは完売で、絵はがきを何点か買った。中野ブロ−ドウェイにはほかにいっぱいフィギュアやさんとかマンガとかあったのに、次男はそういう店々のいかにも濃そうな雰囲気を嗅ぎ取ったのか、単純にふつうのおもちゃはなさそうと思っただけなのか、「なんかー」とか言ってほとんど足を踏み入れなかった。その気で行ったら軽く一日つぶせたのに。若い人ばかりじゃなくて結構な年配のフツーのおじさんたちも少なからずいたのはやや意外。まあ自分もそんなもんか。
_ 娘が借りてきてぜひ見ろとのお勧め。あの主役エイドリアン・ブロディのタレ目タレ眉が大好きで、映画の中ではどんなか見たいとは思っていたのだ。ピアニスト・シュピルマン(「シュピーレン」が演奏するの意なので、ドイツの将校が言うように音楽家にふさわしい名)の視点・視野でのみ描かれているので、どうしてこういう状況に陥ってしまったのか当事者自身も理解できぬままにどんどん悲惨な状況になってゆくのが淡々と描かれる(ただしドイツ兵がユダヤ人をいとも簡単に銃殺するなどのシーンは単なる事実のように描かれているだけにいっそう悲惨)。たとえば主人公はワルシャワの隠れ家で援助者が長いこと来ないままであっても、外部がどのような状況にあるか、窓から外部を見て知るよりほかに全く把握するすべがないのである。実在のシュピルマンの自叙伝を元に忠実に映画化されているとのことだが、たしかに彼は奇跡的に運が良かったとは言えるだろう。一見すると「芸は身をたすく」かと思ってしまうくらいピアニストという経歴がものを言ったに見え、彼自身は抵抗運動に身を投ずるでもなく何をするでもなく、援助者たちの善意によって生き延びるのではある。しかしもちろん本質は全然そこにはない。戦争という状況にあって、気付かぬままに後戻りの出来ない状況に陥ってしまうことの怖さがまず挙げられるだろう。また人間がいかに日常性に依存して生きる生き物であるか。戦争という異常状態にあって、ふつうの人間がどのようにその異常性を日常性として獲得してしまうか。虐げる方も虐げられる方も。
_ シュピルマンを助けた将校は、単にその場で演奏に感動して助けたわけというばかりではなく、もともと、ドイツ人ながらユダヤ人など被差別民族を助けるべく活動をしていたとのことで、かれの「命乞い」のせりふも、そう思うと簡単にご都合主義と断罪できない大変に重いものがある。結局彼は収容所で亡くなったということだが、映画でも、シュピルマンが彼の助命に奔走し再会を果たす…という終わり方になっていないところに、きれい事ではない現実の重みがあるように思う。
_ 長男が「ギリシャとポルトの試合やってるよ!主審コッリーナさんだよ」と教えてくれた。おお、コッリーナさんかっこいい〜!
_ 「トンボ」を読むのは、二度目ということになる。微妙に印象が違うような気が。以前「ドラゴンフライ」として読んだときの方が、主人公トンボがもっととんがっていて自分をもっともてあましていたような感じがした。その分、長たちの迷いやゆったりしたテンポ、ことに様式の長の人となりがじっくりと伝わってくるような気がした。今もういちど「ドラゴンフライ」を読み返せばまた違うかもしれないが。ここまで来ると『アースシーの風』をもう一度読み返したくなる。やっぱり物語とは「行きて還りし」が枕詞として付くものなのだろうか、ことにル=グウィンの物語は。こうした外伝がもたらされたことで、アースシーの世界がいっそうふくらみと真実みを持ったことは間違いなく、出来ることならばこれからも外伝が書き続けられることを望む。
_ 昨日電車の中で読もうともって出たのだけれど、読まないで良かったぁ!わたしゃおなかの皮がよじれそうです。またぶり返してきたアレルギーのせいもあるけれど、あまりに可笑しくて咳き込んで息が出来なくなりそうでした。古都も何もあるもんか、ジッパーだよジッパー。
_ 10days Booksで、まず『リリックス』(1)と(2)を購入。とーっても綺麗なので『ポケットストーリー』も買う予定。
_ 「赤い家」だろうか「蹴りたい田中」だろうかやっぱり「吐仏花ン惑星」だろうか(あっ今週NHKFMで『博物館惑星』のドラマやってるのね)。蚊の話が結構気に入ったのだが、一番脱力はやっぱり吐仏花ンかなあ。あーおかしくて死にそうだった!
