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2005全トピックス一覧
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_ いつの間にか2005年に移行。2000年、2001年の盛り上がったカウントダウンからもう4年、5年経つんですね。昨晩は次男がTVの除夜の鐘を聞いて沈没したあと、連れ合い・娘とでワインで乾杯し結局2時頃までだらだらと。
_ 朝は10時近くまで寝たがなぜか軽い頭痛が取れない。このところ寒くてつい首をすくめるから肩こりなのだろうか。お屠蘇を飲んだせいだとか言われたけど、なめた程度だから違うな。
_ 昼頃おせち&お雑煮。今年は鯛がおいしかった。黒豆も最初はどうかと思ったが結局上々の出来だ。だーらだらして3時頃に根津神社に向けて出発。なぜか今年は、お参りするのに行列になっていて、参拝客も露店の人も「こんなの見たことない」と口々に。特別人出が多いという訳じゃないんだけど、参道以外の土の部分が足場が悪かったためか?昨日は雪で露店も出なかったそうだ。破魔矢とお守りを買い、御神酒をいただきちょっとだけ暖まったが、とにかくしんしんと寒い。ここ甘酒のおふるまいがあればいいんだけど!と毎年思う。
_ 帰宅して早速チョコレートドリンク。先日カフェデュモンドの通販で買っちゃったのだ。チョコレートのスプーン付きで濃厚。あー甘くて暖かくておいしかった。
_ ずっとだらだら一日過ごしているうち、あー、またご飯の時間だ…orz おしるこ作らなきゃ。
_
『芸術新潮 1月号 大特集 フィレンツェの秘密』/新潮社
塚本太朗/『Stamp stamp stamp Europe』/産業編集センター
若島正/『乱視者の新冒険』/研究社
アントン・P・チェーホフ/『カシタンカ』/未知谷
_ 以上は12月25日と29日に購入したもの。
_ 先月の3日に都美術館(「フィレンツェ−芸術都市の誕生」展)に行ったが、『芸術新潮1月号』で今頃になってその特集が組まれている。遅いではないか〜。この展覧会はたいへん意義深かったので、もう一度見たい…次は京都市美術館(1/19〜4/10)。この時図録を買わなかったのがやっぱり悔やまれる!京都に行こうかしら…いやほんとに。まず都美術館に図録が手にはいるかどうか問い合わせてみよう。今年もまた面白そうな展覧会が目白押しなので、そのつもりでいないといけないな。
_ 『Stamp stamp stamp Europe』は、ヨーロッパと言ってもどちらかというと北欧・東欧に限られ、ドイツ、チェコ、スイス、ルーマニア、フィンランド、ハンガリー、スウェーデン、オランダ、そして国連の発行したチャーミングな切手が集められている楽しくかわいい本。どれも欲しくなっちゃうが、通販で入手できるそうだ(くわばらくわばら)。目白の切手博物館で見ることも出来るとのこと。で著者はコンランショップにいた人だそうだ。
_ 凄惨だなあ…!結構感情移入して読んでいた登場ネズミたちが、次々と無惨な死に方をする。そしてその毛皮は剥がれ、血が滴り、生首が旗印になる。臭いさえ感じられる。はっきり言って、生々しすぎて嫌悪感すら覚えるほどだ。
_ シリーズ通して不思議なことは、ロンドンの真ん中に住んでいるネズミたちであるのに、人間の姿が殆どと言っていいほど出てこないことだ(たまに車の通る道とか地下鉄とかは背景として出てはくる)。今回ジュピターが一段と強大になって甦り、地上を凍り付かせ、星々や太陽までも消してしまうのに、このロンドンという大都市は終始…ジュピターがいようといまいと…ほとんど死んだ都市であるかのようだ。
_ お話自体は、それなりに読ませる力はあると感じる。上にも述べた争いの生々しい惨状、ジュピターやグリーンマウス、スターワイフらが超常的な力をふるう所の描写など、相当な迫力がある。しかしどうしても、なんでネズミ?という疑問が終始つきまとう。ネズミとしての造形にも無理がある。また最後に力を得るのが何でわざわざオードリーなの?という疑問もある。もう2巻で舞台の陰に引き下がったのかと思った。1巻で、彼女だけがグリーンマウスの姿を見るという所がその後の運命を暗示していたのではあろうが、どうもその必然性があまり感じられなかった。まだその後、その前シリーズがあるとのことなので、翻訳された暁には、乗りかかった舟なので読むつもりではある。
