BOOK BAR 4 > おかえりのすけ宅 > おかえり、あのね。
.
.


2003年 06月
2003年 05月
2003年 04月
2003年 03月
2003年 02月
2003年 01月
2002年 12月
2002年 11月
2002年 10月
2002年 09月
2002年 08月
2002年 07月
2002年 06月
2002年 05月
2002年 04月
2002年 03月
2002年 02月
2002年 01月
2001年 12月
2001年 11月
2001年 10月
2001年 09月
2001年 08月
2001年 07月
2001年 06月
2001年 05月
2001年 04月
2001年 03月
2001年 02月
2001年 01月
2000年 12月
2000年 11月
2000年 10月
2000年 09月
2000年08月
2000年 07月
2000年06月
2000年 05月
2000年04月
2000年 03月
2000年 02月




2003.7.31 @ さまようのをぼうようと抱きとめてあげる
白石かずこ・詩朗読、井野信義・ベース、浅井イゾルデ・ドイツ語訳+朗読のへ。第一部「七匹の猫はしあわせ」「キツツキ」「フットボール選手」「今日のユリシーズ」。第二部、ひまわりを手にした大野一雄を白石かずこが迎える。これは知りませんでした、すごい!まさか!
ひまわりが、落ちてしまう。落としたいのか、落ちてしまったのか。白石さんは数回拾ってそのつどみごとな演出で大野さんに手渡した。わたしとしては、白石さんには滔々と読んで欲しかった(と言いながらこのとき読んでいた詩が思い出せない)、それにもしかしたら大野さんはひまわりを手放して次の踊りに身体をよせていたのではないかと、根拠なくも思ってハラハラ。
そのあと、この会を主催した法政の学生のリクエストで「男根」、イゾルデさんがドイツ語訳をおえている「聖なる淫者の季節」の朗読が続く。今夜は「男根」がよかったと思う。「......そのようなものを スミコ あなたの誕生日にあげたい すっぽりと あなたの存在にかぶせ すると あなたに あなた自身が みえなくなり 時に あなたが 男根という意志そのものになり はてもなく さまようのを ぼうようと 抱きとめてあげたいと思う......」
久しぶりに暑い夜。通りで猫が、無防備にねころぶ。
2003.7.29 @ 枝葉末節
いまどき電車のなかでバサバサ新聞読んでるのはだいたい「おばはん」です。「おばさん」と、使い分けてみました。
その「おばはん」が今朝隣にすわっていた。鉛筆片手に新聞を読んでいる。帽子にマスクに白タイツ、じゅうぶんあやしい。小泉、辻元関連記事を重点的に、目で追いながら鉛筆を走らせ線をひく。隣でわたしは思い出したよユキヒコちゃんを。彼の教科書はほぼ全行蛍光ペンがひかれていてまぶしく、ポイントわかんねーやつって人気だった。
で、そのおばはん。右手に持っていたのは鉛筆だが、左手の甲にボールペンで「枝葉末節」と書いてある。枝葉末節。枝葉末節ですよ。楽しいひとだ。
同じ駅で降りた。スキップするように歩くのがまたじゅうぶんにあやしくてよろしい。あのひとけっこう若いかも。
2003.7.28 @ 大山街道
きのうは地元のお祭りでした。よそものだし子供もいないので、手伝え!とも来てね!とも言われないが、ひととおり通りを歩いてわざわざビールなど買う。二週間まえから大山街道にぶらさがる赤い提灯がとてもよくて、それなりにわくわくするのだよ。