_ ダンセイニ短篇集『世界の涯の物語』に続く第二巻『夢見る人の物語』は8月刊行だが、中野善夫さんの日記によれば、第三巻『時と神々の物語』第四巻『最後の夢の物語』がそれぞれ来年春、来年初夏に刊行決定とのことだ。やたー!
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J・ラングスタッフ文、F・ロジャンコフスキー絵/『おおきなのはら』/光村教育図書
J・ラングスタッフ文、F・ロジャンコフスキー絵/『かえるだんなのけっこんしき』/光村教育図書
リダ・フォシェ文、ロジャンコフスキー絵/『かわせみのマルタン』/童話館出版
リダ・フォシェ文、ロジャンコフスキー絵/『野うさぎのフルー』/童話館出版
リダ・フォシェ文、ロジャンコフスキー絵/『りすのパナシ』/童話館出版
上橋菜穂子/『精霊の木』/偕成社
_ ロジャンコフスキーの絵は、色彩が綺麗で暖かくて、だーいすき!童話館出版の方には『くまのブウル』『かものプルッフ』も続刊と書いてあるけれどまだ出ていない模様。こちらのシリーズ3冊は福音館から小さめのサイズで出ていたのを以前手に入れたのだが、気のせいか小さいサイズの方がむしろ絵のインパクトが強いような気がする。レイアウトのせいなのだろうか。『精霊の木』はハードカバーでの復刊。古い、という感じは否めないのだけれど、やっぱり魅力があるのよねえ。祝・復刊!
_ このタイトルから連想される、わらわらと群がる無数の白い手…いつまでも出てこないのだが、はあそう来るのだったか。『しゃばけ』のシーンのよう。前半の、主人公夏貴とその親友正哉の関係はあっさり中盤で終わってしまい、後半ではそれに代わるように義父となる男・東が存在感を増す。そのあたりの交代があっさりしていてあれえ、という感じもあり物足りなかったが、この淡泊さがこの作者の特徴でもあるのだろう。なかなかに面白かった。息子にべったりの類型的な母親像も、必然性あるものなので許す。タイムリーな話題を中心に据えているところも、読ませる一因となっている。ただ民間の、ほかに後ろ盾もない病院が、大変ご立派な研究棟をでんと敷地内に構えているあたりが、全く現実感に欠けてちょっとしらけた。それからふつう大事なDVDを手に入れたらとりあえずコピーしておくだろうよ。というのがいつ伏線になって生きるのかと思ってしまったが、それはなかった。
_ どど〜ん。確かに、映画は見事にほぼこの自叙伝をなぞっており、詳しい事情を全く知らない我々にも理解しやすいような脚色がなされていると思われる。本人の手になるものだけに、むしろ淡々とした筆致が、あまりにも重い。巻末に彼を助けたドイツ人将校の日記の抜粋が付されており、そこには恐ろしい苦悩と恥辱が読み取れる。とても、安逸をむさぼっている私などがコメントできるものではない。頭を垂れるのみ。
_ 今晩もたいそう良い風が吹き抜けている。ここ2,3日からっとした天気が続き、昼は暑いが日陰は爽やかで、朝夕はぐっと気温が下がるという日が続いている。ところが昨日など特に、どうも頭が重く、おなかの調子も良くないし、なによりだるい。風邪ひいたかなあと首を傾げて思い当たった。これは寝冷えだ。薄い夏掛けで寝ているが、そういえば朝方など、足が冷えて半ば目が覚めていた。それで昨夜もう一段暖かい布団をかけて早めに寝たら今日はだいぶ回復した。てきめんで子供みたい。夏もこのぐらいカラッとしていれば、暑くてもいいのだけれど!でも職場からの帰り際に鏡を見たら、口の周りが乾燥してカサカサ状態になっているのを発見。乾燥肌なのを忘れて油断していた。
_ この時期あちこちでふと訪れるのは、くちなしの匂い。時には、泰山木。
_ 母がグループホームに入って数ヶ月、すっかり忘れていたが、母のところのNHK受信料1年分の引き落とし予告の葉書が来た。受像器も取り外してしまい、もちろん無人状態なのでTVは全く見ていない。そこで解約のために電話をしたら、解約理由を聞かれた。「施設に入ったから」と言うと、施設名と住所を教えろと言う。なぜそこまで必要なのか訊いたら、施設のNHK受信契約の形態を知る必要があるからとの返事だ。自分のTVを持ち込んで見ているなら、場合によってはそこでの受信料を払えってことだろう。まったく何様だと思って商売しているのか。客を客だと思ってない。WOWOWみたいに、デコーダをかませる方式にして欲しいもんだ。誰でも受信できる電波を垂れ流しておいて、見るか見ないか選択できないままにしておきながら半強制的に受信料を取るとは何事か。見たくないものを見せられる迷惑料を払って欲しいくらいだ。もしかして、母が亡くなったからと言う理由であったら(ごめん母)死亡証明書を寄こせとでも言ったのだろうか。許せ〜ん。NHKは見ない同盟に入りたい。とか言いながらうちはBS受信契約してるのであった。でもこれもBSオンリーにしてくれ。
_ 上記をやっているのに突然気が付いて、そんなら…と、連れ合いと次男で18時頃からのに行ってきた。いや〜面白かった!