_ ねずみ本が続いたが、これはデットフォードとは毛色を異にする話だ。時折作者が読者に問いかけたりするが、元々息子にせがまれて書かれたものという。とある国の国王のお城に住むハツカネズミの一族に生まれた、体が小さく耳ばかり大きい変わり者の子ネズミは、母ネズミに悲しみと絶望を与えたものだからデスペローと名付けられた。掟を破って人間に話しかけ、あまつさえその人間=王女ピー姫に恋したため、父によって裁判の場に引き出され、母には「さよなら」と言われ、兄の手によってドブネズミの住む地下牢に送られる。光を恋うドブネズミ・ロスキューロ、父親に売られた少女ミゲリー、優しい父王はいるものの母のないピー姫らの思いが交錯する。最後に彼らは新しい家族を形成する…。おとぎ話のような形を借りつつ、ごくさりげなく児童虐待や家族の問題を織り込んでいる。筆致は軽めで、私にとってはちょうどツボのユーモアが所々に出てくるため、思わずプッと吹き出してしまうこともしばしばで、気持ちよく読めた。デスペローの名字はティリングだが、どうしてもこのカタカナが私には「テイリング」、しっぽのもじりと読めてしまい困った。ピー姫はピース、ミゲリーはミゼリーのもじりか、とか勘ぐっちゃう。どうやら映画化されるらしい。
_ 連れ合いがまだ見ていなかったので、正月休みの締めくくりに、次男と3人で行ってきた。今日は、1度目から比べたらずっと、原作視点じゃなく見られた。空中散歩のシーンは抜群だ!あれがずっと続いて欲しかったくらい。動く城から下の景色や遠くを見るシーンも。
_ でもやっぱり全然筋わかんねー。好意的に脳内補完するにしても…。連れ合いなんかは、「あれはあれでいいんじゃないの」というご感想だった…つまんねー。キミもオヤジか。どうしてああなるの?こうなるの?という疑問はないんか!と、もどかしいよ。
_
【ネタばれ反転】
・なんでハウルは魂(心臓)がないなら鳥人間になってあれほど戦ってるのよ?(やっぱりあれは宮崎駿の好きなクラバートはいってるよな)
・案山子は、そもそもいつどこでソフィーに恋したの?
・荒れ地の魔女の、ハウルの心臓への執着をどうして年寄り独特の執着のように描く必要があったの?あれでは単に魔法使い同志として張り合って来たようにしか思えない。
・サリマン先生の一存で止められるような戦争は何だったんだ?
・そもそもなぜ、ソフィーをああいうキャラクターにしたのか?第一、原作では彼女は、自分でもそれとは知らず言葉の魔力を持っているわけだが、はっきりそうと設定してあげれば良かったのに。そうすれば、カルシファーに「千年も生きますように」と言ってハウルの心臓から自由にしてあげたことがすなわち彼女の呪いが解けたとき、とすんなり分かったのに。ほかにもずっとその方が話がスムーズに動いただろうに。
_ 次男の見解によれば案山子がいつソフィーに恋したか?の答は「ソフィーが最初に案山子を引っこ抜いてあげたとき」だそうだ。だからそれからずっとソフィーにくっついてきた、という解釈だね。素直でよろしい。でも案山子になってから(呪いがかかってから)好きになった女の子にキスしてもらって呪いが解ける、というのは、おとぎ話としては反則なので、これは却下だな。本人にはそうは言わなかったけど。やっぱり案山子になる前のどこかでソフィーを好きになっていなくてはね。
_ やっぱり宮崎映画は基本的にはファンタジーじゃないんじゃよ。マルクルとカルシファーはそれなりにとても良かったのう。ヒンは、よく分からん。
_ しかし大スクリーンで見る楽しさ、面白さは大いにあるな。
_ 昨日、朝風呂でシャンプーを流そうとシャワーの下へ首を曲げたら、首の左側を痛めた。何となくぐぎっとした程度だったが、それからずーっと痛くて、しかも悪化の一途を辿っている。ただ座っていても首から肩にかけてたいへん痛い。ひねったというわけじゃないのだが…帰宅してさっそく横になったが、それさえも一苦労。起きるのもまたうめき声と一緒。正面から30度程度以上左右を向くには、そろそろと動かすかあるいは手を添えて筋肉を助けてあげなくてはならない。バンテリンつけたが、スースーするだけで痛くなくならないよ!