街道には往年の蔵づくりの店がまだ少し残っていて、再開発はここ十年、おそまきながらやけくそにすすんでいる。おみくじがよくあたる溝口神社近くの交差点もこんな具合岡本かの子の実家大貫病院は土蔵ごと解体されてマンションに、建築中の近隣いざこざは長かった、そのあいだ、大貫家の菩提寺「光明寺」が門前にかかげる一言がよかった、金の猛者へのイマシメ→弱者の名のもとにイイ気になる猛者へのイマシメ。国木田独歩の『忘れえぬ人々』の舞台となった亀屋会館はつぶれました。他に灰吹屋薬局はかりの田中屋、やらいろいろ。来月16日(土)は多摩川で花火大会です。
2003.7.27 @ 流行です
「流行通信」9月号、特集・本のガイド2003。記事あるいは見開きごとに完結されたパンフレット的体裁、かつ読みにくい文字組にいつのまにか変わっていたのね。毎度かりだされるユトレヒトさん、おつかれさまでございます。
2003.7.25 @ 華やかに銀座で待ち合わすには
銀座通りで待ち合わせるなら教文館書店。狭いが、それがいい。あと、愛想なしでやせ形のおじさん店員が揃っていて、レジで「カバーの色は?」とイヤそうにぎこちなく(気のせいかも)言うのがいいんです。
が、待ち合わせるなら、コアビル6階、くまざわ書店あとのブックファーストのほうがいいかも。絨毯敷き、BGMはスタンダート百乗のジャズ。「上質で居心地の良い華のある店づくり」だそうですから、華のあるいでたちで椅子にすわって待ち合わせるならお店のひとも歓迎してくれるだろう。
2003.7.23 @ のような香りの鮎
磐梯熱海温泉へ。ぬるめ、とろとろのいい湯。夕飯には鮎。蓼がひいてあるがこの蓼酢は生蓼ではないんではないか?でも許す、はらわたまるごとうまかったから。
スイカのような、か、キュウリのような、か。まぎれもなくただアユの香りとだけいっては表現が稚拙だというのですか。
2003.7.22 @ こちらに進んでよ
鳩山由紀夫公式サイトのトップページから、「オープニングムービー作者プロフィール」ではなく「こちらからお進みください」をみにいくひとはいるんだろうか。
2003.7.20 @ 「 きっと、カット」
啓祐堂ギャラリーでの北園克衛展初日。小さい会場の壁面を飾る細かな「カット」が最初に目にとびこむ。「...振幅する詩や詩論の水準点はカットのなかに保たれているようなのだ。おそらくカットの群落のなかにアヴァンギャルドではない、ナマに近い北園克衛の痕跡をさがすことができる。...」(「きっと、カット」金澤一志 同展カタログより)
悩殺の一瞬のあと展示をゆっくりどうぞ。
(其の壱)奥成達資料室がコピーを公開している「北園克衛から奥成達への手紙」の現物。(其の弐)啓祐堂ギャラリーからはみだして書肆啓祐堂のガラスケースに格納されている参考資料。(其の参)会場正面に、みなれた「新聞まるめ作品」の立体。
創作は日々。日常の断片。創る、伝える。同じようにオモうひとがイレコになって続くこと。
2003.7.19 @ 『gui』69
今年はじめてのミンミン蝉を神保町できく。69号を迎えた同人誌『gui』の発送日だ。高橋昭八郎による表紙は涼やかで、巻頭は、今年初めに亡くなった同人・森原智子を悼んだ國峰照子の作品、そして、ながたはるみが森原の「鉛の桃」にイラストを添えた作品が続く。以下、もくじより。
贋作はまぐりー森原智子さんを悼む 國峰照子鉛の桃 森原智子 絵・ながたはるみ空から 宗清友宏宙の果汁 南川優子はなきし 萩原健次郎続・泉についての断章 賀陽亜希子おれの命燃やしきるべし 香川紘子「欠伸」或いはインパクトのないひからびた空間 安藤一男地球の芯で 大園由美子文字の痕跡 山中真知子出鱈目な衣裳論 小野原教子ペ/ージ論 高橋昭八郎ROOMS JIM CARROLL夏の言いわけ 四釜裕子五月のハリネズミ(続) 関富士子困ったときの純粋な療法 藤富保男3 poems TAYLOR MIGNONロンドン日記 突然ときれた記憶(6) 田口哲也気まぐれ読書ノート 岩田和彦タンゴ・口には出せず(10) 遠藤櫻子深川日記 平成15年冬春 山口真理子植物の似絵 