_ 原作の方では3作目になってようやく話が面白くなってきたので、映像が効果的に使われる映画ではどうなるか見たかったのだ。原作の色調に合わせ、全体にスコットランドの景色が多用され曇天でダークな感じ。景色、建物の内外の美しさは言わずもがな、ヒポグリフが大変よくできていて、助走して飛び立つ時の力強さ、飛んでいる姿の美しさが素晴らしかった。ハリーやシリウスと一緒に、わあーっと声を上げてしまいました(一応小声で)。ディメンターの群れが迫ってくるところや魂を吸い取ろうとする場面は、正直怖かった。原作ほどの不気味さ、この世のものならぬ非情さはないにせよ、特に小さい子たちには相当怖かったのではないだろうか。私には指輪映画の黒の乗り手より断然怖かった。ところでこの映画の期待はなんと言ってもゲイリー・オールドマン(シリウス・ブラック)。「レオン」のヤク中の刑事、「フィフス・エレメント」のいかれたヘンな人、あのキレっぷりがもうたまりません。今回はあんまりヘンなところがなかったので残念だが、これからまた出番があることだろう。ポスターや予告での囚人として吠えてるところ(いや実際に吠える役なんだけど)が結局一番かっこいいかも。全体として映像的にもストーリーとしても見応えのある作品だった。ただ原作を読んでいない連れ合いにはやっぱり話がずいぶん飛んでいるようには思えたらしい。次作なんて邦訳は2巻本なのにどう料理するんだか今から心配<まだ読んでませんが。
_ 今日も嬉しいことに気持ちのよい暑さだったので、次から次へと洗濯機を回す。フルタイムで仕事を持っていることの不便さの一つは、天気がよくても思うように洗濯や布団干しができないこと。今日みたいに洗って干すそばからどんどん乾くのは嬉しい。「お日様の匂い、いい匂い!」と言いながら干した枕に洗濯したカバーを掛けていると、次男が「太陽って近くに行くとこういう匂いがするの?」と感心していた。
_
T・E・D・クライン/『復活の儀式(上)』/創元推理文庫
T・E・D・クライン/『復活の儀式(下)』/創元推理文庫
_ 厚い高い面白そう。
_ とか言って、焼酎がいっぱい置いてある店へ。父の日には持ち手に楽譜が彫り込んであるオーストリア製拡大鏡、娘にはハンカチ+小さいブタの置物+なぜか額付きポスター。
_ 今日は本当はこれまで使っていたマシンを、Windows MeからXPに上書きしようと思っていたのだが、朝寝・母訪問・暑すぎ&上記イベントのため結局能動的なことはなーんにもしなくて終わってしまった。唯一、何度もした洗濯と布団の丁寧掃除機かけくらいなもの。もうこのくらいが暑さの限界だ。おまけに下手に冷房を入れると即座に冷房病になるようだ。後3ヶ月暑さにひたすら頭を垂れてじっと耐えて過ごすのかー。冷たいオレンジティーが最近のお友達。
_ しかし長男、車の運転練習から帰ってきたと言って突然玄関先に最近できた彼女を連れてこないでちょうだい。おかえりーとかいってよろよろ寝間着同然の普段着姿で、これから捨てようと思ってゴミ袋をいくつも積んで置いたままの玄関のドアを開けてから思わぬ彼女の姿に気付いてハハが内心焦っているのをおぬし気付かないとは、デリカシーに欠けるぞ。
_ 初というか、初台の大ホール。チケットのお値段が比較的安いがなるほど若い人(大学生あたり)が多いような。と言って高年齢の人も少なからずいた。台風で悪天候のせいかどうか、ふつうの格好の人が多い。私も日中は暑いので現地で上だけ着替えようと持っては行ったが、もういいや!と、白いTシャツにブルージーンズのままでした(ユニクロ)。
_ マイクにスピーカーたくさん、各色のライトと、クラシックぽくない舞台ではあったが、演奏の方はそれはもう素晴らしく、音色の多彩なこと、編曲の妙、リズム感のよさ、などなど、ソロとは全然違った私にとっては新しい発見だった。なんだろう〜と思っていたら知らずに涙が…という曲もあり(レター・フロム・ホームなど)。でも若い人が多くて曲もポピュラーぽいのにもかかわらず、客がおとなしいこと。あのノリには自然と体も動くでしょ。なのに皆さんお行儀のいいこと。あーじれったい、中〜小ホールで生の音が存分に聴きたかった!(音響はそれなりに悪くはなかったが) 終始かっちょえ〜!と連発するのみ!
