ひとり言

ギターなんて / 2023.2
いまの子達はイントロも間奏もいらないといって飛ばすし、倍速で聞いたり見たりするのがコスパがいいとかのたまう。倍速でたくさん聞いても、聴いたうちには入らないと思うのだけどそんなことも理解できないだろうし、どうでもいいのだろう。何より歌のない音楽は聞かないそうだから。
そうかぁ、インスト聴かないんだ。それはそれで彼ら風に言うと「人生、損している」と思うのだけど、聴く能力のない能なしにこれ以上何か話しても仕方ないからなぁ。犯罪者が10年やそこらでテレビ出て自分の意見を偉そうにのたまうのが、今の若者の代表なのだとしたら、そんな連中と接点を持ちたいとは思わないし、そいつらに何も語ることもないなぁ。
そればかりが理由じゃないだろうけど、ジャズライフってめちゃめちゃ薄くなった。20ページくらいしかないんじゃないかと思えるほど薄い。特集もつまらない話ばかりなんだよなぁ。音楽雑誌はどれも内容が薄くなったなぁ。ガキ向けのギター誌もあるみたい、何とかいうやつ。いやぁ、くだらねぇ。ネットの無責任な垢にまみれた情報と知らないガキの写真とインタビュー載せて音楽雑誌のフリとはひどい。
海外と違って音楽を聴く土壌が元々ない日本じゃ仕方ないか。
ショートスケール / 2021.2
2019年から2020年にかけて、ショートスケールのギター、バードランドなんかが欲しいなぁと本気で思っていた時期があった。 24.75インチ未満のスケールの楽器にとても興味があったのです。左手の親指の不調もあって、左手のストレッチがあまり効かなくなっていたことも一つの原因かもしれません。その割にサイレントやGodinのように648〜650oのスケールのナイロン弦やストラトを弾いている時間が多くて、ローポジションが使いにくいという状況が続いている。
フェンダーのワンピースネックの形状が好みなんだけど、これでショートスケールなんて全く見たことがないし、ジャガーやジャズマスターも触ったことないし、やはりジャズマスターよりもフルアコやセミアコのほうが好きなんだよね。一番いいのはナイロン弦なんだけど、ナイロン弦でミドルスケールやショートスケールなんて、なかなかないわけでそういう点で色々と悩むことになるんだけど、やっぱり普段はナイロン弦を弾いてしまうんだなぁ。
ナイロン弦のショートスケールでソリッドボディのやつ、誰か作ってくれないかなぁ
重さ / 2020.4
アコースティックやクラシカルギターを弾いていた時期が長かったのであまり重量というものを気にしてこなかった。
ここ数年というか、10年近く、エレキも弾くようになり、そして、ライブでは立って演奏することがほとんどになると、この重さというのがとても気になる。バランスもあるのだろうが、ゴダンは重く感じる。重さでいうと断然ストラトの方が重いのだけど。色々と触ってみたりすると、3.5kg辺りがこの重さを認識しやすいラインなのではないかと思ってはじめている。生モノではあまり3.5kgオーバーはないのだが、ソリッドやセミアコではこれより重たいのはよく見かける。特にソリッドで4kgを超えると「!?」と思う程に重く感じる。
意外とセミアコくらいのサイズがあると、そうでもなく感じるときもあるのだけど、やはり3kg台でも後半の方だと重く感じる。 左手の不調があるので、腰や背中に負担のかかることは避けたいのでそう考えるとショートネックで軽いのが欲しいと思う日々。
意見、批評、風潮 / 2018.4
撃たれ弱い子供大人が増えているせいか、自分の率直な意見を言えない、書けない風潮が蔓延している。 わざわざ反感を買うつもりも全くないのだけど、気になっていることは書かないわけにはいかない。