岡村昭和書 林功二封印 濱條智里どこまでも深く潜む銀色に輝く肉体の中の悪魔たち 金子晴子どこまでも続く「永遠のうそ」或いは黒くよどんでいく自由と殺戮 安藤一男風と客は 高橋肇千駄ヶ谷 吉田仁床屋 森千春なぞなぞ(3) 殿岡秀秋北へ流れてーヘン(4) 奥成繁さおちんにゃんにゃん(3) 中村恵帰省 中津川洋/ジーン・ベイク ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ 飯田隆昭訳「写真」と「暗室」ーH.Dの伝記テキストと自伝テキスト 藤瀬恭子北園克衛『郷土詩論』を読む(33) 奥成達
2003.7.18 @ パブロフよふたたび
なんでもいいが、相手によって話しかたが変わるってのはどーゆーこころもちなのだろう。自分で自分の態度がヘンだな、と思わないのだろーか。朝あったらオハヨウ、誰かにぶつかったらシツレイ!、失敗したら言い訳するまえにゴメンが口からでてこないのか。相手が誰であるかを認識するずいぶん前のできごと。パブロフ、パブロフ、条件反射の軽快さをワタシタチに教えておくれいまいちど。
2003.7.16 @ ウルトラ
ロゴスギャラリーにて「ウルトラモダン」展、明日からスタート。港や書店、玉青、日月堂という魅力的な三店舗による展示即売会。日月堂さんからは192、30年代のボン・マルシェ他発行家計簿も。
ウルトラマン、を名づけたひとのウルトラセンスを思い知る。
2003.7.14 @ いちごあんぱん
『詩とメルヘン』(サンリオ)が8月号で休刊。編集長のやなせたかし氏のサイトにも関連頁あり。掲載される詩やイラストのタッチは好きではなかったけれど、その方法と、1973年創刊以来の継続にパチパチ。サンリオといえばいちご、やなせたかしといえばあんぱん。木村屋總本店 のいちごあんぱん、あるいはいちご酵母によるいちごあんぱんなど、相性はいいんだがな。
2003.7.12 @ ボックスト・エディション『in the spirit of kit.kat』


克衛


がいよいよ迫ってまいりましたー。この展を記念して20人の作家による合同詩集が限定53部で書肆啓祐堂から発行されます。ご案内はこちらをどうぞ。
「編み字」シリーズから一点作って、わたしも参加しております。
2003.7.10 @ 鎌ひとつ、鍋みっつ、釜よっつ
国立歴史民俗博物館の2000年「オランダへ渡った大工道具展」、1996年「失われゆく番匠の道具と儀式」のように、日常の道具もいつしか展示品になっていく。いま身の回りにある道具をじっくり見てみる。大嫌いなデザインの携帯電話やファックス、これらのものでわたしたちはカラダをどう拡張したがっているのだろう。暗がりでシルエットだけを丁寧に追うと、ちょっといとおしくも見えてくる。
『フィリップ・ワイズベッカー作品集 HAND TOOLS』(amus arts press)はすばらしい。罫線入りノートの地模様を活かしているがいいし、巻頭の「1ーKAMA」がなんたっていい。わたしは四釜、三鍋さんというかたもいらっしゃるそうで。
2003.7.8 @ はい、今日は帰ってました
何度めかの配達で、宅急便の荷物をやっと受取る。配達担当者が変わって、なかなかタイミングがあわないのだ。これまでのひとがいかに配達区域民の生活リズムをつかんでいたかがわかる。なにしろ、不在票をもらって電話をいれておいても、あのひとはそれにおかまいなしにやってきた。「今日は帰ってるかなーと思って」
うれしいような、気味悪いような。とにもかくにもありがたかったですよ。
2003.7.7 @ 宅地開発展示場ツアー
東急田園都市線が東武線とつながり最長「中央林間駅」から「南栗橋駅」となって数カ月、念願の南栗橋駅ぶらりツアー決行。