_ メンバーの一人アンドリュー・ヨークは、木村大(たぶんイギリス留学中)とか村治佳織らもその曲をよく弾いている作曲家として知っていたが、ムズカシイ顔をしたおじさんで演奏もワイルドだった。今日のコンサートと同名のCD『ギター・ヒーローズ』があるので買おうかしら!ファンがたくさんいるらしく、終了直後にサインの列が出現していた。
_ 全然画像がよくないが星の王子さまグッズにあるミニオーナメント類がとてもよくできているので、先日購入して携帯ストラップにしている。☆とキツネとヒツジ。
_ ではあるが、昨晩は2時頃上の子たちふたりがなんだかしらないが議論を始めて、私は既に寝ていたのに半覚醒状態になってさあそれから寝付けない、おとといはやっぱり既に寝ていたのに至近距離で長男が彼女に楽しそうにでかい声で長〜電話、という連続安眠妨害のため、せっかくの読書の昼休みに、眠い眠い。進まず。中味は、次第に佳境に。「極」を盗んだ男の子?を追いかけなくっちゃ!
_ 1987年の作品。決して新しくはないが、DWJが次々翻訳されるのはともかくも嬉しい。クレストマンシーといい勝負の「とこしえのきみ」がいかにもDWJらしい。ドタバタ劇にはなっているが、戦争と破壊の色が濃い、じつは意外に重い雰囲気の作品でもある。お得意のイヤ〜な人も次々出てきて痛烈な皮肉も。事故でなだれ込んでくる疎開児童はその本来の時代から見れば消えちゃうということだから、彼らにとっては救いかもしれないがなんだかもうひとつ納得がいかない。しっかし主人公の名が、ヴィヴィアン・リーだもんね。この名を見るたび吹き出すと同時に、ウォータールーでたたずむかのヴィヴィアン・リーの表情と、いかにも戦時中を思わせる服装が浮かんできてしまう。いつも解けた靴ひもを引きずっているサムが中毒になるほど好きな「バターパイ」が、ものすごくおいしそう。また「時の老人」のような巨人も出てくるが、全然そうではなくでもやっぱりちょっとそうでもあるとか、いろいろなネタの料理の仕方がさすがに多彩・多才だ。最後に大団円となるのが、気分的には救いで、でもどこか釈然としないものが残るのは確かである。DWJっていつもイカっているのかなあ、と思う。7月、8月と映画化にあわせて新刊が続くそうでこれはめでたい。
_ このところ不調で、切れ切れに読んだので感想も切れ切れ。どうも読書力が落ちているらしい。
_ えいごでここ1年半ほどほぼ同じクラスで励まし合ってきた?おともだちが、仕事が変わって勤務時間がこれまでより夕方寄りにシフトしたので、開始時刻が1時間遅いクラスに変わらざるを得ないことになった。私も7時過ぎに帰ろうが8時過ぎに帰ろうがたいした差がないので、彼女と同じクラスに移動しても良いのだが、問題は、その時間帯だとクラスの人数が一挙に増えると言うことだ。クラスの定員は8人なのだが、今の6時始まりのクラスは通常3,4人しか来なくて、我々2人だけのことも多い。6時始まりはふつうの勤め人にはちょっときつい時間帯なのだろう。私は比較的近い方だが、それでも5時半の終業と同時にそれっと飛び出して開始10分前に到着するかしないか。電車を1本逃すと開始ぎりぎりだ。よほど近い人か5時終業の人でないと来にくいだろう。そんなわけで、比較的すいている6時始まりのクラスは捨てがたいのである。来週はプライベートレッスンかも(ここで泣くべきか笑うべきかビミョー>次回はスピーチを用意して行かなくちゃならないから)。
_ とは何だと次男に訊かれて、彼が見ていたラジコン戦車のサイトをのぞき込む。何ですかそれは。ググって見たら、戦車のキャタピラを片方止めて片方回すことによる旋回が信地旋回、両方を逆回転させてコマみたいに回るのが超信地旋回なのだそうだ。初めて聞いた言葉。プラモやラジコンの戦車はそれなりにかっこいいかもしれないが、実物は人間の感覚を超えていてとても興味の対象としたいものではない。ふつうのラジコンにしてちょ。