どう見たって、最近のダウンタウン、特に松本のやっていることはどれも内輪受けばかりでつまらない。そのくせ、俺の笑いがわからないやつは笑いのセンスはないと言わんばかりに王様ぶって、自己肯定している。もうこうなると誰も笑えない。笑うのにセンスなんか関係ない。子供がウンコで笑うのにセンスが関係あるのか。それだけでも笑いとセンスが無関係なのは当然なのだが。なのに、笑いの話題ですぐにセンスを持ち出すあたり、もう松本はほとんど終わっている。
それでもまだ松本の場合は、極まれに面白いこともしているのだが、野生爆弾とかいう馬鹿はどうしようもない。 いや、どういう育ち方したら、あんなクソみたいな演出で笑えるのだろう。特にくっきーとかの物真似なんか、放送していいレベルじゃないだろう。どういう神経であれを公共放送に載せているのだろう。やっぱり、テレビを作っている連中のレベルがどんどん落ちているんだと思うね。ドラマも支離滅裂な話が多いし、わざわざ漫画をドラマにしてどうすんだよ。大河ドラマもひどいよな。あんな歴史を捏造する奴の原作使うなよ。
しかし、ドラマもだけど、バラエティもつまらないよね。ちんけなアイドルとか坂上忍ばっかり、使うなよ。
意見、批評、風潮(その2) / 2018.4
意見、批評、風潮みたいなこと書くとウダウダと文句つけてくる輩(やから)がいるけど、何を考えているんだろうね。そういうやつらに限って、YouTubeでしか音楽聞いたことなかったりするんだよね。

CD買え、金払ってライブ見ろ。そんなこともできないなら、人に意見するな。 音楽のすそ野が広がったのいいけど、ごみを埋め立てて造ったすそ野だからなのか、ひどいことになっている。ギターの方もジジ、ババと初心者相手のものばかりでレベルアップとは無縁。ギターが弾けると自称する輩(やから)が増えただけで下手糞ばかり。そんな中から自称プロが出てくるし、そのへたくそな演奏を「次世代」なんて言い出す耳の悪い連中ばかり。 このページを見ている人もそういう奴の書いている内容とわたしの書いている内容の違いなんてわからないんだろうな。
わたしは一般論なんか書いていません。わたしの意見と批評を書いてます。だから、「全員が〜です」「〜なんていません」なんて一般化して書きません。こういう書き方する奴って責任から逃げているんだよね。さんざん書いておきながら、わたしだけの意見じゃないって逃げ出す奴!ホント最低です。
GodinにVT20+(その2) / 2018.5
先月、フルアコ用にVT20+を買ったことを書いたのだが、その際にGodinをVT20+につなぐと面白い的なことを書いた。 その後、実際にコンボで試せる機会があったのでCUBではなく、VT20+を持ち込んで、Godinをつないで使った。
自宅で色々と試して、一番気持ちのいい音が出る組み合わせを使ったのだが、メンバーのウケもよかったし、わたし自身も弾いていて気持ちよかった。

その時の録音を聴きなおしても、右手のタッチの違いによる音色の変化や音の伸び方などが期待通りに再現されていて、ちょっと驚いた。こんな安いアンプなのに、これまで使っていたプリアンプやリバーブが不要で、それらを使っている時よりも良い音がするなんて。
ただ、これはゴダンとの組み合わせに限るようで、ミゲルサントスの方はやっぱりCUBの方が良い音になる。

録音を聴きなおして、気が付いたのだが、弾き始めた数分よりもそれ以降の方が圧倒的に音が良くなっている。これってもしかしたら真空管が温まったからなのだろうか。出力は30Wなのだが、明らかにCUBよりもデカい音がする。このデカい音というのも中々難しくて、会場が横に広い場所なら、こういうアンプがいいのだけど、縦に長い=奥が遠いような会場の場合は、CUBの方が奥の席まで音が届きやすいことが多いからである。縦に長いと色々な反射音にアンプの出音が隠れてしまうようで、指向性の高いCUBの方がそういう会場では向いている。
Godin用にVT20+を入手 / 2018.4
いや、元々はフルアコ用にVT20+を買ったのですが、こいつのアンプシミュがいい、特に「Twin Reverb」のシミュでGodinを使うとまるでアール・クルーのアルバムの音みたい。おお〜、これはすごい。CUBもいいけど、VT20+もすごい。こんな面白いものが中古で6000円もしないなんて勿体ない。
ダンブルアンプのクリーンのシミュもすごくいい。これでフルアコを使うとまるでバニー・ケッセルみたい。
うーん、嫌なことばかり、辛いことばかりな状況だけど、前を向いて頑張らないといけないな。
Godinが重い / 2018.4
わたしが使っているGodinは、Godin Multiac Nylon Encoreというモデルなのですが、これをストラップを付けて持つとひどく重たく感じるのです。実際の重量は2.45Kgとなっていて、レスポールに比べるともちろん軽いのですけど。