南栗橋駅は埼玉が茨城に接するあたりで、日光方面に行くときにさ〜っと通り過ぎているところだ。駅前は開発半ばの住宅地。「南」とあるから、本家の栗橋駅に降りてみる。昭和22年9月のキャスリーン台風で堤防が決壊して氾濫をおこした利根川の記憶を、街のあちこちの電柱に「当時ここまで水没しました」というラインで残している。神社が多い。家々の軒先には玉葱。川辺に小さな畑を持っているのか。
この沿線を電車からながめると、それぞれの駅にそれぞれのマイホームタウンのスタイルがあって、さながら宅地開発の展示場を見ているようだった。地面を四角く区切るドウロができて、駅ができて名前がつく。私鉄はつまりそういうツアーの路線図そのものである。
こどものころ大好きだった、「○○な街の絵」描きっこを思い出す。姉と向かい合い、いろんな「○○な街」を描き比べた。ブロックでもやった。楽しかった。とても楽しかった。
2003.7.6 @ まっすぐなみちでさみしい
フンコロガシがまっすぐ糞を転がすのは、月の光を感知してのことだそうです。まっすぐなみちにさみしくなってしまう山頭火ならやってけない辛い世界。
2003.7.5 @ 『ドリラーキラー』(1979/アベル・フェラーラ/米)
同居する女ともだちがおぼつかない仕種でドリルで穴をあけようとする/どれどれちょっとかしてみな。どこにあけたいの?/そこ/ここね/あ、違う。もっと右/こっち?はいはい/あ、違う、もうちょっと上、もっと左かな、いやそれより下....../いーかげんにしろ。/穴/描いているバッファロー目玉は穴のよう/ポータブルバッテリーとの画期的出会い。リノ、うれしそう/赤の革パンで街にくり出す、右手にドリルを掲げて/いらついて殺してるならまず階下のバンドマン/のぞきこむための穴、つきさすための穴/対象物をできるだけ残すために慎重に穴をあけます/凸を入れる凹形成のために動かしたドリルの音が突然変わり、あ、貫通しちゃった、という瞬間はとりかえしがつかなくていいね
2003.7.4 @ 蝉はなんと鳴く
伊藤信吉が1999.9.27の朝日新聞夕刊でインタビューのなかで話していた「次に書きたい本」、『室生犀星 戦争の詩人・避戦の作家』(装幀:司修、解題:暮尾淳)が集英社から刊行。
p28。犀星の『哈爾浜詩集』の「蝉」をよんだところで「......とつぜんの取り合わせのようになるけれども、好きな蝉の作品が私には二つある。/一つが高村光太郎の木彫りの「蝉」(1924・大正13年作)で、これは掌に包みこまれてしまう小ささだ。掌に乗せてじっと見ていると、すすす、といった感じで微かに前へうごく。そんなふうに生命感に充ちたその一匹を、敗戦後しばらくしての頃、私はあやうく入手しそこなった。あのとき入手しておけば木彫りの蝉は、私の愛惜の中で、犀星の「蝉頃」と題する詩の一匹と鳴き交わすことができたものを。......」とかき、『抒情小曲集』の「蝉頃」へと導く。先の蝉は奉天にて「じいい」となき、あとの蝉は東京にて「しいい」とないた。
2003.7.3 @ メモ
Googleは好きです。その理由のひとつは気紛れに変わるロゴ、もうひとつは、自分がいつかなんどき思いつきでサイトにあげといたひとことを探すのに便利であること。なにしろとにかく忘れるばかどもですからね、Googleはメモ帳パチパチ。
2003.7.2 @ 来た来たキタ〜
なにかこう、突然「キタキタ、来ましたよ〜」というとき、ないですか。誰かそばにいればそのまんま言うが、ひとりの場合には、このキターで喜びを二倍二倍にするのだ。声的にはw、全体としてはu、あoも好きlもあほとんど全部好き。だからわざわざブックマークしてんだけどね。ああなんてこのましいセンスでしょう。
2003.7.1 @ せっせせっせと
この秋、また小さい詩集をつくることにしました。

(C)Copyright 1996-2003 4-kama