_ 金曜日からぼちぼち読み始めている。描写が非常に細かく、読者に集中を求める。古めかしい大仰な推理小説を読んでいる感じがする。英語のカタカナ表記が、独特。
_ 朝から肉体労働系バイト(引っ越しね)に初めて行った長男から、昼頃電話。引っ越し業者の車に財布を置いて作業していたら、ほんの数分のスキに、車に置いてあった貴重品全部盗られたとのこと。責任者のにいちゃんに電話を替わってもらってどういう状況なのか説明してもらっていたら突然「これはどういう趣旨の電話なんですか」と怒り出し「いきなりこっちに責任があるみたいに言い出してこれはなんですか。こっちもいま引っ越し作業中なのに、お巡りさんも来て作業が止まって迷惑なんですよ。好意で車に荷物を置かせてあげてるのに、おかあさんの言い方はおかしいじゃないですかっ」と怒鳴り出す。どーして若い男の子はこういうふうにすぐ自己保身に走って逆ギレするかね。しかも相手が「おかあさん」だと過剰反応する。私は君に、ぺーぺーのにいちゃんとしてではなく、ちゃんとした責任ある大人としての対応を期待しているし、心情的にはむしろ同情しているのにな。ところが見事に「ボクにそんなこと言われたってわかんねえよっ!責任なんて知らねえよっ!」という子供っぽい対応を返されたことになる。残念だな。バイトとはいえ自分が監督責任ある立場の従業員(未成年)が盗難事件にまきこまれたのだから、少なくとも説明を求められたら対応する責任はある。引っ越し作業中でそちらの仕事が遅れて困るのは重々わかるから、それは「今こういう事情だから後で(自分が、あるいは会社から)説明する、いまはちょっと勘弁して欲しい」のように言えばよいだけのこと。わかってねーなー。客商売なんだから修行しろー。たぶん、自分らの貴重品も盗られちゃってるようだし、きっと会社にも怒られるだろうし、逆上したくなる気持ちは良くわかるけれどね、自分がそこでは責任者なんだということを忘れちゃダメだよ。もうちょっとしっかりしてちょ。もー、クレジットカードとキャッシュカードは連絡先を探して急いで止めたが、この前取ったばかりの運転免許証や定期券(結構高い)はいずこ〜。長男にとっては高い勉強料だよ。というか再発行にかかる費用はどうせこっち持ち(;.;)
_ 長男らは自力で付近を探し回り、幸いに長男は、現金以外は、近くの空き地の草むらで見つかったとのこと。そこにはほかにも財布やカードがいくつも捨ててあったという。ジーパンはポケットを探られて車の下に放り込んであったそうだ。だがバイト仲間のひとりは、現金なしの財布以外は、着替え一式、そのポケットに入れておいたアパートと自転車の鍵、ケータイなどどれも見つからなかったそうだ。なんでも付近では引っ越し業者などの車をねらった盗難が続発しているのだそうで、あまりに業者無神経すぎ。「2,3分のスキ」に盗られるのでは業者が手引きしているんじゃないかと疑いたくもなる(業者自身の所持品も被害にあったそうではあるが)。それから情けないことに責任者の「にいちゃん」は、三十代も後半の人間だそうだ。「いきなりこっちに責任があるみたいなノリで話し出すでしょう!?」のような物言いをするのでは、あまりにひどいぞ。
_ あまりに眠すぎて死にそう。土、日とたくさん寝たのにどうしたことでしょう。頭も痛い。
_ 上記の理由でぼちぼちと。
_
『SFマガジン 8月号』/早川書房
ジェフ・ヌーン/『未来少女アリス』/ハヤカワ文庫FT
デイヴィッド・イーリイ/『観光旅行』/ハヤカワ文庫HM
デイヴィッド・アーモンド/『秘密の心臓』/東京創元社
_ 『秘密の心臓』は一昨年原作"Secret heart"として読んだ(読み始め〜読み終わり)。この邦訳の後書きは伊藤遊(『鬼の橋』などの作者)が書いているが、いわく
_ この大切なものが描かれたアーモンドの作品が、子どもの目の届きにくい書架に置かれがちであることは残念だ。優れた作品に、読者の年齢は関係ない。ぜひとも子どもたちに、そしてもちろん大人にも読んでもらいたい。