これまで弾いていたミゲルサントスはフラメンコ仕様なので2kg以下だと思うのです。他のクラシカルギターは立って弾かないですし。 かといって、grecoのフルアコが軽いかというと、実際はそうでもないんですよね。貰い物のストラトはもっと重いわけだし。やっぱり、ソリッド風のボディ形状に慣れていないこととネックとボディの重量バランスの関係で一層重く感じるようです。 うーん、身体を鍛えるか、良いストラップを購入するか、何か方法を考えないと今年のライブはしんどいかも知れません。 いや、もしかして単純に年齢な問題なのだろうか。
やっぱりウエス(?) / 2018.4
ジャズ雑誌もそうだけど、ネットでも「ジャズギターまとめサイト」みたいなものがあちらこちらにある。
大抵はジャズギターをYouTubeでしか見たことがない、レコードなんか持っていない、持っていても十数枚。買う価値がないとか理由つけて買うこともない輩共がそういう"クソまとめサイト"をやっている。そういうサイトでかつては用語辞典が流行った時期もあるのだけど、ここしばらくは「おすすめジャズギタリスト」的な書き込みが流行りらしい。

そういうサイトだと、大抵1位はウェスなんだよね。やっぱりウェスというので、ちょっと聞きかじりの連中から、素人扱いされないための手法が「そうじゃないと思う方はおすすめCDを言ってください」って決め台詞(苦笑)。たまにケニーバレルだったり、ジムホールだったりするときもあるけど、大抵はウェス。今更ウェスを1位にすることで"さも物知り顔"で色々とのたまっているサイトがある。ヴァン・エプスとかHARUさんとかすごいんだけど、そういうサイトではめったにお目にかかれない。だって、本当に好きな人じゃないと知らないようなプレイヤーのことは、ネット検索オンリーで情報集めている奴らでは、知る手段もないからですね。 わたしの趣味や嗜好がゆがんでいると思っているし、色々な演奏者の演奏を聴いてほしいと思うのでお勧めとかないです。ただ、ここ数年CDが売っていないプレイヤーもたくさんいるので入手が難しくなっているのも事実ですけど、レーベルのリバイバルシリーズで入手しやすくなっているものもたくさんあるので、まずは買って聞いてみてくださいな。つまらないと思っても、何年かして聴きなおすと「おおっ!」と思うこともあるんです、ジャズに限らずですけど。
趣味のサイトとのたまっている...くせに、もとい、割に...、あちらこちらで増え続けている"まとめサイト"と一緒で、何の知識もない奴がネット上の情報だけ集めて、さも自分の意見であるかのように趣味のサイト風を装っているのって、恥ずかしくないのだろうか。
辛いできごと / 2018.2
辛く悲しい出来事がたった1週間の間に起きた。その1週間で、わたしは大切な友人を2人も亡くした。
会社の同僚であり、わたしと同じようにギターを趣味としていたK。そして、わたしの参加していたバンドのピアニストであるMさん。この二人を立て続けに失った。まだ、現実として受け止め切れていないのかもしれない。彼らがいなくなった、そして、もう会うことができないということが、まだ現実として認識できていない気がしている。
この喪失感は何か他のもので埋められるような代物ではないから、これからの日々の中でじわじわとわたしの中に広がっていくのだろうと思っている。
普段、この事実を考えないようにしているということが、こうやってそのことを言葉に起こす作業をしていると明確に認識できてしまう。正直きついというか、こころが暗くなる。50代半ばにしても、受け止め切れない辛さというものがあって、それを癒すものはただ時間でしかないと思い知らされる。言葉とか、薄っぺらいものだと痛切に感じる。
2018年スタート / 2018.1
バタバタしているうちに、2018年になった。
なんかいまひとつモチベーションが上がらないまま、日々をすごしている。なんて言ったらいいのかな、Godinは良い楽器なのだけど、なんとなく道具感が強い。それも職人の道具って感じが強い。万能だし、やりたいことがちゃんとできる楽器でAマリンのような気むずかしさは全くないのだけど、ずっと弾きつづけていたいという感覚が希薄なんだよね。