_ で、冗談半分で「仕事始め行けなかったりして…!」と言っていたら、今朝痛くて起きあがれない!どちら側から起きたらよいのか分からなくて相当痛い思いをした。…起きてからも「痛でででで…」と言いっぱなしで、姿勢を試しながら5分、10分経過。出勤しちゃえばなんとかなると思い、行く気で起きたのではあったが、痛くない姿勢というものがなく「痛でででで…」の連発では無理!同僚らに休むとメイルを打って再び横になる(これがまた大変)。
_ 横になる前にバンテリンを塗り、そのせいかなんとか3時間ほど寝られたが、12時頃ヤクが切れたらしくまた痛くて起きだした。バンテリン(これはインドメタシン配合だ)効くけど、メントールが冷たくて臭いよ!メントールはスースーして冷感があるが実際に冷却効果はないだろ?
_ 連れ合いは、「バンテリンは確かに効くかも知れないけど痛み止めであって原因を治す訳じゃないからなあ」と言う。これは彼の持論らしいが、寝ているほかないのであれば、体力気力を消耗させる痛みが軽減された方がなんぼかいいと思うよ。痛みが病気のサイン、という場合とは違うんだから。仕事に行きたいよー、痛いのよりずっとマシだよー。
_ やっと初出勤。昨日よりはマシだけど、ずっと起きあがっているのは相当に辛い。頭って重いのだ。
_ 昨日の日中は、どうしてと思うくらい昏々と寝られた。首〜背中の炎症だから、痛みは耳や目のほうにまで響くし、熱感もある。これだけ眠ったから夜眠れないのではと思ったが、夜も相当よく寝た。ただ寝返りが辛い。
_ 指圧と鍼の心得のある職場の同僚に見てもらって、ちょっとした指圧をしてもらった。一旦痛みは軽くなり下や上もずいぶん向けるようになったが、1,2時間するとずずーんとした重ーい痛みがやってきた。ほんとに重たい砂袋が首から背中にのしかかっているような痛みだ。仕方なくバファリンをのんでしばし役立たずになっていた…。その後痛みがひいてみると、まだある程度の重さはあるが動きはだいぶ楽になったようだ。本当は鍼が効くと思うのだがなあ。最初の1日半、数時間ごとにバンテリンを付けていたため、耳の後ろ〜首筋にかけて、かぶれてブツブツが生じてしまった。痒い…と無意識に手をやって、危うく止めるのを繰り返す。しかも範囲が広がってきた。これはいやだー。早いうちに食い止めなくては。
_ 最初の5編を終わり、6編目(表題作「アジアの岸辺」)に差しかかったところ。収録された13編のうち5編が既訳で何と8編が本邦初訳だという。どういうわけかどれも皆過去に読んだことがあるような気がしたのは何故だろう。個人コレクションの面白さ、醍醐味は、作品の選択と配列だと思う。その意味では、どれも同じ雰囲気があるので、話としてはそれぞれ違うにもかかわらず、1冊の本としてはおしなべて単調と言えるかも知れない。どれにも「ディッシュ印」が押してあるのは確かだ。
_ 朝夕、LotRのBBCドラマを全部入れて聞きながら歩いている。ご存じのように色彩は暗い。たいへん暗いので、いつの間にかうなだれてこの世ならぬところをとぼとぼと歩いている。昨日の朝なんか後ろからそろそろと来た車に全然気付かず、ぎりぎりまで接近されてぎょぎょっ!としてしまった。おお怖。
_ 映画はこのドラマのキャストのイメージをなかなか良くなぞっていると思う。ガンダルフなんかうり二つだよ。かなり映画はこれを参考にしている部分があるのだろうと思う。もちろんこちらの方がずっと原作のイメージに近く、ボロミアの剛胆さとその育ちから来る自信と一種の横柄さ、アラゴルンの年輪と威厳などはいうまでもない。エルロンドの殿はいかにも殿らしく、もちろんケレ様もといケレボルンは存在感ある。それに、グロールフィンデルと彼が近づいてくるときの鈴の音がいい。今アラゴルンら3人がファンゴルンで白のガンダルフに会い、かたやフロド主従はモルドールを直接見て力萎えているところ。ストーリーを知っているので、英語は聞き取れない部分がいっぱいあるが自動的にかなり脳内補完されてる。購入した一昨年の3月頃よりちょっとだけは聞き取れるようになってる感じ>そのころの感想(〜4月頃まで) ドラマはブライアン・シブリーが脚本を書いている。