_ 全く同感だ。ぜひすべてのアーモンドの作品がもっと児童書の売り場に置かれるように願う。
_ 7月4日までと言うことに気付き、急遽休みを取って行ってきた。朝あまりにも眠すぎてスタートが遅れ、到着が10時を回ってしまったにもかかわらず、予想したより遙かに混みは少なかった。とはいえ会場を出る11時半頃には、さすがにチケット売り場には行列ができ人数はぐんと増えていたようだ。上野駅の公園口改札を出る前の脇に、上野の美術館、博物館の(主な)チケットの売り場があるのは意外に知られていないらしいが、私は当日券ならここで買う。ほとんど並ばないで済むからだ。この展覧会は華々しい系の作品群ではないのであまりメリハリはないのだが、花のブリューゲルと言われるヤン・ブリューゲル(父)、ルーベンス、ファン・ダイク、レンブラント、今回の目玉のフェルメールなどが印象に残った。ヤン・ブリューゲル(父)の習作に横向きにいくつも描かれた400年近く前の猫ちゃんたちが、時代を飛び越えてふてぶてしくかわいかった。レンブラントの自画像は存在感あり。今回の中ではやはりフェルメール「画家のアトリエ(絵画芸術)」が一番の見物だろう。一級の芸術というのはいつの時代においてもそれに相対する者に新しさを感じさせるものなのだろう。
_ 9月以降はなかなかまとめて休暇がとれない星回りになっているらしく、しかも連れ合いはここまで引っ張っておいてどうも当てにならないらしい。急遽娘と8月後半にどこかに行こう!計画を立てる。娘はウィーンと言う。私は、行けるならそりゃどこでもいいのだが、やっぱりイギリスかアイルランドがいいなあ。エジンバラとか、ダブリン(ケルズの書が見たい)、アラン島などなど。オックスフォードもまた行きたい。星野道夫が行った、クイーンシャーロット島の温帯雨林も行ってみたいなあ(このツアーは大変高い)。オーロラなら冬だしなあ。北欧もいいっ!とか言っているうちになぜかウィーン+プラハというごくふつーっぽい計画になりそう。しかし英語通じない地域なのだよね。どうせならドラキュラ城ツアーにしようか(娘には顰蹙買いそう)。
_ だんだん話の仕掛けができて来つつあるらしい。5000年前から時機をうかがっていたにしては「老いた者」が「ちっ」とか言いそうな感じであれこれ微調整するのがほほえましい(と言ってるような場合じゃないかも、なのだが)。
_ ちょっと前から大層気になっていた、Ilmari×Salyuの「Valon」だが、最近Salyuのマキシシングル「Valon1」が出たと知って両方まとめて買った。「Valon1」は、小林武史全開じゃありませんか。もうツボ。Akkoも大好きだけどSalyuもAkkoと共通点があるなあ。とか言いながらMy Little Loverのアルバムを出してかけたり。「Valon いいでしょ!小林武史いいでしょ!」と次男に布教。あっというまにふんふん口ずさむ次男であった。
_
本間祐 編/『超短編アンソロジー』/ちくま文庫
デイヴィッド・ガーネット/『ガーネット傑作集I キツネになった人妻 動物園に入った男』/河出書房新社
深谷哲夫 リチャード・ホートン 月川和雄/『アイルランドへ行きたい』/新潮社とんぼの本
_ ウィーン+プラハ行きに手付け金払ったのではあるけれど、アイルランド行きたいっ。
_ ところで、この旅行の資金はいったいどこから捻出するのであるか?確かに本日有り難いことにボーナスなるものは出ましたわよ。でも、カードの請求書にはオンライン書店の名ばっかりずらっと並んでいてしかも2度見直すような額だったし(以下略)というか泣きマーク。この夏はたとえユニクロでも本屋以外には足を運ぶのを止めましょう(なんか違う)。
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