すごく贅沢な悩みを言っているのだけど、Grecoのフルアコのほうが弾いていて楽しいときが多い。ただ、godinに比べるとやりたいことが断然減る感じ。フルアコだと割とワンパターンでこなしてしまう感じが強くて、そういう点ではgodinだと色々とチャレンジしてみようという気になるのだが、あくまで職人的なチャレンジなんだよね。
2017年も後2ヶ月あまり / 2017.11
いや、早いにもほどがあるだろうって位、毎日が早い。
10月初めの時期にライブがあったのだけど、前にやったことのある"あの電源オフ事件のあった箱"が会場ということで、すっかりシンソニードで演るつもりでいたのだけど、他のメンバーから「なんか音が・・・」的なことを指摘されてまして、録音を聞いてみると確かにフルアコに比べると「音が前に出てこない」感じなのです。弾いている本人は、楽器からの直接音も聞いているからわかりにくいのだが、バンドの中のギター音としてはすっかりピアノやドラムの隙間に埋もれきってしまっている感じ。
ううむ、困った。エレガットを使ってもいいのだけど、あの会場ではハウリングに完敗してしまう。フルアコにしようかと思ったが、このライブではピアノレスの曲があって、それはどうしてもナイロン弦の音がほしいし、ナイロン弦じゃないと厳しいところがある。さぁ、困ったぞ。
そんなタイミングで東京に行くことになった。あまり自由な時間はないがそれでも久しぶりに御茶ノ水、神田あたりの楽器屋を見て歩くことが出来た。結果は帰りの飛行機でGodin Multiac Nylon Encoreを持ち帰ることになった。ま、簡単にいうと出張に言い訳つけて、もう買わないはずのギターをまた増やしてしまったということです(反省...いや、正直なところ、反省まではしていない)。
そんなわけでライブ本番では、Godinを店のROLAND Blues Cubeにぶちこんで演奏した。AADのCUBを持っていけばよかったのだけど、荷物を減らしたかったのでやめてしまいました。
色々と個人的には意気消沈&反省しきり・・・なのだが、意外と聞いていた方からは評判がよい。おやっ?と思ってライブ時の音源を聴いてみると、思った以上にまとまっているし、バンド全体のバランスもギターの音もいい。考えられる理由は、ハウリングなど演奏以外の心配がなかったせいで、いつもよりも演奏に集中できたことなのだろうと思っている。
ただ、godinをDI経由でPAに直接入れるとちょっとナイロン弦としては味わいの少ない音になるので、CUBに入れるか、あるいはAURA NYLON通すか、なんて辺りを色々と試してみたいと思っている。ま、色々と試しても、会場によってはまた違う方法になるのだけど。
ロシアW杯出場決定 / 2017.9
いやぁ、井手口のゴール、しびれましたね。よかったです、これで日本も参加するW杯を見れます。
2017年も後4ヶ月 / 2017.8
入院、手術、通院治療とバタバタしていたせいもあって、気がつくと今年も残り4ヶ月。あっという間に3分の2が終わっていた。
いや、本当にジジィになると毎日が早い。
用語の方も「材」とか新しいものを見聞きするようになってきたので追加したいと思っているけど、なかなか時間が取れないので更新が滞っている。
話は変わるのだけど、シンソニードの場合、ボールエンド付のナイロン弦が標準なのだが、たまに違うのを張ってみたくて変えてみるのだけど、チタニウム弦はダメみたいです。チタニウム弦は結び目を作るとそこから切れてしまうのです。これって普通のナイロン弦とは、柔らかさが違うのかな。詳しくは分かりませんが、チューニング中に結び目から切れてしまいました。
結局、アニーボールのボールエンド付弦(ブラックナイロン)に交換しました。
あっというまに2017年 / 2017.8
気がつくと、今日は2017年8月
前回の更新が2016年4月だったので、1年以上もほったらかし。 あいも変わらず本職は多忙を極めているし、バンド活動も継続中。そんな中でも変わったこともあった。まず、2017年4月に手術のために9日ほど入院したこと。バンドでのメイン楽器が紆余曲折の末、シンソニードに戻ったこと。辺りがわたしにとって、重大ニュースでした。