_ グループホームから昨日今日と、姉の所とうちへそれぞれ電話があり、どうも暮れから水分、食事とも摂取量が急減しているので心配だとのこと。昼夜逆転して、昼も皆のいる共通スペースに車椅子で出してもらってはいるがすぐにうとうとし、夜はベッドに入っても2,3時間で起きてしまうようだ。連休になるということもあり、スタッフが近医に受診させてくれたが、どうも話の筋道、状況がよく分からない…。少なくとも、グループホームの適用範囲を大きく超えてしまったのは確かなようだ。
_ このグループホームのスタッフは、皆いいひとで、旧態依然の福祉施設によくありがちな「福祉をやってあげている」「面倒を見てやっている」という姿勢は全然ない。「本人の意志を尊重して」と利用者の良い面をよく見てこれまでの人生を肯定的に捉え、そこでの生活に生かそうとしてくれている。反面、現在の高齢者介護・介護予防の新しい流れに関しては驚くほど疎い。まさか、と思うような大事なポイントや新しい知識を全然知らないし、勉強する・させる気もないらしい。ホームの責任者にキチンとした哲学や方向性がなく、彼と彼に次ぐ立場と思われるスタッフの考えの根底に「何と言っても家族が一番」という思いこみがある。
_ たとえば、年末年始の過ごし方についても「家に連れて帰って家族が一緒に過ごすのが一番!(…しかしもちろんご家族にもご都合がいろいろあるでしょうから、ホームでいつもと同様に過ごして頂いて一向に構いません、皆で一緒にお正月を祝います)」との言い方をする。しかし、痴呆を持つ人にとって、環境が変わることは精神的な不安定をもたらすことになるということを彼らは知らないのだろうか。たとえこれまで何十年住んでいた「自宅」に帰ると言っても、今現在慣れ親しんでいるグループホームとは様子が全く違うので、トイレの場所一つでも迷うことになり、内心の不安をかき立てることになる。表面上は家族と一緒で楽しそうに見えても、その内面では、それこそ「ここはどこ、私はだあれ」状態である。「おばあちゃん、楽しいでしょ」と言われれば「そ、そうね、楽しいわ」と答えるのは、お年寄りの気遣いの表れであったり、自分の状況をうまく把握できない不安を隠す返答であったりするから、「楽しい」を文字通り受け取るのは間違いであることも多い。往々にして、こうした外泊や外出は家族や介護者の自己満足であることが多いのだ。
_ 痴呆を持つ高齢者の生活や意志を本当の意味で尊重する、とは実に難しいことだと思う。そういう人たちに日常接して、観察している介護スタッフが、そこに気付かず、思いこみで「優しさ」を押しつけているとしたら、善意であるだけに、方向性を修正するのは難しい。「本人が痛い、と言っているから歩かせるのは残酷。車椅子に乗せます」という対応が、逆に歩く能力を奪ってはいないか?「本人が嫌だと言っているから入院はさせられない」と必要な医療から遠ざけていないか?
_ そのあたりの認識の違いがあって、母の受診に関連してスタッフといろいろやりとりをしたがすれ違いばっかりで全然通じず疲れた。姉も別個に、スタッフの対応のまずさに対しズバッとした指摘をしたと聞き、「よくぞ言った、快挙!」と拍手。でもスタッフは言われた意味が分からなかったらしいので脱力。
_ マチネで久しぶりにオケ、それもいきなり大編成の曲を聴いた。それなりに大きいはずのこのステージだが、弦8-8-7-6-5に4管+パーカツ盛りだくさん+女性&児童合唱+メゾソプラノでぎゅうぎゅう。一回り二回り大きいステージでせっかくの演奏をたっぷり響かせてあげたかったところ。人も音もステージから溢れ出しちゃって、もったいなかった。
_ チョン・ミョンフンをマジメに、しかも生で聴くのは初めてであるが、この大曲を、オケの隅々まで掌握してまとめ上げる手腕に驚いた。ダイナミクスがとても良くコントロールされていて目を瞠る。オケは非常に良く鳴っており、日本のオケもレベルが上がったなあと実感した。ミョンフンの先へ先へ振る指揮は、見ていて美しい。美しいが、あの指揮でオケは良く弾けるなあと感心した(^_^; 以前から好感度の高い指揮者の一人だが、生を見て聴いて、一段と好感度アップしたのじゃよ。今度は3月に4番をやるそうだ。行こうかなあ。最近はなかなかオケに行く気がしないのだが、一旦聴くとまた行きたくなっちゃう。
_ トロンボーンの1番、裏で吹いたポストホルン、クラリネットがことにうまかったかな。鳴り物の皆さん、ティンパニ(2セット)はやっぱりかっこいいよね>マーラー