シンソニードをAADのCUBに直結して演奏しています。
フルアコをやめた理由は、わたしにとってナイロン弦のほうが表現の幅が広いということ。後はアマチュアが演奏できるような小さな会場ではハウリングしやすいということ。この2点が最大の理由です。2014年からなのでバンド活動も4年目。クアルテットでジャズギターを弾くことにすっかり慣れてきており、新しい曲でもほとんど困ることはない。ただ、フルアコだといつも同じような表現になってしまって、40年以上もギターを弾き続けてきたことのホンの一部しか演奏に使えないことが自分にとって不満でもあった。
もっと自由にいろいろな表現を盛り込んでみたいとなると、やはりナイロン弦でないとうまくはまらないというか、ナイロン弦を弾いているときでないと「別なアイデアが浮かばない」のである。それにライブ本番では、色々なことも起きるわけで、この前は電源が不安定でアンプの出力音が大きくなったり、小さくなったり....であげくに電源が落ちたりした。後、ハウリングだね。演奏スペースが狭いうえにピアノとドラムがスペースを取ってしまう関係で、ギターとベースの位置は限定されてしまうことが多く、大抵はアンプのすぐ前だったりするわけで、ひどいハウリングが起きるので、ハウリングするポイント(音程)を見定めながら、なるべくその音を使わないようフレーズを意識することになるわけで、そうなるとどれだけ練習していても本番ではやりたいことの半分もできないわけである。
もっとやってみたいことがあるのにできないというフラストレーションが溜まりまくって、「バンド辞めようかな、楽しくないし」なんてことまで思うようになっていた。
そんなある日、家でシンソニードをパラパラと4,5時間も弾き続けるようなことがあって。簡単にいうと奥さんがジャムを作るのにそれ以上の時間がかかっていて、その邪魔はしないけど、隣で様子を見ていることになって、中高生の頃以来、久しぶりに4,5時間も弾いたわけです。
それでなんか開眼というか、モヤモヤの原因がフルアコだって、はっきり気がついたのです。
やっぱり、楽器がスタイルを作るという面はどうしてもあるわけで、フルアコはフルアコらしく弾きたいわけです。フルアコでラズゲアードしても仕方ないし、フルアコで「タッチで音色の変化やダイナミクスをつける」のは、やはり違うわけ。だから、他のアイデアが出てこなくなっていたことに気がついたのです。
そうやって吹っ切れたあとの練習にシンソニードを持っていったのですが、バンドメンバーからは「楽器の音も全然問題ないし...」と言われたし、正直リラックスして、アドリブも曲の雰囲気を意識して演奏できたのです。実はアドリブの練習は全然していなくて、シンソニードとAADのCUBの組み合わせでうまく鳴らすためのボリュームやトーンの設定やエフェクターの組み合わせを試していたこと(結局はエフェクターはなしで直結でしたが)と、それ以外はクラシック曲の練習ばかりだったのに、アドリブがすんなり出てきたことにビックリしました。
シンソニードとAADのCUBの組み合わせにも勿論弱点はあって、それは1弦の音がつまること。
1弦だけ籠もったような感じで音に伸びや艶が感じられないことなんだけど、ソロで弾くなら、まだ色々と考えるんだけど、クアルテットの一員として弾く状況では、CUBのトーン調整で改善した音で充分と言えるのではないかと思っている。
2016年もバンド活動中..../ 2016
相も変わらず本職が殺人的に忙しい中で、今年もバンド活動は継続中である。
ただ変わったこともある。それはエレクトリックフラメンコギターから、フルアコに持ち替えたことである。それで今はフルアコを指弾きしているわけである。ピックを使おうかなという気もあるんだけど、あまり困っていないし、ピックを持ち替えたりしていると本番でピックを落としたりしたときに、めちゃくちゃ焦るだろうなぁ...なんて思って、やっぱり指弾きしている。ムースピールだってエレキはピックで強いているのだけど、ま、どうせそんなに速弾きすることもないだろうし、それよりもバッキングがどうせ指弾きなので全部指でも構わないかなと思っている。
愛用しているフルアコは、1990年代グレコのNVP135ってやつ。いや、愛用なんていうとGrecoに祟られてしまう。本当は20年近くもほぼ宝の持ち腐れ状態にしていたわけだから。1990年代中頃にタック・アンドレスにハマった時期があって、あんなふうに弾こうと思ってフルアコに手を出したときに買ったのだけど、借り物のアンプにつないだときの音が気に入らなくて、全く使わなくなった。
ただ、根っからギター好きなもので年に1、2回はケースから出して外気にさらし、そのタイミングで弾いてもいないのに弦を交換していた。でも、何回目かに弦を交換するときにすっかり作法を忘れてて、アコースティックのときのように弦を全部はずしてしまった....、解る人は解ると思いますが「あっ、ぶ、ブリッジが!!!」となったわけです。そのときは外れる前の記憶と自分の感覚だけで直したつもりになってました。 友人であるバンドメンバーのベース君に「ナイロン弦もいいけど、エレキの音がほしいときもある」なんて言われたこともあったりして、なんとなく2015年の年末に「バンドでフルアコ使ってみようかなぁ」という気になって、NVP135を持ち出し、一年振りに弦を交換して、AADのCUBにつないでみた。
「おおっ?、あ、あれ?」
わたしのあいまいな記憶と違って予想以上に良い音がする。あれっ?、これってもしかしてあの時はケーブルやアンプが悪かったのか。評判も良くなかったはずのGrecoオリジナルのフローティングハムバッカーなのに「This is Jazz Guitar」と言っても全く問題ない、いや、楽器店で試奏したフルアコよりもよっぽど良い音がする。「ははぁ〜、ご、ゴメンナサイ、Grecoさん」というわけでバンドで使ってみると、メンバーからも「いいね!」と言われて、先出のベース君の知り合いの楽器店(個人店)でオクターブ&ブリッジ調整をしてもらったら、「ひゃー」と思うほど良い音がするようになった。 10代の頃はフィンガースタイルばりばりだったので、別にスチール弦を指で弾くことにまったく抵抗はないし、左手はテンションが低いので楽だし、エレクトリックフラメンコギターに比べるとハウリングもしにくいし、と良いことずくめなんだけど、ただ、ラテンものやボサノバやるときにはちょっと雰囲気が出ないんだよね。でも、演奏中に持ち換えるのもわずらわしいので、当面はフルアコで行こうかなぁと思っている次第です。
あと、これは気分の問題なんだけど、フルアコだとやはりレザーのストラップがいいなぁと思う。それにケーブルはカールコードにしたい(苦笑)。フェイクレザーのストラップも安いカールコードも入手したけど、安いカールコードがちょっと残念。高音の出力と伸びがまったくなくなるのでやはりCAJかプロビデンスがいいみたい。例の楽器店でカールコードのプラグだけ交換してもらおうかなぁ。
あれこれと..../ 2015
ほとんど人が携帯からスマホに持ち替えて、ウェブサイトの閲覧なんかはスマホからするものになってしまい、これまでPCを使っていた人も、ネットゲーム以外では所詮ウェブサイトの閲覧しかしないからタブレットで充分とのこと。そしてネットゲームも主戦場はスマホのネットゲームとなり、PCなんてコアなユーザしか使わない。結果、ブログだけではなく、ツイッターやLINEなどのSNSサイトも、静止画・動画にあふれて、ますます便所の落書き以下になり、利用者の精神年齢低下とともに非常識さや嫌悪度がますます上がっている状態。
可愛くもないジャリ娘たちが群れをなしただけで、神とまであがめるようなバカまで現れるような時代に、ギター用語辞典なんてマトモな情報を掲載するサイトを維持する必要があるのかと疑問に感じることが多い。
何十年もの努力と経験から知り得た知識をウェブサイトで公開して、プロのギタリストと自称するような能天気なバカにサイトを丸ごとパクられてしまったり、あまりに狭い知識と了見しかないオールドマーチン信者どもに「弾き比べたけど、アダマスの方がよく響きがよかった」と感想を述べただけで掲示板が炎上しメールがパンクさせられたりと、そんな連中にうんざりしても続けてきたサイトだが、さすがにこんな時代になると本当に必要なのだろうかと自問自答する毎日である。