_ 以前は「チョン・ミュンフン」と表記されていたと記憶するがこの頃「ミョンフン」と変わったようだ。>Wiki、チョン・ミョンフンホームページ(たぶんファンサイト)
_ 昨晩から読み始めて今14巻中11巻目。久しぶりにマンガ読んでるが、おーもーしーろーいー。そういえばずっと大学を出てから10年以上ずっとLaLaだけは読んでいたんだよなあ。読まなくなって長いけど。最初の設定が十二国記ですね。かなーりストレートで読みやすいのだ。絵は好み。
_ 母の不調の連絡を受けて、姉と、娘(バイト)以外のうちの家族で母を訪問。どのみち成人式を迎える長男にその報告をさせる予定ではあった。長男は母と久しぶりに会ったので、「おばあちゃん」が彼を殆ど分からなくなりその声もか細くなっているのを見て、ずずーんと感じるものがあった模様。
_ 「うちでも出来るだけのお世話をしますから」と言う昨日の話とは打って変わって、ホームの責任者から、「うちではもうしてあげられることはないので、次のことを考えて欲しい」と、退所させるよう希望された。「点滴してもらって、数日か1週間程度の入院で体力を回復して…」、とスタッフは言うが、もう筋力も弱っているからその入院でおそらく二度と起きられなくなる可能性が大きいと思う。それにもともと以前から、生き続ける気が全然ないんだもの。寒のこの時期は高齢者にとって厳しい時期でもあり、父が亡くなったのもちょうど今頃だった。姉はハッキリ悲観的で「おかあさんは、もうすぐ旅立つ用意をしていると思うのよ」と言う。私はもうちょっと意地悪なので、その可能性も高いと感じはする一方、強制的な水分や栄養補給で結構長引く可能性も高いかもしれない、とも思っている。今の医療って優秀だから。連休明けの受診の様子を見て、次の段階と思っていた特養探しを飛び越えて、一気に病院探しへ突入しそうな感じ。母が望んでいるのは何なのだろう。
_ おしてもひいても起動しない…!リブートも効かない!と思ったらHoldになっていた、なんだ。
_ アレ?解除しても全然反応ない。すわイカレたか?……なに、Hold?このまえ英語のクラスが始まるとき、チャイムが鳴ってあわててoffにした覚えが確かにある。あーっ。ということはその時既にHoldにしてあったから実は全然offになってなくて、そのままずーっとonになっていて、ということはバッテリが切れちゃったんだ。なんだそうか、良かったァ。
_ と馬鹿なことをやってほっとしながら、パソコンが起きてないので直接充電。ところが…!電源をつないでも全然反応しなーい。うーわー、もう壊れちゃったの!?
_ そこへ天の声「テーブルタップ、元が抜けてるよ」
_ A・B・コックス/『プリーストリー氏の問題』/晶文社
_ 十二国記ふう、ナルニアも入ってますな。メッセージはストレートで読みやすく面白かった。もっとイザークが悪くなってくれれば、とも思ったんだけどその点は他の悪役が全部担ってくれたのでノリコが悩まずに済みましたとさ。ところでマンガは怖い。ちょっと立ってる間に、ちょっと待ち時間に、とエライ勢いで読んでしまった。これが習慣になっていたならどうなっていたことだろう。
_ 先日途中まで読んだ段階で、どれも「ディッシュ」色なのである意味単調と書いたが、その後(「アジアの岸辺」を終わり、ただいま最後=13編目(!)に入るところ)の印象は、なんてどれもレベルが高いんだということだ。ユーモアやひねり(2回か3回ひねって…ひねくれている)は言うに及ばず。「アジアの岸辺」は東方への旅、地霊の力、幻視、変身などの点で最近読んだ『フェアリー・フェラーの神技』や『鎮魂歌』を思い出す。建築などの蘊蓄の部分が私にはサッパリなので大変もったいないと思う。全体として、小耳にはさんでいたようにイヤンな感じになるということはさほどない。
_ 後刻、読了。最後の1編でも、どんどん事態がエスカレートしてゆく手法が使われていて、ここでは怖さと言うよりバカバカしさ、揶揄の色合いが濃い。この短編集は執筆年代順に並んでいた。「アジアの岸辺」をおおよその境として、それ以後も書く手腕は上がっているのだろうが、それ以前の方が各編は内容的には凝縮しているように感じた。
_ 例のローマン・ブリテンシリーズの、イルカの指輪の話か、と思ったら、違ったようだ。時代はずっと下って16世紀ロンドン、テムズ川沿いでの話である。ですます体で訳されているためかどうか、ローマンブリテンシリーズなどよりも今のところ柔らかでのびのびしている感じ。『イルカの家』は、主人公の少女タムシンが引き取られた鎧師のギディアンおじさんの家の軒に4匹のイルカの彫り物があって、皆がそう呼んでいるから。原題は'The Armourer's House'、鎧師の家ですね。1951年、もう半世紀以上前に書かれた作品だと思うと、彼女の作品の中での位置づけがどうなるのか楽しみ。
_ ところでタムシンが最初にデヴォンシャーのビディフォドからロンドンへ引き取られてゆく旅、すなわち西からほぼ東(やや東北より)へ旅していくのを「北から南へ横切って」と書いているのはどう見ても間違いだろう。
_ またC・ウォルター・ホッジズの挿絵が、素敵!わくわくしてしまう。実はこの手の挿絵、色塗りしたくなっちゃうんだ。私のナルニア本なんかも所々色鉛筆で彩色されている。この本でも、たとえばモリスダンスの面々の衣装があまりに色とりどりなので、そのキラキラしさが、絵と文の両方相まって目の前に迫るようだ。
_ 凍りつくような冬の日、タムシンがギディアンおじさんに連れられて次男ピアズと一緒に王立造船所を訪ねるくだりがある。造船所はデトフォード(デットフォード)にあったとのこと。『デットフォードのねずみたち』の舞台(3巻目では雪と氷で閉ざされていた)と思わぬところで再会したのだった。挿絵に見られるテムズ川の船着き場や造船所は、先年たずねたタワーブリッジちかくの船だまりの雰囲気とそっくりで、すぐ手に届く過去のような思いがした。しかし彼らが馬で行く凍るようなロンドンの寒さは今とは格段に違ったのだろう。また、このしばらく後でギロチンに細い首をさしのべることになるアン・ブリンが国王とテムズ川を舟で行く姿が共感を持って描かれるシーンもあり、この時代のロンドンの息吹を五感で感じさせてくれる描写に溢れている。
_ 夏至の魔法の章が好き。そこだけで一遍の小さなお話になっているようだ。
_ この作品は、作品リストにもあるように、デビュー作になるようだ。どうりで、のびのびと柔らかく、喜びと希望の要素が詰め込まれているわけだ。しかも、主人公タムシンと、長男を亡くしたギディオンおじさんの次男ピアズの、喪失と胸が痛むほどの憧れがいっぱいにつまっており、このあとの作品群の原型を既に見ることが出来る。
_ あまりに気に入ってしまったので、オリジナルを味わいたくて、捜して原作(古本)を注文してしまった。一家のアイドル、幼い「ちびちゃん」は原作ではなんて呼ばれているんだろう?孔雀の羽がだーいすきなちびちゃん、じぶんのことを「ちびちゃん」と言ってじつに愛らしいのだ!
_ はっ、もしかして私、とーってもサトクリフのファンなんだろうか。たしかにこれだけ入り込んで読める作品を書く人ってなかなかいないと思う。
_ さすがに書かれたのが古い(1927)ので、そのころならではの香り・冗長さというかテンポがある。A.B.Coxというペンネームもジョークっぽいな。
_ 姉から電話。今日かねてからの予定通り受診させたら、最近いつも診てくれている年配の医師が「すぐ入院」と、ベッドを何とか都合してくれたそうだ(一般病棟の四人部屋)。長引かねばいいが、果たしてグループホームに戻れるだろうか。難しそうな気がする。
_
伊藤遊/『つくも神』/ポプラ社
浦沢直樹×手塚治虫/『プルートウ01』/小学館
ロビン・ホブ/『騎士の息子 上』/創元推理文庫
ロビン・ホブ/『騎士の息子 下』/創元推理文庫
W・デ・ラ・メア/『九つの銅貨』/福音館文庫
_ くたびれたマンションに住む女の子「ほのか」、中学生のお兄ちゃんはちょっとグレちゃってる。マンションの隣の、土蔵のある古い家には一人住まいのおばあさん。ゴミ置き場で放火騒ぎがあったあと、ほのかはエレベータの中で奇妙奇天烈な置物?を見た、と思った。そしてほのかとその兄の周りに変なものたちが出没し始めたような…。
_ ちょうどうちも、主人公ほのかが住むのと同じにマンションの4階住まいなので、舞台としてはすんなり共感した。どうも風景がうちの周りと重なって見えてしまい、いいのやら悪いのやら。すんなり読めてなかなか面白かったが、友人や周りの大人たちとのかかわり、解決の書き方が、きちんと良く書けているのだろうが優等生的・類型的で物足りない。主人公がいい子すぎるのかも。やっぱり『鬼の橋』『えんの松原』のようなもののほうが良かった。