サイトの維持だけではない、サイトのデザインについてもである。少なくともほとんどの連中は、Googleからその単語のある場所に飛んでくるだろうから、用語が探しやすいデザインなんか何日もかけて考えても、ほとんど無意味で。

それに今のバカに対して、用語の正しい使い方や本来の意味などを説明すること自体が全く意味をなさない。自分勝手に造語を作ったり、意味をねつ造したりするのがファッションなのだと嘯く連中なのだから。その最たるものの一つが「不響和音」(正しくは、不協和音)であり、「音楽=音を楽しむ=だから自分が楽しければいい」というウソである。 なんて真っ当なことを語ったところで、生ギターなんて、すっかり特異な趣味になってしまったものをいまだに追い求めていること自体が、わたしは特異な人間であると語っていることに他ならない。ギター業界も「たためるギター」なんて、しょうもないものを「画期的」なんて持ち上げていること自体、いまふうにいうと「終わったも同然」である。
いろいろと思うことはあるけど、用語辞典はあと少しは続けようかと思っている。
バンド活動中..../ 2014.5
2014年は本職も忙しいけど、バンドに参加しているのでそちらの方もかなり忙しい。ジャズのピアノトリオにギターで参加しているのだが、すでにライブ喫茶でのワンマンライブを4月に1回やって、6月、7月にも1回づつライブがあるので、なかなか充実した日々を送っている。
ピアノ入りカルテットとしてインストモノだけじゃなく、女性ボーカルが入って唄モノなんかもやっているのでとても勉強になる。前にこちらのピアノトリオのライブにはゲストで参加させてもらったことがあるのだが、メンバーとして本格的に参加するのは初めて。これまで楽器の方もアリアのサイレントギター(ナイロン弦)を使っていたのだけど、せっかくメンバーとして参加するのだからということでしばらく愛蔵していたミゲル・サントスのエレクトリックフラメンコギター(2002年製造)を持ち出して使っている。アンプは最初BINGOを借りていたのだけど、他にも使えそうという理由でベリンガーのパワードスピーカーB205Dを購入して、エレガットのOUTをノンエフェクターでダイレクトにB205Dに入れてライブでも使っている。
ミゲル・サントスには、アンダーサドルピエゾとFISHMAN prefix proが内蔵されているのでライブ会場でハウッたときもノッチフィルタのおかげでほとんど問題なく演奏できている。アンダーサドルピエゾだけだと「空気感が...」とか、「やはりマイクじゃないと...」などというご意見はあちらこちらでよく受けたまわりますが、そういう方々はドラム入りのカルテットなどで演奏した経験がないかな。ドラム入りのバンドにエレガットで参加して「空気感?!」なんて弾いているメンバーからもお客さんからも聞いたことが試しがない。そうなるとやっぱりそれって自己満足じゃないのと思えてしまう。コンデンサーマイクとアンダーブリッジピエゾの両方があるギターとか使っても、会場ではコンデンサーマイクをオフにしないとハウリングして使い物にならないことがほとんど。それなら、アンダーブリッジピエゾでイコライジングしたほうがまだ使いやすい音のような気がするんだけど、どうなのでしょう。
といっても、やはり「マイク」という意見が多いのは、ドラム入りのバンドに入ってエレガットでアドリブソロを弾くなんて機会が普通の方々にはないのかもしれませんね。それで少数意見扱いされてしまうのではないでしょうか。それにアコースティック用のマルチエフェクターとか、ギターシミュなどあるけど、やっぱりナイロン弦用のモノがほとんどないところを見るとやはりこういうスタイルはかなり限定されているというか、非常に少ない演奏形態なのでしょう。あるいはわたしにその辺の繊細さがないからかもしれません。
わたしの場合、そのうえピックを使わないで指弾きですから。うーん、ナイロン弦をピックで弾いて、それらしい音というのもちょっと気になるんですけど、そういう使い方をする方もいるのでその点についてはこれ以上申し上げません。ただ、ピックで弾いている人に「ナイロン弦の音はもっとこう...」なんて言われてもピンときません。
あっ、言い忘れましたけど、もし同じようなスタイルで演奏をしようと思っている方がいましたら、ギターケーブルだけはいいやつを買ってくださいませ。ギターケーブルの影響はすごいです。コンプとかブースターとかアンプシミュとか欲しくなるのはわかりますが、まずはいいギターケーブルを使ってやってください。といっても、ものすごく高級なものを使えということじゃなくて、楽器店がオマケでくれるような奴じゃなくてそれなりに知られたメーカーのやつを使いましょう。ちなみにわたしはプロビデンスなんですけど。
あとはね、ミゲル・サントスはストラップをつけて立奏ができるように100円均一のとある秘密兵器をつけている。この秘密兵器は一般の方には進められないのでナイショだが、ネックヒールに穴をあけてストラップピンを付けるよりもマシだと思っている。それにアマチュアバンドが使うライブ会場なんかだと、ギターが座って弾くようなスペースがないところもたくさんあるのでぜひ立奏に慣れたほうがいいと思っている。普段、座って練習しかしていない人がいきなり本番で立奏はできないのでせめてリハーサルくらいは本番と同じシチュエーションで演奏しておいた方がいい。50代になって、リハーサルで3時間も立奏するとアコースティックと言えどもなかなか腰や肩、腕に疲労がくるので。
演歌は大嫌い / 2013.9.4
「演歌なんて日本の心じゃない」。