_ 私の方の好みとして、変に普通の日常にこういうものが関わってくるのがあまり好きじゃなくて…昔から。エブリデイマジックは好きだけれど、日本の普通の小学生にからんでいるものが、今も昔もあまり好きではない。もっと荒唐無稽なのだといいのだけれど。
_ こんなに同じでこんなに違う。今も色あせることのない手塚治虫のオリジナル、これ自体を読むのは初めてだが、いつも話の進め方のテンポが独特だと思う。片方を読みまたもう一方を読んでそれぞれのうまさを感じた。この話がこういうふうにふくらむのかと改めて感じ入る。浦沢直樹は以前から絵が大好き。うー続きが読みたい。しかし「greatest」は「最大の」なのかねえ?という疑問が。
_
The Little Gentleman
The Scarecrow and His Servant
_ 前者は、フィリパ・ピアスの新作、後者はフィリップ・プルマンの新作。偶然ながら名前が同じ(女性形と男性形)ね。字が大きいのは嬉しい。
_ 何とものんびりしている上、読者にはもちろんすべてネタは見え見えなのだけれど、絡んでくる人物のキャラクターや反応がおかしくて楽しい。当然今風の社会規範とは違うところも多いが、悪意というものが全くない書きぶりなので、気持ちよい読後感だった。
_ 8編のうち、いちばん最後の表題作に入ってしばらく。これだけで全体の1/3以上を占める分量がある。ちょっと(というか相当)昔のいい感じにSFしてる雰囲気で、私なんかは懐かしいと思っちゃう。10年かそこら前のSFを「ちょっと古めですが」とか言う人たちにはどう受け取られるのかしらね?どれも読者をぐぐっと引き込む力が人並み以上に強い。この点がより強い形で現れている長編『虎よ!虎よ!』は、早川の世界SF全集で読んで、主人公が宇宙を飛び回るスケール感と執念、暴力的なほど強烈なイメージで印象深い。でも同時期に読んだ『シリウス』とどこかごっちゃになってる気がする。この全集はもっぱら近所の図書館や大学図書館で借りて大変お世話になった。25巻・バルジャベル/フリック/フランケなんて名前からして復唱したくなる。32巻の英・米篇II、12巻ハインライン、6巻のステープルドン/リュイスなんかが良く借りたほう。
_ サトクリフ『イルカの家』がたいそう気に入ったので、原作'The Armourer's House'(もちろん古本)をamazon.ukのマーケットプレイスから買った。11日ににオーダーして、早い、もう届いた。ハードカバーで思ったよりボロいが、それもまたいい感じ。(←ちょっとだけ負け惜しみ。だって20pという書き込みが消してあるんだもん。1962の版だから、それなりに昔の値だろうけど…今回£10くらいしたのだorz)
_ でもってこの本では、鎧師一家の末っ子、三歳ちょっとの「ちびちゃん」、ベンジャミンという名があるが自他共に「ちびちゃん」と呼んでいる子が、それはそれは愛らしいのだ。丸々リンゴのほっぺちゃん。この子が自分で「ちびちゃんもいく」とか言うのが超かわゆい。これ原作では何というのか?と、わくわく。Littlest!やーんかわいい!
_ ほかに年子の姉弟もいて、この「ほとんどふたご」と呼ばれる姉弟はAlmost-twins
_ また、先日、「ところでタムシンが最初にデヴォンシャーのビディフォドからロンドンへ引き取られてゆく旅、すなわち西からほぼ東(やや東北より)へ旅していくのを「北から南へ横切って」と書いているのはどう見ても間違いだろう。」と感想に書いた部分は、単に
_ Tamsyn rode all across England.
_ と書いてあった。わざわざ「北から南へ横切って」と親切に訳したわりには、地理を頭におかずにいたのではないか。訳本にはわざわざ地図まで付いているのに、ちょっと訳の信頼そのものを損なうことだと思う。実際にはわざわざ訳者はビディフォードまで訪ねていったようであるのに、残念なことだ。
_
サトクリフは原作初めてだが、元々子供向けであるせいか、もう読んだとおり、読んだそのまますらすら頭に入ってくる。それなのにあの表現力、ってどういうこと!
実際に英語の人が読んでこの文をどう評価するのか私には分からないが、読みやすいのにしかも内容が豊富、というのはやはりそうまねできないことだろうと思う。
_
ほんの要所要所だけ拾い読みしてみた。あらためて各キャラクターがその見かけの最初の描写からもはっきりと立体的に浮かび上がっていること、どこをとっても文が生気に溢れていること、などが即座に感じられる。
そして最後の、目を瞠る奇跡のようなクリスマスのところ、その直前だけ読んでまた目をしばたたいてしまったのだ。
_ これ、すごーくいい感じ!ぴったんこmy book。このそこはかとないユーモアと、淡々としてじつは細やかな心理描写。それは直接描かれるのではなくて、ちょっとした風景だったり、天気だったり、膝にくちばしを載せるペンギンだったり、真夜中の道の向こうに見えるたった一つ明かりの点った窓だったりする。
_ 読んでいて最初の部分からもう、しばしば、にっこり、また盛大ににっこりしつつ読み、何だか温かい気持ちになるのだ。しかし主人公ヴィクトルの置かれている状況は、とーっても変!とってもとっても変!そしてやばい!一人「寂しく」暮らしているはずの彼なのだが、全然寂しさや暗さ、諦念などはない。決して明るい性格ではないのだけれど、いわばニュートラルな感じで、自己充足的というか、丁寧にふつうの毎日を生きている感じの青年だ。彼の感情は決して濃くはないが、かといって情が薄いわけではない。彼らの背後で起きている事件は、もっと暗い不安感を読者に抱かせてもよいのだが、筆は淡々、飄々とした風情で進んでいくのだ。うるさくなく押しつけがましくなく、後書きにもその類似性が触れられていた村上春樹ほど神経質・作為見え見えではない。
_ なんかどこが何が、を超えて気に入っちゃったのだ。うーん微妙でうまく言えない。その淡々・飄々は、ペンギンのミーシャと見交わす視線にも現れている。哀しみだけは感じられるがそれ以上の意思の疎通があるんだかないんだかわからないペンギンとの視線の交錯が、全編の暗喩のようにも思える。
_ 生身のミーシャ(ペンギンのほうの…というのは、ペンギンじゃないミーシャも登場するからだが)は結局入院して全快した、と嘘でも思っておこう…。カジノのところももう変!!変で、終わり方もまた、変!でも大好きだ!
_ ちょっとミステリぽくもあり、読みやすいので、皆さんにお勧め。
_ 読者の「ミーシャはその後どうした」コールにより続編『カタツムリの法則』が書かれたそうなので、訳出希望。
_ 間が空いてしまったので、週末には取り戻そうと思っていたが、のどから始まった風邪が悪化。抗生物質と鎮痛剤のんでダウン中です。うう。
_ 池内紀『架空の旅行記』ロビン・ホブ『騎士の息子』読み中。「ネバーランド」も見た。
_ 「オペラ座の怪人」とか「レイ」とか見たいのにダメだぁ(T.T)
_ ハナに来てクシャミ連発するので、すわ花粉発症かと冷や冷やもの。抗生物質と鎮痛薬があまり効いているふうではないので余計に。でも、病は気から。これは花粉ぢゃないぞ!
_
しばし待たれよ。
取り急ぎ↓のみ。どんなもんかいな、また3部作かよ、あまり評判聞こえてこないし、と思ってためらっている方々はぜひ「手に取って嫁!」
_ これはたいそう面白いのでお勧め!!人物と小道具が緊密に織りなされていて、読み応え・手応えある。伏せっている間に一気読みしてしまった!
_ 上巻まで読んだ時点ではデフォルメされすぎているように思ったリーガル王子(確かにそうなのだが)&<技>の長ガレン(これも同様)にはちゃんと必然性あり。そう来るのであったか。いや流れはそっちだとは思ったが、そう言う解決なのね。デフォルメの必然性にも納得するし、この時点での解決策もなかなかね。
_ というわけで作者は主要な登場人物はむやみに死なせません。本文中にも何回か出てくるが、ガンダルフがゴラムのことを言ったのと通じる。
_ 他に例えば、フィッツの父シヴァルリの妃ペイシェンス(フィッツは庶子なのでその母ではない)はまるでマンガのキャラのように描かれているが、それも大変わかりやすい。各人物はこのようにくっきりと描かれているが、決して類型的でも、まして単純でもない。それが同時にストーリーラインで次への伏線となって生きているのだ。なかなかの力量だと思う。
_ 作者は始めプロフィールが明らかにされず、男性か女性かも不明だったそうだ。訳のせいもあるのかも知れないが、この感じははやり女性でしょう(実際、女性)。全体の雰囲気、<気>や<技>の感覚、等々。<気>は、『魔術師マーリンの夢』で描かれた犬の感覚を思い起こすが、それとはまた違う。全体に、優しくふくよかと言ったら良いか?
_ <熔化(フォージ)>が不気味で怖いよ〜。一種のゾンビとも言える。これに対する家族・集落の苦悩が良く書けていると思った。赤い船団や<熔化>のメカニズムはこの後どう説明されるのだろう。続編の訳出が大変楽しみな3部作だ。
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