「日本人には演歌に反応する遺伝子が...」とまで語る方々もいるけど、そんな数10年程度の歴史しかないものが遺伝子に刻まれないでしょ。バカも休み休みにしてほしいものだ。

わたしは50代だが、歳をとると演歌が身に染みるなんて全くのウソ。あんなもん、曲をかけられただけで悪寒がする。長渕剛も大嫌いだが、演歌はもっと嫌いである。
ギターなんて日本じゃ、本当にマイナーだ。
ちょっと年齢が上の人にギターの話をすると、「ベンチャーズ」、「禁じられた遊び」、「古賀政男」しか出てこない。 年配の人が金に飽かしてハウザー買ったあげくに、古賀メロディなんて弾かれたら、ハウザーも浮かばれない。 しかしヤマハも含めて国産のクラシカルギターでマトモなものに出会ったことは数えるほどしかない。
無論、海外のものだからといって、すべてマトモかというとそんなこともないが、ある程度の額を超えると海外のものの方が優良なものが多かったというだけである。但し、これはマトモな楽器専門店での話であるという前置きが必要になるわけだが。
かつて千駄ヶ谷にあったエスペランサのように、そうじゃない専門店もあったが、そういうものは大抵時間が淘汰していく。 しかしブームは違う。ブームというものは、優良な専門店まで淘汰してしまう。結果として、優良な店だけが残るとは言い難いことになる。
趣味を選ぶということ / 2013.9.4
いま何か趣味を選ぶとすると、いまどきのおバカな人たちの判断方法は
「その趣味をしている人は恰好良く見られるか」
「その趣味は同調できる仲間が得られるか」
このポイントだけである。
どちらも「られる」である点が、彼らのおバカさ加減を表している。

「モテたくてギターを始めました」というおバカは昔からたくさんいたけど、ギターが弾けるだけでモテる奴なんか雑誌の広告以外でまずいないし、モテるやつはギターなんか弾けなくてもモテる。ということは、これは本当に「モテたくて〜」なのだろうか。実は「モテるように見られたくて〜」ではないのだろうか。
そんな始めた時の理由を厳密にどうこうなんて探る必要もない。
この程度の奴らは大抵「Fが押さえられなくて脱落したよ」となる。ちょっと練習すればセーハなんてすぐにできるようになる。そんな簡単なことすらできないのは、音楽の才能がないのではなく根気がないだけである。すると今度はちょっとは弾けるバカが調子に乗って語るのである
「血が出るくらい練習して、オレはFが押さえられるようになった」
いやいや、セーハなんて逆上がりよりも努力いらないって。

サッカー見ても、オリンピック見ても、相撲見ても、ナニを見ても感想は「感動しました」ばかり。何か一つのことを一生懸命やっているということに感動しましたって、バカじゃないのかと思っている。誰だっていろいろなことを一生懸命やっているので、そんなことは当たり前のことなんだと思っていたのだが、どうやら今のおバカたちは何ひとつとっても一生懸命にはできないらしい。どうやら頑張る姿をはずかしい、恰好悪いと思っているらしいのだ。

チャレンジしたけど、その曲やフレーズはできなかったという人がいるけど、 チャレンジって、何回くらいのことをいうのかな。 まさか10回や20回をチャレンジなんて言わないよね。 1000回や1500回練習したけど、どうにもならなかったというのなら、あきらめもつく。 それが「練習した」かってレベルだと思う。 1000回というと、大げさにとらえる人がいるけど、毎日10回しか弾かなくても1か月で300回、つまり3か月ちょっとで1000回なんか超えてしまう。 大した回数じゃない。 「毎日何時間も練習した」と言うのなら、3〜4分の曲なら20〜30回は弾けることになり、 1ヶ月ちょっとで簡単に1000回超えてしまう。

ところが「毎日、何かをした」という部分に、気持ち悪いと反応するバカどもがたくさんいるんだよね。 「そんな才能がないのに頑張ってどうするのぉ」と言うのだ。 いやいや、そうじゃないでしょ。「それじゃあ、お前らには何か才能はあるのかい」って質問すると「別に〜、それに特別な才能なくても生きていけるしぃ」となる。

はっきり言うが、人間は才能とは関係なく反復練習を繰り返すことで修得できることがたくさんあるのだ。 自転車もそうだし、竹馬だって、けん玉だって、逆上がりだって、跳び箱だって、水泳だってそう。 オリンピックに出るようなレベルになることが才能の話であって、それができる程度の話は才能とは無関係なのである。(努力できることも才能なんておっしゃる方々もいるけどね。)
初めてのやるときは、それをやるために必要な筋肉のコントロールを全く知らないからできないだけで、同じ動作を何10回、何100回やれば、大抵のことはできるようになる。

ギターなんてそんなレベルの話である。
「血のにじむ」なんて語る人もいるけど、鉄棒でマメをつくったり、自転車で転んで膝や肘をすりむくのと何も変わらない。